月の行方
ルーメン教会は山のてっぺんに建っています。
山の麓では日繁の領民が野菜や果物を作っており、エリアスは暇があれば手伝いに行っています。
「どうして、僕と生きる道を選んでくれないんですか。」
ロメオは怒っているようで、悲しんでいるようで、苛立っているようで、泣いているようだった。
握っていた銃をゆっくりと下ろした彼の瞳は、真っ直ぐに紫月を射抜いていた。
紫月は、その視線を受け止めきれず、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
「……」
わずかに震えたあと、彼女は小さく唇を噛んだ。
「もう……いいんです……何もかも……」
その声は、どこか壊れかけたガラスのように脆い。
その様子を見て、エリアスがくすりと笑った。
「振られてしまいましたね、殿下。」
「……君に僕たちの関係を言われる筋合いはない。」
「フフ……珍しく辛辣ですね。」
エリアスは楽しげに目を細めると、再び紫月へと視線を向ける。
そして、構えていた剣を一度下ろした。
「あなたはワタシを選んでくださった。そうですよね?」
「……はい。」
紫月は、迷いながらも頷いた。
「……」
ロメオの胸の奥で、何かが軋む。
「紫月さん、その男はこの教会でネブラを生成していました。この国に、それを蔓延させようとしていたんです!あなたにはそれが許せるんですか!!」
声が響く。
教会の高い天井が、その怒りを反響させる。
エリアスは肩をすくめた。
「フフ……その証拠は?」
「この教会には祈る場所がもう一つある。東の人間が利用する東殿だ。そこでネブラの原料となる花が咲いていたのを見た。大方、西の植物を知らない者たちを利用して育てていたんだろう!」
「なるほど。」
エリアスは、ゆっくりと頷いた。
「あなたは婚約者の身の安全よりも、ワタシを追い詰める材料探しを優先したということですね。」
「――!」
ロメオの表情が一瞬、揺らぐ。
「そうでしょう?ワタシなら、愛する人の危機には何を差し置いても駆けつける。ですがあなたは……実に“良いタイミング”でしか現れなかった。物語のクライマックスのような……良いタイミングで。」
その皮肉は刃よりも鋭く、ロメオの胸に突き刺さる。
「っ……」
ロメオは紫月を見る。
だが彼女は――ただ、悲しげな顔のまま動いていなかった。
「ロメオ殿下。あなたがなぜ選ばれないのか、分かりますか?」
「僕が……?」
考えるロメオ。
「僕は……理屈や綺麗事ばかり……だから……」
「それもありますが……もっと大きなものが欠けています。」
エリアスは微笑んだ。
だがその笑みは、慈愛ではない。
「ウフフ……」
人を馬鹿にしたような、下に見るような、哀れむような……禍々しいものだった。
「“情熱”ですよ。」
「情熱……?」
その言葉は、ロメオの中で重く沈む。
「あなたには優しさも、覚悟も、信念もある。ですが“情熱”がない。それでは、女性の心は動きませんよね。」
ロメオは何も言い返せなかった。
自分の姿を思い返す。
いつも冷静で、整っていて、涼しい顔ばかりしていた自分。
「君には……その情熱があるのかい?」
「ええ、ありますとも。」
エリアスの瞳が、異様な熱を帯びる。
「彼女に斬られたい。彼女を感じたい。彼女と刺し違えて死にたい。――ワタシは、もう彼女にしか興味がない。」
恍惚とした表情。
それは愛にも似ていて、しかし決定的に歪んでいた。
ロメオは、深く息を吐いた。
「……お礼を言うよ、エリアス君。僕に足りないものを教えてくれてありがとう。」
「どういたしまして。これでお話も最後ですね。」
「ああ。」
ロメオは銃を床に捨てた。
ガサッ
そして腰の剣を抜く。
ギィン
金属の擦れる音が、空気を張り詰めさせた。
「もう終わらせるからね。」
「ロメオさん……!!」
紫月が叫ぶ。
「私のことはいいので戻ってください!あなたが傷つく必要はありません……!!」
「紫月さん。」
ロメオは、まっすぐに彼女を見る。
「僕が妻となる女性を置いて、大人しく帰るとでも?」
「私との婚約なんて……きっとお父様やエドワード様が何とかしてくれます!当主の座なら紫水がいます!ロメオさんだって、私みたいな女より、もっと素敵な方と幸せになったほうがっ……」
「君は何も分かっていない。」
「どうして……」
紫月は息を呑んだ。
「お二人とも、もう時間です。」
エリアスが静かに告げる。
「話し合いを見届けたいところですが……あまり遅いと追手に邪魔をされてしまいます。」
「追手?それなら僕に案内人をよこしたのは、どういうつもりだったんだい?」
「殿下が一番の障害だったので、早めに片付けておこうと思ったのです。」
エリアスが剣を構える。
ロメオもまた、刃を持つ手に力を込める。
「待ってください……!どうしてエリアスさんとロメオさんがっ」
「安心してください。」
エリアスは紫月に笑った。
今度は、純粋な笑顔で。
「あなたとの心中は、必ず果たします。」
「そうじゃなくて……!」
紫月の声が震える。
「ロメオさんを、傷つけないでほしいんです!ロメオさんは巻き込まないで……」
「……分かりました。」
エリアスは軽く頷いた。
そして、手を三度叩く。
パン、パン、パン。
次の瞬間――
パリン!!
窓ガラスが砕け散る。
夜の空気と共に現れたのは、巨体の男。
その腕には――
「ユキミさん……!!」
縄で拘束され、刃を首元に当てられたユキミの姿があった。
意識はないが、呼吸はある。
どうやら気絶しているようだ。
「ワタシたちの戦いを邪魔すれば、あの者を殺します。」
「そんな……どうして……!」
もう紫月の声は届かない。
すでに、戦いは始まっていた。
エリアスが踏み込む。
ロメオが迎え撃つ。
ギィイン――!!
