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お昼の時間です  作者: ゴマサバ
第一の世界
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33/36

銀色の刃



「……綺麗だ。」


ロメオが零したその言葉は、夜風に攫われることなく、しっかりと紫月の耳へ届いていた。


「えっ……」


途端に、紫月の顔がふわっと赤く染まる。

先ほどまで涙で濡れていた瞳まで、今度は羞恥で潤み始めていた。


その様子を見ていた墨男は、僅かに眉を動かす。


「……」


「あら、墨男。どうしたの?」


隣に立つ雪乃が、面白そうに首を傾げた。


「いえ……なんでもございません。」


「まぁ。ヤキモチ妬いているのね。」


「ゆ、雪乃様!!」


あまりにも分かりやすい反応だった。


雪乃は堪えきれず、くすくすと笑う。


墨男は気まずそうに目を逸らした。


その空気を変えるように、セリナがパン、と手を叩く。


「じゃあ、みんな揃ったし、もう下山でいいのかな?」


その瞬間だった。




「「「「「「「……」」」」」」」





全員が、一斉に黙り込む。


「……え?」


セリナが目を瞬かせた。


ユキミ、ミキ、リコは、どうすべきか分からないから。

紫月とロメオは、エリアスの危険性を知っているから。

そして雪乃と墨男は、胸の奥に引っかかる何かを感じていたからの沈黙だった。



「……泣くよ?」


セリナが半眼で呟いた、その時。


「あら……そうです、大旦那様は……?」


雪乃の一言に、


「「「「「あっ」」」」」


その場の空気が固まった。


言われてみれば。

あれほど娘に過保護な父親が、この場にいない。


「そうです!!」


墨男が弾かれたように顔を上げる。


「大旦那様は、まだエリアス・カルミナと交戦中です!!」


「なんだって!?」


ロメオの顔色が変わった。


「すぐに加勢に……!!」


動き出そうとした、その時。


「待ってください。」


急ぐロメオを、紫月が制した。


「お父様なら、しばらくは殺されたりしません。」


「なぜ、そう言い切れるんだ!!」


焦りを滲ませるロメオに対し、紫月は冷静だった。


「理由は二つあります。一つは単純に強いから。もう一つは、私がこの場にいるからです。」


「一つ目は分かるけれど……二つ目のはどういう意味だい?」


ロメオは眉を寄せる。


紫月は淡々と続けた。


「教会での戦いを見ての判断ですが……エリアスさんは卑怯な手でも使わない限り、お父様には勝てません。そして、その“卑怯な手”とは……私を人質にするか、私の死体を見せるか。そのどちらかのはずです。」


