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お昼の時間です  作者: ゴマサバ
第一の世界
27/30

満を持して、スイーツ大会!!



ーーーーーどんっ どんっ どどんっ


低く、腹の底に響く音が空気を震わせた。


澄みきった青空に、一輪の花が咲く。

続けて二輪、三輪。色とりどりの花火が、雲ひとつない空に惜しげもなく打ち上がった。


会場は屋敷の外、広く整えられた庭園。

柔らかな日差しに、美しい緑が人々の目を癒してくれる。


観覧のための椅子が等間隔に並び、その向こうにはすでに人だかりができていた。

身分の隔てなく、誰もが足を止め、空を仰ぎ、会場へと視線を向けている。


甘い匂いが、風に乗って漂っていた。

砂糖、蜜、焼き菓子の香ばしさ。

まだ何も始まっていないというのに、舌が期待に疼く。





そんな中……


「「「「すんげーーー」」」」


コック姿の四人は歩き回り、きょろきょろと周囲を見回していた。


「ちょっと豪華すぎない……? どこ行っても綺麗……」


ユキミは口を開けたまま、視線をさまよわせる。

甘味席というより、もはや祝典だ。


「お、思ってたよりデカイ会場……。ミキがいなけりゃ三人は迷子確定やな。」


ミキも目を丸くしながら、ぐるりと周囲を見渡す。

その声はやや上ずっていた。




一方で、場違いなほど呑気な二人。


「いい匂ーい。この匂いは……イカ焼きのタレの匂い!」


胸いっぱいに空気を吸い込み、リコが断言する。


「んー……?みたらしの香りなんじゃないかな?」


首を傾げるセリナ。


漂っているのは、誰が嗅いでもみたらしの匂いである。

リコの鼻は、今日もイカれていた。



「あ、ここが審査員席かな?」


ミキが少し上の方を指さす。


そこには一段、いや二段ほど高く設えられた壇上に、ひときわ異彩を放つ席があった。


艶のある木材で組まれた長卓。

背の高い椅子には、細かな彫刻と装飾が施され、天蓋まで付いている。


菓子の品評会とは思えぬほど、やけに豪華だ。


「うわぉ、気合入ってるねー。」


「偉い人が座るんだろうなーって感じ。」



ユキミとリコがそんなやり取りをしていると、不意に人波から次々と声が飛ぶ。


「え!?あ、あぁ!!」

「今日もまたお美しい……!」

「こちらを向いてくださいー!」

「おぉ、藤堂様!!」


「……なんの騒ぎ?」

セリナが振り向く。


すると人々を掻き分け、透き通るような美少女が駆け出てきた。



「セリナさん……!セリナさん……!」


「あ、紫月さん!」


セリナが小さく手を上げる。


紫月は息を切らしながら、セリナの前に立った。


「セリナさん……!怪我は……!?もう大丈夫なんですか……!?」


そのまま両手で、ぎゅっとセリナの手を握る。


「……?」

セリナは一瞬、なんのことか考える。

だがすぐに理解した。


「あ、聞いたんですか? 誘拐のこと……」


「はい……私と間違えて連れ去られたと……本当にごめんなさい……」


紫月は顔を伏せた。

細い肩がわずかに震える。


「あ、いやいや!どこも怪我してないし、全然大丈夫ですよ!」


セリナは慌てて首を振る。


「ですが……」


「紫月さんが謝ることじゃないですよ!むしろ、紫月さんに何もなくて良かったですよ。」


「セリナさん……」


「そ、それにほら!!ロメオが助けにきてくれたんで!!」


「…え……ロメオさんが?」


紫月の瞳が、ほんのわずかに揺れた。


「……?」

セリナが首を傾げる。


「……ロメオさんが……」


その一瞬、風が止まったような気がした。


だがその時、


「あっ紫月さーん!」


空気を破るように、リコの声が響く。


「今日はウチらも参加しますから! 楽しみにしててくださいね!」


続けて、


「こんにちは!ミキも頑張ります!優勝します!」


「ふっふっふー……何を作るかはお楽しみです。」


 三人が次々と笑顔を向ける。


 紫月は目を瞬かせ、そして小さく息を吐いた。


「は、はい。ありがとうございます……」


まだどこか心配そうな目でセリナを見つめる紫月。

その手を、セリナはそっと握り返す。


「本当に心配せんでくださいよ。特に……何もありませんでしたから。」


そして、少しだけいたずらっぽく笑う。


「……私だって今回は頑張りますから、応援してくださいね!!」


「そう……でしたか。」


ゆっくりと、紫月の表情が和らいだ。


「……皆さん、どんなお菓子がいただけるか、楽しみにしています。」


「「「「はーい!」」」」


声を揃えて返事をし、四人は手を振る。


背後では花火の残り香がまだ漂い、会場のざわめきが高まっていく。