刃と刃が激しくぶつかり合い、火花が散る。
「おぉ……これは……」
「はぁあ!!」
教会の静寂は砕け散った。
祈りの場所は、今や運命が衝突する戦場へと変わる。
こうして――
二人の男の、命と情熱を賭けた戦いが幕を開けたのだった。
ーーーーーー
森を抜け、土を蹴り、風を裂きながら――
一行はついに“緑の基地”へと辿り着いた。
紫十郎は共に駆けた男へと視線を向ける。
「いい走りだな。俺よりも速いとは。」
桐生は息一つ乱さず、淡々と答えた。
「私がまだ若輩者だからです。同じ歳であれば、藤堂様のほうが速いでしょう。」
「思ってもないことを言わなくていい。」
紫十郎は鼻で笑う。
「目に書いてあるぞ。“それでも負けん”とな。」
図星を突かれたのか、桐生はわずかに目を伏せ、軍帽を深く被り直した。
その仕草には、ほんの僅かな誇らしさが滲んでいた。
「また追手が来なくて安心だわ……」
雪乃が小さく息を吐く。
「大体は大旦那様が片付けてくださいましたから、追手に回せる人材がいないのでしょう。」
墨男の言葉に、雪乃も頷いた。
「きっとそうね。他の使用人も無事で良かった……」
――そうして一行は、無事に基地へと足を踏み入れる。
木造の建物は、その名の通り緑を基調としており、どこか自然と溶け合うような静けさを持っていた。
かつてセリナが事情聴取を受けた場所でもある。
今は、桐生の上司がいるという部屋へ向かっている最中だった。
やがて足が止まる。
「ここです。」
コンコン、とノック。
「あぁ。」
低い男の声が返る。
「失礼します。」
ドアを開けた瞬間――
「……お前!!」
中にいた男は桐生に歩み寄りかけ、すぐにその隣にいる人物に気づいた。
「っ……藤堂様!!」
反射のように敬礼。
紫十郎は腕を組み、相手を見下ろす。
「桐生の言っていた上司はお前だったか。名は確か……」
わざとらしく考える素振り。
思い出すというより、そもそも覚えていないのだろう。
「深碧軍少佐、緑田蓬です!!」
「そうそう、緑田だ!!……お前が緑田か。」
思い出した風を装うが、ロメオの話に出てきた名前の人物だとやっと気づく。
緑田はそれでも姿勢を崩さない。
「申し訳ございません、このような場所に……」
「よい。こういう場所は嫌いではない。」
言うなり紫十郎はずかずかと部屋へ入り、勝手に革張りのソファへ腰を下ろした。
「皆さまもどうぞ。」
緑田に促され、一同も中へ入る。
最後に入ってきた墨男に、緑田の視線が止まった。
「お前は……」
「緑田様、この前はお世話になりました。」
「手の怪我はどうなった?」
「少しずつ塞がってきています。……緑田様こそ、お体は?」
数日前、同じ任務で共に戦った二人。
互いに軽傷とは言えない傷を負ったあの日。
特に緑田は、上半身を大きく斬られる重症だったはずだ。
だが彼は、何事もなかったかのように立っている。
「大丈夫だから働いてるんだよ。流石に、丸一日は療養していたけどな。」
ちらりと桐生を見る。
「戻ったら困った部下のせいで、仕事に追われっぱなしなんだ。もう疲れちまったよ。」
だが当の桐生は、まるで風でも吹いたかのように無反応だった。
「……話はまた別の日にゆっくりしよう。入れ。」
「はい。」
全員が揃うと、緑田は廊下に向かって怒鳴った。
「誰か、茶を持ってこい!!一番高いやつを八杯だ!!」
そしてドアを閉め、桐生の隣に立つ。
「お前も座れ。」
「いえ、ここで結構です。」
直立不動のまま動かない。
紫十郎は感心したが、すぐに本題へ入った。
「時間がないから手短に言う。緑田、お前に紫水を預かってほしい。」
「かしこまりました。」
「……話が早いな。」
「先に到着した藤堂様の使用人から事情は聞いております。私が責任をもってお守りします。」
紫十郎は頷いた。
「助かる。……ついでに、この小娘とじゃじゃ馬娘三人も頼めるか?」
指されたのは、保護された少女と、ミキ、リコ、セリナ。
「待ってください、ウチらも探しに行きます。」
リコが食い下がる。
「ならん。戦えない、馬にも乗れないお前たちが来たところで、足手まといになるだけだ。」
「っ……でも……」
「リコ……」
セリナがリコの肩に触れる。
「私たちが行って迷惑になるなら……ワガママは言えないよ……」
「冷たいね、セリナは。」
「……」
互いに目を逸らす。
二人ともムッとしたような表情だ。
「……」
ミキは何も言えなかった。
どちらの言い分も分かるからだ。
「リコ様……」
雪乃がそっと抱きしめる。
「お辛いとは思いますが、ここでお待ちください。ユキミ様は必ず見つけます。」
「でもっ……ユッキーが酷い目にあってるかもしれないのに……」
「こうして心配している。それだけでも意味がありますよ。」
リコの瞳に涙が滲む。
ミキも、セリナも――同じだった。
その空気を断ち切るように、緑田が口を開く。
「……桐生。柳澤を連れてこい。北側の見張り台だ。」
「はい。」
一礼し、桐生は部屋を出ていく。
「どうしたのだ?」
「重要な情報を持つ者が来ます。」
コンコン。
「桐生です。」
「早いな……」
ドアを開けると――
そこには、桐生と。
そして、顔が腫れ上がった男が立っていた。
男の顔は腫れ上がり、鼻は曲がり、血と涙でぐしゃぐしゃだった。
「「「「うぇ」」」」
紫水、ミキ、リコ、セリナが揃って顔をしかめる。
「うわぁ……おい桐生、やりすぎだぞ。」
「どこがです?柳澤も本来は斬るべき相手でしょう。」
「……その状態で喋れるのか?」
「ですので、口周りは少し控えました。」
桐生が男を睨むと、男は怯える。
一瞬見えただけだが、歯が三本無かった。
「その男が情報を?」
これだけ痛々しい顔を見ても、紫十郎は特に動じていない。
「はい。この男は深碧軍少尉、柳澤。ネブラ流通の担当をしていた者です。」
「ほう……」
「ひっ……お許しを……」
情けない声をあげる柳澤。
