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1 召喚理由は非モテだから

 前田が目を覚ましたとき、まず鼻に入ったのは畳に似た草の匂いだった。


 その次に木の匂いがする。古い家の匂いに近い。どことなく懐かしさを感じた。


 だが、前田が知る日本家屋とは少し違っていた。柱は太く、壁には見慣れない文様が刻まれている。燭台のようなものには青白い火が揺れていたが、油の匂いはしなかった。


「・・・・・・ここは。」


 前田は身を起こそうとして、頭に鈍い痛みを覚えた。


 周囲には荷物が散らばっていた。


 会社の鞄やスマートフォン、文庫本、小さなお守り――なぜか自宅で使っていた湯呑みと皿まである。お気に入りではあったが、今ここにある理由は分からない。


 しかし、それらがかえって、あの光の空間が夢ではなかったことを示していた。やはり所有権の概念は法律とは関係ないようだ。


 前田はゆっくり顔を上げた。


 そこに、二人の女性がいた。


 一人は、やわらかな印象の美女だった。黒いがやや明るめの長い髪に、澄んだ瞳。どこか人懐っこい雰囲気があるが、纏っている衣は古風で、見慣れない刺繍が施されている。


 もう一人は、鋭い美貌の女性だった。黒に近い深紅の髪を結い、涼しい目でこちらを見ている。立っているだけで場の空気を支配するような迫力があった。


「あ、気がつきましたか?」


 やわらかな方の女性が、ほっとしたように顔を明るくした。


「前田弘貴(こうき)様ですね。私は華麟(かりん)と申します。」


「かりん・・・・・・さん?」


「はい。華やかな麟と書いて、華麟です。」


 前田はまだ頭が回らなかった。


 もっともいきなり転移した空間に見知らぬ美女が二人いるにしてはかなり堂々としている方であろう。人間は異常事態が起きた時ほど冷静になるようである。


 そのとき、もう一人の女性が短く言った。


美凰(みおう)だ。」


「みおう・・・・・・さん?」


「そうだ。説明は後にする。召喚術を使った痕跡はいずれ感知される。ここに長くはいられない。」


「感知?」


「追手が来るということだ。」


 美凰の声は落ち着いていた。


 落ち着きすぎていて、かえって怖かった。


「追手って、何ですか。私は召喚されたばかりで、何も――」


 饒舌に質問が出来る程度には冷静である。


「何も知らないから危険なんだ。」


 美凰は部屋の入口へ視線を走らせた。


「ここは隠れ家だ。だが、もう安全ではない。前田弘貴、お前は素王(そおう)として召喚された。いずれ大倭帝国の皇太子、彩比売(あやひめ)殿下の夫となることを期待されている。」


「・・・・・・夫?」


 前田の口から、乾いた声が漏れた。


「いや、待ってください。魔王討伐では?」


「表向きはな。」


 美凰はそう言い切った。


 華麟が慌てて美凰の袖を引いた。


「美凰、最初からそんな言い方をしたら前田様が混乱します!」


「既に混乱している。なら必要なことだけ伝えた方が早い。」


「でも!」


 前田は二人を交互に見た。


 夢ではない。


 どう考えても夢ではない。夢なら、もっと都合よく進むはずだった。目の前の二人は美しいが、状況はまったく甘くない。


 もっとも、皇太子の夫になれるというのは、見方によっては甘い夢なのかもしれない。なにしろ前田は非モテだ。人生で一度も彼女などできたことがない。


 ・・・・・・と、いうことを前田自身も思い出してしまった。


「夫って、私は女性への縁が皆無なのですが――」


「モテないぐらいがちょうど都合が良い。変に遊ばれたりしたら叶わん。だからそういう人間が召喚されやすい術式にした。」


「酷っ!非モテ召喚ですか!?」


 そこをツッコめる分にはこの世界で生きていくことは大丈夫そうである。


「前田弘貴様。」


 彼のツッコミは華麗にスルーして華麟が一歩近づいた。


 その声は美凰より柔らかい。だが、そこにも切迫したものがあった。


「私は麒麟です。美凰は鳳凰です。私たちは人の姿を取っていますが、人間ではありません」


「麒麟?鳳凰?」


「はい。私たちは、どんな生き物にも姿を変えることができます。」


 そう言うと、華麟の輪郭が淡く光った。


 前田は息を呑んだ。


 次の瞬間、そこにいた女性の姿は消え、代わりに美しい霊獣が立っていた。


 鹿に似たしなやかな身体。龍を思わせる顔立ち。額には角があり、鱗は淡い光を帯びている。(たてがみ)は絹糸のように流れ、瞳には人間以上の知性が宿っていた。


 前田は思わず後ずさった。


 華麟の声が、耳ではなく頭の内側に響いた。


《驚かせてしまって申し訳ありません。でも、これが私の本来の姿です。》


「・・・・・・頭の中に声が。」


《主君と見做した仙人とは、聖別を通して想いを通わせることができます。ただし、前田様への正式な聖別はまだです。今は召喚の儀に伴う仮の縁にすぎません。》


「聖別・・・・・・?」


 前田が聞き返すと、美凰が口を挟んだ。


「麒麟と鳳凰は、主君と定めた純仙に聖別を与える。聖別は、特別な力と正統性を付与する契約だ。大王や親王、そして皇身位者は、麒麟と鳳凰の双方から聖別を受けるのが慣例になっている。」


「純仙?」


「お前のことだ。」


「私が?」


「うまれながらの仙人のことだ。異世界から召喚された素王は、なぜかこの世界に来た時点で仙人になる。理屈は完全には分かっていない。だが、そういうものだ。」


 前田は自分の手を見た。


 見た目は変わっていない。少なくとも、鏡を見なくても分かる範囲では、身体は自分のものだった。


 一体、どこが人間じゃなくなったというのか。


「私、人間じゃなくて人外になったのですか?」


「人外という言い方はやめろ。仙人だ。」


 美凰は淡々と言った。


「仙人って、あの仙人?」


 あの白髪に長くて白い髭の仙人に自分はなったのだろうか?鏡を見ないとわからない。


「お前の世界の仙人がどういう存在かは知らんが、まぁ見た目とかは人間と変わらないな。仙人だから偉いわけではない。条件を満たした存在というだけだ。そこに宗教的な意味を見出す者は多いが、実態はもっと現実的だ。」


「現実的・・・・・・。」


 現実的という言葉が、これほど現実味なく響いたことはなかった。


 美凰が窓の外へ目を向ける。


「時間がない。華麟、先に運べ。荷物は後でこちらが手配する。」


《はい。》


 華麟が前田の前に身を低くした。


《前田様、私の背に乗ってください。まずここを離れます。》


「いや、いきなり乗れと言われても。」


「追手に捕まるよりはましだろう。」


 美凰の言葉に、前田は反論できなかった。


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