25 次帥轟雷法
北の空へ向かう途中で、二つの一団は接近した。
前田は美凰の背に乗っていた。
美凰は鳳凰の姿で空を飛んでいる。翼が一度動くたび、空気が大きく押し分けられる。前田は羽根の根元を掴み、落ちないように必死だった。
華麟は麒麟の姿で横を駆ける。
空を飛ぶというより、光の道を踏んでいる。角から流れる霊気が前方に足場を作り、そこを跳ぶ。彼女が駆けた後には淡い金色の跡が残った。
広海、和子、量哉、渺蔵が周囲を固める。
その先に、もう一団が見えた。
赤金の鳳凰。
その背に乗る女の顔が見えて、前田は目を凝らした。
見間違えるはずがなかった。
「美凰さん。」
「何だ?」
《あっちから来る鳳凰に乗っているの、佐藤綾子さんですよね?》
風が強いため、前田は思念で送った。
《そうだ。》
美凰の返答は短い。
《泰鳳と杏麟の素王だ。》
近づく。
相手もこちらに気づいた。
綾子の顔が見えた。
最初に浮かんだのは驚愕。
次に嫌悪。
その唇が動く。
「嘘でしょ・・・前田弘貴?」
風に乗って声が届いた。
「なんであいつがこんなところに。」
泰鳳が綾子へ何かを問いかける。
綾子は吐き捨てるように言った。
「あんな育ちの悪い男、知り合いなんかじゃないわ!」
前田は何も言わなかった。
聞こえなかったふりもできなかった。
華麟がこちらを見る。
美凰の飛行高度がわずかに下がった。
《落ち着け。》
美凰の思念が届く。
《今は瘴雲だ。》
《分かっていますよ。》
不機嫌な思念までテレパシーで伝わる。
何度も聞いた類の言葉だった。
前田くんを好きになるような女だと思われたくない。
育ちが悪い、男として見れるわけがない――過去の言葉が、今の空に重なった。
泰鳳は綾子の横顔を見て、内心で冷や汗をかいていた。
相手はもう一人の素王。
しかも綾子と同郷。
ここで無用に敵意を煽るべきではない。
だが綾子は、そんな政治的配慮を軽く踏み越えていた。
彼女は泰鳳に向かって大して声を潜めもせずに言った。
「それにしても、前田くんまで素王なんてね。ずいぶん出世したわよね。」
声には笑みがある。
しかし、その笑みは優しさではなかった。
上から下を見る者の余裕だった。
「ちゃんと務まるのかしら? あんなので。」
泰鳳は思わず口を挟みかけた。
明らかに綾子は聞こえていないと思っているが、距離は近いのだ。
しかし綾子は止まらない。
「まあ、前田は昔から誰かに必要とされると頑張る人だったものね。それにしてもあんな可愛い麒麟さんが前田君なんかを召喚するって、可哀想ね。」
華麟の笑顔がひきつった。
美凰の翼が一度、強く風を打った。
前田はただ黙っていた。
綾子はそれを見て、少しだけ声色を変えた。
先ほどの言葉が届いたことに、今さら気づいたのかもしれない。
だが態度そのものは変わらない。
「ヤッホー、前田くん。あなたもこの世界に来てたのね?同じ世界の人がいなくて寂しかったから、ちょうどよかったわ。」
さっきまでとは違う、弟分に再会した姉のような声。
しかし、前田にはもう先ほどの言葉が聞こえていた。
綾子は泰鳳の背からふわりと浮いた。
だが、美凰はすぐに思念を飛ばす。
《そのまま飛び移るな。危険だ。いったん高度を下げる。》
泰鳳も同時に判断したようだった。
二羽の鳳凰が近くの尾根へ降下する。
前田は美凰の背から降りた。
綾子も泰鳳の背から地上へ降りる。
その直後、美凰と泰鳳はそれぞれ人型へ戻った。
鳳凰の姿のままでは、人間同士の細かな会話や位置取りが難しい。まして二組の素王と四神が揃う場で、背に乗せたまま話すのは危険だった。
華麟も人型へ変じる。
杏麟も人型へ戻った。
四神たちは空と地上の境に展開している。
広海と剛志は上空で牽制するかのように旋回し、量哉は熱風を抑えながら羽ばたき――何故か鳩が20羽ほどその周りを飛んでいた。