「許されるわけがないだろう……このクズめ。」
桐生が拳に力を込める。
だが――
「柳澤の証言の前に、伝えるべきことがあります。」
緑田は改めて、部屋にいる全員を見た。
「おそらく、藤堂紫月様はエリアス神父の元にいます。」
「なにぃぃぃいいいいいいいいいい!?!?!?」
「姫様が!!」
紫十郎と墨男が立ち上がる。
「半刻前に、私が拷問を担当しているマティアス・ルーファスが“剣を振れるアイツが羨ましい”“アイツは自分だけ願いを叶えている”と発言しました。」
「随分抽象的だな。その“ アイツ”がエリアスだと言うのか?」
「はい。あの男、性格にかなり難がありますから……交友関係が全くありません。ので、消去法で弟であるエリアス・カルミナかと考えました。」
「その交友関係はどうやって調べた?」
「ロメオ殿下の調査です。殿下はかなり顔が広いので、西から藤ノ国へ渡ってきた者にマティアスのことを聞いたそうですが……好意的な話が一つもなかったそうです。」
「……そうか、ロメオが。」
紫十郎は改めてロメオの優秀さに感嘆した。
「エリアスが“赤髪英雄譚”の真の功績者なら……“ 剣を振れるアイツが羨ましい”の発言にも結びつくか……」
これも、ロメオのおかげだろう。
「それは分かったが……紫月がエリアスと共にいるという確証は?」
その問いに、緑田は一切の迷いなく答える。
「モールス信号です。」
モールス信号。
それは光の点滅で情報をやり取りする古典的な通信手段である。
「この柳澤は緑の基地で見張り番を主としていましたが、その立場を利用して連絡役も担っていました。」
そう言うと同時に、桐生が柳澤の脇腹を軽く小突いた。
柳澤はビクリと身体を震わせ、怯えた目を泳がせる。
「……指示が光で送られるので……私は同じ回数の光を……森全体に見えるよう……見張り台の照明を使って……」
か細い声で語る柳澤に、緑田が続ける。
「つまり、森全体を使った通信網です。そこで私は直接その森へ赴き、“シジ ツタエヨ”と信号を送りました。」
一拍。
「すると、“シヅキ トラエタ”と返信があったのです。」
その瞬間。
「なにぃいいいいいい!?!?」
紫十郎の怒号が炸裂した。
柳澤は悲鳴を上げる間もなく、襟首を掴まれる。
「緑田!!なぜその指示を聞いてすぐ動かなかった!!なぜコイツを殺していない!!」
怒りがそのまま力となり、柳澤の体がガタガタと揺れる。
しかし緑田は、あくまで冷静だった。
「落ち着いてください。まだ肝心の“場所”が割れていなかったのです。この男を早々に処理していれば、闇の中を手探りで探すしかなかった。そして新たな信号が確認されたのは、つい先ほどです。」
だが、紫十郎は止まらない。
「答えろ!!紫月はどこだぁぁあああああ!!」
激しく揺さぶられる柳澤。
その口元が
ーーふっと歪んだ。
「ルーメン教会です。」
さきほどまでの怯えは消え失せ、そこには粘つくような笑みだけがあった。
「エリアス・カルミナ神父からの伝言です。“お越しください”と。」
ケタケタと喉を鳴らして笑うその姿に、場の空気が凍りつく。
「緑田少佐、あなたの判断は正解です。私を泳がせたおかげで、最速で居場所が割れた……多少のズレはありましたが……あの方の願いが叶うなら、それでいい。」
言い終えた瞬間。
柳澤の顎がギリッと音を立てて噛み締められた。
「まさか……!」
紫十郎が無理やり口をこじ開ける。
その奥に見えたものに、桐生が冷ややかに呟く。
「……毒ですか。」
「ハハハハハハハハハハハハハハ!!」
狂気じみた笑い声が響き、次の瞬間――
ドンッ!!
柳澤の体が壁へと叩きつけられた。
床に崩れ落ちながらも、彼はまだ笑っていた。
「先に……待っていますよ……エリアス様……」
その言葉を最後に、力が抜ける。
ちょうどその時、茶を運んできた青年がドアを開けた。
「お待たせいたしました、お茶を……オワッ」
惨状を目にし、盆ごと盛大にひっくり返す。
だがそんなことに構っている暇はなかった。
「ルーメン教会に行くぞ!!」
紫十郎が叫び、即座に駆け出す。
「はい!!」
墨男も続く。
残されたミキ、リコ、セリナがその背を見送る中――
「おい、柳澤!!他には何かないのか!?あったら全部言え!!」
緑田がなおも問い詰める。
すでに呼吸は荒く、意識も薄い。
それでも柳澤は、最後の力を振り絞るように呟いた。
「……“アオ ヒトジチ”……」
「青……?」
その言葉を聞いた瞬間、セリナの中で何かが繋がった。
「その青って……ユキミのこと!?」
「「えぇ!?」」
ミキとリコが同時に声を上げる。
緑田は即座に判断を下した。
「桐生、お前も行け。俺はここで紫水様の護衛に当たる。」
「はい。」
桐生が動こうとした、その時だった。
「待ってください!」
セリナの声が、空気を掴む。
「私たちも連れて行ってください!!」
桐生が振り返る。
「あなた様は残るべきだと――」
「さっきはそう言いました!でも、ユキミが確実にそこにいるなら話は別です!!」
「まだ人質にされた青の御方が、あなた様のご友人とは限らないのでは?」
「話を聞きながら考えていましたが、そのエリ……なんちゃらの目的は紫十郎さんだと思うんです。だって敵が紫十郎さんをわざわざ招いているのは明らかに変じゃないですか。」
「失礼ですが、私の質問の答えになっていませ……」
「いえ、答えに繋がります。紫十郎さんをおびき寄せる、そのダシに紫月さんを利用しています。なら、“ 青”の人質はいらないじゃないですか。でもわざわざ人質として確保するのは、それは紫月さんをおびき寄せるか、行動を抑制するための人質なんです。その効果はもちろん、友人や知人の方が上がります。つまり、“ 青”はユキミを指す可能性が高いと思うんです。」
「ですが、」
