18 ムーンライト送りにはなりません
夕暮れには、三人とも庵へ戻った。
夕食は山菜粥だった。
木の実をすり潰したものと、塩漬けの山菜が入っている。質素だが、疲れた体にはありがたい。
食事の間、美凰は異種族について説明した。
「この世界には人間以外の人類がいる。」
「荼枳尼みたいな?」
「そうだ。」
前田は白狐と荼枳尼の女を思い出した。
仙人の肉は食べたことがある――あの声が、まだ背中に残っている。
「荼枳尼は完全肉食の人類だ。女性しか生まれず、他種族と交配して子を成す。知能と霊力は人間より高い。他種族を食料と見なす習性があるが、帝国法では人を殺すことは禁じられている。」
「禁じられていなければ食べる?」
「そういう個体も多い。」
美凰は淡々と言った。
「夜叉は人間と同属別種。体力と霊力に優れ、見た目は人間に恐怖を与えやすい。乾闥婆は角と翼を持つ別属の人類で、知能と芸術的感性が高い。完全菜食だ。」
「妖怪、ではないんですね?」
「違う。」
美凰の声が少し強くなる。
「人類だ。帝国の法の下で暮らす公民でもある。外見や生態が違うからといって、討伐対象ではない。」
華麟も頷いた。
「だから、魔王討伐でも相手を見極める必要があります。魔王側についた成仙や勢力もいますけど、異種族だから敵というわけではありません。」
「なるほど。」
前田は粥をかき混ぜながら考えた。
もしこの世界を普通の冒険物の感覚で見れば、夜叉や荼枳尼を「モンスター」扱いしてしまうかもしれない。
だが、それは違う。
彼らには社会があり、法があり、文化がある。
荼枳尼の狩場で命の危険を感じたのは事実だ。
それでも種族全体を敵にしていい理由にはならない。
「明日以降の訓練では、実戦よりも接触の作法を教える。」
美凰が言った。
「接触の作法?」
「異種族、地方官、山の寺社、仙人の庵。お前はこれから多くの相手に会う。剣を抜く前に、相手が何者かを判断できなければならん。」
「戦う訓練ではなく、交渉の訓練ですか。」
「そうだ。」
華麟がにこりと笑う。
「魔王討伐も、実際には交渉や調略が大事なんです。全部を力で解決しようとした素王は、だいたい失敗しました。」
「そりゃそうでしょうね。」
「交渉、懐柔、買収、離間、婚姻工作――」
華麟が指折り数える。
美凰が呆れた目で見る。
「全部言う必要はない。どうせ魔王討伐は建前だ。」
「でも建前も大事ですよ?」
「暗殺もある。」
「美凰、それは今言わなくても」
「現実だ。」
前田は粥を飲み込みながら、少し遠い目をした。
「思っていたより政治ですね。」
「だから最初から言っている。魔王討伐ではなく権力闘争が本当の召喚理由だから当たり前だ。」
美凰は答えた。
「それに魔王討伐の建前にしろ、力だけでは魔王に届かん。」
「私、元の世界では普通の会社員だったんですけど。」
「だから使える部分もある。」
「ありますか?」
華麟が身を乗り出す。
「ありますよ。組織の中で空気を読むとか、上司の機嫌を見ながら仕事を回すとか。」
「その力はいらなかった・・・。」
欲しくて身についた力ではない。
「でも政治の基礎です。」
華麟は真剣だった。
「相手の立場を読む。怒らせてはいけない人を見極める。誰が本当の決定権を持っているかを見る。元の世界の会社員なら、そういうことに慣れているはずです。」
「サラリーマンと政争は違うと思うがな。」
美凰がぼそりと言う。
「美凰は否定ばっかり!」
「過大評価を戒めているだけだ。」
「でも前田様には可能性があります。」
「可能性はある。だが訓練しなければ死ぬ。」
「またそういう言い方をする。」
二人が言い合う横で、前田はふと思った。
「そういえば、なんで私の世界の会社員のことを知っているんですか?」
華麟があっさり答えた。
「召喚の術式で、少しだけ前田様の世界の知識が流れ込んだからです。」
「記憶を読まれたんですか?」
「全部ではありません。」
美凰が補足する。
「生活や言語、文化の輪郭だ。お前個人の細かな記憶までは見えない。ただ、印象の強いものは断片的に混じる。」
前田は嫌な予感がした。
「印象の強いものって・・・。」
華麟が気まずそうに目を逸らした。
