100 サラリーマンの本能
「ええ、かいつまんでいいますと、鳳凰王と麒麟王は仲綱法皇の異母兄に当たる別の親王に聖別をしていたのです。そして彼こそが法皇に相応しいとし、別に即位灌頂もさせて対抗法皇の即位を強行しました。さらに複雑な経緯は省略しますが、三皇もそれを支持しました。対して仲綱法皇は連邦を構成する大王国に決起を呼びかけ内戦状態となりました。とは言え、先に帝都を押さえた対抗法皇側が先手を取った形となり、仲綱法皇は帝都・大安京から逃走中に捕まり処刑されました。」
綺凰の説明が進むにつれ、食事の湯気は次第に薄くなっていった。
前田の頭の中には、帝都を占拠した鳳凰と麒麟、別々の法皇を奉じて進軍する大王国の軍勢、都から逃れる仲綱法皇の姿が浮かぶ。だが、最後の一言だけは、歴史書の中の出来事として聞き流せなかった。
「え?処刑?」
前田の手が膳の上で止まる。
現代の帝国でも法皇は国家元首であり、皇統の頂点に立つ存在である。たとえ敵対したとしても、その法皇を捕らえて殺すという結末は、前田が想像していた以上に苛烈だった。
「過激に思われるかもしませんが――対抗法皇側からすると仲綱法皇こそ偽帝だったので。」
正統な君主が二人存在すれば、どちらの側も自分たちを忠臣と信じたまま、相手を逆賊として処刑できる。その理屈は言われてみれば理解できるものだ。
「すると対抗法皇の勝利では?」
前田の問いに、綺凰は小さく首を横へ振った。
「ところが一部の大王国は逆に帝都まで進軍し、報復に鳳凰や麒麟の大虐殺を行いました。帝都では両者の戦闘が何年も続き、帝国全土に戦火が広がりました。」
部屋の外で、雨に濡れた荷車が大路を通り過ぎた。車輪が水溜まりを踏む音が一度大きく響き、やがて遠ざかっていく。
綺凰の声は落ち着いていたが、大虐殺という言葉を口にした時、その指先には僅かに力が入っていた。華麟も何も言わず、膝の上で両手を重ねている。
二千年前の出来事であっても、鳳凰と麒麟にとっては自分たちの種族が帝国の軍勢によって殺された歴史である。帝国側から見れば反逆の鎮圧であり、大王国側から見れば処刑された法皇への報復であったとしても、殺された側の記憶から虐殺という言葉が消えるわけではなかった。
前田は頷きながら聞いたが、元の世界での南京事件での論争の存在自体は知っている前田は、綺凰の話を鵜呑みにしたわけではない。ただ、元の世界でもノンポリのサラリーマンであった前田はこう言う話題で相手に合わせる反応をするのは得意であった。
誰が先に何をしたのか。犠牲者はどれほどだったのか。後の時代に作られた記録のうち、どこまでが事実なのか。
元の世界でも、戦争を巡る議論では語り手の政治的立場によって強調される事実が変わることがあった。綺凰の言葉だけで判断せず、帝国側の史書も読むべきだと前田は考える。
しかし、それを今ここで指摘しても、綺凰が受け継いできた記憶を否定するだけになる。前田はそのような無意味な衝突を避け、話の続きを待った。
それは、相手の話を聞いた上で判断を保留するという意味では、前田の慎重さだった。
しかし外から見えるのは、綺凰の話へ素直に頷いている姿だけである。胸の内で疑問を持っていても、それを表へ出さず、相手が話しやすい反応を返す。元の世界では職場の人間関係を無難に乗り切るための処世術にすぎなかったものが、この世界では政治の技術にもなり得た。
異なる立場の話を聞き、どちらの顔も潰さず、自分の結論をすぐには明かさない。それは対立する者を結びつけるための慎重さにもなれば、誰に対しても都合のよい顔を見せる曖昧さにもなる。
「そして仲綱法皇の子である淳宏法皇が擁立され、一時期は淳宏法皇側が大安京の大部分を占拠し捕まった三皇が謀反罪で処刑される事態になりました。もっとも対抗法皇側もすぐに奪還するなどしましたが、混戦の細かいところはまたお調べください。」