「そりゃ、私がお尻で踏んずけちゃったあの子みたいに、無関係だけど人質にされた可能性はありますよ。でも、紫十郎さんの家の周りは他に住宅らしきものはないから人もいないはずです。それに、屋敷を襲撃したのだってハナから紫月さんや紫十郎さんを狙っていたわけではないかもしれません。紫十郎さんはめっちゃ強いし、紫月さんは色つきだし、ロメオだっていたのに、そのタイミングでわざわざ襲撃したということは、私らか従業員の誰かを人質にするために狙った可能性だってあります。その体で行くなら、むしろユキミが狙われた方が自然だと思いませんか?」
「しかし、」
「本当にお願いします!!ここで行かなかったら私たち一生後悔すると思うんです。ご迷惑をかけることは承知ですが、どうか一緒に連れて行っては貰えないでしょうか!!私たちは……」
セリナはまだ長々と話し続ける。
ペラペラペラペラペラペラペラペラッ
「……」
桐生もややウンザリしている様子だ。
そんな桐生を見て、緑田は嬉しそうに笑った。
「あちらの青の御方は凄いですね。きかん坊の桐生が押されています。」
「セリナはいつもうるさいんですよ。大体一人で喋ってます。」
「ミキ、セリナの言ってること半分もわからんかも。」
まじまじとセリナを見る三人。
「どうやっても付いて行きますからね!やると言ったら私はやる女ですからね!!置いて言ったりしたらずっと追いかけてやりますから!!イケメンの後ならいくらでも追いかけられますから!!行くったら行くんですから!!私は結構しつこいですよ!!飽きるまで追いかけてやりますから!!」
セリナはもう駄々をこね始めている。
「あぁなると、セリナはあと二時間は粘るね。」
「よくあんなに喋れるよね。うるさーい。」
リコとミキの慣れている様子に、緑田が苦笑い。
「……お二人も、あの御方と同じお気持ちですか?」
「はい。ウチはずっとユッキーを助けたいです。」
「親友ですもん。助けたいです。」
「……」
緑田は少し悩む。
そしてーー
「……桐生、お連れしろ。」
「今……なんと?」
「ルーメン教会まで、この方たちを護衛しろ。お前ならできるだろ。」
「それはそうですが……しかし、」
「それはそうなら問題ないだろ。いいな?」
「……はい。」
渋々ながらも、桐生は頷いた。
セリナは目をパチクリとさせる。
「え……いいんですか!?」
「セリナ、ナイス!!愛してる〜!」
「すげー、長話が武器になったよぉ。」
「へっへーん!頭が回るときで助かったぜ!」
キャッキャと喜びを分かち合う三人。
緑田はその様子を見て、困ったように笑った。
「元気なお嬢様方ですね。」
隣で雪乃が、柔らかく微笑む。
「えぇ……そこが、この方々の良いところなんです。」
雪乃は喜びと、あることで寂しさを感じていた。
ーーーーーー
ミキ、リコ、セリナ、桐生、雪乃の五人は、緑の基地まで乗ってきた馬車の元へと戻っていた。
だが、それは再び馬車で移動するためではない。
雪乃は静かに歩み寄ると、小さく名を呼んだ。
「……雪丸」
その手には、白い柄に白い束、そして雪の彫刻が施された短刀が握られている。凛とした美しさを持つ刃だった。
「どうして馬車に刀?」
ミキが首をかしげる。
「こちらをご覧ください。」
その疑問に答えるように、雪乃は馬車の床板に手をかけた。
カコン、と軽い音。
床が持ち上がり、その下から現れたのは――無数の武器。
槍、刀、短剣、見慣れぬ形状のものまでが収められていた。
「こういう時のために、常に用意しているんです。とはいえ、使う機会はそう多くありませんから……少し埃を被ってしまっていますが。」
「そんな名刀に埃を被せるなど考えられません。」
桐生が即座に口を挟んだ。
雪乃は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らす。
「……戻ったら、きちんと手入れをしますよ。」
少しだけ気まずそうに、刀に付いた埃を指で払った。
桐生が、ふと三人へ視線を向ける。
「白峰様。こちらの御三方にも、何かお渡しした方がよろしいのでは?」
「そうですね……」
雪乃は三人の腕をじっと見つめ、それから再び床下へ手を伸ばした。
やがて取り出したのは、三つの短刀。
雪乃が持つものと同じ大きさだった。
「こちらをお使いください。」
差し出された刃を、ミキ、リコ、セリナはそれぞれ受け取る。
ずしりとした重みだ。
「私も同行し、皆様をお守りします。ですが万が一の時は、それで身を守ってください。」
「これで……」
ミキが小さく呟く。
三人とも、刃を見つめる目は緊張に揺れていた。
その空気を断ち切るように、桐生が言う。
「私がいれば、そのような事態にはなりません。」
その自信は不思議と現実味を帯びており、三人の表情をわずかに和らげる。
「すごい自信……」
セリナが苦笑混じりに呟いた。
「本当に……」
雪乃は小さく息を吐くと、改めて桐生に向き直る。
「桐生さん、申し訳ないのですが……緑から馬をお借りできますか?乗ってきた馬は、もう限界のようで……」
「すでに馬を三頭、手配済みです。私の部下の木村も同行させるので、白峰様、私、木村が馬の操縦をする形で想定しております。」
「……ありがとうございます。では必要な荷物の準備を――」
「応急処置の道具も揃えてあります。ご心配には及びません。」
「……日繁の地図やコンパスは…」
「頭に入れております。何度かルーメン教会は警護をしたことがあるので、道のりも把握しております。」
「……では、せめてセリナ様たちに馬の乗り方を」
「しっかり脚に力を込めて掴まっていただければ問題ありません。」
「……」
「……」
十秒ほど、互いに見つめ合う。
やがて桐生がわずかに目を伏せた。
「……では、私は馬を表に出してきます。」
「お願いします。」
桐生はその場を離れた。
彼の背が見えなくなると同時に、リコがひそひそ声で尋ねる。
「雪乃さん、桐生さんにどっか行ってほしかったんですか?」
「……いえいえ。お世話になっている身でありながら、そのようなことは決して…」
