それぞれの戦い
紫月の国で“ 黒”は十五歳になると市民の安全を考え、“ 緑”の手で幽閉されます。
ですが、“ 黒”は正確な歳が分からない場合が多いので、ある程度の身長や体格になると問答無用で連行されちゃうのです。
市民からすれば、十五歳以上の“ 黒”は恐ろしくて仕方が無い存在なので、見かければすぐ通報。
痕跡を残さず暮らす以外に“ 黒”が逃げ延びる道はありませんが、人間にそんなことは不可能なため、どれだけ足掻こうがみんな捕まってしまいます。
「誰にも出会わないね……」
湿った夜道を駆けながら、ロメオが苦笑混じりに呟いた。
隣を走る墨男も、小さく頷く。
「はい……流石は姫様です。」
“ 誰にも出会わない”
とロメオは言ったが、その言葉は正確では無い。
なぜなら、“ 生きている人間”には出会っていないが、死体は所々に転がっているからだ。
どの死体を見ても、敵は苦しむ間もなく即死だったことが分かる。
その鮮やかな切り口を見ただけで、二人の胸には感嘆が滲んだ。
「もうすぐ紫月さんの姿が見えると思うんだけど……」
「思った以上に離されてしまいましたね。」
紫月に置いていかれた一行は、ロメオを先頭に山道を急いでいた。
大地を蹴り、枝葉を掻き分け、焦げ臭い風の中を駆ける。
そんな中。
「あ、姫様です!」
先頭近くを走っていた雪乃が、前方を指差した。
その視線の先。
キィンッ!!
キンッ!!
キィィィン!!
月明かりの下で斬り結ぶ二つの影。
ひとつは、長い紫髪を夜風に揺らす神秘の美少女。
もうひとつは、赤髪を乱しながら舞う美しい青年。
まるで一枚の絵画のような光景だった。
……男が血塗れでさえなければ。
「なんと美麗な動きでしょう……」
桐生が思わず息を漏らす。
それは紫月、エリアスの二人に対してだった。
あれは単なる剣術ではない。
互いの命を削り合う、本物の殺し合いだ。
それなのに、美しい。
桐生には刃がぶつかる度、火花が夜空へ散り、まるで銀の蝶が舞っているように見えた。
だが同時に、セリナが首を傾げる。
「……なんか紫月さんが、一方的にボコボコにしてる?」
「あれでも、あの男はかなり凄いですよ。」
雪乃が淡々と言う。
「私や墨男がお相手をしても、一撃も去なすことなど出来ませんから。」
「そうなんですね……」
失礼かも、と思ったがセリナは妙に納得してしまう。
彼女の目には、紫月にはまだ余裕があるように見たからだ。
「大旦那様!!」
墨男が声を上げる。
視線の先には、腹部を押さえた紫十郎の姿があった。
服は血で染まり、周囲の地面にも赤黒い染みが零れているのが見える。
「あの大旦那様が怪我を……!」
墨男は顔色を変え、その元へ駆け寄ろうとした。
だが。
「邪魔です。」
パンッ!!
乾いた破裂音。
同時に、
キンッ!!
桐生が一歩前へ出て、刀を抜き放っていた。
次の瞬間。
ダダダダダダダダダッ!!!
キキキキキキキキキィィン!!!
凄まじい轟音が森を揺らした。
桐生が刀を振るう度、火花が弾け、金属音が連続する。
「うわぁぁぁあああああ!!!」
あまりの迫力と音に、ユキミが耳を塞いでしゃがみ込んだ。
ダダダダダダダダダ
キキキキキキキキキィン!!!
数秒後。
シュゥゥゥ……
辺りには、微かな煙の音だけが残る。
飛んできたものは全て、桐生が叩き切ってしまった。
「すげぇ……これ機関銃でしょ?」
セリナが呆然と呟く。
「き、桐生様……ありが」
墨男が礼を言いかけるが、
「皆様、少々お待ちください。」
桐生はそれだけを残し、攻撃が飛んできた闇の奥へ駆け出した。
そして。
「グァッ!!」
「ォエアッ!!」
ガシャッッ!!!
短い悲鳴が二つと、破壊音が一つ。
次の瞬間には、桐生が何事もなかったような顔を現す。
「藤堂様……こちらへ。」
「……あぁ。」
声を掛けられた紫十郎が、ゆっくり立ち上がる。
つい先ほどまで流れていたであろう血は、既に止まっていた。
異常な生命力だ。
「……桐生。お前には、紫水を探すことを命じる。」
「……それはどういう」
桐生が眉を寄せた、その瞬間。
ドォオンッ!!!
二人の間で、突如爆炎が上がった。
土と火花が吹き飛び、衝撃波が周囲を揺らす。
「次から次へと……!!」
桐生は即座に後方へ跳躍し、爆発を回避していた。
舞い上がる土と泥の中。
「桐生!!!命令にしたがぇええええ!!!」
紫十郎の怒号が響く。
「……御意。」
桐生は顔へ降りかかった土を払いながら、静かに目を細めた。
そして、その時だった。
「うわぁぁぁぁぁああああ!!!」
再び、ユキミの悲鳴が森へ響き渡る。
「……」
声のした方へ視線を向けると、十数人の黒服の男たちが、いつの間にかロメオ達を取り囲んでいた。
銃口が一斉に向けられ、鈍く光る刃が闇の中で揺れている。
「……っ」
桐生は即座に刀を構え、地面を蹴った。
だが。
「はぁッ!!」
桐生が向かうより早く、ロメオが先に動いた。
彼の長い足が夜を裂く。
ダッ!!
