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9 お嬢様を召喚したものだから

 高松陽介が弾正臺の役所に戻ろうとすると、一人の男が弾正臺の前に立っていた。


 夕暮れはすでに終わり、総漢国の都には夜の帳が降り始めている。石畳には灯籠の柔らかな明かりが落ち、役所の瓦屋根の向こうには赤く染まった空がわずかに残っていた。


 弾正臺の門前に立つ男は、そんな景色など気にも留めず、腕を組んで待っていた。


「よっ、高松!」


「これは枝野民部ではないか!どうした、急に。」


 枝野民部小丞日下部朝臣利久は明るい口調で言う。


「いや、ちょっともう一人の素王殿下とやらの話を聞きたくてね。」


「それがな、会えなんだ。」


「そうかそうか。――ま、立ち話もなんだし、ちょっと来ないか?」


 枝野は気軽に手を振る。その様子はまるで旧友を酒へ誘うようだった。


 高松は肩をすくめる。


「また妙な話を聞かされるんじゃないだろうな。」


「妙だから面白いんだよ。」


 二人は並んで石畳を歩き始めた。


 夜風が役所街を吹き抜ける。


 民部省は弾正臺からそれほど遠くない場所にある。道中には帰宅する下級官吏たちの姿もあったが、二人を見ると軽く会釈して足早に通り過ぎていった。


 高松は枝野についていき、民部省の一室に来た。民部省の応接用の部屋である。


 室内には香木が焚かれ、机の上にはすでに急須と茶器が用意されていた。


「ここまで連れてくるとは、よほど大事な話があるんだろうな?」


「大事な雑談さ。」


「雑談?お前の言う雑談がただの笑い話で済んだためしがないが。」


「まぁ、そう警戒するなよ。」


 そう言いながら枝野はお茶を出しながら声を潜める。


「こっちの素王の綾子様だがな、民部省は扱いに困ってるんだ。」


 高松はお茶をゆっくりと一口飲んでから言った。


「泰鳳が大王交代を狙っているというやつだろ?悪いこと言わん、官吏が反逆に手を貸さないことだ。」


「もちろん俺だって反逆なんぞ御免だ。だが、公式に召喚された素王を無碍にもできん。下手に冷遇して帝国政府へ苦情でも入れられたら、それはそれで厄介なんだ。」


「要するに板挟みというわけか。」


「だがな、高松。地皇陛下は泰鳳に好意的らしい。」


「典型的な宮中の情報操作だ。地皇陛下がハッキリと個別の案件について言質を出すはずがない。」


「そうはいっても、情報源が帝国政府なのは事実だ。」


「連邦中央の中にも無責任な官吏はいるということだよ。」


 枝野は苦笑しながら湯飲みを置いた。


 民部省は金と戸籍を扱う役所である。様々な噂もまた、不思議とそこへ集まってくる。


「高松、お前、意外に冷静だな。いつの間にそんな性格になったんだ?」


「ふざけた性格の俺のイメージがあるんだろ?それは変わってないよ。今回だって違法に召喚されたもう一人の素王を本気で捕まえようとはしなかった。」


「そりゃ、本気で捕まえなかったのなら、会えなかったのは当たり前だな。」


「だが、本気で捕まえなかったのは総漢国自体だろうな。だいたい麒麟と鳳凰の、それも比較的上位の個体が組んでいる時に、軍隊ではなく弾正臺に取り締まりをさせる時点で本気ではない。」


「言ってよいのかよ。お前らは上位の官僚たちを捕まえるのが仕事だろ。」


「麒麟や鳳凰は物理的に軍隊でないと無理なのは知ってるだろうに。」


「まぁな。」


「それにな、大王派の美凰が召喚した素王が皇太子の夫になれば、総漢国の帝国内部での発言力も高まる。」


「それなのにこれが違法なんだよな。」


「総漢国の鳳凰界の主流派は泰鳳の方だからな。」


 どこの世界でも主流派が保守派とは限らない。もっともそういう国は政治がかなり末期症状であることも、どこの世界でも同じのようであった。


「すると高松はもう一人の素王に期待しているわけか?綾子さまでは無くて。」


「どうせ綾子様は政治的なことは何もしないだろう。反逆のために異世界に呼ばれたから反逆します、ってバカがいるものか。仮にそういうバカであっても、失敗すれば処刑、成功すれば泰鳳の傀儡だ。」


「確かに、異世界人だからといって命を懸けてまで泰鳳へ忠義立てする理由はないか。」


「そういうことだ。もう一人の素王、前田とかいったかな、そいつは使える駒だ。違法に召喚されたからこそ、嫌でも独自の行動をとる。しかも美凰は大王派だから最後には我々の味方になる。」


「反逆せんでももう一人の素王と繋がっていれば我々が出世するわけだな。で、どうやって繋がるの?」


「どうすればよいんだろうな。簡単に私が接触できる相手ならば、とっくに弾正臺として捕まえている。」


「身も蓋も無いことを言うなよ!そこはあれだろ?意図的に今は泳がせていて、イザ向こうが政治力を身に着けた時に弾正臺として――」


「そんな深慮遠謀はないが?」


「は?」


 枝野は湯飲みを持ったまま固まった。


 政治警察の側面がある弾正臺であるが、同時に二人の素王が召喚されるという事態においては、行き当たりばったりであって別に深慮遠謀があるわけではない。


「え?じゃあ、どうすんの?」


「だから成り行きだ。生き残った方と、その時に一番国益になる形で付き合えばいい。」


「成り行き任せってことかい!」


「逆に民部省はどうする気なんだよ。」


「こっちもまぁ、機嫌の悪い大王殿下と我が儘な素王殿下の間で板挟みですよ。」


 枝野は深々とため息をつく。


 帳簿の山を思い出しただけで頭が痛くなるらしい。


「なんで民部省がそもそも素王の相手をしてるんだ。」


「金が絡むことは徴税担当の民部省の仕事だ。」


「支出は大蔵省のはずだが。」


「大蔵省は綾子様の我が儘に付き合えないとかでな・・・。」


「そこまで酷いのか・・・・。」


 異世界から来た人間からすると、少しのお願いでも大事になるものである。


 食事の内容、衣服の仕立て、寝具の硬さ、湯浴みの回数――。


 現代日本では当たり前だった生活水準が、この世界ではすべて官庁同士の調整事項になってしまう。


 佐藤綾子はなまじ公式に召喚されたがゆえに、ちょっとした騒動の目になっていた。


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