28 泰山封霊術
初陣を果たした前田は気が大きくなっていた。
危険と言われても今の自分だと大丈夫そうな気がして手を伸ばす。
すると美凰が飛び出し、前田の手首を強く掴んだ。
同時に華麟が印を結んだ。
光の結界が、前田と瘴珠の間に展開される。
間一髪だった。
瘴珠から噴き出した赤黒い霧が結界にぶつかり、じゅっと音を立てて散った。
華麟の顔から血の気が引く。
「あっぶな!」
美凰は前田の手首を掴んだまま、低く言った。
「瘴珠は素王でなければ封じにくい。だが、封印の術を知らぬまま素手で触れば、精神を汚染されるか、霊脈を焼かれる。」
前田は瘴珠を見たまま言った。
「それは先に言ってほしかったです。」
「だから近づくなと言った。」
「間に合ってませんでした。」
「お前が早すぎるんだ!」
泰鳳も顔を青くしていた。
「素王が素手で瘴珠に触れようとするな。死ぬぞ!」
綾子は目を丸くしている。
「そんな危ないものなの?」
「そうだ。」
泰鳳が強い声で答える。
「なら前田くんにあげて正解だったわね。あんた、育ちは悪いけど頑丈そうだし。」
「綾子・・・。」
泰鳳の声が低くなる。
「冗談でも言うな。」
綾子は肩をすくめた。
「冗談よ?」
だが、その冗談に誰も笑わなかった。
華麟は結界を維持しながら、前田へ呆れたような、泣きそうな顔を向けた。
「前田様・・・せめて一言聞いてから動いてください。心臓が止まるかと思いました。」
「でも、素王でないと封じにくいんですよね?」
「そうですけど!」
「なら、私がやるのが一番早い。」
華麟は言い返せなかった。
その通りではあった。
ただし、その判断が早すぎる。
美凰はようやく前田の手首を離した。
「魔王討伐の前に、まずこの素王を制御する方法を考えねばならんな。」
泰鳳が深く頷いた。
「同感だ。」
前田は瘴珠を見つめた。
赤黒い霧はまだ漏れ続けている。
華麟の結界は震えていた。
長くは保たない。
「じゃあ――」
前田はすぐに言った。
「泰山封霊術で!」
綾子が目を輝かせた。
「良いわね。泰山封霊術、私もやってみたい!」
「「やめろ!」」
美凰と泰鳳の声が同時に響いた。
「「山ごと封印される!」」
二人は一瞬だけ顔を見合わせた。
対立しているはずの二人の間に奇妙な連帯感が、ほんのわずかに生まれかける。
だが、すぐにそれどころではないと思い直した。
綾子は頬を膨らませる。
「二人して止めなくてもいいじゃない。ちょっと試してみるだけよ?」
「お前の『ちょっと』が一番危険だと、今日だけで十分学んだ。」
美凰が言い切った。
泰鳳も頷く。
「泰山封霊術は山岳霊脈を封じる大術だ。瘴珠一つに使えば、周囲数里が封印圏に入る恐れがある。」
杏麟は冷静に前田を見た。
「泰山封霊術は、確かに瘴珠を封じるには有効よ。ただし加減を間違えれば、この山だけでなく近隣の村まで霊的に閉じ込める。できる?」
前田は即答しなかった。
躊躇ではない、見極めていた。
自分の内側にある力、瘴珠から漏れる瘴気、華麟の結界の限界、周囲の山脈の流れ――大きな術を撃つことはできる。
だが、撃てることと撃つべきことは違う。
そこだけは、先ほどの次帥轟雷式で分かった。
「できます。」
前田は言った。
美凰の顔が強張る。
「前田!」
「でも、やりません。」
美凰がわずかに目を見開いた。
前田は瘴珠を指差す。
「瘴気固定術にします。珠そのものは残して、漏れている瘴気だけを固定する。」
杏麟が目を細めた。
「その判断ができるなら、及第点ね。」
綾子は不満そうだった。
「ええ? なんか面白くない!」
「面白さで術を選ばないでくれ・・・。」
泰鳳が疲れた声で言う。
前田は印を組んだ。
今度は力を強く出さず、内側の熱を細くする。
太い川ではなく、糸のように。
瘴珠の周囲へ、淡い光の膜が生まれた。
赤黒い瘴気がその膜に触れる。
気をそこに留めて、流れを止める。
瘴気は少しずつ収束し、珠のひびは静かに閉じていった。
黒ずんだ表面は、やがて透明な水晶のような輝きを帯びる。中にはまだ赤黒い影が揺れていたが、外へ漏れる気配はない。
華麟が結界を解いた。
そのまま、へなへなと座り込む。
「よかったぁ・・・封じられた・・・。」
美凰は深く息を吐いた。
「力任せだけではないということか。」
前田を見る目に、少しだけ評価が混じっていた。
泰鳳も瘴珠を確認し、頷いた。
「これなら持ち帰れる。魔王の瘴気が実体化した証拠としても価値がある。」
綾子は前田を見た。
「あら。でも意外と器用じゃない、あんた。」
「ありがとうございます。」
「褒めたわけじゃないわ?」
「分かってます。」
「分かってるならいいの。」
そのやり取りを、華麟は少し複雑そうに見ていた。