まるで舞踏のような身のこなしで、ロメオは一気に間合いへ入り込む。
一人。
二人。
三人。
トリガーを引く暇すら与えない。
黒服達は次々と武器を弾き飛ばされ、地へ沈んでいった。
さらに、
四人。
五人。
……十六人。
気づけば残っていた敵も全て制圧されていた。
静まり返る森に、桐生はわずかに微笑む。
「……流石です、殿下。」
小さく漏らし、そのままロメオの元へ歩み寄った。
「殿下、お伝えしたいことがあります。」
ロメオは頬についた血を拭う。
「桐生君、どうしたんだい?」
「先ほど紫十郎様より、“紫水様を探すように”とご命令を受けました。」
「え、紫水君がここに!?」
ロメオの顔色が変わる。
「「若様が!?」」
雪乃と墨男も同時に声を上げた。
桐生は頷く。
「はい。これから私は、木の影に設置してある銃火器を破壊しつつ紫水様を捜索しようと考えています。流れ弾でも当たれば一大事ですので。」
「……なるほど。」
ロメオは少し考え込む。
(聞いた話では、紫水君は緑田さんが保護しているはずなのに……まさか、緑田さんがやられたのか?そうとは考えたくないけれど……)
やがてロメオは、小さく頷く。
「……わかった。僕もできる限り探してみるよ。」
桐生も無言で頷き返した。
そして次の瞬間には、もう闇へ溶け込むように姿を消す。
「……紫水君が人質にされていて……それで紫十郎さんは怪我を……?」
ロメオが視線を向けた先。
そこでは、紫十郎が交戦中だった。
「こいつ傷があるぞ」
「一斉にかかれ!」
「上半身を狙え!!」
群がる有象無象。
いかにも三下といった連中だ。
「はぁ……」
囲まれている紫十郎の上半身には深い裂傷が走り、服は血で赤黒く染まっている。
それでも、彼は仁王のように立っていた。
「お前らを殺したところで、アイツの邪魔をしたことには……ならんか。」
その獅子のように鋭い目は、エリアスへと向いている。
どうやら紫水のことを懸念しているようだ。
周囲を囲む敵は二十人以上。
持っている武器は、
銃、剣、槍、手榴弾、ボウガンなどなど。
対して紫十郎が持つのは刀一本だけ。
どう見ても不利な状況なのだが……
「死ね!!クソや……」
敵が叫び終えるより早く、
ズバンッ!!
斬撃が走った。
ドサッ
銃を構えていた男の身体が斜めに滑り落ちる。
さらに、
「速く!!速くピンを抜……」
槍を構えていた二人がまとめて両断された。
まるで噴水のように、血飛沫が夜空へ舞う。
「何人でもかかってこぃいいいい!!!爆弾でも銃でも何でも使えぇええええ!!!その代わり、容赦や情けがあると思うなぁぁあああああああ!!!」
紫十郎がニヤリと笑った。
憂さ晴らしに丁度いい、と言わんばかりの顔で。
ロメオはその姿を見つめ、
「うん……心配は必要なし、か。」
と、小さく呟く。
むしろ敵側が気の毒になってくる暴れっぷりである。
(僕はこっちに集中しよう……)
「みんな、そこから動かないでね。」
ロメオは近くの茂みへ声をかけた。
「分かった!」
リコの返事が返ってくる。
ユキミ、ミキ、リコ、セリナの非戦闘員四人は、背の高い茂みの奥へ身を潜めていた。
雪乃が安全のために押し込んだのだ。
「雪乃さん、墨男君、木村君。よろしくお願いします。」
「「「はい!!」」」
三人は茂みを守るように配置につく。
ロメオはリコから借りた短刀を。
雪乃は久方ぶりに抜いた名刀を。
墨男は使い慣れた短剣を。
木村は「罰です。」と桐生から渡された、無駄に重い刀を。
それぞれの刃が、鋭く煌めいた。
まるで、持ち主の意志と覚悟に応えるように。
みんなを守りたい、という主の願いを祝福するように。
(重いなー……)
木村のだけは少し鈍い光かもしれない。
ーーーーーー
「グフッ……!」
鈍い音と共に、エリアスの身体が大きく揺れた。
何度目かも分からない。
紫月の隙を突こうとしては返され、その度に拳や蹴りを叩き込まれる。
それでもエリアスは立ち上がる。
腹の奥で、どろどろと煮え続ける激情だけを燃料にして。
キィィィン!!
キンッ!!
キィィン!!
夜の森へ、鋼の悲鳴が響く。
「ガハッ……!」
まただった。
エリアスの斬撃は、届かない。
どれほど速く振るっても、
どれほど殺意を込めても、
紫月は、その全てを正確に弾き返してくる。
キィイイ!!
キンッ!!
そして。
ドッ!!
「っ……!」
腹部へ叩き込まれた蹴りによって、エリアスの身体が後方へ吹き飛んだ。
宙を滑り、木の根へ背中を打ちつける。
「はぁ……はぁ……」
ダメージが肺に響き、荒くなる呼吸。
腹の内で、怒りと屈辱がぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。
対する紫月は、息一つ乱れていなかった。
「そんな基礎を捨てた動きで、私に勝てるとお思いですか。随分と見くびられたものですね。」
「……」
ギリッ。
エリアスは歯を擦り合わせた。
今の自分は、紫月によって生かされているだけだ。
本来なら、何度も死んでいた。
あの時からーーー
「……嘘だったんですね。」
「はぁ……?」
銀色の切っ先が、目の前へ突きつけられていた。
「エリアスさんは、どうして剣を握ったんですか?」
そう問いかけながら刀を振り上げた紫月の瞳は、確かに冷たかった。
慈悲など、どこにもない。
ブンッッ!!
振り下ろされる刃。
「っっ!!」
エリアスは地面を転がるようにして回避し、そのまま低い姿勢から紫月の脛を横薙ぎで狙う。
だが、
スッ
紫月は軽々と跳躍して避ける。
そして次の瞬間には、
「がっ……!」
顔面へ蹴りがめり込んでいた。
視界が一瞬にして白く弾ける。
「立ってください、三秒以内に。」
もし彼女が望めば、そのまま首を落とすことなど容易かっただろう。
だが、紫月は斬らない。
ただ無表情で見下ろしてくるだけだった。
ーーー
それからずっとだ。
エリアスが挑み、紫月が躱し、打ち据える。
その繰り返し。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
汗と血で張り付く赤髪。
肩が上下するたび、ヒビの入った肋が軋む。
それでもエリアスは紫月を睨み続けた。
「……エリアスさん、教えてください。」
「その目で見るなぁぁあああ!!」
激情のまま、エリアスが突きを放つ。
狙うは心臓。
この女の静かな顔を、
その余裕を、
全て壊してやりたかった。
だが。
スッ。
紫月は風のように身を逸らす。
そして。
ドッ!!