「おい、鳩女だろ。何鳩を沢山連れて来てんだ。」
《あ、量哉君、久しぶり!ここまで来る道中、鳩語で「大変!大変!」と叫んでいたら「どうした?」という鳩さんたちがついてきちゃった。》
「何やってんだこいつ・・・。」
亜香子と和子は霧の足場に立ち、渺蔵と啓太は尾根の岩場へ重々しく身を置いた。
綾子は前田のすぐ近くまで来た。
香の匂いがした。
元の世界でも、彼女はいつも良い香りを纏っていた。
その記憶が、前田の心を余計に乱す。
「元気だった?」
綾子は弟分に話しかけるような声で言った。
「ちゃんとご飯食べてる? 相変わらず貧乏くさい顔してるけど。」
華麟の笑顔がひきつった。
美凰は一歩前に出て、前田と綾子の間に割り込む。
「用件は何だ?」
声が冷たい。
「瘴雲は目の前だぞ?」
綾子は肩をすくめた。
「もちろん祓うに決まってるじゃない。」
そして四神たちを見回す。
「そちらの四神も下っ端? お互い大変ね。急場だと、やっぱり近くの下っ端しか来ないのかしら?」
前田は思わず口を挟んだ。
「四神二組、合計八体を同時に怒らせる真似はやめてください。」
剛志がじろりと綾子を見た。
「下っ端呼ばわりは二度目だぞ?人間。」
綾子は平然としている。
「事実を言っただけよ?」
泰鳳の顔が引きつった。
「綾子、今は協力を頼む立場だ。」
「協力する気があるなら、呼び方くらいで怒らないでしょう?」
「そういう問題ではない!」
「では何の問題?」
泰鳳は言葉に詰まった。
この女と正面から礼儀論を始めると、瘴雲の方が先に村へ落ちる。
杏麟は額に手を当てている。
渺蔵が甲羅の隙間から蒸気を噴いた。
「若い素王が二人。片方は礼を知り、片方は礼を踏む。」
綾子が渺蔵を見る。
「あら、私は礼儀を知らないわけじゃないわ。相手に応じて使い分けているだけよ?」
和子が低く笑った。
「なお悪い。」
北からの風が強まった。
紫の靄が尾根の下へ垂れ落ち、木々の葉が黒く縮れていく。
美凰が前田を見る。
「指示を出せ。」
「私が?」
「お前が素王だ。」
綾子が髪をかき上げる。
「足は引っ張らないでね、前田くん。あなた、昔から肝心なところで不器用だから。」
泰鳳は横で小さく息を呑んだ。
頼むからこれ以上煽るな。
だが綾子は前田を見たまま、余裕の笑みを浮かべている。
前田は息を吸った。
腹が立って逆に冷静になった。いや、男の闘争本能的なものが芽生えたというべきか。
《舐められてたまるか!》
そう内心で思ったことが、聖別で深く繋がっている華麟と美凰には大声で叫んでいるように聞こえたらしい。二人はギョッとした顔になったが、感情が高ぶっている前田は気付かない。
前田は広海を見た。
「広海、天鞭清浄法を!」
奇しくも同時に、綾子も言った。
「剛志、天鞭清浄法を!」
二組の青龍が顔を見合わせた。
「命令が被ったぞ?」
剛志が鼻を鳴らす。
広海が先に動いた。
龍身を大きくくねらせ、天へ向けて息を吸う。
口から清水の奔流が放たれた。
それは鞭のようにしなり、黒い瘴気を打つ。
それを見て剛志も負けじと続く。
二筋の清水が瘴雲へ食い込む。
黒が薄れる。
だが、雲は大きい。
裂け目から紫の靄が再び垂れる。
綾子は腕を組んだ。
「二組で同時にやっても足りないみたいね。玄武と朱雀も使うべきだわ。」
「指図するなと言いたいところだが――」
美凰は瘴雲を睨む。
「今回は正しい。全員で当たる。」
泰鳳も頷いた。
「地脈を塞ぎ、火で焼く。白虎には残滓を断たせる。」
前田は二人の鳳凰の言葉を聞きながら四神を見た。
そして自分の内側に流れる力へ意識を向ける。
次帥法――この言葉が脳裏に浮かぶ。
法皇・天皇・地皇・人皇のみが用いる大元帥法。
その許可の下でしか使えない元帥法。