美凰も無言になる。
前田は察した。
「佐藤綾子さんのことですか?」
空気が少し重くなった。
華麟が小さく頷く。
「はい・・・。」
「どの程度?」
「前田様が傷ついた、ということは。」
華麟の声は申し訳なさそうだった。
「前田様を男として見ていなかったことも。」
美凰が静かに言う。
「そして、それでも嫌いきれなかったこともな。」
前田は黙った。
責める気にはなれなかった。
召喚術の副作用のようなものなのだろう。
だが、自分の一番情けない部分を知られていると思うと、胸が重くなる。
「すみません。」
華麟が小さく言った。
「知ろうとして知ったわけではないんです。でも、前田様を召喚した以上、少しでも理解しないといけなくて。」
「分かってます。」
前田は言った。
「それに、もう隠せる話でもないですし。」
佐藤綾子。
もう一人の素王。
泰鳳と杏麟の側にいる女。
前田を男として見なかった女。
そして、前田が今も心のどこかで意識してしまう女。
「綾子さんは、たぶんうまくやっているんでしょうね。」
前田は呟いた。
「彼女は頭が良いから。」
美凰は黙っていた。
華麟は前田の顔を覗き込む。
「前田様?」
「大丈夫です。」
「大丈夫じゃない顔です。」
「そうですか?」
「はい。」
前田は苦笑した。
自分では笑っているつもりでも、華麟には分かってしまうらしい。
聖別のせいか。
それとも、彼女がこちらをよく見ているからか。
そのまま夜が深くなると、庵の中は一層静かになった。
静かになると余計に色々な物音に意識が向く。山の虫の声、薪のはぜる音、遠くの梟の鳴き声がきこえてくる。
前田は筵の上に座り、薄い毛布を見つめていた。
昨日は疲れ果てていたから気にならなかった。
だが今夜は違う。
庵は狭い。
寝床は三人分あるが、かなり近い。
華麟も美凰も女性の姿をしている。
もちろん二人は人間ではなく、麒麟と鳳凰だ。生物としての感覚も、人間とは違うのだろう。
だが前田から見れば、美しい女性二人と同じ空間で寝ることに変わりはない。
「あの・・・。」
前田は遠慮がちに言った。
「二人とも、私と同じ部屋で寝るのは平気なんですか?」
華麟がきょとんとした。
「平気ですけど?」
美凰も当然のような顔をする。
「何が問題だ?」
「いや、私の世界では、男女で寝る場所を分けることが多かったので。」
そう言いつつも、二人の女性が平気だというと男としては何か一線を越えた感覚になる。
「変わった文化ですね。」
華麟は本気で不思議そうだった。
「主君を守る者が、主君から離れて寝たら危ないじゃないですか。」
「合理的にはそうですけど。」
「それに私たち麒麟や鳳凰は、人間ほど性別で生活を分けません。」
華麟が説明する。
「雌雄はあります。でも、人間社会みたいな男女の距離感とは違うんです。」
美凰も頷く。
「お前は正式に聖別を受けた主君だ。寝食を共にすることに不自然はない。」
「なるほど。」
前田は分かったような、分からないような顔をした。
文化や種族の違いは理屈では理解できる。
しかし感情はそう簡単に追いつかない。ただ、美女と寝れるのは何とも都合の良い展開を想像してしまう。
「前田様が嫌なら、私たちは小さな動物に変化して隅で寝ますよ?」
華麟が提案した。
「華麟は小動物になったら余計にくっつくだろう。」
美凰が言う。
「な、なんで分かるんですか!?」
「分かる。」
「美凰、ひどい!」
「事実だ。」
前田は思わず口走った。
「私の願望を言っていいなら、むしろ抱きしめて寝てほしいくらいですけどね?」
庵の空気が止まった。
薪がぱちりと鳴る。
華麟の顔がゆっくり赤くなる。
「だ、抱き――」
声が裏返っていた。
美凰は背を向けたまま固まっている。
耳が赤い。
前田はすぐに後悔した。都合の良い展開とはどうもいかなかったようだ。
「すみません。今のは冗談というか、元の世界の感覚で言うと、その――」
「お前は。」
美凰が低い声で言う。
「自分が何を言ったか分かっているのか?」
華麟は両手を頬に当てたまま、視線を泳がせている。
「で、でも、護衛として近くにいるのは合理的ですし・・・主君を守るためですし・・・。」
「華麟?」