「っ……!」
左肩へ、鋭い手刀が叩き込まれた。
一瞬で腕の感覚が吹き飛ぶ。
「エリアスさんは……どうして剣を」
「うるさいですねぇぇえええ!!!!」
ブンッ
蹴りを彼女の顔に食らわせようとするも、
ドサ
避けられてしまい、その勢いのまま膝を着く結果となった。
肩で息をしながら、それでも紫月を睨みつけた。
「そう言うあなたこそ、何故剣を握るんです!?このワタシをこれほど辱めて、痛めつけて、不快な思いにさせて……さぞかし立派な理由があるんでしょうね!?」
“ 何故、剣を握るのか。”
この言葉を投げかけられると、何故だか苛立ってしまう。
紫月の狙いが分からないからなのか、
何かを否定されているように感じるからなのか。
その理由はエリアス本人にも分かっていなかった。
“ 何故、剣を握るのか。”
紫月には答えられるのだろうか。
誰よりも、美しく刀を振る彼女ならば……
その叫びに対し、彼女は少しだけ目を伏せた。
「……立派な理由なんか、ありませんよ。」
「はぁ……?」
次の瞬間。
ピュッ。
刀身が、エリアスの首筋すれすれで止まった。
あと数ミリ踏み込めば、
喉が裂ける距離。
だが紫月は斬らない。
「ただ……知っているだけです。」
月光を浴びた刃が、キラリと輝く。
「お父様に教えられた、刃の美しさと……刀は、守りたいものを守ることのできる武器だということを。」
「はっ。」
エリアスは鼻で笑った。
「本当に、大したことがありませんね。」
だが紫月は気にした様子もない。
ただ静かに続ける。
「私は……刀を、刃を愛しているから握るんです。東統戦争で業が深くなるにつれて……それを忘れてしまっていましたが……」
「何が言いたいんです?」
「エリアスさんのおかげで、刀を握る理由を思い出せました。」
紫月は真っ直ぐエリアスを見る。
「ありがとうございます。」
「……は?」
エリアスには理解できなかった。
本気で分からなかった。
この女は、
何を求めている?
何故こんな状況で、
そんな純粋な目をしていられる?
どうして礼を言う?
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない。
「だから教えて欲しいんです。エリアスさんは剣で何がしたいのか。本当の望みを聞かせてください。」
「それを、あなたが叶えてくれるとでも?」
「はい。」
「ッ……」
木々をすり抜け、風が鳴った。
虫の声も、
鳥の羽音も、
今だけは遠い。
そして。
エリアス・カルミナは、生まれて初めて。
「……はは。」
他人に、素の笑顔を見せた。
「……?」
紫月は首を傾げる。
エリアスが笑ったことが不思議だったからではない。
身体中に、もっと不思議な感覚が駆け巡っていたからだ。
彼の笑みを見るのは、これが初めてではない。
柔らかく、企みを包み隠した笑み。
神経を逆撫でする嫌味な笑み。
底知れぬ悪意を滲ませた邪悪な笑み。
出会った瞬間から、何度も見てきた。
だが。
今、目の前にある笑顔は、そのどれにも当てはまらない。
まるで幼い子どもが、
母親を見つけた時のような。
そんな無垢さすら感じさせる笑みだった。
そして何故か、紫月はその表情から目を離せなかった。
「……全く、おかしな人ですね。」
エリアスが、くすくすと笑う。
肩を震わせながら、どこか楽しそうに。
やがて彼は、自分の剣へ視線を落とした。
少し刃こぼれしている、何度も紫月の刀とぶつかり合った剣。
「……あなたは、ワタシがどうして剣を握っていると思いますか?」
「今は……ただ嫌がらせのために、剣を“使っている”ように見えます。」
「嫌がらせに……剣を使っている?」
エリアスはきょとんとした後、
「ぷはっ」
思わず吹き出した。
森の中へ、小さな笑い声が漏れる。
「そうですね。いつの間にか、そうなっていました。特にあなた方は虐めていて……とても楽しかったです。」
「悪趣味ですね。」
「それはお互い様では?これだけ殴っておいて、趣味がいいとは言えません。」
「……お父様とロメオさんの分です。」
紫月が少しだけ気まずそうに視線を逸らす。
その反応を見た途端、エリアスの表情は一気に満足そうなものへ変わった。
「……なるほど。何故、あれほどの剣技を見せられて腹が立ったのか、自分でも不思議でしたが……」
「虐めていた相手に、逆に虐められたからではないでしょうか。」
「ふふ……我ながらいい性格をしていますね。」
エリアスは一度、自分の剣を軽く振る。
ヒュンッ
「ではワタシも、“剣を握る理由”とやらを思い出すとしましょう。」
その薄墨色の瞳が、紫月を映す。
「協力してもらえますか?」
「はい、喜んで。」
紫月は自然な動作で刀を下ろし、エリアスへ手を差し出した。
透き通るように白く、細い手。
ほんの少し前まで、容赦なく叩きのめしてきたとは思えないほど淑やかな仕草だった。
エリアスは一瞬だけ目を瞬かせる。
それから。
「ふふ……」
その手を握った。
ぐ、と引かれ、
立ち上がる。
「死んでも知りませんよ?」
「もう、そんな気はありません。」
「へぇ……それは寂しいな。」
「嘘ばっかり。エリアスさん、初めから心中する気なんかなかったでしょう。」
「……いい殺し文句だったでしょう?」
図星を刺されたエリアスは、やれやれと言いたげに肩を竦めた。
「……」
「……」
二人はゆっくり手を離すと、自然と距離を取る。
一歩。
また一歩。
そこにあるのは、どこか澄み切った静けさだけ。
スッ
紫月が刀を構える。
脇構え。
刃を低く寝かせ、機を窺う“ 陽の構え”だ。
スッ
対するエリアスは、剣を高く掲げる。
屋根の構え。
天から斬り落とすための、“ 日の構え”だ。
月光が、スポットライトのように二人の刃へ淡く降り注ぐ。
「ここからは一本勝負です。」
「はい。口ではなく……剣と刀で語り合うとしましょう。」
“ 一本勝負。”
すなわち、一撃でも受ければ死ぬということ。
無論、二人は死ぬ気などこれっぽっちもない。
先に相手を斬ればいい話なのだから。
「……」
「……」
だが不思議と、
そこには殺意だけではない何かがあった。
語り合うように。
理解し合うように。
「「ふふ……」」
二人だけの戦いが、
再び幕を開けたのだった。
ーーーーーー
ロメオは短刀を振るう。
ヒュッ。
ザシュッ。
群がってくる黒服たちを、無駄のない動きで次々と制圧していく。
だが、その翡翠の瞳は時折、別の方向へ向けられていた。
「紫月さん……」
視線の先。
月明かりが差し込む森の奥で、
紫月とエリアスの刃が激しくぶつかり合っている。
キィィン!!
ギィン!!
キンッ!!
鋼が鳴くたび、火花が夜へ散った。
キィイイン!!
