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お昼の時間です  作者: ゴマサバ
第一の世界
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36/37

幸福な敗北

戦い始めてどのくらい経ったのだろう。


木々のざわめきと、遠くの鳥の声だけが響く静寂の中で。


「……」


「……」


二人の剣士は向かい合っていた。


「……」


赤髪の美青年、エリアスは長剣を斜めにし、雌牛の構えをとる。


「……」


対する紫月は口元の高さに刀を置いた、八想の構え。


「ーーいきます。」


先に動いたのは紫月だ。

八相から一気に間合いを詰め、刀が斜めに振り下ろされる。


シュッ!


袈裟斬り。

重く鋭い一撃が、エリアスの左肩から腰にかけて弧を描く。


「ふふっ……」


エリアスは構えのままほとんど動かず、剣の刃を斜めに立てて受け止めた。


ギィイインッ!!


強烈な衝撃が両腕に響くが、低い重心がそれをしっかりと支える。


受けた瞬間、彼は前脚を踏み込み、剣を下から突き上げるように反撃。

雌牛の角を思わせる鋭い突きが、紫月の腹を狙う。


ザッ


紫月は体を半歩捻って躱すと、すぐに刀を返して中段からの横薙ぎ。

刃が風を切り裂き、エリアスの首をーー


シュッッッ!!


狙う。


「いいですねっ!!」


エリアスは低く沈んだまま後ろへ滑るように下がり、剣を地面すれすれから大きく振り上げて、紫月の刀を弾き上げた。


キィイイン!!


そしてすぐに剣を持ち直し、振り下ろす。


シュッ


紫月は後ろに跳躍し、これを躱した。


「ーー」


「ーー」


素早く、息を整える二人。


「……クフフ。お互い、いつ死んでもおかしくありませんね。」


「……はい。戦いで命の危険を感じたのは、エリアスさんが初めてです。」


「おや、それは光栄だ。」


「お世辞ではありません。本当に……強い。」


紫月は息を呑んだ。


目の前にいるエリアスの成長速度、

ーーいや、本来の実力は凄まじい。


紫月は気づいていた。


今までのエリアスは、人の傷つく顔、怒った顔、悲しんだ顔などの負の表情を見て“ 遊ぶ”ために剣を握っていたこと。

その(よこしま)な目的が、彼の腕を鈍らせていたことに。


そんなエリアスが、本来の力を出せているということは……


「エリアスさん、思い出せたんですね。」


「えぇ。おかげさまで、色々と。」


今度はエリアスから踏み込んだ。


シュッ


下からの切り上げ。


紫月は後ろに重心をズラして回避。

そして振りかぶり、


ザッ!


エリアスの額を、僅かに切った。


「ッ危ない。」


「よく避けましたね。」


エリアスは体勢を整えると、上に掲げた剣を真っ直ぐに振り下ろす。


シュッ


キッ!!


刀の柄で受け止める紫月。


「おぉ、すごい!」


流れる血を乱暴に拭い、エリアスは笑う。


「突然ですが……世界一の剣士とは、誰だと思いますか?」


「……お父様でしょうか。」


「ワタシは、あなただと思います。」


タッ


二人は距離をとる。


「つまり……あなたをワタシの剣で殺せば、ワタシは夢を叶えたことになる。」


「私は死にません。」


「いいえ殺します!!ワタシは今、最高に調子がいいんですから!!」


くるッ


突如、エリアスが身体の向きを変えた。


「?」


困惑する紫月を背に、なんと彼はーー


ダッ


走り出した。


「どこに行くのですか!!」


紫月は追いかけるが、エリアスの足はとても速くて追いつけそうにない。


「逃げるわけではありませんよ!!」


ダッ


エリアスは振り返らず、崖になっている場所を飛び降りた。

その先には、


「星と!!一つにぃいい!!」


身体に炎を纏いながら叫ぶ人間と、水の透き通った綺麗な川。


トスッ


エリアスは軽やかに着地してみせると、木の棒を拾う。

そして、


ザシュッ


目にも止まらぬスピードで燃える人間を刺し、


ザッ


木の棒を引き抜いた。

そして。


ジュウッ!


自らの額に押し付ける。


「よし、あとはーー」


川に飛び込んだその時、


バシャァァッ!!