「紫月さん……」


「お父様の愛が……ようやく分かったんです。私はもう、死ぬ気はありません。」


「……」


ロメオは素直に驚いた。

少し前まで曇っていた彼女の瞳は、今はまっすぐと澄んでいたから。


「……エリアス君は複数で、紫十郎さんに挑んでいるかもしれないよ。」


「えぇ。その可能性はあります。そうなればお父様とはいえ、危険はかなり大きいです。」


紫月は頷いた。


「ですが、それでも易々と負けるお父様ではないと、私は思っています。だからこそ、無計画に動くより……まず皆さんの行動を決めるべきだと判断しました。」


ロメオは短く唸る。


「……確かに。焦って動けば、この山からの生還自体が難しくなりそうだね。」


二人が考え込む中、紫月は一度周囲を見渡した。


「とりあえず……ミキさん、リコさん、セリナさんはこの山に来た人員とユキミさんで、先に下山させましょう。これ以上、危険な目に遭わせる訳にはいきません。」


「下山には反対です。」


突然、木陰から声が飛んだ。


全員がそちらを見る。


背の高い木の下から現れたのは、二つの人影。


「桐生君と……木村君じゃないか。」


ロメオが目を細める。


「リコ達がここへ来ている時点で、君か緑田さんがいるだろうとは思っていたけれど……どこに行っていたんだい?」


「“今いいところだから、誰にも邪魔されないよう周囲を見回っていろ”と命じられていましたので。」


桐生は淡々と答えながら、ちらりとミキ、リコ、セリナを見る。


「だって、いい雰囲気だったんだもん……」


ミキが唇を尖らせる。


「「うんうん。」」


リコとセリナも頷いた。


ロメオは苦笑する。


一方、紫月は桐生へ向き直った。


「……反対する理由を聞かせてください。」


「はい。」


桐生は静かに頷く。


「理由は、(ふもと)から“臭う”からです。」


「臭う……?……確かに、煙臭さは感じていましたが……」


その瞬間。


紫月とロメオが、同時にはっとする。


「野焼きではなかったのですね……」


「エリアス君が逃げ道を塞ぐために、山に火を放った可能性が高いね。……でも、それにしては匂いが弱くて……変に焦げ臭いような……」


ロメオが険しい顔をした。


「え、におい?」


リコが鼻をひくつかせる。


「ウチ、全然分かんない。セリナは分かる?」


「いやぁ。私も鼻はいい方だけど……」


セリナも首を傾げた。

だが、


「……いや。」


セリナの表情が変わる。


「確かに少し、焦げ臭いかも……。そういえばお屋敷で、“体に火のついた人間が侵入した”って言ってたよね。あれだったりして。」


「「「「!!」」」」


紫月、ロメオ、墨男、雪乃が一斉に桐生に視線を向ける。


「はい。」


桐生は頷いた。


「緑田さんから、藤堂邸襲撃時の状況は大まかに聞いています。この肉の焼けるような臭いと合わせて判断して、私も青の御方と同じ考えです。」


彼は、煙の流れてくる方向へ視線を向けた。


「ネブラ末期症状者による焼身。それが原因でしょう。匂いが弱いのは……雨で湿度が高く、まだ周囲には燃え広がっていないからかと。」


「なるほど……末期症状の方々を利用して、これからエリアスさんがどう仕掛けてくるか……」


紫月は深刻な表情で呟いた。

湿った夜風の中、彼女の声だけが妙に重たく響く。


桐生は周囲へ警戒を向けたまま、低い声で続けた。


「大量の爆弾を抱えた状態で焼身させる手を利用するかもしれません。もし、そんな人間が何人もいれば……私一人でお嬢様方をお守りするというのは、少々厳しいです。私の部下がもう少し使えれば良かったのですが……」


「す、すみません……」


パワハラ上司の冷たい視線に、木村がペコペコと頭を下げた。




「……」


紫月は雪乃、墨男、木村へと目を配らせる。


(確かに……三人とも訓練は受けているけれど、命を惜しまない攻撃をする相手を対処するのは難しいでしょうね……特に墨男と雪乃は接近戦が得意だから……)


では、ロメオも共に下山させるべきか。

だが、その考えはすぐ別の不安へ繋がる。


(……ロメオさんは明確に命を狙われている……共に動けば、ロメオさんにも皆さんにも危険が増えるかもしれない……)


悩む中で、ロメオが小さく息を吐いた。


「……エリアス君なら爆弾を抱えて特攻させるくらいのことは、顔色ひとつ変えず命じられるだろうね。」


「私も……そう思います。」


「今のままだと桐生君の負担が大きい。僕か君がついて行こうにも、エリアス君がその状況を許すわけがないから危険性が強まる可能性が高い。かと言って全員で一旦下山をして、また山に入るような時間はない。となれば……だよ。」