戦況を見れば、明らかに紫月が優勢。
だったはずだが……
「エリアス君が……強くなっている?」
ロメオの言葉の通り、エリアスの動きが今までと違っていた。
磨きがかかったと言うべきか、
一皮むけたと言うべきか。
今の二人は互角に戦いを繰り広げていた。
「二人とも、なんて美しい動きなんだ……」
紫月が負ける姿など想像できない。
少し前には、背が185を越える男を担いで、少しも息切れせずに走っていた少女だ。
小石で襲い来る敵の頭蓋を弾く場面だって見た。
それでも。
ロメオの胸から不安は消えなかった。
一歩踏み外せば、何か取り返しのつかないことが起きる気がしてならなくて……
そして、その不安は。
少し前に交わした約束を、何度も思い出させていた。
ーーー
「あの、ロメオさん。お願いがあるのですが……」
それは、一同がエリアスの元へ向かって山を進んでいた時のことだった。
先頭を走っていた紫月が、ふと足を緩める。
「ん、なんだい?」
ロメオが隣へ並ぶ。
紫月は少しだけ視線を伏せ、
「墨男には話しましたが……私は、エリアスさんと戦うつもりです。」
と静かに告げた。
「それは知っているけれど……まさか、君が一人でとは言わないよね?」
「そのつもりです。」
「ダメだよ。」
ロメオの声音が少し強くなる。
「彼を相手に一人は危険すぎる。僕と君、二人で戦うべきだ。」
「いいえ。エリアスさんは、私が一人で斬ります。それだけは絶対に譲れません。ですから、ロメオさんにはリコさん達を守ることに専念して欲しいんです。」
「どうして」
ロメオは言葉を止めた。
分かったのだ。
理屈ではなく、直感で。
「そうか……ケリをつけたいんだね。」
「はい……」
紫月は小さく頷いた。
「情けない話ですが……エリアスさんが私の罪を教えてくださって……ようやく、私は自分の行いに気づくことができました。」
「それは君を追い詰めて、自分との戦いに専念させるための嫌がらせだろう?」
「……そうでしょうね。」
紫月は苦笑する。
「あの時、妙に声が生き生きとしていたような気がしますから。」
思い出すだけで、背筋が冷える。
傷にネットリと塩を塗りこんでくるようなあの感覚。
より傷に染みるように、中までしっかり塗りたくられた気がする。
「ですので……」
紫月は前を向いたまま続ける。
「そのお礼と、仕返しと、ケジメをつけさせる意味で……エリアスさんと話がしたいんです。」
「おっかないことを言うんだね。」
「そ、そうですか……?」
少しだけ恥ずかしそうにする紫月を見て、
ロメオは吹き出した。
「うん。怒りがヒシヒシと伝わってくるよ。」
「それは……否定はしませんけれど……」
「あはは。まぁ、気持ちは分かるよ。僕も教会で色々言われたからさ。」
エリアスの嫌味は鋭い。
狙った場所へ、正論を寸分違わず突き刺してくる。
それを聖人が言うならまだしも、
凶悪犯が平然と言ってくるのだから、余計に腹が立つのだ。
「それって、僕の分もやり返してくれるの?」
「もちろん、そのつもりですが……」
紫月がじっとロメオを見る。
その視線だけで、
彼女の言いたいことは十分伝わった。
「……分かった。君のお願い、きくよ。」
「いいんですか……?」
「だって、譲れないんでしょう?なら僕は、それをサポートするよ。君はエリアス君との戦いに専念して。」
「ありがとうございます、ロメオさん……」
紫月の声が少し柔らかくなる。
だがロメオは反対に、そこで表情を改めた。
「ただ、これだけは約束して欲しい。」
「……?」
「絶対に死なないこと。危なくなったら、すぐ僕を呼ぶこと。これだけは」
「譲れない、ですよね。」
「うん。」
ロメオは小指を差し出す。
「あ……」
紫月は一瞬だけ照れたように視線を揺らした。
だがゆっくりと、自分の小指を絡ませる。
「「約束。」」
二人の声が重なった、その瞬間。
「「「「キャー!!」」」」
後方から歓声が爆発した。
「皆様!!お静かに!!」
雪乃が慌てて制止する。
だが、
「ふぉーい!」
「だって〜!」
「なんかいい感じ〜!」
「だもんね〜!」
ユキミ、ミキ、リコ、セリナは大盛り上がりだった。
甲高い声に、桐生が怪訝そうに眉を寄せる。
「小指を絡ませただけでしょう……」
「中尉殿、鈍いですよ。」
「今なんと?」
「ヒッ」
桐生に睨まれ、木村が縮こまった。
そんな騒がしい空気の中で。
「……」
墨男だけは、一言も発していなかった。
ただ静かに前を向き、黙々と走っている。
この場で彼の横顔だけが、少し寂しそうなのだった。
ーーー
「くたばれ!」
「……っ!」
目の前に敵が現れたことで、ロメオは現実へ引き戻された。
ザシュッ
素早く短刀で薙ぎ払い、改めて紫月の方を見る。
(心配することは……信じていないことにはなりませんよね、紫月さん。)
胸の内でそっと呟くと、再び彼は前を向いた。
キィン!
ザシュッ
ロメオは短剣を翻しながら、次々と襲い来る敵を倒していく。
相手の力量は、正直そこまで高くない。
連携も甘く、武器は扱えてはいるが動きは粗い。
少し訓練された烏合の衆と言ったところだ。
数は多いが、エリアスのような底知れなさは感じられない。
(こっちは、特に心配なさそうだな……)
そう思ってしまった、その瞬間だった。
「「「「あぁぁぁぁーーー!!!」」」」
四人の悲鳴が上がった。
しかも、どういう訳か声がどんどん遠ざかっていく。
「えぇ!?」
ロメオの顔色が変わる。
咄嗟に茂みの方を振り返ろうとした、その刹那。
「!?」
キィィィイイン!!!
