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2 異世界なのに世界が狭すぎる

 華麟の背は大きく、馬よりも安定して見えた。だが、それでも目の前にいるのは伝説上の霊獣である。乗るという発想自体が非現実的だった。


 しかし、外からかすかに金属の鳴る音が聞こえた。


 美凰の表情が変わる。


「早いな。もう近くまで来ている。」


「本当に追手が?」


「だから言った。」


 前田は観念した。


 鞄だけを手に取り、華麟の背におそるおそる跨る。鱗の感触がスーツ越しにも伝わった。硬いが冷たくはない。むしろ、生命の熱があった。


《しっかり掴まってください。舌を噛みますよ。》


「え、ちょ――」


 華麟が地を蹴った。


 家の戸が開くより早く、前田の視界が跳ねた。


 壁が近づき、消えた。華麟は開け放たれた裏戸から庭へ飛び出し、石垣を一息に越えた。前田は必死に鬣へ掴まった。落ちたら死ぬ。少なくとも、普通の人間なら死ぬ高さだった。


 だが華麟の動きは滑らかだった。


 地面を走るというより、風の上を跳ぶようだった。屋根瓦が後方へ流れ、細い路地が一瞬で過ぎ去る。古風な町並みはどこか日本に似ており、漢字を用いているので大体の意味は分かった。


 もっとも日本とは異なる漢字もいくつかあった。元の世界にも異体字や崩し字で読めない漢字はあったが、その一種なのだろう。しかし、前田はそうした文字も読めた。脳が勝手に日本語へ置き換えているような感覚だった。


 そこへ一羽の大きな鳥がやってきたかと思うと、降り立って荷物を持った人間の姿となり隣を走った。さきほど「後から荷物を手配する」と言っていた美凰だった。


 走っている、というより、軽くないはずの荷物を背負って屋根から屋根へ跳び移っている。衣の裾が風に舞う。人間の身体能力ではあり得なかった。


「まず状況だけ言う。」


 美凰の声は風に流されず、はっきり届いた。


「ここは大倭帝国。法皇を国家元首とする連邦制国家だ。直轄領と、大王を元首とする大王国によって成り立っている。」


「連邦制・・・・・・。」


 アメリカやロシアのようなものだろう、と前田は納得した。


「そしてここは、その構成国の一つ、総漢国だ。」


 華麟が塀を越える。


《前田様は、女性皇太子である彩比売殿下の夫となる素王として召喚されました。私と美凰が召喚しました。》


「皇太子の夫?」


《はい。彩比売殿下は次期法皇であらせられます。ですが女性であるため、女系法皇を認めない派閥から強く反対されています。殿下が夫を得るなら、その夫は素王か皇族でなければならないと、女系法皇を認める側からも言われているのです。》


「それで私?」


《はい。》


 華麟の返事は、あまりにもまっすぐだった。


 前田は頭を抱えたくなった。抱えようとしたが、華麟の背から落ちそうになったのでやめた。


「待ってください。私は前職サラリーマンですよ。貧乏な家で育って、政治も宮廷も何も知りません。そんな人間を皇太子の夫に?」


「だから素王だ。」


 美凰が言った。


「異世界から来た純仙は、既存の血縁秩序に縛られない。皇族や王族の近親婚が続く世界に、新しい血を入れる役目もある。」


「魔王討伐は?」


「それも名目としては本物だ。だが、千年以上、魔王を倒した素王はいない。」


「え?魔王に勝てないの!?」


 魔王討伐での異世界転移と聞くとラノベの勇者を連想するのに、素王は勇者では無いらしい。


 美凰は前田のツッコミは無視して屋根の上で足を止め、周囲を確認した。


 華麟も広場の外れに着地する。人影のない廃屋の陰だった。


《前田様、ここで一度降りてください。人の姿に戻ります。》


「あ、はい。」


 前田は慌てて華麟の背から降りた。


 足が震えていた。走っていたのは自分ではないのに、身体中に力が入っていたらしい。


 華麟の身体が光に包まれ、再び人間の女性の姿へ変わった。先ほどまで前田が跨っていた場所に、今度は金色の髪の美女が立っている。乗ったまま変化されていたら大惨事だったに違いない。


