22 綾子の飛翔
同じ朝。
総漢国の飛天宮では、佐藤綾子が空を飛んでいた。
飛天宮はその名に違わぬ高殿である。
長い階を上った先に広がる露台は、都を一望できるほど高い。朱塗りの欄干の向こうには、朝靄に包まれた漢陽の街並みが広がっている。
その上空を、綾子は悠々と舞っていた。
最初は五尺。
次に一丈。
やがて五丈。
彼女は恐れなかった。
むしろ、当然のように高度を上げた。
朝日を背に受け、絹の衣をなびかせながら宙を滑る姿は、天女のようでもあり、女王のようでもあった。
地上では泰鳳が見上げている。
杏麟も欄干のそばで口元に手を当てていた。
「すごい・・・!」
泰鳳の声には、素直な驚嘆があった。
「召喚から間もないというのに、ここまで浮遊術を扱うとは!」
綾子は空中でゆっくり振り返った。
足元に何もない。
それでも体勢は崩れない。
髪の一筋も乱さず、彼女は泰鳳を見下ろした。
「当たり前でしょう?」
声には揺るぎがない。
「私なんだから。」
泰鳳は言葉を失った。
自信家だとは思っていた。
傲慢だとも思っていた。
だが、この女の傲慢さは、ただの虚勢ではない。
実際にできてしまう。
だから厄介なのだ。
綾子はゆっくり降りてきた。
地面に着く直前、衣の裾がふわりと広がる。足音はしない。まるで重さそのものを置き忘れてきたような着地だった。
彼女は顎を上げ、泰鳳を見る。
「あなたたちが私に何を期待しているかは知っているわ。」
泰鳳は姿勢を正した。
「では――」
「でも一つだけ言っておく。」
綾子は遮った。
「私は誰かのために力を使うつもりはない。」
朝の空気がわずかに冷えた。
「私がこの力で何をするかは、私が決める。それが嫌なら、他の素王でも探すことね。」
泰鳳は綾子を見つめた。
その言葉に怒るべきか、喜ぶべきか迷った。
傀儡にはならない。
それは扱いにくいという意味だ。
だが同時に、彼が求めていたものでもある。
尚英に代わる者が、ただの飾りであってはならない。
総漢国を変えるには、自分の意思で立つ者が必要だった。
「承知した。」
泰鳳は静かに言った。
「君を駒として扱うつもりはない。」
「その言葉、覚えておくわ。」
綾子はそう言って微笑んだ。
その笑みは美しい。
だが泰鳳には、刃のようにも見えた。
回廊の影では、数人の文官がこの光景を窺っていた。
新たな素王。
異世界から来た女。
浮遊術を軽々と扱う純仙。
その噂は、すでに宮中を駆け巡り始めていた。
好奇、畏怖、警戒、期待――それぞれの目が、綾子を見ていた。
そしてその視線の奥には、必ず尚英大王の名があった。
彼女は大王のために召喚されたのか。
それとも、大王を退けるために召喚されたのか。
誰も口には出さない。
だが誰もが考えていた。そして、分かってきた。
嫌でもわかる。多くの勢力が彩比売の夫候補として素王を召喚しているのに、泰鳳と杏麟は女性を素王として召喚したのだから。
泰鳳に尚英への反逆の意思があることは、だれも疑う余地がなかった。