ロメオは反射的に短剣を構え、防御。
ギリギリと刃同士が擦れ、火花が散った。
「おぉ。俺とは真反対の兄ちゃんじゃねぇか。」
不意をついてきたのは、真っ黒な長髪を持つ男だった。
烏の羽のような漆黒の髪。
光を呑み込むような漆黒の瞳。
異様に白い肌が、髪と目の“ 黒”をより際立てている。
そして、その手には一本の刀。
「君は……」
「いいなぁ、お前は鮮やかで。なぁ、お前ら。」
長髪の男がロメオから距離を取ると、
「クフフ……」
「カハハ……」
背後から、さらに人影が現れた。
粗暴な笑みを浮かべた人相の悪い男達。
剣、槍、銃、鎖。
得物は様々だが、共通しているのは“悪人”の臭いだった。
数は三十ほど。
「殿下!ユキミ様方は私が追いかけます!」
「頼みます、雪乃さん!!」
雪乃が駆け出そうとする。
だが、
「おっと……美人じゃねぇか……」
男の一人が行く手を塞いだ。
下卑た汚らしい笑み。
しかし。
「ガッ!!」
次の瞬間には、その男の喉へ短剣が突き刺さっていた。
「ごぼっ……」
崩れ落ちる男。
墨男が、素早く短剣を引き抜く。
「雪乃様、ここはお任せを!!」
「えぇ!」
雪乃は振り返らず、そのまま四人を追って闇の奥へ消えた。
「クフフ……」
長髪の男が笑う。
「お前がバレンティアの第二王子か。」
「君は何者だ。」
「無視かよ。悲しいなぁ……」
「君以外にも言えることだけれど……この国では十五歳以上の“ 黒”の男性は、幽閉されるはずだろう。どうして平然と外にいるんだい?」
「そんなもん、エリアスがコネで脱走させたんだろ。俺と子分はそもそも幽閉なんかされちゃいないけどな。だから相手頼むぜ、強い兄ちゃん。」
ニヤリとした笑顔を前に、ロメオは短剣を握り直した。
もし本当に“ 幽閉されていない”としたら、この長髪の男は只者では無い。
思いつく限り、三十人もの子分を引き連れて“ 幽閉”から逃れる手段は……
(この男、自分と子分の目撃者は全員殺しているんだろう。そして恐らく……)
青緑色の瞳が、鋭く細まる。
「よろしく。」
その短い返答と同時に。
ロメオは強く気を引き締めるのだった。
ーーーーーー
さてさて。
ユキミ、ミキ、リコ、セリナに何があったのか。
ーーーーーー
キィン。
ザシュッ。
すぐ近くで鳴る金属音と、肉を裂く湿った音。
そのたびに、ユキミの肩がびくりと跳ねた。
「うあっ……」
思わず膝を抱え、小さく縮こまる。
薄暗い茂みの中。
四人は身を寄せ合うようにして隠れていた。
「ユッキー、大丈夫?」
隣のリコが心配そうに顔を覗き込む。
だが、ユキミの耳にはほとんど届いていない。
近くで響く怒号と剣戟の音だけで、心臓が縮み上がりそうだった。
もっとも。
怖がっているのは、ユキミだけではない。
リコも、ミキも、セリナも。
全員、かなりビビっていた。
だからこそ。
「ねぇミキ。」
「なに、セリナ。」
少しでも気を紛らわせるように、セリナが口を開いた。
「これ、体勢崩したら私ら終わりじゃない?」
「またそういうこと言う!」
パシッ!!
「いッッッッ!!!!!」
セリナは声にならない悲鳴を上げた。
飛び跳ねそうになるのを必死で堪えながら、涙目で腕を押さえる。
「こんな時に冗談いわないでよねっ。」
ミキは怒るが、セリナの言葉は冗談でも何でもなかった。
実際に四人が隠れている茂みのすぐ後ろは、急斜面になっている。
足を滑らせれば、そのまま真っ逆さま。
転がり落ちた先がどうなるかなど、想像したくもない。
……のだが。
ぴょん。
「……?」
ユキミの膝に、何かが乗った。
それは小さくもなく、可愛げも一切なく、羽音だけで精神を削ってきそうな虫。
ジリリリリリ……
「あ、ユッキー。虫が……」
リコが指差す。
「え?」
ユキミが視線を落とし、その姿を認識した瞬間。
「うわぁぁぁぁぁああああ!!!」
ズルッ。
「あっ」
「ユッキー! ……っちょあ!?」
慌ててリコが腕を掴む。
だが、勢いは止まらない。
「ミキィイイ!!」
「うぇ!? ……セリナッ!!」
「えぇ!? なんで掴むのっ……うぁぁ!!」
リコがミキにしがみつき、
ミキがセリナへ掴まり、
最後尾のセリナが三人分の重量を受け止めきれるはずもなく。
「「「「あぁぁぁぁーーー!!!」」」」
四人まとめて、斜面を転がり落ちていった。
ゴロゴロゴロゴロッ!!
「「「「えぇぇぇ!?」」」」
上の方から、ロメオ達の声がする。
だが、それどころではない。
木の根。
石。
湿った土。
あらゆるものへ身体をぶつけながら、四人は夜の斜面を転がり続けた。
その最中。
「やめて! 」
どこかで、紫水の叫び声が聞こえた気がした。
ドンッ!!
ドッ!!
ドッ!!
ドッ!!
「「「「いっっっったぁぁ……!!」」」」
平坦な場所に降り、ようやく停止。
四人は地面へぐったりと転がった。
「うぅ……いてぇ……」
最初に起き上がったのはセリナだった。
三人が下敷きになったので、ダメージが少なかったのだ。
頭を押さえながら顔を上げ、
「……え?」
固まる。
「んん!!」
……子どもだ。目の前に子どもがいる。
年齢は、紫水と同じくらいだろうか。
黒い法被のような服を着た、ごく普通の少年。
しかし、その状況が普通ではない。
「んん!! んんんーーっ!!」
少年は口を強引に塞がれ、首元には薙刀が突きつけられていた。
もちろん、武道用の模造品ではない。
その証拠に、大きな刃が不気味に輝いている。
「あぇ……?」
「え?」
「やば……」
遅れて起き上がったリコ、ミキ、ユキミも、その光景を見て顔を青ざめさせた。
ザザッ
「皆様!! ご無事ですか!!」
上から雪乃が駆け下りてくる。
「もう、どうしてこのような……」
そこまで言って、雪乃の表情が変わった。
視線の先には、少年を拘束する男。
深緑の道着のような服。
同じく緑色の髪。
そして、凍えそうなほど冷たい目。
「……何者ですか。」
雪乃が低く問う。
だが男は答えない。
代わりに。
ズッ。
薙刀を滑らせるように構え直し、
「!?」
少年を抱えたまま、一気に雪乃へ踏み込んだ。
ブォンッ!!
雪乃は咄嗟に後ろに跳び、
カッ!!
どうにか初撃を受け止める。
「ほう……」
男は感心したような顔を見せるが、容赦なく刃を押し進めていく。
「っ……!」
男の力は恐ろしく強く、押し合いではとても勝てそうにない。
なので雪乃は下がりながら簪を抜き放ち、一瞬で男の手首へ突き立てようとした。
だが、
「なっ……!」
男は躊躇なく、少年を盾にする。
「んんっ!!」
「なんて卑劣な!!」
ドッ
少年に気を取られ、雪乃は背後に迫っていた木にぶつかってしまう。
その一瞬で、
ググッ!!
男が一気に力を強めた。
「ぐっ……!」
雪乃は慌てて両手で押し返す。
だが。
「重い……!!」
異常なほどに。
とても片腕で出せる力とは思えなかった。
じりじりと。
少しずつ。
鋭い刃が、雪乃の額へ迫っていく。
「「「「雪乃さん!!」」」」
雪乃の危機を前にして、四人の背筋へ一気に冷たいものが走った。
このままでは、間違いなく雪乃は死んでしまう。
(もう一か八かやるっきゃない!!)