そうは言うが、怪しいところだ。
雪乃は軽く咳払いをすると、話題を切り替えた。
「それよりも、皆様に見ていただきたいものがあります。」
懐から取り出したのは、一枚の紙。
上質な紙だが、丸められたのか細かい皺が刻まれている。
「その紙は……?」
セリナが問う。
「姫様がお書きになったものです。おそらく……乱れたお心を、少しでも落ち着かせるために…」
丁寧に畳まれていたそれは、まるで壊れ物を扱うように開かれた。
かさり、と静かな音が響く。
そこに綴られていた言葉は――
⸻
「死んではいけないと
戦ってきた私への仕打ちが、これですか。
死んではいけないと
あなたに願った私への仕打ちが、これですか。
死んではいけないと
あなたのために帰った私への仕打ちが、これですか。
死んではいけないと
あなたを愛した私への、仕打ちがこれですか。」
⸻
筆跡には、どこか歪んだ熱が宿っていた。
紙の上で暴れるような、抑えきれない感情の滲み。
綺麗な字で書かれてあるはずなのに、内容も相まって禍々しい。
「「「……」」」
その場にいた三人は、息を呑む。
声を出すことすら躊躇うほどに、紫月の書いた言葉、伝わる悲しみは重かった。
セリナが、かすかに震える声で問いかける。
「……これは……墨男さんのことですか?」
雪乃は静かに頷いた。
「きっとそうでしょう。……これが墨男の手に渡らなくて、本当によかったと思います。」
リコが小さく息を吐く。
「たしかに……この内容は見せらんないね……」
三人の脳裏に浮かぶのは、黒服の彼の姿だった。
どんな些細なことでも深く頭を下げ、責任を感じやすい男。
その彼が、この言葉を目にしたら――
自殺してしまうかもしれない。
雪乃は紙をそっと畳み直し、胸元へと戻す。
そして改めて、三人をまっすぐに見つめた。
「皆様に、お願いがございます。」
空気が張り詰める。
「姫様は見ての通り……錯乱しておいでです。ですので、あの時の皆様への暴言は、決して本心ではございません。どうか姫様が戻られた時には……暖かく接していただきたいのです。」
ミキが小さく頷く。
「それはもちろん……」
その言葉に、雪乃はほんのわずかに表情を緩めた。
だが次の瞬間。
彼女の顔に、これまで一度も見せたことのない影が落ちる。
「そして……これは時間の短さゆえ、仕方の無いことではありますが……」
声が、かすかに揺れた。
強く、気丈で、凛としているはずの雪乃が。
今だけは――
ひどく、弱々しい顔をしていた。
「……ユキミ様のことが、何より大切なお気持ちは……よく分かります。ですが……」
ほんの少しだけ、視線を伏せてから
「姫様のことも、同じように心に置いていただけませんか。」
雪乃は、三人を順に見た。
「あ……」
セリナはその瞳を見て、気づく。
「確かに……私ら、ユキミのことばっかりだったかも……」
その言葉に、リコも続く。
「ウチは特にそうだった気がする……」
ミキは少しだけ俯き、それから顔を上げた。
「うん……ユキミと紫月さん、二人とも迎えに行こ。」
三人は視線を合わせ、頷き合う。
その様子を見つめていた雪乃は安堵の息を漏らした。
ずっと突っかかっていたものが、ようやく取れたように。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……姫様を、よろしくお願いします」
その声音は、雪のようにどこまでも柔らかく。
けれど触れれば溶けてしまいそうなほど、繊細で儚かった。
――ズキュン。
三人の胸に、同時に何かが突き刺さる。
(なにこれ、ドキドキする!)
(美人すぎるんやけど……)
(ズキュンドキュン胸打つ〜眼差しはかなり〜)
普段はきりりと叱る側に回る雪乃が、
今は涙を滲ませ、静かに頭を下げている。
その姿は、あまりにも淑やかで――
同性であるはずの三人ですら、思わず息を呑んだ。
「……どうかされましたか?」
ぽかんと固まる三人を前に、雪乃は不思議そうに小さく瞬きを繰り返す。
その無自覚さが、さらに三人の心を揺らすのだった。
(((くぅ〜〜〜〜!!)))
ーーーーーー
二人の戦いは、すでに二十分に及んでいた。
荒い息が、静まり返った教会の空気をわずかに震わせる。
それでも――止まらない。
ギィンッ!!
鋭い金属音が、再び空間を裂いた。
「ふっ!」
ロメオの剣が一直線に突き出される。
狙いは喉元。無駄のない、最短距離の一撃。
だが――
「おっと」
エリアスは手首を返し、刃を滑らせ受け流す。
そのまま小さく振りかぶり、斬撃。
カンッ
ロメオは剣の柄でエリアスの剣の軌道を変え、咄嗟に身を反らし、避ける――が、
「っ……!」
もう少しで鼻先をかすめるところだった。
エリアスの斬撃はただの斬撃ではない。
鋭さ、力強さ、素早さ。
技量と力の両方で“押し潰す”ような力が乗っている。
(躱すのも一苦労だ……!)
「殿下、ボーッとしていては殺られますよ?」
エリアスはのけ反ったロメオを支える下半身を狙う。
「っ!」
ロメオは咄嗟に長い足でエリアスの剣を蹴り、その勢いのままバク宙。
「おぉ、今のを躱しますか……」
「無駄口を叩く余裕はあるのかな?」
互いにすぐさま構え直し、再び踏み込む。
今度は連撃だ。
突き、斬り上げ、横薙ぎ。
攻め、躱し、受け流す。
二人は見るものが見れば、涙を流しひれ伏すほどの戦いを繰り広げていた。
どちらかの攻撃が当たれば、受けた側は必ず死ぬ。
文字通り、手に汗握る戦いだ。
だがエリアスは――
「いい……実にいい!」
激しく刃を打ち合わせながら、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「殿下、あなたはワタシの兄よりも数段強いです。あの、剣しか取り柄のない男よりも……」
ロメオは鋭く剣を振り抜き、低く返した。
「兄弟のことを悪く言う人間は嫌いだね。」
ギィンッ!!
