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お昼の時間です  作者: ゴマサバ
第一の世界
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40/53

連理の枝



エリアス・カルミナの死後。


山中で合流した一同は、エリアスの亡骸を抱えた紫月とともに山を下った。


道中では、最低限の判断能力すら失ったネブラの末期患者と何度か遭遇したものの、紫十郎と桐生が難なく制圧。


行きに乗ってきた馬や、民家から借り受けた荷車を使い、一行は全員そろって緑の基地へと帰還した。


それからと言うもの、山に残った死体の処理、残党のあぶり出し、ネブラ中毒者の捕獲と今後の検討、教会に残ったネブラの花の処理など、あげればキリがないほど後処理がかなり大変だった。



そしてこれは、帰還してから三日が経った晩のことーー








ここは、ロメオの父であるエドワードが滞在しているホテルのVIPルーム。


洋風を基調としながらも、障子や掛け軸、日本庭園を望む大きな窓など、随所に和の趣が取り入れられた落ち着いた空間だった。


「お疲れのようだね、紫十郎。」


渋い顔で茶を飲む紫十郎に、エドワードが微笑んだ。


「すまんなエドワード。お前が帰国できるのはいつになるか分からん。」


「とんでもない。これは私の国の者が起こした問題。残るのは当然だよ。」


「俺の国の人間も加担しているからな。そこはお互い様ではないか?」


「そう言ってくれて嬉しいよ。」



その時。


コンコンコン


「お父様、紫月です。」


「ロメオです。」


「二人とも入れ。」


ガチャ


「「失礼します……」」


ドアが開き、紫月とロメオが静かに部屋へ足を踏み入れた。


「こんにちは、紫月さん。ご機嫌いかがかな?」


「こんにちは、エドワード様。おかげさまで、つつがなく過ごしております。」


「それは良かった。さぁさ、二人とも座りなさい。」


「「はい。」」


二人は、上等なソファへと腰掛ける。



ズズズ……


部屋に広がる、豊かな日本茶の香り。


「ふぅ……」


コトッ


紫十郎は湯呑みを置くと、珍しく真面目な顔で口を開いた。


「二人とも、まだ疲れが抜けていないだろうが……今日は大切な話がある。お前たちの婚約の話についてだ。」


「「はい……」」


紫月もロメオも理解していた。

今回の事件の大きさを考えれば、当然話さなければならない問題のことを。


「分かっているとは思うが……先日の騒動は、藤ノ国とバレンティア。二つの国の人間が引き起こしたものだ。奴らのせいで俺と紫月、紫水やロメオの命が脅かされた。」


「全員、国では最高位の身分だからね。首謀者が死んで終わりというわけにはいかない。よって、君たちの結婚話はかなり難しいものとなってしまった。そこまではロメオも紫月さんも、理解しているね?」