紫月に見送られながら、四人は調理場へと向かうのだった。








ーーーーーー








壇上へと続く階を、紫月はゆっくりと上がっていく。


「……」


足取りは重い。

薄く伏せたまつ毛の影が、頬に落ちている。


一歩。

また一歩。


 そのたびに客席から歓声が湧いた。


「紫月様だ……!」

「今日もなんとお美しい……!」


祝福の声は明るい。だが、その光の中で紫月の表情はどこか曇っていた。


「お久しぶりです、紫月様。」


突如聞こえた穏やかな声に、紫月は顔を上げる。


そこには白髪に青が混じる男が、柔らかく微笑んで立っていた。


「……お久しぶりです、青沼さん。」


丁寧に一礼を返す。


青沼青之助(あおぬま せいのすけ)。青沼家当主にして、本日の審査員の一人。

青沼家は紫月たち藤堂家と、たまに交流のある間柄だ。


「大きくなられましたな。前にお会いした時はまだ小さく……庭を走り回っておられた。」


「おかげさまで、ここまで育つことができました。」


穏やかに応じる紫月。


幼い頃に紫月が飼っていた犬の雪太郎は、この男が譲ってくれた犬だ。

あの白い毛並みを思い出すだけで、紫月の胸の奥が少し温かくなる。


なので自然と、紫月の表情がわずかに和らいだ。

二人の間に流れる空気は、どこか懐かしく、穏やかだった。


だが――


「ガハハハハっ!!」


豪快な笑い声が、壇上の空気を一気に揺らす。


青沼が目を細める。


「おや、相変わらずの大きな声。紫十郎殿が来られたみたいですね。」


「……そのようですね。」


紫月の瞳が、すっと冷えた。


ダンッ ダンッ


うるさい足音と現れたのは紫十郎。その後ろに紫水、そしてエドワード。


人目を引く三人の姿に、観客席がどよめく。


「こんにちは、紫十郎殿、エドワード殿、紫水殿。本日はお招き感謝します。」


青沼が一礼する。


「おお、青沼!!今日は遠慮せずどんどん食べろ!!」


紫十郎は大声で笑い、壇上の空気を自分色に塗り替える。


「こんにちは。先月の個展、見に行きましたぞ。」


エドワードが落ち着いた声で続ける。


年は同じ頃合いの三人だが、紫十郎だけが妙に若々しく見える。

勢いが、そのまま肌に張り付いているようだ。


「ほら紫水、お前も挨拶しろ。」


ぽん、と父に背を叩かれ、紫水が一歩前へ出る。


「お、お久しぶりです。えっと……前にいただいた絵葉書……まだ持っています。」


「絵葉書、ですか。ふふ……あの雪兎のですね。六年前に描いたものを、まだ大切に持っていただけて光栄です。」


「ほう、雪兎ですか。ぜひ拝見したいですな。」


エドワードが羨ましそうにすると、紫水の頬がわずかに赤くなる。


そのやり取りを、紫十郎はふと横目で眺め――


「む……」


視線の先に、紫月。

彼は大きく口を開けた。


「おお、紫月!どうだ、この会は!!お前の好きな甘味が腹いっぱい食えるぞ!!」



紫月は一瞬だけ父を見る。


「……とてもありがたく思います。」


「あ、あぁ……」


紫月の言葉は丁寧だが、熱はない。

紫十郎が静かになってしまうほどだ。


「「……」」


二人に流れた気まづい空気を察したのか、横からエドワードが穏やかに口を開く。


「紫月さん、うちの息子はどうですかな?何か失礼はしておりませんか?」


紫月の指先が、わずかに強く握られる。


「……」


本音を言えば、あまり答えたくはない話題である。

しかし、婚約者の父親にそんな失礼なことはできない。


「失礼だなんて……いつも尽くしてくださいますし、優しくしていただいています。」


静かに、整えた声で返す。


その直後。


「フンッ!」


紫水が小生意気に鼻を鳴らした。


「……なんですか、紫水。」


紫月が眉をひそめる。


「姉上よりも、オレのほうがロメオ兄様のいいとこ知ってますから!!」


ぷい、と顔を逸らす。


その幼さに、エドワードが柔らかく笑った。


「はははっ。そう言っていただけると、親としても嬉しいですな。」


場の緊張が、少しだけほどける。


その時。


「皆さま、もう開始時刻でございます。どうぞ、お席へ。」


雪乃が現れた。

凛とした声音が、壇上の空気を整える。


「おや、もうですか。紫十郎殿やエドワード殿とも話したかったのですが……」


「休憩時間もある。その時話せばよかろう。」


紫十郎の一声で、話は区切られた。


五人は、それぞれの席へと向かう。


席順は決まっており、中央に紫十郎。

その右に紫月。さらに隣に紫水。

左側に青沼とエドワード。


横一列に並んだ姿は、まさにこの催しの象徴だった。


(重要な行事だからと来てみれば……どうして私がこんなことを……)


紫月は内心、ため息をつく。



 (姫様……)