紫月も同じタイミングで川に着地した。


「なるほど。傷を焼いて、血を洗い流したのですね。」


「目に入ったら痛そうですから。」


二人は光り輝く水面の上で、再び構え合う。


「ふふ……こんなに速くワタシに追いつくとは、なかなかの瞬足ですね。」


「あ、私……」


「どうかしましたか?」


紫月は何かに気づいたように、視線を落としていた。


「……いえ、気にしないでください。」


「そうですか……では。」


エリアスは深く追及することはせずに、岸へ飛び上がった。

そして、濡れたカソックを脱ぎ捨てーー


ダッ!!


上から斬りにかかる。


ギィイイン!!


紫月はその場から動かず、刀で防いだ。


タッ……


エリアスは上手いこと身体を回転させ、反対側の岸へ着地。

すかさず左薙を放つ。


シュッッ!


キィイイン!!


またしても、紫月はその場から動かずに防御した。


「?」


軽やかに地面へ降り、エリアスは首を傾げる。


「……あの」


「……」


「どうして、川から出ないのですか?」


「で、出ます。出ますけれど……笑わないでくださいね……」


「?」


紫月は何故かたどたどしく返事をすると、跳躍して岸へ上がる。

その瞬間、


ビチャビチャビチャッ!!


着物から大量の水が流れ落ちた。



「……」


「……」



エリアスは察した。

紫月も察されたことを察した。


「そういえば……どうして、あなたまで川に飛び込んだのですか?」


「エリアスさんが……飛び込もうとしていたので……」


「その着物、重いでしょう。」


「……」


そう。


紫月が何も考えずに川へ飛び込んだ結果、着物が大量の水を吸って重くなってしまったのだ。

川はちょうど膝あたりの水深のため、かなりの範囲が濡れてしまっている。


ならば、エリアスのように脱げばいいのではないか?


いいや。着物とカソックではまた話が違う。

カソックは上着を脱いでもシャツがあるが、着物はそうはいかない。


ましては紫月は女の子だ。

まだ思春期の彼女に、脱げと言うのはあまりに酷な話……



「……脱いではいかがですか。」


「えぇ!?」


なのだが、この男にデリカシーというものは無い。



「ご安心を。ワタシには女性の体に興味などありませんから、薄着になったところで気になりませんし何も思いません。」


「で、ですが……!!」


赤くなる紫月に、エリアスはため息をつく。


「あなたなら濡れた着物でも十分に動けそうですが……相手はワタシですよ?」


「ほ、放っておいてください!!」


「はぁ……分かりました。」


またまた構え合う二人。

今回の構えは、お互いに不機嫌そうだ。


「……」


「……」


ダッ


エリアスが先手を打った。

狙いは胴。シンプルながらも美しい軌道で、


シュッ


横薙ぎ。

さらに、紫月が下がって避けたところに


シッッ!!


鋭い突きを放った。


キンッ!!


紫月は手首を返し、エリアスの首を狙う。

だが、


スっ


エリアスはしゃがんで躱す。そして、連撃の態勢に入った。


シュシュシュシュシュシュシュッッ!!


キキキキキキキッ!!