セリナが息を呑み、ぎゅっと拳を握った。
「みんな、耳貸して!」
小声で叫ぶように言いながら、三人を引き寄せる。
ゴニョゴニョ
「「「えぇ!?」」」
伝えられた内容に驚くリコ、ミキ、ユキミ。
セリナは焦った声のまま続けた。
「やらないと雪乃さんが死んじゃうから! 気合い入れてやって!」
「「「……分かった!」」」
四人は顔を見合わせ、小さく頷き合った。
そして次の瞬間、一斉に飛び出す。
「「雪乃さん!」」
最初に動いたのはリコとミキだった。
リコは雪乃の腕へ飛びつくようにして支え、力を補助する。
ミキは迫る薙刀の柄を両手で掴み、必死に押し返した。
「リコ様! ミキ様! お逃げ下さい!!」
雪乃が叫ぶが、二人は離れない。
ぐぐぐ……。
男の片腕に対し、こちらは三人分の両腕。
これでようやく均衡が取れ始める。
「ッチ!!」
男は苛立たしげに舌打ちすると、左膝を振り上げた。
その蹴りを――
「うわぁぁ!!」
ユキミが足へしがみついて止めた。
男は鬱陶しそうに足を振り回す。
だがユキミは涙目になりながらも、必死に食らいついて離れない。
「セリナァァァア!!」
「任せて!」
セリナは小刀を握り締め、背後から男へ飛びかかった。
ドッ!!
鞘のついたままの小刀を、思い切り頭へ叩きつける。
「せーのっ」
「「「「桐生さん!! 助けてください!!」」」」
ゴッ!!
ドッ!!
ゴッ!!
何度も小刀を打ち付けるものの、男は顔をしかめるだけで倒れる気配はない。
それどころか――
「ッチ!!」
「うあっ!」
抱えていた子どもを放り投げ、空いた左腕を振り上げた。
あの腕で殴られれば、一撃で全てが終わってしまう。
「「「「「!!」」」」」
全員の背筋が凍りついた、その瞬間だった。
「お待たせ致しました。」
いつの間にか、桐生が男の左腕を掴み取っていた。
そして――
ドゴッ!!
容赦のない拳が、男の腹へ突き刺さる。
「グフッ……」
男の身体がくの字に折れ、そのまま崩れ落ちた。
ドサッ。
「「「「「……」」」」」
チョチョチョチョ
四人は忍足で、恐る恐る男から距離を取ると――
「「「「「はぁぁぁぁ……」」」」」
一斉に大きな息を吐く。
ようやく、生きている実感が戻ってきた。
「あ……君、大丈夫?」
最初に動いたのはリコだった。
投げ飛ばされた男の子へ駆け寄り、そっと声をかける。
「うん……」
男の子は小さく頷いた。
「桐生さん、ありがとうございます。すぐ来てくださって助かりました。」
セリナが頭を下げる。
「いえ。間に合って何よりですが……これは一体、どういう状況ですか?」
「「「「あー……」」」」
四人は同時に目を逸らしたその時。
「会えて嬉しいよ、桐生。」
いつ立ち上がったのか。
距離をとった男が薙刀を構え直し、踏み出した。
ダッ
薙刀が大きく弧を描き、横薙ぎに風を切る。
重い刃が唸りを上げ、桐生の胴を狙う。
シュッ
普通の剣士なら後退せざるを得ない一撃。
しかし桐生は一歩、
「お嬢様方、お下がりください。」
斜め前方へ踏み込んだ。
「ッ!」
男の目が見開かれる。
間合いを詰められてしまい、薙刀の穂先が桐生の背後を虚しく通り過ぎる。
その刹那、桐生の刀が鞘走った。
シュッ
男は咄嗟に柄を引いて防御に回すが、刀の切っ先が柄に触れる直前で止まる。
触れるまで、ほんの紙一重。
だがその一撃で、男の体勢は大きく崩れていた。
「ッ!!」
男が歯を食いしばり、薙刀を回転させて突きを繰り出す。
シュッ
桐生はわずかに体を捻り、刃を紙一重で躱すと同時に、男の懐へさらに滑り込んだ。
そのまま上半身を狙い、下から斬り上げる。
カッ
男は柄の石突で受け、反動を利用して薙刀を振り下ろす。
重い一撃が地面を叩き、石片を跳ね上げた。
ガガッ
しかし桐生はすでにその場にいない。
彼はーー
「また私の勝ちです、若草中佐殿。」
薙刀の刀身を踏みつけ、上に跳んでいた。
「くっ……!」
男が後退しようとするが、桐生がそれを許さない。
男が下がるより速く、
ガッ
刀を振り下ろし、男の首に打撃。
「がッ!!……」
男は屈辱的な表情を浮かべながら、地面へと倒れた。
ドサッ……
「峰打ちにしただけ感謝してください、外道。」
優雅に着地し、刀を収める桐生。
ここまでの動きといい、なんとも流麗だ。
「……トドメはいいのですか?」
伏した男を見て、雪乃が懸念する。
今のように、また起き上がり襲ってきたらたまらない。
「はい。この男には拷もん……取り調べを受けさせますので。もう完全に意識はありませんからご安心を。それよりも白峰様、お嬢様方に事情をお聞きましょう。」
「……そうね。」
雪乃がニコッと笑う。
いや、笑っているようで全然笑っていない。
「「「「き、桐生さんつよーい……」」」」
「ちゃんと、説明をお願いいたしますね。」
これは完全に怒っている顔だ。
「あ、あの……あたしが……」
ユキミは肩を縮こませながら事情を説明した。
虫に驚いたこと。
後ろへ転んだこと。
リコを掴んだこと。
その結果、全員で斜面を転がったこと。
話を聞き終えた雪乃は笑みをそのままに、眉間に皺を寄せる。
「そんな理由で私たちから離れたんですか?」
「「「「すみませんでした……」」」」
四人は膝をついて、綺麗に頭を下げた。
「もう……膝なんてつかないでください。」
雪乃は大きくため息を吐く。
だがその息には、怒りだけではなく安堵も混ざっている。
「……」
桐生はそんなやり取りを眺めつつ、男の子へ視線を向ける。
「そこまでは分かりましたが……その子は……」
じっと見つめられ、男の子は少し怯えた。
「ほら、何か言ってごらん。」
リコが優しく背中を叩く。
その声に押されるように、男の子は口を開いた。
「そこの人にいきなり連れてこられて、“父上”って叫ぶように言われました。嫌だって言ったのに、黒い服まで着せられて……」
「「「!」」」
雪乃、リコ、セリナが目を見開く。
「この子……若様と同じ声です!」
「なるほど……」
驚きが広がる中、桐生だけは妙に納得した様子で頷いていた。