「「はい。」」


下手をすれば、エリアスの目論見通り両国の戦争すら有り得る事態だ。


紫十郎とエドワードが茶を飲みながら会話をしている、この状況はかなり異常である。


「だから俺とエドワードで話し合ったんだが、二人の婚約話は二人に任せることにした。お前たちで話し合って結婚するかどうか決めろ。」


「「……え?」」


二人は目を瞬かせた。


「お、お父様……?任せるとは……?」


「言った通りだ。結婚したいと思うならすればいいし、それぞれ別の道を歩みたいと思うならそうすればいい。」


「……そんな簡単に決めていい問題なのですか?」


「あぁ、いいぞ。」


紫十郎は全く動じずに頷く。


「父さん、いったいどんな話をしたのですか?」


「お前たちの結婚によって今後の対応を決めようって話だよ。」


「……なんてことだ。」


ロメオは頭を抱えた。


「だってなぁ。どう対応しようが、どこかで必ず不満は出る。それなら結婚くらい好きにしていいじゃないか。なぁ、エドワード?」


「あぁ。それなら、自分の子どもたちが幸せになれる選択を選ばせてあげたい。そういう親心だよね、紫十郎?」


「「あはははははは!」」


紫十郎とエドワードは肩を組んで、豪快に笑いあった。


「ねぇ紫月さん。僕ね、どうしてタイプの違うこの二人の仲がいいのか不思議だったんだけれど……」


「二人とも根の部分が似ているから……ですね。」


こっちの二人は、そろって苦笑いするしかなかった。


「でも……そんなに簡単に決めていい話なのなら、僕らはどうして婚約したのですか?確か、西と東の平和と発展のためでしたよね?」


「ロメオ、いいところに気づいたな。それはなぁ……」


紫十郎は扇子を開き、ゆるりと仰ぎながら答える。


「藤波の当主が、今回の騒動に深く関わっていると判明した。だから責任を取らせるために現当主を処刑して、新当主へ交代することになったんだ。」


「藤波家といえば、確か“ 紫”の階級の……」


「陰湿な俺の兄が当主を務める、藤堂家の分家だ。西との戦争に賛成していた奴らの筆頭で、俺が戦地へ出ていた間、国内の政務を任されていたせいで権力だけは無駄に持ってしまった。」


エドワードも静かに続ける。


「東は紫十郎が、西はロメオがいるからって、どちらの大陸も東西戦争に乗り気な者の方が多かったんだよ。だから彼が何かをけしかける前に、ロメオと紫月さんの婚約話をまとめて黙らせたんだ。」


「その藤波が処刑されれば、戦争賛成派も強くは出られまい。そもそも、俺に意見する度胸のある奴が他にいないからな。」


「そうだったんですか……」


ロメオは納得したように頷く。

だが、すぐに別の疑問が浮かんだ。


「ですが……どうして藤波家の関与が、たった三日の間で判明したのですか?」


「そこは……マティアス・ルーファスが証言した。」


「え!?マティアスが……?」


「面倒な話は後でいいだろう。長くなる。」


紫十郎はロメオと紫月に、立つようにジェスチャーを出す。


「「……」」


二人は顔を見合せながら立ち上がった。


「そんなことよりも、お前たち二人で話し合ってこい。場所は用意してある。」


「ゆっくり会話を楽しんでおいで。ティーセットを準備させてあるから。」


エドワードが二人の背中をグイグイ押し、


バタン


部屋の外へ送り出した。



「……父さんたちには困ったものだね。」


「はい……仕方がない、とは言いたくありませんね。」


紫月とロメオが同時にため息をついた、その時だった。


「姫様、殿下。」


澄んだ声が廊下に響く。


目の前で、白い着物を美しく着こなした雪乃が、静かに一礼していた。


「馬車を用意しております。どうぞ、こちらへ。」


「ありがとう、雪乃。」


「とんでもございません。」





ーーーーーー




(なんだか緊張するな……)