冷静に、攻撃を捌く紫月。

しかしーー


ピッ


彼女の左腕に、赤い線が走った。


「!」


「おや。」


シュッ


紫月が大きく一振し、二人は距離をとる。


「……」


「やはり、フェアな勝負になりませんよ。」


「……」


「……仕方がありませんね。ワタシがカソックを」


エリアスが取りに行こうとした、その時だった。


タ ビチャッ スッ ビチャッ


紫月が小物や帯を外し始める。


「いいのですか?」


「はい……動きづらくて苛立ちましたので。」


ビチャッ


やがて紫月は、長襦袢一枚の姿になった。


ーーッ



「お待たせ致しました。」


「……」


「どうかされましたか?」


「え……あ……大丈夫ですか?その……かなり肌が……」


「戦いに集中するためです。致し方ありません。」


「あ……えぇ……」


エリアスは固まった。

そして、彼の脳裏にある日の記憶が蘇るーー






ーーー






「あれほど来るなと言ったはずだ。」


「すいません……」


鬼のような形相のマティアスに、エリアスは正座で怒られていた。


「女が来るってちゃんと伝えたよな?」


「はい……」


「何故ここに来た?」


「どうしても剣を教わりたくて……」


「いつからいた?」


「兄さんが女性の耳にキスをするところからです。」


「このッ……!!」


ゴチンッ


マティアスは思い切り、エリアスの頭を殴った。


「ッ酷いなぁ……ちゃんと邪魔せずに待っていたじゃないですか。」


「いや帰れ!!何となく分かるだろうが!!」


「分かりませんよ。経験がありませんもん。」


「はぁぁぁ……」


苛立ちながら眉間を押さえるマティアス。


その反応を見たエリアスは、首を傾げた。


「ああいうのって、どういう感覚なんですか?信者に聞いた話では、女性の柔肌を見たらどうのこうの言っていましたが……」


「はぁ?本気で言っているのか?」


「本気で分からないから聞いているんです。兄さんは女性の肌を見てどう思うんですか?」


「言うわけないだろ……」


「えぇー……」


エリアスは口を尖らせるが、すぐにいつもの意地悪な表情へと変わった。


「……まぁいいです。これで女性に興味が湧けば、こうして兄さんに剣を教わりにくる回数が減ってしまうでしょうから。」


「……」


「これからも毎日通いますね、にーさん。」


「……ッチ」


マティアスは機嫌が悪そうに、そっぽを向きながら答えた。


「普通、女の肌を見れば……自然と目がいったり、触りたくなるものだろうが。」






ーーー




(どうしてこんな記憶を……?)


今。


目の前にいる紫月は足元の布がほぼ透けてしまっており、

しかも長い髪から垂れる水滴で、上半身の布までも少しづつ半透明になってきている。


そんな彼女から、何故か目が離せなくてーー


「では、続けましょう。」


「は……はい。」


己の中に渦巻くものを、エリアスは理解出来なかった。


(これは……)


ダッ


気づけば、紫月が自分へと突っ込もうとしている。


(……考えている余裕はありませんねッ)


エリアスは腰を落とし、低い位置から薙いだ。


シュッ


タッ!


紫月は高く跳躍し、躱す。

その際、紫月の脚が近くで見え……


ーーッ


エリアスの中で、また何かが跳ねた。


ギィイイイン!


「ッ……!」


そのせいで、反応が一瞬だけ遅れる。

かなりスレスレでの防御だった。



「……?」


違和感を覚えた紫月は、そのまま距離を取る。


「今の一撃……もう少し余裕を持って受け流せたと思うのですが……?」


「……少し余計なことが頭をよぎりまして。ここからは集中します。」


そう答えながらも、エリアスは内心でかなり慌てていた。


(こんな馬鹿なことで負ければ一生の恥ですよ……。落ち着いて……落ち着いて……)


「そうですか……では。」


紫月は再び踏み込む。


ザッ!!


鋭い袈裟斬り。

エリアスは剣を立て、


キィィイン!!


受け流す。

そのまま半歩踏み込み、さらに喉元へ突きを放った。


シュッ!!


「……!」


紫月は首を傾けて紙一重でかわし、その勢いのまま身体を回転させ、うなじを狙う。


シュッ


エリアスは後方へ跳び、見事に斬撃を避けた。

だが着地の瞬間。


ペラ


再び視界の端で、濡れた裾が揺れた。


ーーッ


まただ。

また一瞬だけ、世界が遅くなる。


「エリアスさん!」


「!」


紫月の声だ。

ハッと顔を上げると、刀が目前まで迫っていた。


ギィィン!!


辛うじて剣を差し込み、刀と剣が迫り合う。


ギチッ……


「エリアスさん、集中していませんね。」


「……」


「負けてしまいますよ。こんなつまらない負け方で。」


「……」


「……何か言ってください。」


「……」


「エリアスさん……?」


するとエリアスはーー


キンッ!!