「全員でエリアスさんの元へ向かう……ですか。」



もしかすれば、この選択こそが最も危険が大きいかもしれない。

なにしろ、相手はあのエリアスなのだから。



「この場にリコ達と桐生君を残す手もあるけれど、どうせこの山にいるのなら目の届く範囲にいてもらった方が僕らも安心できるんじゃないかな。」


「それは……そうですが……」


「君の気持ちは分かるよ。僕も正直……不安だから。」


ロメオは少しだけ考え込み、それから顔を上げた。


「だけど、今の僕と紫月なら何とかなるかもしれない。そんな気もするんだ。」


「……ロメオさん……」


「一緒に戦おう。危ない時は僕が君を守るから、君も僕を守ってほしい。」


「……」


紫月は考える。


エリアスという男は、策を巡らせ、人を動かし、状況そのものを支配してくる相手だ。


一方、ロメオという男は、頭は回り、戦闘力は申し分なく、仲間にいればこれほど心強い人物はいない。


そんな彼が守ってくれる。


ならば。


「……そうですね。司令塔のエリアスさんが生きている限り、分断は避けた方がきっと賢明でしょう。それに何故か……ロメオさんの言う通り、何とかなりそうな気がします。」


「でしょう?」


二人はは微笑み合うと、紫月はミキ達四人へ振り返った。


「ついてきていただけますか。皆さんのことは、私とロメオさんが必ず守りますから。」


その瞬間。


「「「「すいません……」」」」


四人は揃って肩を縮めた。


申し訳なさそうに眉を下げる姿に、紫月は小さく笑う。


そして、ふるりと首を横に振った。


「私は……皆さんが来てくださって、嬉しかったです。なので、そんな顔をしないでください。」


「「「「紫月さーん……」」」」


今度は四人揃って目を潤ませる。


「ふふ……」


そっくりな顔をする四人が面白くて、ロメオが小さく笑った。





「あの……姫様……」


雪乃が紫月の前へ出る。


「申し訳ございません、私共にもっと力があれば……」


「いいえ、雪乃。あなたは皆さんをここまで守ってくれました。十分すぎる働きですよ。ここからもまた、頼みます。」


「……はい。」


雪乃は深く頭を下げた。

その瞳には、僅かな安堵が浮かんでいる。




「姫様、こちらを。」


「ありがとう、墨男。持ってきてくれていたのね。」


墨男が差し出したのは、艶のある黒鞘に収まった一振りの刀だった。


「姫様……エリアス・カルミナと刃を交えるおつもりですね。」


「えぇ。私がすべき本当のケジメは……エリアスさんを斬ること。あなたも、そのためにこの刀を持ってきてくれたのでしょう?」


「……違います。」


墨男は顔を少しだけ伏せた。


「この刀は……姫様の護身用に持ってきたものです。私が死んだ時、姫様を守ってくれるよう……姫様が一番使い慣れた刀を選んだだけのこと。本当のことを言えば……私は……姫様に戦って欲しくはありません……」