 美凰は屋根から音もなく降りてきた。


「ここからは少し歩く。追手を撒くには、足跡と霊気の流れをずらす必要がある。」


「霊気をずらす??なんですか、それ。」


「今は言葉だけ覚えろ。」


 美凰は冷ややかに言った。


「もう一人の素王についても話しておく。佐藤綾子(さとうあやこ)。二十八歳の女だ。」


 前田の思考が止まった。


「・・・・・・佐藤、綾子(あやこ)?え?それも28歳の?」


「知っているのか?」


 美凰の視線が鋭くなる。


 華麟も不安そうに前田を見た。


 前田は数秒、言葉を探した。


 そして、絞り出すように言った。


「私を振った女です。」


 沈黙が落ちた。


 風が、廃屋の破れた戸を揺らした。


「・・・・・・振った女?佐藤綾子は知り合いなのか?」


 美凰が繰り返した。


「思い出したくないです。私を男として見なかった女なので。」


「詳しく言え。」


「いや、詳しく言う必要ありますか!?嫌ですよ!」


「ある。」


 前田は深いため息をついた。美凰はこちらに会話の主導権を委ねる気はないらしい。


「綾子さんは育ちが良くて、頭も良くて、見た目も良くて、まあ、誰が見ても令嬢という感じの人でした。私は貧乏な家の出で、会社員としても大したことがない。綾子さんからすれば、私は恋愛対象ではなかったんです。」


「それで?」


「一度、周囲からカップルみたいに言われたことがあって、そのとき綾子さんは怒りました。『前田くんを好きになるような女だと思われたくない』と。」


 華麟が小さく息を呑んだ。


「ひどい・・・・・・。」


 美凰は冷静に言う。


「いや、普通の反応だろ。」


「仲は良かったんですよね。私を振った後も、家に泊めてくれたりしましたし。」


「それは男として見ていないからだろう。」


 美凰の指摘は容赦なかった。


「はい。非モテはそういうものです。」


 前田は苦笑した。


 笑うしかなかった。


 思い出したくない記憶だった。だが、忘れられるほど軽い記憶でもなかった。


 綾子は傲慢だった。わがままだった。育ちの悪い者を見る目には、時折、隠しきれない軽蔑があった。


 それでも、完全な悪人ではなかった。


 気まぐれに優しく、面倒見がよく、前田を弟分のように扱った。嫌われてはいない。ただ男として見られていない。それは、別の意味で残酷だった。


「厄介だな。」


 美凰は腕を組んだ。


「佐藤綾子にとって、お前は恨む相手ではない。執着する相手でもない。情で揺さぶることも難しい。敵としては面倒な相手だ。」


「敵なんですか?」


「今のところはな。」


 美凰は即答した。


「佐藤綾子は、総漢国の大王を代えるために召喚された。召喚したのは杏麟という麒麟。と泰鳳。若くして総漢国の鳳凰界を率いる男だ。」


「世間狭すぎだ・・・・・って、え?大王を替える?なんか反逆の話を聞いてしまった気がするんですが!?」


 華麟の表情が曇る。


泰鳳(たいほう)様は、尚英(なおひで)様が総漢国のためにならないと考えています。重税で民を苦しめているのは事実ですから・・・・・・。」


「尚英?それが大王の名前なのですか?」


「そうだ。尚英は暗君だ。」


 美凰ははっきりと言った。


「そこは否定しない。魔王討伐に熱を上げ、成果もないまま税を重くし、民を疲弊させている。だが、だからといって泰鳳のやり方が正しいとは限らない。」


「大王を代えるには、法皇の許可が必要なんじゃないんですか?」


 前田は当然の疑問を口にした。


「そうだ。」


 美凰は頷いた。


私もそうですが、こう言う作品の著者が書く世界って、メッチャ世間が狭いですよね。なんでそうなるかの理由も話の流れでは入れておかないといけないですね。

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