「はい。」
「言い訳が下手だ。」
「美凰だって顔赤いです。」
「暑いだけだ。」
「夜ですよ?」
「黙れ。」
しばらくして、美凰が深く息を吐いた。
「左は私が取る。華麟は右だ。」
「「え?」」
前田と華麟が同時に声を上げた。
「何だ?」
「いや、本当に?」
「護衛だ。・・・華麟が前田様を襲わないようにな。」
「美凰、それ、どういうことですか!?」
美凰は目を逸らした。
「護衛以上の意味はない。」
華麟は少し迷った後、おずおずと前田の右側に横になった。
「そ、そうです。護衛ですからね。」
美凰は左側に横になる。
「華麟、主君を襲うなよ?」
「だからなんでそうなるんですか!?」
「麒麟は鳳凰よりも主君に好意的になりやすい性質がある。」
前田は二人に挟まれる形になった。
近い。
体温が近い。
都合の良い展開になるかと思ったが、思ったよりも苦しい展開になりそうだった。
華麟がそっと前田の手を取る。
美凰は無言で前田の袖を掴んだ。
前田はどうしていいか分からず、天井を見つめた。
不思議な夜だった。
元の世界でこんな状況になれば、もっと違う意味を持っただろう。
だが今ここでは、恋愛とも護衛とも主従ともつかない、奇妙な安心感があった。
その時、前田はふと余計なことを考えた。
「そういえば――」
「何ですか?」
華麟の声が近い。
「大王も麒麟と鳳凰の双方から聖別を受けるんですよね?」
「はい。」
「じゃあ、尚英大王も泰鳳と一緒に寝たりするんですか?」
華麟と美凰が同時にむせた。
「な、なんで泰鳳さんが出てくるんですか!」
華麟が慌てる。
美凰も咳き込みながら言った。
「突拍子もないことを言うな!」
「いや、制度上どうなのかなと。」
「制度上という言い方をするな!」
美凰が頭を抱える。
「大王が麒麟と鳳凰の聖別を受けるのは事実だ。だが、同衾が制度として必須というわけではない。」
「そうなんですか?」
「聖別は契約だ。寝るかどうかは別問題だ。」
前田はほっとした。
「なるほど。」
華麟はなぜかまだ動揺していた。
「泰鳳さんと尚英様が一緒に寝るところなんて想像したくないです・・・。」
「想像するな!」
「前田様が変なこと言うからです。」
「すみません・・・。」
美凰は天井を見つめながら、少し苦い声で言った。
「泰鳳が近くで寝るなら、自分が召喚した佐藤綾子の側だろうな。」
空気が凍った。
華麟がはっと息を呑む。
美凰も、自分の言葉の意味に気づいたのだろう。すぐに口を閉ざした。
前田は何も言えなかった。
胸の奥が鈍く痛んだ。
綾子と泰鳳。
頭の中に勝手に浮かぶ。
綾子は育ちの良い男が好きだと言っていた。
泰鳳がどのような男なのか、前田はまだ知らない。
だが若くして鳳凰界を率いる実力者だという。
少なくとも、前田よりはずっと堂々としているだろう。
前田より強く、前田より高い地位にいて、前田より政治を知っている。
綾子がどう見るかなど、考えたくなかった。
「ごめんなさい。」
先に謝ったのは華麟だった。
自分が言ったわけではないのに、泣きそうな声だった。
「前田様を傷つけたかったわけじゃないんです。」
美凰も低い声で言う。
「今のは私の失言だ。」
「いえ。」
前田は目を閉じた。
「事実として、あり得る話ですから。」
「泰鳳と佐藤綾子は確かに聖別を交わしている。」
美凰は慎重に言った。
「ただし、聖別は色恋ではない。召喚した陣営の麒麟や鳳凰が素王に聖別を与えるのは自然なことだ。そこにお前が想像しているような意味があるとは限らん。」
「分かっています。」
分かっている、頭では。
だが心は別だった。
華麟が前田の肩に額を寄せた。
「綾子さんのことを忘れてくださいとは言いません。でも、今は前田様には私たちがいます。」
その声は小さかった。
だが、温かかった。
美凰も袖を掴む手に少し力を込めた。
「寝ろ。」
いつものぶっきらぼうな声。
「明日も訓練だ。」
「はい。」
前田は目を閉じた。
眠れるかどうか分からなかった。
だが、左右の温もりだけは確かだった。
BLやGLの警告タグをつける必要があるような展開にはしません。(笑)
そっちをテーマの作品も書いてみたいけどね。