「墨男……」


彼の手は震えていた。


紫月の護衛であるはずの、自分の不甲斐なさに。

愛する女の決意を鈍らせることを言うような、己の女々しさに。



「……心配してくれてありがとう、墨男。それでも……私は戦うわ。」


「……」


「だから“ 約束”しましょう。私は絶対に負けない。必ず勝って、帰ったらあなたの作った練り切りを食べるの。」


「!」


墨男がはっと顔を上げる。


「また……作ってくれる?」


「っもちろんです……」


掠れそうな声で、墨男は答えた。


「姫様が……望んでくださるのなら……何百個であろうとお作りします……」


「ありがとう。だから墨男も死んじゃダメよ。」


「はい……“ 約束”します……次こそは必ず……お守りさせていただきます……」


「では、短剣を出して。」


「……はい」


墨男が懐から短剣を抜く。


紫月もまた、受け取った刀をわずかに抜き放った。


キィン


澄んだ音が、夜の森へ静かに響く。


刃と刃を打ち合わせるその所作は、“金打(きんちょう)”と呼ばれるもの。

決して破らぬ誓いを交わすための、古い約束の形だった。



「絶対に……守る。」


誰に向けた言葉だったのか。


自分自身か。

仲間たちか。

それとも、これから斬る相手か。


紫月は固い決意をし、エリアスがいる方へと目を向ける。


危険の香りが濃い、夜の森。

あの奥には、血に飢えた獣のような男が待っている。


状況は何一つ好転していない。


それでも。


「では、行きましょうか。」


そう告げて刃を収める彼女の表情は、これまでとは違っていた。


まるで、長い雨が止んだ後の夜空のように、静かに晴れていた。








ーーーーーー






「ふん。ここまで俺の相手ができたことは褒めてやろう。」


荒れ果てた森の中で、藤堂紫十郎は重く息を吐いた。


周囲には斬り倒された木々が幾重にも転がり、地面は無残に抉れている。まるで大型の獣同士が暴れ回った後のようだった。


対するエリアスは、血塗れになった自らの身体を見下ろしながら、恍惚とした笑みを浮かべる。


「ふふ……ありがたき幸せ。」


裂けた神父服。切り傷だらけの腕。流れる赤い血。


それら全てを、愛おしむように眺めていた。


「あぁ……このワタシが、これだけ追い詰められるなんて……」


「気持ちの悪いやつだ。」


紫十郎は露骨に眉をしかめる。


「ッチ……」


苛立たしげに舌打ちし、腕から流れる血を乱暴に拭った。


(この俺が傷をつけられるとは……)


それが何より癪だった。


当初は、圧倒的に紫十郎が優勢だった。力も速度も、一撃の重さも段違い。正面から斬り合えば、エリアスが押し潰されるのは時間の問題に思えた。


だが。


長引く戦闘の中で、エリアスは見つけてしまったのだ。


藤堂紫十郎という男の、致命的な欠点を。


「そう言わないでください。」


エリアスは口元を歪める。


「ワタシはこれから、あなたの娘さんと運命を共にするんですよ?」


「許さん。」


「お義父さんの元へ挨拶に行く男は、こんな気持ちだったのですね。結婚する気はありませんでしたが……知れて良かったです。」


「まだおちょくるかぁぁぁああああ!!!」


怒号と共に、紫十郎が踏み込む。


ドゴォ!!


ビュンッッッ


一直線の斬撃。

暴風のような一撃を、エリアスは紙一重で躱した。


そして。


ザッ。


くるり、と身体を翻しながら、紫十郎の脇腹へ浅く刃を走らせる。


「ッちィ!!!」


赤い線が走り、血が散った。


「ほら、また単調になっていますよ。」


「うるさぁぁぁあああいいいい!!」


頭に血管が浮き出る紫十郎。

そう、この男はとにかく煽りに弱かったのだ。


エリアスはそこを徹底的に突いていた。


「国のトップなのですから、もう少し辛抱というものを覚えましょうよ。」


「お前のそういうところが、藤波や青木の連中にそっくりで苛立つんだよぉおおおおおお!!!!」


藤波家と青木家。


どちらも、顔を合わせるたびに嫌味を飛ばしてくる、紫十郎にとって天敵のような家柄だった。


陰湿。

皮肉屋。

ねちっこい。


その嫌な部分だけを凝縮したようなエリアスを前にして、短気な紫十郎が冷静でいられるはずもない。


「うがぁああああああ!!!あいつら、いつかぶっ飛ばしてやるぅううううううう!!!」


横薙ぎの一閃。


エリアスは跳躍して避けた。


ドサァッ!!


代わりに背後の大木が、まるで柔らかいバターのように真っ二つになる。


エリアスは空中で身体を捻り、倒れゆく幹を蹴った。


そのまま紫十郎の頭上へ急降下する。


「小器用な真似を!!」


剣が振り下ろす寸前。

エリアスは、紫十郎の顔を見て思った。


(あの子が単細胞気味なのは、この人からの遺伝だろうなぁ。)


顔立ちは全く似ていない。


だが、流れる血が同じなのだと思うと、つい笑みが零れる。


「ふふ……」


「俺の顔を見て笑ったかぁあああああああ!!!」


キィイイイン!!