二人は、以前に紫月やお転婆娘四人組とお茶を飲んだバラ園に来ていた。


ロメオはこれから入るガラス張りの建物の前を、落ち着かない様子で何度も行ったり来たりする。


ちなみに紫月は、お化粧直し中だ。




「すみません、お待たせしました。」


「いえ、とんでもない。」


後ろから紫月の声が聞こえ、ロメオは振り返った。


「……」


「……」


紫月の姿を目にした瞬間、ロメオは思わず息をのむ。


「……」


「あ……あの……」


紫月はどこか落ち着かない様子で、服の裾をそっとつまんだ。


「……」


「変……でしょうか?」


「……とても、お似合いです。」


ようやくこぼれたその一言に、紫月は頬をほんのり赤く染める。


「こ、こういう服はまだ分からなくて……」


彼女は髪をハーフアップにまとめ、紫色のワンピースを身にまとっていた。


髪よりも少し深い紫色の生地には、可憐な花模様が散りばめられている。

洗練された上品なデザインが、紫月の清楚さと愛らしさをより一層引き立てていた。


それは……


「このお洋服、着るのが遅くなってしまって……すいません。」


「そんなことは気にしなくていいよ。」


ロメオは優しく微笑む。


「今は、君がその服を着てくれたことが……とても嬉しい。」


「ありがとう……ございます……」


それは以前、ロメオが紫月へ贈ったワンピースだった。


彼の笑顔を見て、紫月は目を伏せる。


「……ロメオさん。今まで、ずっとご厚意を踏みにじるような真似をました。いただいたお洋服も、お菓子も……ずっと拒絶して……本当に、ごめんなさい。」


そして、深々と頭を下げた。


「……」


「……」


これまでの紫月は、西から来たものを心の底から受け入れることができなかった。


ロメオから贈られた洋服には一度も袖を通さず、勧められた洋菓子にも手を伸ばさない。


それは結婚への拒絶と、子どものような意地が入り混じった、幼い抵抗だった。


……そのたびに、彼を傷つけてきたのだ。


「いいんだよ。以前はどうであれ、こうして君の洋装姿が見られたんだから。」


「……」


「それよりも……フフッ。僕からもサプライズがあるんだ。」


「……?」


ガチャッ


ロメオは踵を返し、ガラス張りの建物の鍵を開けた。


建物の中はカーテンで覆われていて、何があるのか全く見えない。


「せっかくだし、目を瞑ってくれるかい?」


「は、はい。」


「大丈夫。僕がちゃんとエスコートするから。」


紫月が目を閉じると、ロメオは彼女の手をそっと取った。


「十歩進むよ。」


「はい……」


一、二、三、四、五、六、七、八、九、十歩。




ギィ……



「さぁ、目を開けて。」


「……わぁ」


紫月は瞳を、星が溶けたように輝かせた。



「綺麗……」



ガラス張りのコンサバトリーいっぱいに、青い薔薇が咲き誇っている。


深い群青、澄みきった空色、紫をわずかに溶かしたような青。


一輪ごとに異なる青が折り重なり、まるで静かな海が花へ姿を変えたような幻想的な光景を作り出していた。


あまりにも美しい景色に、紫月はしばらく言葉を失う。


瞳いっぱいに青い薔薇を映しながら、ただ静かにその景色を見つめていた。


「気に入ってくれたみたいだね。」


「はい……とても素敵です。これは、花を絵の具か何かで塗ったのですか?」


「いい発想だね。」


ロメオは花びらを指でなぞり、紫月に手を見せた。


彼の指は、綺麗なままだった。


「惜しい。これは青い塗料を塗ったわけではなく、吸わせたんだよ。」


「……なるほど。」


紫月も興味津々で、花びらに触れる。


「綺麗に染まっているだろう?」


「はい。もしかして、これはロメオさんが染めたのですか?」


「そうしたかったけれど……最近は時間がなくてね。僕の従者にお願いしたよ。だけど……」


ロメオは、屈んでいる紫月の肩をツンツンとつつく。


「?」


紫月がロメオに体を向けたその瞬間。


スッ


髪に、一輪の薔薇が飾られた。


「これは僕が染めた。君の好きな瑠璃色にね。」


「!」


ロメオは胸ポケットから小さな手鏡を取り出し、紫月へ差し出す。


「どうかな?」


鏡を覗き込んだ紫月は、瑠璃色の薔薇にそっと触れた。


そして不意にロメオを見つめ、柔らかく微笑む。


「私と結婚してください。」


「……え?」


「絶対に幸せにします。」


「んん!?」


いきなりのプロポーズに、ロメオは固まった。


そんな彼の翡翠の目を、紫月はお構いなしに見据える。


「私はあまり面白いことは言えないかもしれませんが……今まで嫌な思いをさせてしまった以上に、ロメオさんが笑顔になるよう頑張ります。ですから、安心して嫁いできてください。」