「おかしいとは思っていました。どれだけ探しても紫水様のお姿がありませんでしたし、あの緑田さんがそう簡単にやられるはずがありません。」
「緑田さんは、そんなにお強いんですか……?」
「はい、私の次に強いです。私が入門するまで、緑田さんが剣術道場で一番の実力者でしたから。」
「緑田さんの自慢がしたいのですか?あなたの自慢をしたいのですか?」
「もちろん、緑田さんです。」
「……」
雪乃が渋い顔になるが、桐生は特に気にする様子はない。
「それはさておき……お嬢様方、これはお手柄ですよ。紫水様が捕まったわけではなく、“声の似た子ども”が利用されていたと分かったのですから。」
「えぇ。早く大旦那様へお伝えしなくてはいけませんね。」
雪乃は改めて、四人へ向き直った。
「皆様、ありがとうございました。おかげさまで、大旦那様にご安心していただけます。そして……先ほどは危険を顧みず、助けに入ってくださりありがとうございました。」
「「「「いえいえ……」」」」
四人は慌てて手を振った。
そんな彼女たちを見て、雪乃は少しだけ表情を和らげる。
「ですが。」
ぴしり、と空気が締まる。
「ここからは本当に離れないでくださいね。」
「「「「はーい……」」」」
ーーーーーー
「ガッ……!」
長髪の男は、真っ黒な髪を乱しながらよろめいた。
呼吸をするたび、胸の奥が軋む。
肋骨が折れているのは間違いない。
それもこれも、目の前に立つ金髪の男のせいだった。
優美な顔立ちからは想像できないほど、その実力は化け物じみている。
「ちきしょうが……」
男は歯を剥き出しにする。
周囲を見れば、連れてきた手下たちもほぼ壊滅していた。
墨男と木村によって次々と倒され、残っている人数もあと僅か。
時間の問題だった。
「君、色つきだろう。“ 黒”の色つきなんて初めて見たよ。」
「クソが……クソがクソがァ!!」
男は半ば叫ぶように吐き捨てる。
そして、少し離れた場所で紫月と斬り結んでいるエリアスへ顔を向けた。
「おい、エリアス!! ロメオがいるぞ!! こっちに加勢しろ!!」
だが。
エリアスは一瞥すらしなかった。
キィィィン!!
紫月との剣戟に没頭したまま、こちらへ関心を向ける様子もない。
「あの野郎!! 話が違ぇぞ!!」
男は怒鳴る。
ロメオはそんな彼を見つめながら、小さく首を傾げた。
「エリアス君に、何て言われて誘われたの?」
「あぁん!?」
「教えてよ。」
次の瞬間。
キンッ!!
ロメオの小刀が閃き、男の刀を容易く斬り飛ばした。
「なっ……!?」
真っ二つになった刃が地面へ突き刺さる。
ロメオは淡々と続けた。
「実力差がこれだけあるのに、君がまだ生きているのはどうしてだと思う?」
「っっっ!!!」
「僕、人を痛めつけるのは嫌なんだよ。」
穏やかな声だった。
だが、それが逆に恐ろしい。
追い詰められた長髪の男は、とうとうヤケになったように叫ぶ。
「お前と紫十郎を殺して、この国をぶち壊すって言われたんだよ!!俺も最初は馬鹿な話だと思ったさ!! だけどなぁ……初めてボコボコに殴られた後に、笑った顔で“きっと楽しいよ”なんて誘われちまったら断れねぇよなぁああ!!」
「……そんな理由か。」
ロメオの瞳の温度が、スっと下がった。
「ほかのメンバーも?」
「知らねぇよ!! 他の奴の事情なんざ!!」
男はじりじりと後退しながら、逃げ道を探していた。
(クソッ!!若草はどこいやがるッ!!まだ餓鬼のところか!?……餓鬼?)
ーーニヤッ
「そうだ、紫水が人質にいるぞ!! 俺が叫べば、若草って男があの餓鬼を殺す!!転がってたあの妙な女共と、追いかけた美人さんも若草に殺られただろうよ。それでも俺を――」
「そうか……」
「……あぁ?」
ザシュッ
「が……」
首から溢れる温かい血。
鉄臭くなっていく身体。
斬られた。首筋を斬られた。
あの金髪、躊躇わず斬りやがった。人質がいるのに。
「悪いけれど……君のために人質を殺すことを、エリアス君は許さないと思うんだ。それと、りこ達は無事だよ。桐生君を呼んでいたから。」
「……クソが」
ドサッ。
男はそのまま地面へ沈んだ。
「さて……」
ロメオは振り返る。
まだ数人、息のある男たちが残っていた。
「すみません殿下! もう片付きます!!」
墨男が叫ぶ。
四人いたうちの二人へ向かおうとするものの、
ドッ。
ドスッ。
ロメオの手刀が二人を一瞬で気絶させた。
「この四人は捕縛しよう。そっちの二人は頼んだよ。」
「は、はい!」
墨男は即座に残りへ飛び込み、まとめて制圧する。
「木村君、何か縛るものは持ってる?」
「はい! 拘束は私にお任せ下さい!」
「お手伝いします、木村様。」
その場を任せ、辺りを見渡すロメオ。
もう襲ってくる人間は見当たらないが……
(みんな……少し遅いんじゃないか?桐生君が負けるとは思えないけれど、もし紫水君を盾にするようなことがあれば……)
どうしても不安は拭えない。
しかし木村が、妙に落ち着いた声で言った。
「長髪の男はああ言っていましたが、中尉殿を呼んだなら皆様は無事ですね。あの人、仕組みは分からないんですけど……自分に助けを求められたら五秒以内に現れるんです。滅多なことがない限りは、まず間に合うでしょう。」
今はその“ 滅多なこと”ではないのかとツッコミたくなるロメオ。
「それに何となくですが、下から“ 良い殺気”を感じました。」
「“ 良い殺気”?」
「余裕がある際の殺気です。もし追い詰められていたり、相当怒っている状況なら、もっと肌にグサグサくるような殺気を放ちます。」
「すごいね木村君。そんなの分かるんだ。」
「はは……ただの危機察知能力ですよ。」
木村は遠い目で答える。
「あの人、強くて仕事もできますけど……怖いし、おっかないし、神経質で……」
「あぁ……そうなんだ。」
「いつも私は怯えているんです!!私がネブラの誘いを受けたと報告した際もですよ!?“ 少ない脳みそで考えた割には、いい判断です”って言われて!!返事を保留にしていた私も悪いですが、“すぐ断らなかった罰です ”って何発か殴られました!!オマケにこんな山での戦闘に無駄に重い刀まで渡されて!!もう辛くて辛くて……」