剣で刀を横に弾き、





ギュゥ



「……」


「……」



紫月を、抱きしめた。



「!?!?!?」


紫月の頭が、一瞬でパニックに陥る。



「え、エリアスさん!?」


「あ……すいません……」


紫月は離れようとするが、エリアスがとてつもなく強い力で抱きしめ続ける。


ギュゥゥ



「し、真剣勝負の途中でどうしたんですか……!!私は負けないために着物まで脱いだのにっ」


「それのせいなんですよ……」


「!?」


紫月の大きな瞳が、さらに大きく開いた。


「あなたが無防備に……肌を見せるから……」


「え!?でもエリアスさん、気にしないって言ってましたよね……!?」


「ずっと気になって仕方がなかったです……」


「な、なら……!!なんで脱げだなんてっ!」


「今まで、女性の肌を見たところで……何かを感じたことがありませんでしたから。本来、興味のないもののはずなんです。ですが……」


エリアスはさらに、紫月を深く抱きしめた。


「あなたを見ていたら……なぜだか抱きしめたくなったんです。どうしてでしょうか?」


「そ、そんなことを言われましても……」


「あなたには……黒服の彼を、抱きしめたいと思う瞬間はありませんでしたか?」


「……」


「いえ……やはり言わないでください。もう大丈夫です。」


パッ


ようやく、紫月は解放された。


「突然すいませんでした。……ワタシにこういうのは似合いませんね。」


「……」


「続きをしましょう。……その前に、ワタシのシャツを腰に巻いてください。また気が散っては、せっかくの戦いが台無しですので。」


そう言ってエリアスはシャツを脱ぎ、紫月へ差し出した。


「……ありがとうございます。」


紫月はそれを受け取り、黙々と腰へ巻く。


「……」


「どうかしましたか?」


「い、いえ……なんでもないです……」


「?」


エリアスは首を傾げた。


何故かほんのり赤く染まった彼女の頬。

はにかんだような仕草。



どうしてそんな反応をするのか理解できなかったが、不思議と目が離せない。



ーーッ




「隠せましたね。では、決着を……」


「はい……」


二人は距離を取り、構えあった。



「……」


「……」



紫月が半歩踏みいろうとした、その時。


「そうだ、賭けをしませんか?」


「賭け……ですか?」


エリアスがふと、提案を持ちかける。


「はい。ワタシが勝てば、黒服の彼を殺します。それが嫌なら、全力でワタシを殺しに来てください。」


「……」


紫月は、その真意を悟った。


「互いに……今のような腑抜けた気持ちでは、それが戦いに現れるでしょう。その状態で勝利を得ても、夢を叶えたことにはなりません。きっと兄さんも認めない。」


「……なら私が勝てば、お兄さんからエリアスさんの恥ずかしい話を聞き出して、書き留めたものをお父様の屋敷中に貼り付けます。」


「なかなか手厳しいですね。」


エリアスが苦笑すると、紫月はニッコリと微笑んだ。


「ふふ……。少し前に、エリアスさんにはたっぷりと虐められましたから。このくらいは当然です。」


少し、いたずらっぽく。



ーーッ



「……あの男が憎らしい。」


エリアスはそう小さく呟くと、


ダッ


中段から一気に踏み込み、空気すら抉るような突きを繰り出す。

銀色の剣が直線を描き、彼女の喉を狙った。


シュッッ!


カンッ


紫月は最小の動きで、突き技を打ち落とした。

そして刀を翻し、下から上とすくい上げるようにーー


シッッッ!!


神速の技を放つ。


「燕返しですかっ!!」


エリアスは何とか踏みとどまり、身体の回転で致命傷は躱してみせる。

だが、


ピュッ!!


右腕に浅くない傷を負ってしまった。


「いいです……いいですよぉッ!」


「……」


紫月は無言のまま、刀を中段に構え直す。


その表情は酷く無機質だった。

冷たく、静かで、浮かんでいた笑みの欠片すら、今は完全に消えている。


彼女の紫の瞳に映るのは、ただ獲物を仕留める冷徹な光だけ。


(ふふ……分かってくれましたか。)


エリアスは右腕から滴る血を無視し、気味悪く笑った。


スッ


剣を高く掲げ、屋根の構えに移行。

傷だらけの体で、全力で剣を振り下ろす。


シュッッ!!


先の燕返しに、決して劣らぬスピード。


「……」


紫月は中段のまま微かに腰を落とし、剣を刃の腹で受け止めた。


キィイイン!!


受け止めた瞬間、

彼女は手首を柔らく使い刀を滑らせ、真向斬りを披露。


シッッ!!


カッ!


エリアスは剣の柄の部分で、見事にこれを防いだ。

そして水平になった剣を握り直し、


シッッッ!!


彼女の首を切断せんと振る。


ヒュッ


紫月はしゃがんで躱すが、あまりの剣速に数本の髪の毛が逃げ遅れた。


「クフフ……」


「……」


だが、彼女は避けただけで終わらない。

姿勢を低く半歩下がりながら、刀を素早く引き寄せーー


ザシュッッッ!!