「と、嫁ぐ……?」


「あ……間違えました。安心して婿入りしてください。」


「え!?…………は……はい。」


彼女の真面目なのかボケなのかも分からない言葉に、ロメオは顔を真っ赤にしながら頷いた。


「よかった。」


紫月の安心したような表情に、ロメオも笑みを浮かべる。


「……まさか、君からプロポーズをしてくれるなんて。正直、驚いたよ。」


「え?」


「え?」


「「んん?」」


二人して同時に首を傾げた。


「あの……ロメオさんが私に簪(かんざし)として、この薔薇を贈ってくださったんですよね?」


「えっと……簪というか、髪飾りにしたら似合うかなと思って。」


「……あっ」


紫月は気づいてしまった。


「……あっ」


ロメオもまた気づいた。


「「あー……」」


二人の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。


「そ、そうだった。この国はプロポーズに、指輪じゃなくて簪を贈るんだったね……」


「す、すいません……!!私が勝手に勘違いを……!!」


「……いや、いいんだ。」


ロメオは深呼吸すると、ズボンのポケットから小箱を取り出した。


「本当は、もっと雰囲気を作ってから渡そうと思っていたんだけれど……もうお互いの気持ちが分かってしまったから。」


パカッ


中には透明な宝石をあしらった、美しい指輪が煌めいていた。


「僕と一緒に、幸せになってください。」


「……はい。これからも、よろしくお願いします。」


ロメオは彼女の薬指へ、そっと指輪を通す。


しばらく見つめ合ったあと、


「「ふふっ……」」


二人は同時に笑い出した。


「あんまり格好つかなかったけれど、君との約束を守れただけ良しとするかな。」


「えぇ、驚きました。まさか本当に青い薔薇が見られるだなんて……」


「サプライズのつもりだったんだけど、僕の方がサプライズを受けた気がするよ。」


「そ、それは……すいません……」


「フフッ。せっかくだから、座ってゆっくり話そう。」


「はい。もうそろそろ、雪乃がお茶を運んできてくれる頃ですから。」


紫月とロメオは、コンサバトリーの中央に用意された白いテーブルと椅子へ向かった。


腰を下ろしたちょうどその時。


「失礼いたします。」


素晴らしいタイミングで雪乃が姿を現し、慣れた手つきで紅茶を並べていく。


芳しい茶葉の香りが、青い薔薇に満ちた温室へゆっくりと溶け込んでいった。


雪乃が出ていくと、二人は湯気の立つティーカップを手に取り、ようやく肩の力が抜ける。


「初めて飲みましたが、紅茶も美味しいですね。」


「なら、今度は紅茶を使ったスイーツでも作ろうかな。」


「今度は……?」


「スイーツ大会で、抹茶プリンを食べただろう?髭もじゃの出場者がいたじゃないか。」


「え……あの方は、ロメオさんだったのですか!?」


紫月は目を丸くした。


そういえば、髭と眉毛が立派すぎる紳士がいた。

その人物が作った抹茶プリンは絶品で、見事に優勝まで果たしていたはずだ。


驚く紫月を見て、ロメオはクスクス笑う。


「もしかして、こっちの方がサプライズだったかな。」


「い、いえ……その、本当に美味しかったなと……」


「かなり研究したからね。時間さえあれば、また作るよ。」


穏やかに笑うロメオ。


その笑顔を見つめながら、紫月はそっとワンピースの裾を握りしめた。


「ロメオさん……お伝えしたいことがあります。」


「……うん。」


何かを察したように、ロメオはティーカップをソーサーへ戻した。


「本当に……ありがとうございました。」


紫月は頭を深く下げる。


「あんなに失礼で、無愛想だった私に……ずっと寄り添ってくださいましたね。青い薔薇と抹茶プリンもそうですが、たくさんの贈り物や楽しい話、私が笑えるように……色んなものを準備して…………なのに、私は……」


「ほら、また暗くなっているよ。」


「……すいません。」


紫月は一度、ゆっくり深呼吸して落ち着く。


「他にも山に助けに来てくれたこと、私を叱ってくださったこと。ロメオさんには、返しきれないほどの恩と感謝があります。私がまた笑えるようになったのも、ロメオさんのおかげです。本当に、ありがとうございました。」


「……なんだか照れるな。そう言ってもらえると、頑張った甲斐があったよ。」


ロメオはそう笑いながらも、その笑顔にはどこか影が滲んでいた。


「でも……君を笑顔にしたのは墨男君で、僕じゃない。彼がまっすぐに気持ちを伝えたから、君は長い悪夢から解き放たれた。本当は、こんなこと言いたくないけれど……ごめん、まだ不安なんだ。」