それらを除けば、次帥法は最上級に位置する術式である。
昨日読んだ本に書いてあった術式だ。
本来なら、素王が軽々しく使うものではない。
だが前田には、なぜか形が分かった。
雷、空を裂く号令、四神の力を束ねる式――前田は手を上げて印を結ぶ。
すると同時に綾子も印を結び、二人は同時に叫んだ。
「「次帥轟雷法!!」」
あまりにも息のあった二人の指示に、美凰と泰鳳の表情が変わった。
「「やめろ!」」
二人が同時に叫ぶ。こちらもかなり息があっている。
だが遅かった。
前田と綾子から放たれた術式が、それぞれの四神へ走る。
次帥法は素王が扱える範囲では最大級の術であり、元の世界で言うと核兵器以外での最強兵器――大型貫通爆弾のようなものだ。
瘴雲一つを祓うには、明らかに過剰だった。
青龍の清浄法が雷を帯びる。
玄武が地脈を押さえ込み、瘴気の根を断つ。
朱雀の炎が雲の内部へ走る。
白虎が霧の足場を蹴り、残滓を切り裂く。
二組、八体の四神が同時に動き出す。
空が割れ、轟音が山を揺らす。
眩い閃光が走り、黒い雲が内側から破裂した。
瘴気は消えた。
確かに消えた。
だが、余波が凄まじかった。
衝撃波で尾根の木々がなぎ倒される。
遠くの山肌に亀裂が走る。
雲のあった空域には、まるで巨大な穴が開いたように青空が広がっていた。
前田は術式の反動で膝をついた。
綾子もよろめいたが、すぐに泰鳳の腕を払い、自分で立った。
「支えなくていいわ。」
「倒れかけていた。」
「倒れてない。」
泰鳳は何か言い返そうとして、やめた。
華麟は美凰の背後に隠れ、震えていた。
杏麟は呆然としている。
美凰の髪は風で乱れ、衣がばたばたと揺れていた。
彼女は前田を睨みつける。
「雲を消すのに地形を変えてどうする!」
泰鳳も顔面蒼白だった。
「下手をすれば村が三つ消えていたぞ!」
綾子は少し乱れた髪を直しながら言う。
「あら?ちょっとやりすぎたかしら?」
「ちょっとじゃない!」
泰鳳が叫ぶ。
それでも綾子は、どこか満足げだった。
「でも消えたでしょう?」
「そういう問題ではない!」
「結果は出したわ?」
「過程で国土を壊しかけた。」
「壊してないわ?」
「かけたと言っている!」
前田はまだ膝をついたまま、消えた瘴雲を見上げていた。
「修行の成果は出せたと思うんですけど。」
美凰と泰鳳が同時に怒鳴った。
「「反省しろ!」」
渺蔵が甲羅から煙を上げながら、満足そうに唸った。
「久々に全力を出した。悪くない」
剛志はぐったりしていた。
「腹減った・・・。あと下っ端呼ばわりした女、あとで水に落とす」
綾子は涼しい顔で言う。
「できるものならどうぞ?」
泰鳳は頭を抱えた。
「頼むから味方を挑発するな・・・。」
亜香子は尾を振る。
「素王というのは、どいつもこうなのか?」
量哉は笑っていた。
「面白いじゃないか。退屈しない。」
鳩女はまた鳩の姿に戻ってついてきた鳩たちから尊敬のまなざしを受けていた。
美凰は深く息を吐いた。
泰鳳もまた、苦い顔で綾子を見る。
杏麟は小さく呟いた。
「私、人選を間違えたのかしら?」
今さらである。いつも綾子を全力肯定していてどの口が言うのか。
美凰も遠い目をした。
「私も少し思った。」
華麟が慌てる。
「そ、そんなことないです! 前田様はちゃんと瘴雲を祓いましたし!」
綾子は前田を見下ろし、少し口角を上げた。
「まあ、前田くんにしては頑張ったんじゃない?」
前田は顔を上げる。
褒め言葉ではない。
上からの評価だった。
だが、それでも昔よりは少しだけ違って聞こえた。
同じ世界から来た二人。
別々の陣営に召喚された二人。
片方は彩比売の夫候補。
片方は総漢国大王候補。
そして二人とも、自分たちの力の危うさをまだ十分には理解していなかった。
山の上に、焦げた風が吹いた。