激突。


エリアスの剣を、紫十郎は真正面から受け止めた。


「ったぁぁあああああ!!」


そのまま力任せに押し込み――


パキンッ。


エリアスの剣が砕けた。


「っ……!」


折れた刃が夜空へ舞う。


そして、紫十郎の刀がエリアスの顔面へ迫った。

その稀有な美貌を、頭蓋ごと叩き割る軌道。


だが、その直前。


「馬鹿。」


「はぁぁああああ!?……ッガ!!!」


エリアスの蹴りが、紫十郎の顎を真下から打ち抜いた。


衝撃で頭が跳ね上がる。


その隙にエリアスは強引に体勢を崩し、斬撃を回避した。


ピュッ!!


髪が数本、宙を舞う。


ドサッ。


着地したエリアスは、荒い呼吸を漏らした。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


白い肌を、赤い血が伝っていく。

かち割られはしなかったが、頬から顎にかけて浅く斬られていた。


「ッッチィ!!!」


対して紫十郎は舌を少し噛んだらしく、不機嫌さをさらに増していた。


「ッテェ……」


「……あんな悪口に反応しなければ、先ほどの蹴りぐらい避けられたでしょう。」


「俺を馬鹿だと言ったなぁ?首ひとつで許してやる。」


「いいですよ。」


エリアスは、にこりと笑った。


「あなたの……いえ、殿下の首をプレゼントしましょう。自分の首だと、プレゼントにはなりませんからね。」


「殺す。」


紫十郎が、一歩踏み込む。


その時だった。


「父上!!」


「!?」


森の奥から響いた声に、紫十郎の動きが止まった。


ほんの、一瞬。


だが。


その隙は致命的だった。


バシュッ!!


「っ……!!」


エリアスの斬撃が、紫十郎の上半身を深々と裂く。


ボタボタ、と大量の血が零れ落ちた。


「グフッ……」


「ふふ……」


エリアスは妖しく笑う。


「何故ここに紫水がっ……」


「どうしてでしょーねぇ。」


ケラケラケラケラ。


邪悪な笑い声が森へ響く。


「どうしてこの場所に娘さんしかいないと思ったのでしょうか。逃げた先が分かっているのだから、連れてくることなんて容易だと考えなかったのですか?」


「馬鹿な……緑田は何を……」


「死んでるんじゃないですか、きっと。」


エリアスは剣を指先でなぞる。


だが、その刃に血はついていない。

紫十郎を、血が乗る間もない速度で斬り裂いたのだ。


「父上!たすけッ……」


「紫水!!どうしたんだ紫水!!」


紫十郎が叫ぶ。


しかし返事はない。


「大丈夫。」


エリアスは穏やかに笑った。


「手で口を塞いだだけですよ。まだ危害を加えたりはしません。“まだ”、ですがね……」


「クソったれがぁぁああああああああああああ!!!」


紫十郎の怒号が夜を震わせる。


「息子さんの寿命を一秒でも伸ばしたいなら、そこで大人しくしていてください。」


エリアスはくるりと身体を反転させる。


「いえ……邪魔しないでくださいねッ」


キィイイイイイン!!


鋼同士が激突した。


「待っていましたよ。」


とろけるような笑み。


その前で、紫月が剣を構えている。


「お見事です。お待たせ致しました。」


不意打ちを受け止められたにも関わらず、紫月の瞳は静かに鋭く光っていた。


ダッ


二人は後方に跳躍し、距離をとる。


「紫月!!お前っ……」


娘の姿を見た瞬間、紫十郎の顔色が変わった。


怒りでも驚きでもない。

安堵と焦燥が一気に押し寄せたような表情だった。


「お父様、遅くなり申し訳ございません。」


「お前は無事で良かったが……紫水が、紫水が人質に取られているんだ!!!」


「紫水が……?」


紫月は訝しげにエリアスを見つめた。


エリアスは微笑んだまま、肩を竦める。


「お義父様がワタシたちの邪魔をしなければ、傷つけたりしません。」


「……お父様、どうかそのままで。」


紫月は静かに告げた。

だが内心では、驚きを隠せずにいる。


(紫水は、お父様が信頼できる人に預けていると思っていたけれど……まさか、ここに連れてこられていたなんて……)