再び火花が散る。
二人の攻防は止まらない。
踏み込み、逸らし、斬り返し、突き返す。
互いに致命傷だけは決して許さず、それでいて一瞬でも油断すれば首が飛ぶ。
そんな極限の均衡。
その戦いを見つめながら、紫月は唇を震わせていた。
(ロメオさんがっ……私のせいで……)
胸が締めつけられる。
(どうして……どうしてそこまでっ……)
どうして。
どうしてこんなことになってしまったのか。
ずっとロメオが苦手だった。
どれだけ冷たくしても、変わらず笑いかけてくるところが。
自分とは違い、まっすぐで、暖かくて、優しいところが。
だからこそ――眩しかったところが。
「エリアスさん、もうやめてください!」
紫月が叫ぶ。
「私と刺し違えられれば、あなたはそれでいいのではないのですか!」
エリアスはロメオの剣を受け流しながら、静かに答えた。
「すみません。その願いを第一に叶えたいのですが……」
金属音が鳴り響く。
「ワタシがいなくなったあとに、殿下が生きていては、ワタシについてきた者が報われないのです。」
ギィンッ!!
「彼らの願いも、叶わなくては。」
紫月の叫びなど届かない。
エリアスの刃は、なおもロメオを狙い続けていた。
(……ユキミさんをどうにか出来れば……けれど……)
紫月の視線が、ユキミを拘束している男へ向く。
スキンヘッドの大男。
髪も眉毛もないので色つきかどうかは分からないが、
(あの重心……相当な鍛錬を積んでいるはず……)
それは見ただけで理解できた。
(あの男性を……私が斬る方が速いかもしれない……でも……)
もし、自分があの男を斬るより早く。
あの男がユキミの首を斬ったら?
男は手練だ。その可能性の方がかなり高い。
(なら……この剣を投げたらどうかしら……)
紫月は剣を眺める。
紫月に手渡された剣はロングソードだ。
愛用している刀とは大きさも重さも違う。
(でも……狙いには自信がある……)
この剣を投げた瞬間、あの男の頭部は貫かれる。
そうなれば人質を捕らえるものはいなくなり、紫月も好きに動ける。
だが同時に、別の可能性も浮かんだ。
(もし、投げた剣に気づかれたら……)
反射的に避けるか。
叩き落とすか。
あるいは――ユキミを斬るか。
男は何かしらのアクションをとるだろう。
(……その隙を狙えばいい話ね。)
どちらにせよ、一瞬の勝負になる。
紫月が覚悟を決め、剣を握り直した――その時だった。
「アンドレさん、斬ってください。」
「え?」
エリアスの言葉。
直後、ユキミの首元へ刃が走る。
だが――
「ガァッ!?」
男の声が響いた。
剣が首に入る前に、一本の刃が男の頭へ突き刺さっていたのだ。
エリアスはその光景を見ても、なお笑みを崩さない。
「あら、逆にやられてしまいましたか……」
その声音には、まるで落胆がなかった。
それも当然だ。
彼には――別の狙いがあったのだから。
「やめろぉおおお!!」
ロメオが叫ぶ。
エリアスが、紫月へと踏み込んでいた。
剣を投げたことで、今の紫月は完全に無防備。
「っ……!」
紫月は目を見開く。
だが。
(私がここで死ねば……ロメオさんは逃げてくださるでしょうか……)
そんなことを考えてしまった。
(……さようなら……)
紫月は静かに、ゆっくり目を閉じる。
ザシュッ――
その後すぐに、肉を切り裂く音が聞こえた。
けれど。
(……痛みが……ない?)
恐る恐る目を開く。
そこにあったのは――
首スレスレで止まった剣先。
そして。
「ッ……」
左足を短剣で貫かれ、左脇腹を斬られたロメオの姿だった。
「ロメオさん!!」
紫月が叫び、駆け寄ろうとする。
しかし、
「これで、あなたのお相手ができます。」
エリアスがその前へ立ち塞がった。
ロメオは歯を食いしばりながら、自嘲気味に笑う。
「僕ってやつは……」
ロメオの肉体に傷を与えたのは、青髪の少年だった。
ずっとチャーチチェアの陰に潜んでいたのだ。
エリアスは、背中に走る痛みを気にした様子もなく言う。
「彼に気を取られなければ、ワタシを殺せていたでしょうね。」
その背中には、右肩から左脇腹へかけて斬撃が走っていた。
決して浅くはない。
だが――致命傷には届いていなかった。
「はぁ……」
エリアスは少年を見下ろす。
「アズーロ君なら、殿下を殺せていましたよ。」
優しい声音。
だがそこには、確かな失望が混じっていた。
「……あなた、怯みましたね」
少年の肩が震える。
「も、申し訳ございません……」
「薬……いらないのですか?」
「い、いります!次は殺します!! だからっ――ガホッ!?」
少年の身体が宙に浮いた。
ロメオの蹴りが、腹へと叩き込まれたのだ。
少年は吹き飛び、床を転がる。
エリアスはその姿を見て、小さくため息をついた。
「同じ色つきとは思えませんね……」
その時だった。
不意に、エリアスの視界が大きく揺れる。
(え…浮いっ…!?)
そう理解した瞬間には、もう遅かった。
ダンッ!!