袈裟斬りを決める。


「ッア……!!」


エリアス胸から腹にかけて、鮮血の飛沫が舞った。


(斬られた……斬られた……!!)


内蔵まで達している、致命傷。


焼け付くような激痛、

血を失い徐々に冷えていく身体、

耳元に近づく終わりの足音、

どこか悲しそうな少女の瞳。


その全てを、エリアスは無視してーー




ダンッ!!!




前へ踏み込み、剣を振りかぶった。



「ッ!」


紫月は目を見開く。


(あ……)


油断だ。油断してしまった。

自分では勝負がついたものだと思っていたが、彼にとってはそうではなかった。


直感的に分かる。

自分が今から刀を振るよりも、エリアスの方が速い。


(斬られる……斬られてしまう!!)


背筋に冷たいものが走った、その時だった。


「姫様ッッ!!!」

「紫月さん!!」


誰かの叫び声が聞こえる。


「墨男……ロメオさん……」


六十メートル程離れた場所で、紫月は二人の姿を捉えた。


(ごめんなさい……ごめんなさい……!)


トスッ






「エリアス・カルミナァァアアアアア!!」


墨男は短剣を構える。

エリアス目掛け、走った。


「墨男君!!」


グイッ


しかし、ロメオが肩を掴んで墨男を下がらせる。


シュッッ


パシッ!!


ザシュッッッ!!






……




「お見事です……」


エリアスは腹に刻まれた一文字(いちもんじ)を見て、微笑む。


そしてーー


ガッ


倒れる彼の身体を、紫月が優しく受け止めた。





ーーー






それは一瞬の出来事だった。




「墨男……ロメオさん……」


二人の姿を見て、よそ見をしていた紫月は


トスッ


肩のあたりを押され、尻もちをついた。


「え?」


斬撃が襲ってこない。

エリアスは確かに、剣を振り上げていたはずだ。


驚いてエリアスの方を見ると、


ダッッ!


彼は一直線に、墨男の元へ向かった。


「エリアス・カルミナァァアアアアア!!」


「墨男君!!」


突っ込んでいく墨男を、ロメオが後ろに下げる。


シュッッ!


そして振り下ろされた、エリアスの刃をーー


パシッッ!!


ロメオが真剣白刃取りで受け止めた。

その刹那、


ザシュッッッ!!