エリアスへの警戒度が、一段階跳ね上がる。


どこまで先を読み、

どこまで手を伸ばしているのか。


まるで底が見えない。


そんな紫月を見ながら、エリアスは満足そうに頬を染めた。


「……早速、始めましょうか。」


「……その前に、これを。」


紫月は一本の剣を差し出した。

エリアスが少し前に、自分へ渡したロングソードだ。


「……」

エリアスは少し意外そうに受け取る。


「やはり、私に西の剣は合いません。」


「そんなことはありません。良い一撃でしたよ。」


「ですが……私にはこちらがありますので。」


紫月は背中に背負っていたものを静かに下ろした。


艶やかな漆黒。

その黒の上へ、藤の花が鮮やかに咲いている。


鞘だけでも、不思議な存在感があった。


「なるほど……それがあなたの愛刀なのですね。」


「はい。」


紫月は柄へ手を添える。


「東統戦争でも使用した私の刀、“藤月(とうげつ)”です。」


スゥ――


刀身が鞘から抜き放たれる。


月光を浴びた鋼が、冷たい銀色に輝いた。

それは、まるで夜空の星を切り取ったように美しい。


「その刀で、何人斬りましたか?」


エリアスがうっとりと尋ねる。


「何千人も斬りました。おそらく、ロメオさんよりも多いでしょう。」


「ふふ……それだけ命を奪ったのなら、呪い一つでもかかっていそうだ……」


「えぇ。」


紫月はあっさり頷いた。


「きっと私は……死ねば地獄行きです。」


そう言って、少し離れた木へ鞘を立てかける。


そして両手で藤月を構えた。


無駄も隙もない、完璧な構え。

そこから漂う圧は先ほどまでとは別人のようだ。


「……」


エリアスもまた、剣を構える。

しかし、その顔には微かな違和感が浮かんでいた。


「……何か言いたいことがあるなら言ってください。」


紫月が問いかける。


「んー……」


エリアスは首を傾げた。


あれほど望んでいた紫月との対峙。

それなのに、どこか不満そうだ。


「なんと言いますか……変わりましたね。」


「そうでしょうか。」


「ワタシはてっきり……殿下の励ましも耳に届かず、泣いて戻ってくると思っていましたから。」


その言葉に、紫月は少しだけ目を伏せた。


「……きっと、ロメオさんが叱ってくださらなければ……予想通りになっていたと思いますよ。」


「叱る……?」


エリアスが目をぱちくりさせる。


「あのロメオ殿下が、あなたに?」


紫月は頷いた。


「“暗い”だとか、“後ろを向いていて楽しいのか”とか、“もう少しリコさん達の楽観的な部分を見習うといい”とも言われました。」


「なにぃいいいいいいいいい!!!」


突然、紫十郎が爆発した。


「ロメオォオオオ!!あいつ、紫月にそんな事を言ったのかぁぁぁああああ!!」


「お父様は大人しくしていてください!!傷が開きますよ!!」


「……」


娘に怒られ、紫十郎はしゅん……と萎んだ。


紫月は小さく咳払いし、改めてエリアスへ向き直る。


「ロメオさんに言われて、妙に吹っ切れたんです。ずっと後ろばかり向いていては、“生きている”とは言えないって。その通りだと思いましたから。」


「……」


エリアスは不思議そうに彼女を見る。


「あなた、あれだけワタシに虐められて泣いていたのに……叱られたぐらいで立ち直るとは、単純ですね。」


「それは……」


紫月は少しだけ困ったように笑った。


「お父様の子どもだからかもしれません。」


「でしょうね。」


互いに、一歩前へ踏み出す。


湿った土を、確かめるように踏みしめながら。


「それで、殿下はどちらに?」


エリアスが、何気ない雑談でもするような口調で尋ねた。


紫月はきょとんと目を瞬かせる。


「え、私の後ろにいませんか?」


そう言って振り返った、その瞬間だった。


キィィイイイイン!!