「えっと」
「この前だって、机が散らかっているだけですごく怖い顔で睨まれて……もう足音が聞こえただけでも恐怖が……」
(な、なんのスイッチが入ってしまったんだ……)
よほど不満が溜まっていたのだろうか。
木村はロメオの困り顔など全く気づかず、延々と話し続ける。
見合いの後はいつも機嫌が悪いだとか。
低血圧だから朝は怖すぎて話しかけられないだとか。
仕事が上手くいった時は褒めてくるから嫌いにはなれないとか。
奢ってくれるのはいいけれど、低カロリーなものしか注文を許してくれないだとか。
顔が無駄にいいから、恋文を沢山貰えてて羨ましいだとか。
それから程なくして、
「おーい!」
斜面の下から、複数の人影が現れた。
歩いて向かってくる桐生、雪乃、ユキミ、ミキ、リコ、セリナ。
「よ、よかった。みんな無事だったんだね。」
全員の無事と、木村の話からの解放に、
ロメオが安堵したように微笑む。
「はい。いくつかご報告したいことがあります。」
桐生がそう答えた、その時。
「そ、その方は……!!若草中佐殿ではないですか!!」
木村がぎょっと目を見開いた。
桐生の肩には、気絶したぐるぐる巻きの男が担がれている。
「報告がありますが……その前に。」
桐生は木村へ歩み寄ると、
ガシッ。
肩を強く掴んだ。
「木村くん。怖くて、おっかなくて、神経質とは……私のことですか?他にも色々とお話していたようですが……」
「す、すいません!!」
木村の顔が一気に青ざめる。
「ま、まあまあ。そのくらいにして。桐生君、報告を聞かせてくれるかい?」
「……失礼いたしました。」
桐生は一礼する。
「報告いたします。設置してあった銃火器を全て破壊した後、辺にいた黒服十八人を拘束。危険性の高い人物についてはその場で斬りました。そして……」
チラッと、リコへしがみついている男の子へ視線を向けた。
「藤堂紫水様と思われていた人物ですが、声のよく似た無関係の子どもと判明。恥ずかしながら………深碧軍中佐の若草があの少年を攫い、脅して叫ばせていたようです。」
「そうだったのか……」
ロメオは静かに頷いた。
「報告ありがとう。」
「とんでもございません。」
ちょうど報告が終わったタイミングで、
「おぉ、ロメオ!! こっちは終わったぞ!!」
豪快な声と共に、紫十郎がズカズカと歩いてきた。
その姿は相変わらず血塗れだったが、まるで気にした様子もない。
むしろ、先ほどより元気になっているようにすら見えた。
「よかった、紫十郎さん。ちょうど桐生君から報告を……」
「ん……?」
紫十郎は、桐生の姿を見るなり顔色を変える。
「桐生!! 紫水は見つかったのか!?」
「その件ですが……紫水様はここにはいらっしゃいませんでした。この子どもが――」
「なにぃいいいい!?」
桐生の話を最後まで聞かず、紫十郎が叫ぶ。
「なら何故ここで呆けているんだ!! 俺はそんな小僧を知らんぞ!!紫水はもっと目が大きくてだな!!」
「紫十郎さん。いたのは紫水君ではなく、声の似た子どもだったんですよ。恐らく、エリアスが考えた罠です。」
慌ててロメオが間に入るものの、
「なにぃぃぃぃぃいいいいいいいいい!?!?」
さらに声量が増す。
「あの小僧ォオオオ!! どこまで俺を苛つかせやがる!!!ぶっ殺してやるわ!!!」
((((((((うるさい……))))))))
「……あぁ、すまん。」
皆が渋い顔をしていることに気づき、紫十郎は咳払いをした。
「桐生、よくやった。」
「いえ。事実を見つけたのは私ではなく、お嬢様方です。」
「なんと……」
紫十郎が驚いたように四人を見る。
(((ふっふーん。)))
その視線を受けたユキミたちは、何となく背筋を伸ばした。
「何故お前たちがここに?」
「それは話せば長くなりそうなので、帰ってからにしましょう。」
ロメオが苦笑混じりに言う。
「それよりも――」
キィン!
キィィイイン!
全員の視線が、自然と同じ場所へ向く。
そこでは今なお、紫月とエリアスが激しく刃を交えていた。
銀色の刀身が閃くたび、紅い火花が夜に咲く。
「あとは、あの二人の戦いです。」
「よし、俺も加勢に行く。」
紫十郎が即座に歩き出そうとする。
だが、
「お待ちください、大旦那様。」
墨男が前へ出て、その行く手を遮った。
「この戦いは、姫様の真剣勝負なのです。どうか……介入はお辞めください。」
「俺の邪魔をするのか、墨男。」
「心配するお気持ちは分かります。ですが、もっと姫様の戦いを見ていただけないでしょうか。」
紫十郎は不満げに眉をひそめる。
「見てどうなるというのだ?」
しかし。
再び視線を紫月へ向けた瞬間、その表情は大きく変わった。
キィイイン!!
シュッ!!
「……紫月が、笑っている?」
「はい。」
「もう、笑えるのか……?」
「はい……!!」
笑顔を失い、いつも心を閉ざしていたあの娘が。
「笑えるようになったのか!!紫月!!!」
今は晴れやかな顔で、楽しそうに。
エリアスとの斬り合いに興じている。
頬を染め、汗で額を濡らし、呪いから解き放たれたように、生き生きと。
「あの顔で刀を振る姫様が負けることなどありえません。思い出してみてください。姫様が初めて大旦那様から一本取ったあの時と、同じ表情ではありませんか。」
「……そうか。」
紫十郎は涙を堪えながら、呟く。
「確かに、あれほどの勝負をする二人に割って入るのは無粋というものだな。」
キィン!
ギチッ……!!
紫月の笑顔の理由を、
彼女をよく知る紫十郎と墨男は理解していた。
サッ
キィイン!
だが。
彼女を“最も”理解しているのは、そのどちらでもない。
キィイイン!
シュシュッ
それも当然のことだった。
今、紫月が感じている高揚。
胸を打つ昂ぶり。
全身を巡る熱。
刃を交える喜び。
その全てを理解できるのは、全く同じ感覚を味わっている者だけ。
そう。
今この瞬間、誰よりも紫月を理解しているのは……
「はは……!!」
エリアスなのだから。