雪乃は紫月を心配しつつも、マイクが設置してある壇上の端へ進み出た。


白い着物が陽光を受け、静かにきらめく。

ざわめいていた観客席が、雪乃の美しさにすっと静まった。


「皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。」


澄んだ声が庭園に広がる。


「ただいまより――

 “ 古今東西 笑み招きの甘味席”を開催いたします。」


その名が告げられた瞬間、歓声が起こる。


「本日の催しは、東西の甘味文化を一堂に会し、互いの技と心を交わす場として設けられました。

菓子は嗜好であり、技であり、そして文化でございます。」


 一拍置く。


「それでは、主催者であられます藤堂家当主、紫十郎様よりご挨拶を賜ります。」


中央の椅子から、紫十郎が立ち上がる。

豪胆な男の見た目の通り、その立ち姿には揺るぎない威厳があった。


「本日はよく来てくれた。」


声はよく通る。大げさな装飾はない。


「近年、海を越えた往来は増え、品も技も交わる時代となった。東の菓子には四季がある。西の菓子には華やぎがある。」


視線がゆっくりと観客をなぞる。


「互いを知れば、さらに良きものが生まれる。甘味とは腹を満たすだけのものではない。人と人を結ぶ橋にもなり得る。」


エドワードの方へ軽く視線を送る。

エドワードも、その隣の青沼も静かに頷いた。


「今日この場が、技の競い合いであると同時に、文化の交わる場となることを願う。」


そこで、ほんのわずかに。

紫十郎の視線が右隣へ向いた。


……紫月へと。


「……皆が心より楽しめる席であれば、それでよい。」


一瞬だけ声が柔らぐ。

だがすぐに、


「以上だ。」


短く締めた。

拍手が広がる。


雪乃が再び前へ出た。


「続きまして、本日の審査員をご紹介いたします。」


順に名が呼ばれる。


「主催、藤堂家当主――紫十郎様。」


大きな拍手。


「青沼家当主――青沼青之助様。」


落ち着いた拍手が続く。


「バレンティアよりお越しの国王――エドワード様。」


異国の名に、ざわめきが混じる。


「藤堂家若君――紫水様。」


若き審査員に、若い観客が沸く。


そして。


「藤堂家嫡女――紫月様。」


ひときわ大きな歓声が庭園を揺らした。

紫月は静かに一礼する。


雪乃が最後に告げる。


「製作時間は二時間。菓子の種類は問いません。それでは――」


空気が張りつめる。


「開始。」







ーーーーーー








四人の作業台は近かった。

互いに会話をしながら、それぞれが慌ただしく手を動かしている。


「あ、やべ! 卵割るの失敗!アタイとしたことが!!」


セリナの声が響いた。


器の中で、黄身がわずかに崩れている。

卵黄と卵白を分けるはずが、白身の中に黄色がにじんだ。


「おーい!その卵白をあたしが使うんだから頼むよ!!」


泡立て器を握ったまま、ユキミが振り向く。

ボウルの中では、まだ柔らかな卵白が揺れている。


「わ、分かってるって!」


セリナは慌ててもう一つ卵を手に取った。

今度は慎重に、殻を割る。

指先に力を込めすぎないように。




隣では、別の熱が立ち上っていた。


「うぉおおおおおおお!!!」


まな板の上で、包丁が激しく跳ねる。


リコだ。

何かを執念めいた勢いで刻んでいる。


「な、何を作るつもり?」