鈍い衝撃音と共に、エリアスの身体が石床へ叩きつけられる。
砕けた石片が跳ね、教会内に乾いた音を散らした。
「……紫月さん?」
ロメオが目を見開く。
「これは……」
エリアスも同じように驚いた。
なぜなら、紫月がよそ見をしていたエリアスの腕を掴み、そのまま背負い投げのように地面へ投げ飛ばしたのだ。
紫月は鋭く叫ぶ。
「ロメオさんを巻き込まないで……!!」
その瞳には、先ほどまでの諦めだけではない色が宿っていた。
怒り。
そして、困惑。
「っロメオさん……!」
紫月はすぐさまロメオの元へ駆け寄る。
石床に片膝をついたロメオは、左足と脇腹から血を流していた。
「ロメオさん、傷は……」
「何とか……大丈夫です……致命傷にはなっていません…」
痛みに顔を歪めながらも、ロメオは無理に笑みを作る。
「……できるだけ揺らさないので……少し我慢していてくださいね」
「え?」
次の瞬間。
ぐいっ、と。
紫月はロメオの身体を軽々と持ち上げ、自身の左肩へ担ぎ上げた。
「……??……あ、あの、紫月さん……!?」
突然のことに、ロメオの声が裏返る。
しかし紫月は返事をせず、そのままユキミの元へ向かった。
ユキミは、未だ意識を失っている。
紫月は彼女を見下ろし、苦しげに眉を寄せた。
「巻き込んでごめんなさい……」
そっと呟くと、今度は右腕でユキミを抱き上げる。
「し、紫月さん……僕は自分で歩けま」
「行きます。」
そして、
ダッ!!
紫月の身体が、弾けるように駆け出した。
長椅子の横を駆け抜け、割れたステンドグラスから差し込む月光を横切り、その姿は一瞬で礼拝堂の出口へ。
1秒後には、紫月の姿は完全に闇の向こうへ消えていた。
「……」
静まり返る教会。
その中で。
エリアスは、ゆっくりと起き上がる。
乱れた赤髪をかき上げ、口元を押さえた。
そして――
「……ククッ……クハハハ!」
笑う。
それは、いつもの柔らかな微笑みではない。
神父の仮面を剥がしたような、もっと純粋で、もっと邪悪な……
獲物を見つけた猛獣のように。
愉悦に喉を震わせながら、エリアスは細く目を歪めた。
「面白い……」
その顔はまるで、
これから“ どう獲物を追いつめる”か考える、捕食者そのものだった。
ーー
夜の森を、紫月は駆けていく。
月明かりに濡れた木々が、凄まじい速度で後方へ流れていく。
左肩にはロメオ。
右腕には気を失ったユキミ。
それでも紫月の足は衰えない。
「あ、あの紫月さん……僕は自分で走りますよ。足を刺されただけですし……脇腹の傷も深くありませんから……」
肩に担がれながら、ロメオが遠慮がちに言う。
だが紫月は、前だけを見たまま答えた。
「いえ、私のせいで負った傷です。これ以上の負担はかけられません。その傷が安全に縫合できる場所まで運ばせてください。」
「ですが……女性にさせることでは……」
「気にされないでください。重くありませんから。」
あまりにも自然に返され、ロメオは押し黙る。
「……はい……」
納得したわけではない。
むしろ紳士としての矜持が悲鳴を上げていた。
だが今は、紫月の走りを止めるべきではないと理解していた。
風が木々を揺らす。
しばし沈黙が流れた後、ロメオが静かに口を開く。
「あの男……笑っていましたよ」
「……そうですね……」
「まだ、あんな男と死ぬ気なんですか?」
「……」
答えられない。
紫月自身、自分の心が分からなくなっていた。
ロメオは目を伏せ、小さく息を吐く。
「女性に運んでもらっている身で……こんなことを言うのは不躾だと思いますが……」
一瞬だけ、言葉を止める。
そして。
「君は馬鹿だよ」
「!」
その一言に、紫月の瞳が揺れた。
“馬鹿”
それはロメオから向けられた、初めての冷たい言葉だった。
優しく笑い、受け入れ続けてくれた男が、初めて見せた棘。
その痛みが、胸に刺さる。
(そう……思うわよね……)
ーーパシュッ!!
突如、暗闇から放たれた矢が一直線に紫月の顔面へ飛来した。
だが。
カッ!
両手が塞がっている紫月は、矢を口で噛み止める。
パサッ。
口に咥えた矢を、無造作に地面へ落とした。
「……」
注意深く矢が飛んできた方向を見つめ、足元の小石をつま先で軽く跳ね上げる。
そして。
バシュッ!!
蹴り飛ばした。
闇の奥から、
「ガッ」
という短い悲鳴があがる。
続いて、人が倒れる音が響いた。
「馬鹿な……!!」
木々の向こうで、誰かが狼狽える。
ロメオは目を瞬かせた。
「ワイルドですね……」
「そうでしょうか……?」
「……墨男君の前でも同じことができますか?」
「……少し……はしたなかったかもしれません……」
ほんの僅かに、紫月の声音が弱くなる。
ロメオは、ふっと笑った。
「僕は素敵だと思いますよ。」
「……」
紫月は無言のまま、再び小石を蹴り上げた。
次は小石を三つ。
三つの石は夜気を裂き、弾丸のように飛んでいった。
ドッ!!
ガッ!!
ゴッ!!
木々の陰から、立て続けに人影が崩れ落ちる。
その時。
パシュッ!!
また一本、矢が飛んでくる。
次は紫月の背後からだ。
「!」
「これは僕にお任せを。」
パシッ。
ロメオがそれを、人差し指と中指で挟み取った。
「……流石、ですね…」
「レディに守られてばかりでは、格好がつきませんから。」
ロメオはクルッと矢を反転させ、
「僕も戦います。」
シュッ
ダーツのように矢を放つ。
コシュッ!!