追いついた紫月が、エリアスの腹を斬る。


「……」


「お見事です……」


エリアスは赤い髪を風に揺らす。

そして、満足そうに美しい微笑を浮かべてーー


「グフッ……」


倒れた。

その身体を、紫月が柔らかく受け止める。


「介錯はいりますか?」


「……いいえ。」


紫月は、刀を地面へと置いた。


カタッ……


「エリアスさん。どうして、私ではなく墨男を斬ろうとしたんですか……?」


「……彼が嫌いだからです。」


「……私を斬らなければ、賭けは成立しないでしょう……」


エリアスは首を振った。


「勝負は完全にワタシの負けですよ。最後のは……ただの悪あがきのつもりでした。」


「悪あがき……ですか?」


「えぇ。あなたを斬って、ワタシと一緒にって……思ったのですが……」


エリアスは墨男に目線をやった。


「彼を見た途端、あなたの泣き顔を思い出しまして。気がついたら襲いかかっていました。」


「ッ……」


墨男が分かりやすく動揺すると、エリアスは嬉しそうに笑う。


「ククク……まぁ、そんな話はもういいです。それよりも……楽しかった。」


紫月は微笑みながら頷いた。


「えぇ、私も本当に楽しかった。あれほどの戦いができたのは……エリアスさんが初めてですよ。」


「ふふ……同感です。あなたとの戦いでは、純粋に剣を楽しめました。兄さんに剣術を習っていた頃を思い出しましたよ。」


「奇遇ですね。私も、お父様と稽古をしていた頃を思い出していました。」


「ふふ……ゴフッ…!」


エリアスが血を吐き、紫月の頬へ飛び散った。

もう、彼に残された時間は少ない。


「……すみません。」


「気にしないでください。そんなことより、最後に言いたいことや頼みたいことは何かありますか?」


「では……二つだけ……」


エリアスは呼吸を荒くしながら、彼女の頬についた血を拭う。


「賭けはあなたの勝ちです……なので兄さんに……会いに行ってください。あなたが行けば……兄さんが全て……話してくれるはずです……」


「本当に、貼り付けてしまいますからね……」


「えぇ……そうしてください……」


「わかりました。もう一つは?」


「紫月さん……あなたは、最高の剣士です……出来れば…ワタシはあなたを斬りたかった……ゴフッ……」


「……ありがとうございます。」


「そして……あなたは、ワタシが初めて……抱きしめたいと……思った人です……ゴフッ!……なので……あなたにだけは……本心からの、優しい言葉を贈ります……」


そう言うと、エリアスは力を振り絞って


ぎゅっ


紫月を抱きしめた。


「色々と……辛いことがあったでしょうが……悪い夢は忘れてしまいましょう。……ゴフッ……そんなに美しい剣技で……グフッ…殺してくれたなら……剣士なら誰も……あなたを恨んだりしていないはずです……」


「……」


「今日、この山に……あなたを助けに来てくれた人を……大切に……ゴフッ……」


「エリアスさん……」


「そうすれば……きっと、幸せに……なれます……よ」


ーーチュッ


「!」


「「なっ!?」」


エリアスは、キスをした。

美しい彼女の唇に。


そして驚く彼女の顔を見て、幸せそうに笑う。


「ふふ……可愛い……」


それを最後に。





エリアス・カルミナが言葉を発することは、二度となかった。








ーーーーーー








「姫様、お召し物は……」


「川に落ちて、重くなってしまったから脱いだの。」


「では……」


墨男が自身の着ている黒い道衣を脱ごうとする。

だが、


ピタッ


その手は途中で止まった。


「紫月さん、汚れていて申し訳ないですが……僕のジャケットを着てください。」


「ありがとうございます……」


ロメオは脇腹あたりが血で汚れた、ベージュ色のジャケットを手渡した。

これは彼が、教会で受けた傷の跡だ。


「……行きましょうか。エリアス君の遺体は野犬にでも食べられては困りますから、僕が運びます。」


「いえ……私が運びます。私が一番元気ですから。」


そう言うと、紫月は静かに立ち上がった。


「ごめんなさい、墨男。私の着物を運んでくれる……?」


「……はい。」


こうして三人は、紫十郎たちが待つ場所まで無言で歩いた。





「紫月。」


「お父様……」


合流するなり、紫十郎は娘の頭に優しく手を置く。


「また強くなったな。」


「……ありがとうございます。」


「その男と戦っている時のお前の顔、懐かしかった。またあの顔で刀を振るお前が見れて嬉しいぞ。」


「はい……お父様……」


その瞬間だった。

紫月の瞳から、透明な雫がポロリと零れ落ちる。


そんな彼女を、紫十郎はそっと抱き寄せた。


「どうして泣く……?」


「お父様の顔を見たら……なんだか安心して……」


「今宵は色々あったからな。無理もないだろう。」


その時だった。



グーギュルルルルルル……


獣の唸り声のような音が鳴り響く。



「……」


「紫月。こんな時に腹を鳴らさなくても……」


「い、言わないでください!!」


紫月は顔を真っ赤にして抗議した。


「無理もありませんよ、大旦那様。姫様は昨日の晩から何も召し上がっておりませんもの。」


雪乃が慌ててフォローに入る。


「ふーむ。言われてみれば、俺も腹が減ったな。そういえば……」



紫十郎が視線を向けた先。


空で眩い光を放つ、白金色の太陽が登っていた。

いつの間にか、夜は終わっていたのだ。



「もう朝か。腹も減るはずだ。……皆で朝食でもとるかぁ。」


「大旦那様。まずは下山して、簡単な食事だけにしておきましょう。若様がお待ちですから。」


「うむ、それもそうだな。風呂にも入りたい。となると……皆での食事は昼食になるか。」


「では、帰りましたら私と墨男でとびきりのご馳走をお作りいたします。」


「いや、お前たちも疲れただろうから食べに行こう。好きなだけ食べて騒いでいい代わりに、全員参加だからな。」


紫十郎がチラッと目配せすると、


「「「「ご馳走でーす。」」」」


ユキミ、ミキ、リコ、セリナが勢いよく頭を下げて上げる。


「恐縮です。」


「ありがとうございますっ!!」


桐生と木村も腰を丁寧に折り曲げた。



「ロメオ、怪我は大丈夫か?」


「はい。失った血を取り戻したいので、僕も昼食はご一緒させていただきます。」


「食え食え!!好きなだけ食え!!」



紫十郎をはじめ、皆が賑やかに騒ぎ始める。



その光景を見つめてーー



紫月は腕の中の彼へ視線を落とした。

まるで眠っているように、穏やかな顔だ。


(……エリアスさん。)