生地の型抜きを手にしたミキが、思わず問いかける。


「それはできてのお楽しみ♡それより……」


リコはひょいとミキの手元を覗き込んだ。


「それ、なんの形?」


「え、犬だよ!!」


得意げに掲げられた生地は、丸い耳が二つついた愛らしい姿……のはずだった。


「……あ…う、うん!」


リコは一瞬だけ沈黙し、すぐに満面の笑みに戻る。

それ以上は何も言わなかった。


オーブンの熱気。

甘い匂い。

刻まれる何かの青い香り。


「あれ、そういえば墨男さんは?」


セリナがふと顔を上げ、辺りを見回す。

参加者の一人である墨男の姿が見えない。


「あー。確か、第一作業場だったな。」


ミキが生地を並べながら答えた。







ーーーーーー





 「くっ……」


第一作業場は、第二とは別棟にあった。

顔を合わせぬのも当然の距離である。


なので墨男は一人、黙々と作業を行っていた。



「指は……動くか……」


そっと右手を握る。

三重にしたゴム手袋を捲ると、包帯から血が滲んでいた。


これは菓子作りで、傷ついた手に負荷がかかったからではない。


こうなった理由は、周りの声を聞けば分かる。


「アイツの手、踏んでやったよ……」

「いいことしたねー。」

「ククっ、黒が近くにいると菓子が腐ってしまう。」


笑い声が、刃物のように耳に残った。


(……こんなこと、気にしていられるか。)


視線を落とす。

床にハサミが転がっている。


花をかたどるための細工用。

繊細な飾りを仕上げるために、どうしても必要な道具だ。


落としたのは墨男ではなく、他の参加者から故意に落とされた。


(今度は踏まれないようにしなければ……)


しゃがみ、拾おうとする。


その時だった。


「君、これを使いなさい。」

柔らかな声。


墨男が顔を上げると、ひとりの男が立っていた。


豊かな眉。立派な髭。どちらも毛量が凄い、若そうな男だった。


その手には、同じ型のハサミ。


「落ちたものを拾うのは係員に任せておきなさい。……それと、その手は手当しなさい。バレないようにね。」


淡々とした口調だった。


墨男は一瞬、言葉を失う。


「あ、ありがとうございます……」

差し出されたそれを、左手で受け取る。


すると背後で、舌打ちが響いた。


「ッチ。」

「いい人ぶりやがって……」

「相手は黒だぞ?正気か?」


今度は、男へ向けられる嘲り。


墨男の胸が締めつけられる。


「申し訳ございません……」

思わず頭を下げる。


しかし男は肩をすくめただけだった。


「お互い、いいものを作ろう。」

それだけ言い残し、自分の持ち場へ戻っていく。



(……あの方は…………)


墨男はなぜか、あの男を知っているような気がした。





ーー数分後



墨男は受け取ったハサミを見つめる。

刃は美しく研がれていた。


(念のため、洗ってから使うか。)


水場へ向かう。


冷水が手の甲を打つ。

じん、と痛みが走った。


それでも。


墨男は水滴を払うと、静かに作業台へ戻った。


白い練り切りを手に取る。

やわらかな生地が、指の中でゆっくりと形を変えた。


(……姫様。)


ふと、耳の奥で蘇る。


“ あなたが……私を傍で守ってくれるだけで、私は幸せよ。”


優しい、暖かい声だった。

情けない自分を、半端者の自分を許してくれるような。



(……姫様。)