「ロメオさん?」


紫月は気がついた。

彼の手が、震えている。


「正直、君は墨男君を選ぶと思っていたよ。もう婚約話を自由にできるんだから、僕を選ぶはずがないって。だって僕は、なんの結果も出せていないから……」


「そんなはず、ないです。」


「あるよ。君の最初の友人になったのは僕じゃない。エリアス君を止めたのは僕じゃない。君の笑顔を取り戻たしのも僕じゃない。だから……」


その時だった。


ツン ツン。


紫月が遠慮がちに、ロメオのジャケットの袖を指先でつまむ。


本当は手を握りたかったが、照れくさくて無理だった。


「私、言いましたよ。″私が笑えるようになったのも、ロメオさんのおかげです″って。それに、私を悪夢から解き放ってくださったのもロメオさんです。墨男ではありません。」


「……え?」


「私はリコさん達と出会って、″楽しい″という感情を思い出せました。ですが……笑おうとすると、忘れていた記憶が引っかかって邪魔をして、思い出してもまた苦しくて。そんな時にあなたが傍にいてくれたから、私は救われたんです。」


「僕が……君を救った?」


紫月は慈愛のこもった笑みを浮かべ、頷く。


「あの時、叱ってくれたではないですか。ずっと後ろ向きで楽しいのか、そんなの生きていると言えるのか、もっと楽観的になれって。あの言葉が不思議と私の中に溶け込んで、視界が、世界が開けてたんです。もし、あの言葉がなければ、あの後の墨男の言葉も、皆さんの言葉も受け入れられなかったかもしれません。」


「そんなこと……」


「あるんですよ。きっと、私のために嘘をついているんだ……などと言いながら、自己嫌悪に陥っていたと思います。そうならずに済んだのも、ロメオさんが“ 暗い”ってはっきり言ってくださったおかげなんです。」


「い、色々と失礼なことを言いました……」


「何を言っているのですか。怒られなければ分からなかった、私がいけないんです。」


「……ありがとう。ごめん、僕のほうが暗いや。」


「そんな風には思いません。むしろ、不安なことがあればもっと言ってください。」


「……うん。」


ロメオは、彼女が頼もしく感じた。


いつ手折られるか分からない危うさがあった少女が、今は力強く前を向いている。


その姿を見て、彼は思う。


これこそが、本来の藤堂紫月なのだろうと。


「君が笑えるようになって、本当に良かった。やっぱり、笑った方が可愛いよ。」


「っ……!?」


ポンッと紫月は赤く染まる。


「きゅ、急になんですか……」


「お礼だよ。恥ずかしいほど感謝を伝えてもらったから。」


「お、お礼なんて……」


「そして、上書きも兼ねた。“ 可愛い”って言われて、思い出すのが“ 彼”じゃなくなるようにね。」


「彼……」


紫月は、ロメオの言っている人物がすぐに予想できた。


「考えてみれば、君とこうして会話ができるようになったのは彼のおかげだけれど……色々と先を越されて、悔しいからなぁ。感謝すべきか、恨むべきか分からないのが辛いよ。」


「……そうですね。」


思い浮かべるのは、中性的な顔立ちの赤髪の剣士。


二人の気持ちを本人に伝えたら、「光栄です」をひたすら嫌味ったらしく言いそうだ。


「でも……感謝しておこうかな。」


「私もそうしておきます。」


ロメオと紫月は、また微笑みあった。

そして、お茶を口へ運ぶ。


「お茶がすっかり冷めてしまったよ。」


「これを飲みきったら、新しいものを用意してもらいましょうか。」


しばらく、冷めた紅茶と茶菓子を食べ、二人はなんでもない話をしあった。


お茶を飲み終わったタイミングで、


コンコンコン


ノックが鳴る。


「お茶をお持ちしました。」


再び、雪乃が素晴らしいタイミングで紅茶を持って入ってきた。


「ありがとう、雪乃。ちょうどお願いしようと思っていたの。」


「おほほほ。ごゆっくり。」


雪乃は素早く配膳を済ませると、足早に外へと出た。


(どこかで僕らの話を聞いているのでは……)