彼の最期の言葉を思い出す。


『今日、この山にあなたを助けに来てくれた人を大切に。そうすればきっと、幸せになれますよ。』


(言われた通り、大切にします。この場にいる人たちを……何よりも大切にすると誓います。)

 

紫月は小さく微笑んだ。





ーーこうして彼女の長い夜は、終わりを告げた。














「……」


どこか晴れやかな表情の紫月を見て、墨男は心の中で呟く。



(姫様……自分勝手な俺を、どうかお許しください。)






ーーーーーー






ガチャッ


「ただいまでーす。」


「「「ただいまー」」」


リコがストロベリーローズのドアを開け、四人は部屋へ入った。


「やぁ、おかえり。」


ドアの向こう側で待っていてくれたのは、優しい笑顔の佐々木さん。


「佐々木さん!何話ぶりの登場ですか?」


「セリナちゃん、そういうこと言わないの。」


おちゃめにウインクする佐々木さんを見て、四人はようやく安心感を覚えた。


そして、なんだか胸に込み上げてくるものが……


「「「「うぷ……」」」」


「ん?」


「「「「んー!」」」」


四人はそれぞれ散った。


リコはトイレ。

セリナは洗面所。

リコとセリナは白いビニール袋を構えて店の端へ。


そして、


「「「「おぇぇえええ……」」」」


四人は一斉に吐き出した。


「だ、大丈夫!?」


佐々木さんは大慌てで近くにいたミキの背中をさする。


「の、飲みすぎた……」


「え?」


「紫十郎さんに……呑まされた……」


「みんなが吐いているのって……」


「「「「おぇぇぇええ……」」」」


佐々木さんの明察どおり。


四人は紫十郎や紫月たちと昼ごはんを食べたのだが、その時に悪酔いした紫十郎がダル絡みを開始。

彼の圧に負けたり、余興のゲームに負けたりなどで気持ち悪くなるほど酒を飲ませられたのだ。


「そ、それもあるけど……」


ユキミがゲッソリした顔で呟く。


「人が死んで……思い出すと気持ち悪い……」


「ウチも……緊張感でなんとか耐えてたけど……」


「「「「オウェロロロロ……」」」」


極度の緊張状態と過激な光景。

帰った途端、その全てがフラッシュバックして吐き気が止まらない。


描写はあまりされていないが、ロメオも桐生もかなりの人数を斬っており、

その度に首が飛んだり血が噴き出したりしていたのだ。


平和な時代に生きる現代人の四人には、余計に精神へのダメージが酷かった。


「なるべく向こうの世界では考えないようにしてたけど……普通にグロすぎてグロすぎて……」


「セリナにそんな感覚あったんだ……」


心のダメージでよろけるセリナに、ミキはあんまりな発言をした。


「そうか……そうだよね。ごめん。」


佐々木さんがミキの背中を二回摩る。

すると、


「あれ……ちょっとマシになったかも。」


ミキの顔色が少し良くなった。


佐々木さんは同じように他三人の背中を順にさすると、三人の顔色もいくらか改善した。


「あれ、少し楽になったかも。何をしたんですか佐々木さん?」


「死に対するダメージを取ったんだ。お酒のダメージは自力で頑張ってもらうしかないけれど……」


「死に対するダメージ……?まぁ、楽になったし何でもいいですね。ありがとうございました。」


セリナがお礼を言うと、佐々木さんは首を振った。


「ううん。お礼を言うのは私のほうだよ。じっくり話をしたいし聞きたいけれど……もうすぐ十四時になってしまうから、今日はもう帰らなきゃいけないな。」


「ウチとセリナが馬で暴れた話とかありますよ。」


「そうですよ。リコのせいで死にかけたんです。」


「あたしは……転んで連れ去られた話とか?」


「ミキは……馬車で酔っただけだな。」


「も、盛りだくさんだね……」


佐々木さんは苦笑いすると、出入口のドアを開けた。


「じゃあみんな、二日酔いにならないようお大事に。また明日。」



「「「「はーい!」」」」


四人は明るく返事をした後、


「「「「ウプッ……」」」」




残ったままの酒のダメージに、またやられるのだった。

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