24 佐藤綾子の初陣
同じ頃、飛天宮でも北の空に異変が見えていた。
綾子は露台の上空にいた。
浮遊訓練を終えたばかりだったが、楽しいから再び空を飛び、そして黒い雲を見た瞬間に表情を変えた。
「あれ、瘴気雲よね?」
杏麟が顔色を変える。
「もうこんな近くまで!」
泰鳳も空を睨んだ。
「魔瘴雲だ。飛天宮の北域に落ちれば、郊外の村が危ないな。」
「だったら早く四神を呼びなさい!」
綾子は上空から言った。
「時間がないでしょう?青龍、朱雀、白虎、玄武。使えるのを四体。」
泰鳳は一瞬だけ眉をひそめた。
「使えるのを、という言い方はやめろ。」
「じゃあ、暇な下っ端でいいわ?」
杏麟の笑顔が引きつった。
「綾子様、四神の皆様にその言い方は少し・・・。」
「緊急時でしょう?上位個体がすぐ来られないなら、近くにいる下っ端を呼ぶしかないじゃない。」
泰鳳は胃のあたりを押さえたくなった。
この女は強い。
頭も切れる。
だが、とにかく口が悪い。
それも単なる粗野ではない。育ちの良い者が、無意識に他人を値踏みする時の傲慢さだった。
「分かっている。」
泰鳳は印を結んだ。
「だが四神四体の同時召喚は軽くない。まして緊急召喚なら、応じる個体の格も安定しない。」
「私がやれといったらやりなさいよ!主君は私よ?」
泰鳳が一瞬ムッとした顔になる。鳳凰も主従関係は重視するが、本能的に隷従を拒む。
杏麟が泰鳳の背に手を当てる。
「私が補助するわ。やりなさい。」
「失敗すれば霊力を削られるぞ?」
「今さら怖気づくの?」
杏麟は笑った。
「綾子様の前よ?」
泰鳳は苦い顔をした。
「分かっている。」
飛天宮の四隅に光が走った。
東に青い風。
西に白い霧。
南に赤い火。
北に黒い水気。
四神が現れる。
ただし、前田たちのもとに現れた四体より、いくらか若く、気配も軽い。
最初に東に表れた青龍は眠そうに目をこすっていた。
「何だよ急に。昼寝してたのに。」
「あんたは誰?名前は?」
綾子が誰何すると青龍は言った。
「自分が読んどいてあんた誰はないだろ!俺の名前は剛志だ!」
「わぁ、名前だけは強そう。」
「名前だけじゃねぇぞ!俺は本当に強いんだ!この前はな、腰布留山でほろほろしていた広海って奴を泣かしたんだぜ?」
「ただのいじめっ子じゃない。」
「違う!それは青龍の世界では度々ある決闘で――」
泰鳳が剛志を手で制した。
「今は他のも呼んでいるから後で。」
「そうね。南の朱雀は――」
そこにいたのは――鳩だった。
「ぴっぽ、ぱっぽぽ。」
「鳩じゃないの!」
「ぴよ、ぴっぴっぴ。」
「しかも横断歩道じゃない!」
ツッコむ綾子を見て泰鳳も額に手を当てる。
「失敗だったかな・・・。」
「泰鳳、そこはボケないで!綾子様、安心してください。朱雀が鳩に化けているだけですから。」
杏麟がそういうとその鳩――いや、紅蓮鳩女は本来の朱雀の姿になった。
「うわ、ここ朝廷? 堅苦しいなぁ。」
「あんたの名前はなんなの?」
綾子の問いに鳩女は胸を張って答える。
「鳩女よ!」
「そのままじゃない!」
どうもお約束のやり取りのようだ。
西側では白虎の亜香子が大きな欠伸をした。
「で、何すんの?」
玄武の啓太は無言で北を見ていた。
綾子は四体を見渡し、当然のように言った。
「やっぱり下っ端ね。」
空気が止まった。
泰鳳の顔色が変わった。
「綾子!」
「何?」
「今の発言は取り消せ。」
「どうして? 事実でしょう?」
剛志の目が細くなった。
「人間。今、何と言った?」
「下っ端と言ったの。急に呼ばれて来られるのは、そういう立場だからでしょう?」
杏麟が慌てて間に入る。
「申し訳ありません、この方は異世界の礼法に慣れておられなくて。」
鳩女が面白そうに笑った。
「礼法の問題なの?」
白虎が牙を見せる。
「度胸はあるな。」
「あんた、名前は?」
「亜香子よ?」
「白なのに赤なのね。」
玄武は低く唸った。
「若い素王は、己の舌の重さを知らぬ。」
「あんたの名前は?」
「啓太だ。文句あるか?」
「ないけど?」
泰鳳はこめかみを押さえた。
戦う前から味方の四神を怒らせてどうする。
この女を大王にする――そう決めた自分の判断は本当に正しかったのか。
一瞬だけ、不安が胸をよぎった。
しかし綾子はまったく怯まない。
「怒る暇があるなら、あの雲を見なさい。村が枯れるわよ?」
四神たちは北を見た。
黒い雲が近づいている。
剛志は舌打ちした。
「あとで覚えてろよ?」
「覚えておくわ。」
綾子は平然と答えた。
泰鳳は鳳凰の姿へ変じた。
赤金の翼が広がる。
「乗れ。」
「分かっているわ。」
綾子は泰鳳の背に乗った。
ただし、泰鳳が人型へ戻る時は当然降りる必要がある。綾子はそれを理解していた。空中で無闇に乗り換えるのは危険だ。だから彼女は、鳳凰の背で姿勢を低くし、片手で羽根の根元を掴んだ。
杏麟は麒麟の姿を取った。
麒麟に翼はない。
だが彼女は風を踏む。
角から淡い光を放ち、空中に見えない足場を作りながら駆け上がる。四肢が虚空を蹴るたび、光の波紋が広がった。
四神もそれぞれ空へ上がる。
青龍は風と水気を纏って宙を泳ぐ。
朱雀は炎の翼で舞う――のだが、鳩女は何故か再び鳩の姿になった。
「ぽっぽっぽ~!」
白虎は霧の足場を蹴って跳ぶ。
玄武は重そうな巨躯にもかかわらず、甲羅の下に黒い水雲を生み、その上を滑るように進む。
綾子は北の瘴雲を睨んだ。
「行くわよ?」
「こいつの命令ではなんか行きたくないが、行ってやるよ。」
剛志が愚痴をこぼしながらついていく。
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