そんなことを考えながら、ロメオは紅茶を口に運ぶ。


「ロメオさんの好きな人って、どんな方なんですか?」


「ッフ!?」


思わず吹き出しそうになってしまった。


「お、思い切ったことを聞くね……」


「だって、ずっと気になっていたんです。ロメオさんが好きになる方ですから、きっと素敵な方なんだろうなと。それに……」


紫月は目を伏せる。


「私はロメオさんに断られると思っていましたから。どうして、私を選んでくださったのか知りたくて……」


「……」


ロメオは悟った。

彼女もまた、自分と同じように自信がないのだ。


(僕と君は似た境遇だから、その気持ちはとても分かるよ。だからこそ……取り繕ったりせずに、君に全て話そう。)


そして想い人、ベアトリーチェを思い出す。


「……彼女は綺麗で、強くて、優しい人だった。僕が落ち込むとすぐに気づいて、貴族令嬢なのに背中を叩いてよく励ましてくれたよ。僕の苦手なものを簡単に追い払って、なのに品があってさ。いつも彼女に憧れていた。」


「……とても素敵な方ですね。」


紫月は肩を落とす。


自分は、ロメオが語った女性とはあまりに遠い。

そう、思ってしまったから。


そんな彼女の肩を、ロメオはチョンチョンとつつき、微笑む。


「でも……この国に来た時点で、彼女への想いは区切りをつけたよ。それは婚約を自由に決めていい今でも変わらない。その指輪は、君を幸せにすると決めた僕自身の約束で、覚悟の証なんだ。」


「……ありがとうございます。」


紫月は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。



「……せっかくだから、聞いていいかな。どうして僕を選んでくれたの?」


「そ、それはですね……」


紫月は緊張しながら口を開く。


「国や立場を考えたという理由もあります。ただ一番は……山でのことや今までのことを通して、私が責任を持ってロメオさんを幸せにしたいと……そう思ったからです。」


「……ありがとう。」


ロメオは照れくさくなり、頬を染めながら目を逸らした。


「ッそうだ、あれを用意していたんだった。」


誤魔化すように立ち上がると、何歩か先の植物のカーテンをめくる。


奥には、小さな飾り棚があった。


「プロポーズが成功したら、二人で聞こうと思ってね。」


「それは……」


取り出されたのは、見覚えのある美しい箱。

蓋の中央に嵌められた大きな青い宝石が、光によって青から紫へと色を変える。


これは以前、ロメオが購入したオルゴールだ。


「この曲、本当に綺麗なんだよ。僕じゃ逆立ちしても思いつかない旋律でね。」


「ロメオさんも作曲を?」


「趣味程度だよ。あんまり大したものは作れないから……藍之助さんのセンスが、少し妬ましい。」


「ロメオさんでも、誰かを妬ましく思うことがあるのですね。」


「僕、こう見えて負けず嫌いだから。」


「ふふっ……」


お茶目にウインクする彼に、紫月は不思議と安心感を覚えた。


ロメオがオルゴールの蓋を開き、ゼンマイを回す。


すると、低く落ち着いた旋律から始まり、どこか妖しさを秘めた音色が流れ出した。


「何度聴いても飽きないな……」


「はい……」


ふと、紫月はあることを思い出す。


″ アイノスケの作ったラ・フルール・デ・アムールと、ワタシの作ったケース……この二つガ合わさったオルゴールを恋人通しで聞くト、“ 永遠の愛”で結ばれるそうデス!″


オルゴール館の店主の妻、エミリーが話していた言葉。


(え、永遠の愛だなんて……ど、ど、ど、どんな顔で聞けばいいのかしら……)


“ 永遠の愛”


聞くだけでも小っ恥ずかしいものに、恋愛経験のない紫月は右往左往する。


(ロ、ロメオさんはどんな顔で……?)