火花が夜闇へ散る。


エリアスの剣が、既に紫月の喉元を狙っていた。


「っ……!」


紫月は反射的に刀を持ち上げ、刃を受け止める。


先ほどまで紫十郎と斬り合っていたとは思えないほど、鋭く速い一撃だった。


「傷ついた父君が見えて全力で走って来たら、殿下とその仲間たちを置いてきてしまった……と、いったところでしょうか?」


ギリギリと刃を押し込みながら、エリアスは笑う。


「そ、それは……」


紫月の眉がわずかに動いた。


「……頼れる人達と一緒ですから、心配はいりません。」


「なんだ、図星ですか。」


キシッ。


互いに刃を滑らせるように、同時にゆっくり後ろへ引き下がる。


「……」


「……」


エリアスも、紫月も、殺気を放たない。


呼吸すら薄く、足音すら曖昧に、まるで夜そのものへ溶け込むように間合いを詰めていく。


「……」


「……」


トッ。


緊迫した中、先に動いたのはエリアスだった。


狙いはシンプルに、紫月の首。


シュッ!!


横薙ぎの一閃。

墨男や雪乃が相手であれば、この一撃で勝負が決まるほどの剣速だ。


だが。


スッ。


紫月は膝を折るようにしゃがみ込み、その刃を紙一重でやり過ごす。


同時に。

下から昇るような軌道で、刀を振り上げた。


ヒュッ!!


エリアスは上体を逸らして回避する。

さらにそのまま、くるりと空中で一回転し、


トサッ。


軽やかに着地すると、間髪入れずーー


スッッ


突きを放つ。


キィィン!!


これを紫月は片手平突きで相殺、いやーー

押し返した。


「っっ!!」


あまりの衝撃に、エリアスの身体が後ろへ崩れる。


その隙を、紫月は逃さない。


即座に刀を振り上げ、そのまま振り下ろす。


ギィィン!!


キュイ


エリアスは剣で刀を押さえつけ、その反動で何とか体を回転させた。


「はぁ……はぁ……」


命の糸に、何度も刃が触れた感覚。

あまりの剣技を前に、ほんの数秒の動きで呼吸が荒くなる。


紫月はそんなエリアスを静かに見つめ、首を傾げた。


「エリアスさん、そんなものですか。」


「……なんですって?」


エリアスの右眉がぴくりと動く。


「何が気に食わないのか分かりませんが……集中していませんね。」


「何を……」


「互いの魂を感じながら、骨の髄まで。そう、おっしゃっていましたが……何も感じません。もっと本気できてください。」


「っっ!!!」


瞬間。


エリアスの内側で、何かが爆ぜた。


ドンッ!!


地面を砕く勢いで踏み込み、紫月との距離を一気に詰める。


ブンッッ!!!


空気を斬る音。


まっすぐ。

本当に真っ直ぐな、美しい一太刀だった。


だがーー


キィン!!


「ぐぁっ!!」


紫月は最小限の動きで受け流し、それどころか(あばら)へ膝蹴りをいれる。


ドンッ!!


エリアスの身体は吹き飛び、大木へ叩きつけられた。


「ぐっ……」


肺が悲鳴をあげながらも、顔をあげるとーー


キィン。


目の前に、銀色の切っ先があった。


「終わってしまいますよ。」


「ならっ……さっさと斬ればいいでしょう!?」


エリアスが睨みつける。


だが、紫月は無表情のまま。


「……嘘だったんですね。」


「はぁ……?」


エリアスが眉を寄せた、その時だった。


「エリアスさんはどうして、剣を握ったのですか?」


シュッ――







銀の刃が、落ちた。








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