12 大王尚英と泰鳳
その頃、総漢国大王宮――
巨大な宮殿群の中心に位置する正殿には、朝から重苦しい空気が漂っていた。
玉座に座る男は総漢国大王・尚英、四十三歳。
年齢だけ見れば壮年の盛りである。だが、その顔には疲労が刻まれていた。
目の下の隈、むくんだ頬、荒い呼吸――豪奢な衣装だけが威厳を支えている。
かつては覇気のある王だった。少なくとも本人はそう信じている。
魔王討伐こそが己の使命だと信じ、総漢国を守るため、帝国を守るため、全力を尽くしていた。
その理想だけは本物だった。
だが理想は成果にならなかった。
遠征は失敗し、軍費は増え、税は重くなり、民は疲弊した。
そして、鳳凰たちは離れていった。
尚英は知っている。
宮廷内で何が囁かれているか。
暗君、無能、重税王――聞こえないふりをしているだけだ。
「泰鳳。」
尚英は玉座から声を投げた。
「念のために聞く。」
広い謁見の間。
その中央で片膝をつく青年がいる。
人形に変化したその鳳凰の名は、泰鳳。
若くして総漢国の鳳凰たちを束ねる男だ。
尚英はこの男を評価していた。
いや、今でも評価している。彼の才覚を怖れるぐらいには。
「お前が素王を召喚したのは魔王討伐のためであって――」
尚英は目を細めた。
「大王討伐のためではないな?」
静寂がその場を覆った。重い静寂だった。
泰鳳は頭を垂れたまま答える。
「何度お聞きになられても同じです。」
声は落ち着いている。
「魔王討伐のためです。」
尚英は指で肘掛けを叩いた。乾いた音が響く。
「綾子は今どこだ?」
「杏麟と共に修行中です。」
「そうか。」
また沈黙した。尚英は泰鳳を見つめる。
彼は若くて優秀だ。民衆からの人気も、鳳凰たちの支持もある。
そして何より――自分を見限り始めている。
有能であると同時に恐ろしい、大王にとってはもっとも厄介な存在なのだ。
やがて尚英は口を開いた。
「建前は抜きだ。」
声が低くなる。
「なぜ女を召喚した。」
泰鳳の眉が僅かに動くのを尚英は見逃さなかった。
「素王召喚には政治的意味がある。」
尚英は続ける。
「皇太子の婿探しだ。」
帝国では長らくそうだった。
魔王討伐という大義は建前であり、素王を召喚する真の目的は血統政策。
何しろ純仙の血統は限られている。純仙による血統の支配を保ちつつ新しい血を入れて近親婚の弊害を避けるには、異世界から純仙を召喚するしかないのだ。
「だが女なら彩比売殿下の夫にはなれぬ。」
尚英は鋭く言う。
「お前ほどの男が、その程度を知らぬとは言わせん。」
泰鳳は沈黙したが、その顔にはどことなく余裕の色が浮かんでいる。
「答えられぬか?」
「いえ。」
泰鳳は顔を上げた。
「女でも素王です。」
「違う。」
尚英は即座に否定した。
「儂が聞いているのはそういう話ではない。」
玉座から身を乗り出す。
「お前の本当の狙いだ。」
空気が張り詰めた。
泰鳳は理解していた。
尚英は疑っている。綾子を、杏麟を、そして自分を。
「綾子を大王にするつもりか?」
ついに言った。
謁見の間が静まり返る。官人たちですら息を呑む中、泰鳳はゆっくりと答えた。
「私が召喚したのは魔王を倒せる者です。」
「話を逸らすな。」
「逸らしておりません。」
泰鳳も引かない。
「私は本気で魔王討伐を成功させるつもりです。」
尚英は鼻で笑った。
「本気?」
「はい。」
「千年失敗しているものをか?」
「だからこそです。」
泰鳳の瞳が鋭くなる。
「朝廷は諦めております。」
ざわめきが怒おき、謁見の間が揺れた。
「素王を皇太子の婿候補として扱うようになった時点で、本気で魔王を倒す気など失われている。」
「口を慎め!」
「事実です。」
尚英の顔が歪む。怒りだった。
だが、怒りだけではない。どこか痛みを含んでいた。
尚英自身も本気で魔王討伐を目指していただけに、嫉妬とも哀しみともつかぬ複雑な感情がうずまく。
千年間、誰も成功していない。本当に倒せるのかは、誰も分からない。だが、それでも尚英は倒したいと思っていた。
「なら聞こう。」
尚英は言う。
「綾子に魔王が倒せると?」
「素王とはそのための存在です。」
泰鳳は迷いなく答えた。
尚英は長い息を吐いた。疲れた顔だった。老いたようにも見えた。
「下がれ!」
短く言う。
「・・・陛下。」
「下がれ。」
泰鳳は深く礼をして踵を返す。
彼が回廊へ出た瞬間だった。
背後で激しい破砕音が響いた。壺が割れる音だ。
泰鳳は振り返らない。振り返る必要はなかった。
尚英が恐れていることを、自分は知っている。尚英もまた、自分が何を企んでいるのか薄々察している。
政争は、もう始まっていた。