恐る恐る彼の様子を窺おうとした、その瞬間だった。


「ひぁっ」


バキッ


乙女のような可愛らしい悲鳴とともに、何かが折れる音が響いた。


「ロメオさん?」


よく見ると、ロメオは机の端をぎゅっと掴み、顔を真っ青にして震えている。


どうやら力が入りすぎて、机の角を少し壊してしまったらしい。


彼の視線の先には……


ひらり。


一匹の美しいアゲハ蝶が、ティーカップの縁に羽を休めていた。


「もしかして、蝶は苦手なのですか?」


「は……い……」


引きつった顔で、どうにか返事をするロメオ。


「待っていてください。」


パシッ


紫月はそっと両手を差し出し、蝶を傷つけないよう優しく包み込む。


そのまま外へ歩き、手を開くと、蝶はゆっくり羽ばたきながら夜空へ飛び立っていった。


「もう大丈夫ですよ。」


「あ、ありがとう……」


ロメオは安堵の息を漏らした。

しかし、目尻にうっすら涙が浮かんでいる。


(もしかして、ロメオさんの苦手なものは……)


「蝶だけでなく、虫全般が苦手なのですか?」


「はい……すいません、情けなくて……」


「そんなことは思いません。私は平気なので、これからは虫がいたら呼んでください。」


「ありがとう……本当にありがとう……」


スマートな彼が遠慮なく頷くところからして、相当無理なのだろう。


そんな彼を見て、紫月は


(可愛い……)


思わず頬がほころんだ。


(これからは、こうしてお互いのことを少しずつ知っていくのね。今は私もロメオさんも、心に別の人がいる。だけれど……)



「ごめん、今日は君に格好悪いところを見せてばかりだ。本当は僕がリードすべきなのに……」


「格好悪いだなんて、一度も感じませんでした。むしろ……初めて頼っていただけて、嬉しかったです。」


「……ありがとう。」


ロメオの頬が緩む。


その笑顔は、今まで見せたどんな微笑みよりも柔らかく、蕩けそうな美しさだった。


「紫月さんはかっこいいね。君のその強さ、とても素敵だと思うよ。」


「え!?……あ、ありがとうございます……」


「ふふっ。きっと幸せにするから。」


「……はい。私も、ロメオさんを幸せにします。」


「ありがとう。」



(いつか、愛し合うことができれば……とても素敵でしょうね。)



コンサバトリーに、オルゴールがキラキラと音を舞い散らせた。


澄んだ音色は青い薔薇の海をゆっくりと揺らしていく。


これは、この曲の元になった物語″プリムラ・マラコイデス”のハッピーエンドを演出するものだ。


二人は願った。


この先も幾度となく季節が巡り、

笑う日も、泣く日も、迷う日も重ねながら、


何年、何十年先も一緒にいられることを。


そしていつの日か。


「幸せにしたい」という願いが、


「誰よりも愛している」という言葉へと変わる日が来ることを。


青い薔薇は静かに咲き続け、

その傍らで、二人の新しい物語もまた、穏やかに咲き始めていたのだった。







ーーーーーー






「「おめでとぉぉおおおおおおおおおおっっ!!」」


凄まじい声量が部屋中に響き渡る。


「エドワード!!宴だぁあああああ!!酒を浴びるほど飲むぞぉおおおおおお!!!」


「いいねぇ!!この二人なら、孫は素晴らしく可愛いだろうよ!!ハッハー!!」


紫十郎とエドワードは肩を組み、上機嫌に笑った。


「ま、孫……!?」


「父さん……お酒を飲みましたね!?あれほど母さんから止められていたのに!!」


恥ずかしさで俯く紫月と、頭を抱えるロメオ。


二人の父親からは、部屋中に広がるほど凄まじいアルコール臭が漂っていた。


「いーじゃないかロメオォオオ。俺たちがどれだけ胃を痛めていたことか……グスッ……酒くらい許してくれよぉおおおお。」


「そうだぞ。母さんも今回だけは、大目に見てくれるだろうぅぅぅぅ……」


どれだけ飲んだのだろう。

いい歳したオッサン二人が、涙を流しながら笑っている。


「もう少し、早く戻るべきだったかな……」


「そうですね……」


ため息をつくロメオと紫月。



「しづきぃぃぃいいいいいいいいいい!!」


ギュッ!