鈍い音と共に、敵の身体が地面へ倒れ伏した。
「……お見事です。」
思わず紫月が感心してしまうほど、その矢は正確に頭蓋を撃ち抜いていた。
ーーーーーー
「……」
「……」
紫十郎と墨男は、日繁へと辿り着いていた。
ここまでは紫十郎は自らの脚で駆け抜け、墨男は馬で移動してきた。
だが、山の中では馬に乗って戦うのは不利と判断。
山道に入る手前で適当な民家へ馬を預け、今は二人並んで、教会へ続く獣道を疾走している。
夜の山は暗い。
湿った土を踏み砕く音だけが、木霊していた。
そんな中、不意に紫十郎が口を開く。
「おい、墨男。」
「はい。」
「俺は、お前を拾ったことを後悔していない。」
「…………と、突然ですね……」
墨男は思わず目を瞬かせた。
紫十郎がこうして真面目な話を始めるのは珍しい。
いつもは酒の話やツマミの話ばかりなのに。
「お前が来てから、紫月は孤独でなくなった。お前があのじゃじゃ馬娘たちと出会ったことで、紫月に初めての友ができた。」
「……その功績は私ではなく、私を拾ってくださった大旦那様のものです。」
「それは……そうかもしれんな……」
紫十郎は顎髭を撫でた。
だが次の瞬間、鬱陶しそうに鼻を鳴らす。
「って、そうじゃない馬鹿者。あーなんだ……俺はお前に感謝している。いつか、その礼はするつもりだ。何か良いものがあれば考えておけ。」
「!?」
墨男の目がかっぴらく。
「とっ、とんでもございません! 私なんぞにそのようなことっ……」
「お前に拒む権利はない。」
ぴしゃりと言い切られ、墨男は苦笑いをする。
「あ……ありがとうございます……」
「最初からそう言え。なんだその笑い方は……」
二人は山道をさらに奥へ進んでいく。
夜風が木々を鳴らした。
しばらくは無言だったが、紫十郎がぽつりと呟く。
「先に言っておく。礼をするとは言ったが、一番お前が喜ぶであろう……紫月をやることは俺の権限ではできん。」
「っ!?」
墨男の心臓が跳ねた。
「わ、私は“黒”です!姫様にそのような想いなど……!!」
「馬鹿者め。屋敷の人間も全員が気づいておるわ。」
「…………」
墨男の顔が、一気に赤く染まる。
隠してきたつもりだった。
誰にも悟られていないと思っていた。
それが、まさか全員に知られていたとは。
想い人の父親にまで……
「この際だから言うが……俺は最初、紫月をロメオと婚約させるつもりはなかった。」
「そ……そうなのですか?」
「あぁ。エドワードが考えた平和のための案ではあるが、どうにも気乗りしなくてな。難癖をつけて、ロメオを国へ返すつもりだった。」
紫十郎は苦々しげに笑う。
「それが……顔良し、性格良し、頭良し、身体能力良しときた。おまけに俺には無い品性まである。紫月にも誠実で、難点を探す方が難しい。」
「それは……私も同感です。」
墨男は素直に頷いた。
ロメオは、墨男にとって密かな憧れだった。
自信に満ち、堂々としていて、何をやらせても器用にこなす。
自分には到底なれない存在で、太陽のように眩しい人。
「ロメオなら紫月も国も幸せにできる。間違っても戦争など起こさん。そう確信して、最終的に婚約を受け入れたのだ。」
紫十郎の脳裏に、紫月へ何度拒絶されても笑顔を向け続けた青年の姿が浮かぶ。
(それなのにあいつは……紫月との約束まで守ろうとして……)
「そんなあいつに報いるためにも……俺はお前と紫月を認めてやることはできない。」
「……はい」
墨男は、ただ頷くしかなかった。
(いいな……殿下は……)
胸の奥が、ずしりと重い。
だが。
「だが……お前が紫月に気持ちを伝えることは許す。」
「はい…………え?」
紫十郎はニヤリと笑った。
「身分なんぞ関係ない。他の誰でもない、この国の頂点の俺が許す。だから全てはお前次第だ。」
そして次の瞬間。
紫十郎は地面を踏み砕く勢いで足を叩きつけた。
ドカァァアアアアアッ!!
「さっきから何をコソコソとつけ回っているぅぅぅううううう!!!!さっさと出てこぉぉい!!!」
怒号が山中を震わせる。
直後。
木陰から、大柄な男が姿を現した。
熊のようにデカイ紫十郎に匹敵する巨体。
三十代半ばほどで黒髪、黒服の男だ。
「……おいおい。良いのか?」
男は下卑た笑みを浮かべる。
「攻撃はあと少し待ってやろうと思ってたんだぜぇ?なぁ!?」
「フンッ……一人だと自信がないか。」
「……あああぁぁぁぁぁんん!?!?」
男の目が血走る。
「ざけんなよぉ!?!?俺に自信がない??俺は薬を持ってるやつに、テメェの死ぬとこを見せなきゃいけないんだよぉ!!!!報酬のためってだけだ……ぞ……」
メキッ。
キキギッ。
いつの間にか、紫十郎の手が男の首を掴んでいた。
同じ背丈の男を、片腕で軽々と持ち上げる。
「いつ……のまに…………」
そのまま、
ゴッッ!!!
男の身体を地面へ叩きつけた。
鈍い音が山道に響く。
背骨を中心に、全身の骨が砕け散ったのだ。
男は痙攣すらできず、死亡した。
「まだいるだろう!?」
紫十郎が怒鳴る。
すると今度は、茶髪の女が影から現れた。
「はい。藤堂紫十郎様、お待ちしておりました。今、ご案内……を……」
ゴキッ。
女の言葉は最後まで続かなかった。
頭蓋を掴まれ、そのまま握り潰されたのだ。
糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
ドサッ
「どいつもこいつも薬物中毒者しかいないのか!?目がイカれてやがる!!」
「……」
「墨男!! 何をぼーっとしている!! 進むぞ!!」
「…………あっ、はい!」
二人は再び山道を駆け出した。
(姫様……俺……)
墨男が空を見上げるも、ちょうど雲が月を隠してしまう。
(……伝えて良いのでしょうか……あなた様に……俺の……気持ちを……)
ーー墨男。
優しく名前を呼んでくれた声を、初めて出会ったあの日の笑みを胸に、墨男は
走る。
走る。
走る。
(姫様…………!!)
雲の向こう側で待つ、月の行方を追って。