突如。紫十郎が勢いよく立ち上がると、紫月を力いっぱい抱き締めた。


「色々とごめんなぁぁああああ!辛い想いを何度もさせただろうぅぅぅぅ……だけど……ヒック……ロメオならお前を必ず幸せにする……安心して結婚しろぉおおおおおお!!」


「お、お父様……臭い……臭い!!」


鼻につく濃厚な酒の香りに、紫月は顔をしかめた。


(お、これは……)


ロメオはある変化に気づく。


かつて、紫月は父を拒絶し、娘に負い目のある紫十郎も強くは踏み込めない関係だった。

しかし今の二人は、だる絡みをする父と思春期の娘で、家族そのものになっている。


「よかったねぇ紫十郎……ヒック……さっきまで娘に拒否されると辛いって、あんなに泣いてたのにぃッ……」


「はいはい。ほら、水を飲んでください。」


こちらは反対に、普段はロメオに紳士的にするようにと説くエドワードだが、今は息子に呆れられるほどベロベロになっている。


その時。


コンコンコン


「父上、紫水です。」


「なにぃ!お前、まだ寝ていなかったのかぁぁああ……入りなさい!」


「は、はい!」


丸いリンゴのような頬が愛らしい少年、紫水が部屋に入ってきた。


彼もまた、家の修繕が済むまでこのホテルに泊まっているのだ。


「す、すいません。どうしても結果が気になりまして……」


「おぉそうか!!紫月はロメオと結婚するぞぉ!!」


「ほ、本当ですかロメオ兄様!!」


紫水は目を輝かせ、ロメオへ飛びついた。


「これでオレと兄様は本当に兄弟になるのですね!!」


「うん。可愛い弟ができて嬉しいよ。」


「オレも嬉しいです!!」


「ふふっ、ありがとう。だけどほら、お姉ちゃんにも何か言うことがあるだろう?」


「……姉上に?」


紫水は拗ねたような顔で、紫月へと視線を向ける。


「なッ!」


父に抱きつかれている姉を見て、ますます頬を膨れさせた。


「結婚して当然です。あれほど兄様によくして貰ったんですからッ!」


「こら、紫水君。」


「陰気な顔じゃなくなって良かったですね!」


「こーら。実のお姉さんにそんなこと言ってはダメだよ?」


「……」


ロメオに諭されるも、紫水のむくれ顔はまだ変わらない。


(紫水……私のせいで寂しい思いをさせてしまったから、ここは姉として広い心を見せなければ……)


そう決意した紫月は、優しく微笑みかける。


「ごめんなさい、紫水。あなたと私は顔が似ているから、紫水も陰気な顔になってしまうと思うの。」


「ッ!?……姉上なんか嫌いだ!!」


「えぇ!?」


紫月は、紫水が怒った理由が本気で分からなかった。



(婿入りすると決めたはいいけれど……これから大丈夫かな?)


天然の紫月に、豪快すぎる紫十郎に、繊細な紫水。

誰一人として、一筋縄ではいかない人物である。


(だけど……楽しくなりそうだな。)


ロメオは、紫水を撫でながらニッコリ微笑んだ。



その穏やかな空気を壊さないように、紫十郎が珍しく小声で囁く。


「そうだ、紫月。最近墨男と話していないだろう。」


「……はい。」


紫十郎の指摘に、紫月は僅かに震えた。


ロメオとの未来を選んだ。

その決意に迷いはない。


だが、その選択をしたからこそ、墨男の顔をまともに見ることができなくなっていたのだ。


「明日の朝、墨男と話せ。」


紫十郎の声は、父としてではなく、一人の大人として背中を押すような響きを帯びていた。


「逃げるな。きちんと、お前の出した答えを、お前自身の言葉で伝えてこい。いいな?」


「……はい。」


小さく返事をすると、紫月は胸の前でそっと拳を握る。


明日の朝。


それは、ロメオとの未来へ歩き出すために。


そして、墨男との長い物語に、一つの区切りをつける朝でもあった。

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