そして続けて思い出す。


震える自分の肩に置かれた、あの手。

きっとあの手の温もりは、一生忘れないだろう。


「……」

墨男はゆっくり息を吐いた。


右手がズキズキと痛み続ける。

それでも、手は止めない。


丸く整えた餡に、ハサミで小さく切り込みを入れる。


花びらが一枚、形を現した。


もう一枚。

そして、また一枚。


墨男の動きは、慎重だった。


刃を入れるたび、細い花びらが開いていく。

まるで本物の花のように。


とてつもない集中力で、花を整えていった。


しばらくして。



――ついに、


「……ふぅ」


シロツメクサが完成した。



「……すぐに盛り付けなくては。」


出来上がった練り切りを皿へ乗せようとした、その時だった。


すぐ前を歩いていた参加者の男が、突然大きく体をよろめかせた。


「おぉっと!」


男の体が墨男の方へと倒れ込む。

練り切りを、潰すために。


「!!」

墨男の体が反射で動く。

右手を前に出し、男の腕を受け止める。


「ッ!!」


瞬間、鋭い痛みが右手に走った。

墨男の顔が歪む。


男はその様子を見て、逆に声を荒げた。


「黒が私に触れるとは無礼な!!」


吐き捨てるように叫ぶ。


「汚らわしい!!恥を知れ!!」


そして今度は、露骨に拳を振り上げた。

もはや偶然を装わず、練り切りを潰そうとする。


「こんなもの!!」


トンッ


拳によって、練り切りは無惨な姿に……

ならなかった。


「いい加減、よさないか。」


髭と眉の毛量が多い男が割り込んだからだ。

それは少し前、墨男にハサミを渡してくれた男だった。


拳を止められた男が顔を歪める。


「な、なんだお前は!!」


「ただのウィルだよ。」


ウィルは肩をすくめる。


「そんなことより……君は、紳士として恥ずかしくないのかい?わざと妨害するような真似をして。」


「な……ッ」


ハッキリと“ 妨害”という言葉を使われ、動揺する男。


「これ以上何かするようなら――」


ウィルは運営スタッフへと、軽く指を向けた。


「彼らに連れ出してもらうよ。」


「……ッ」


男は言葉に詰まる。

しかも、周囲の視線が集まり始めていた。


「……チッ」

男は舌打ちを一つ残して踵を返すと、そのまま足早に、その場を去っていった。




「あの、ありがとう……ございました。」


「……いやいや、いいんだよ。」


墨男が頭を下げると、ウィルは困ったように笑う。


「あの……あなた様は……」


「あ、まだやることが残っていたんだった。失礼!」


そう言うと、髭と眉を揺らしながら、足早に人混みの中へ消えていった。


墨男はしばらく、その背が消えた方向を見つめていた。


(そうか……あの方は……)


そこまで思いかけた、その時。


――本当に、その花を渡すのか?


(……!!)


耳元で囁くような声。

影丸の声が、また胸の奥から這い上がってきた。



――その花を渡して、どうなる?渡したとして、お前に姫の願いは叶えてやれないんだろう?


(……俺なんかに、姫様の尊き願いなど……分かるはずもない。)



――可哀想だな。期待だけさせて、また落とすのか。


墨男の眉がわずかに動く。


(……どういうことだ。)



――当然じゃないか。


影丸の声が、すぐそばで笑った気がした。


――姫には、お前が約束を“忘れた”と言ったあの時の記憶がない。なら、その花を渡されたら……期待するのが自然じゃないか。


(うるさい……)


墨男は低く呟く。

だが声は止まらない。


――それに、分かっているはずだ。お前では、姫を幸せにできない。あの男には敵わない。


「……それでも、俺は…」







ーーーーーー





開始の合図から二時間。


会場では、各参加者が順番に作品を発表していた。


色鮮やかな菓子。

繊細に形作られた飾り。

皿の配置や器まで計算された盛り付け。


どの皿にも、職人の工夫が詰め込まれている。


審査席では、五人の審査員がそれぞれスイーツを口に運び、手元の紙に点数を書き込んでいた。


採点は十点満点。


点数と簡単な感想を書き終えると、紙は回収箱へ入れられる。


すべての作品の採点が終わったあとに集計され、最後に優勝者だけが発表される仕組みだった。


紫十郎は湯のみを持ちながら、満足そうに頷く。


「どれもなかなかの出来だな。紫水、何か気に入ったものは?」


紫水は腕を組み、少し考えてから答える。


「オレは、三十四番の抹茶プリンが気に入りました。」


「俺もだ。あの茶碗蒸しは美味かった。」


「父上、茶碗蒸しではありません。プリンです。」


「西の言葉は難しいな……」


そんなやり取りをしていると、会場に声が響いた。


「次は、四十八番。お願いします。」


雪乃の落ち着いたアナウンス。


「「あっ」」

その番号の持ち主が現れた瞬間、紫月と紫水が同時に顔を上げた。


審査員五人の前に立つのは、


「ウチが優勝やろ。」


リコだった。


係員が静かに皿を運び込む。


カチャ


審査員の前に並べられた皿は、銀の蓋で覆われていた。


皿が五人分出揃うと、小太鼓の音が鳴る。


ジャラララララッ


「ウチが作ったのは、どら焼きです!」


ジャンッ!


効果音のような勢いで、係員が一斉に蓋を持ち上げた。


現れたのは、ふっくらと焼き上げられたどら焼き。

綺麗な焼き色で、ふわふわの生地。



紫月がリコに視線を向ける。


「美味しそうですね、リコさん。」


紫水は腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。


「ふん、どら焼きか。」


リコは満足げに手を差し出す。


「どうぞー。」


審査員たちはそれぞれ、どら焼きを口へと運んだ。


すると――


「「「「「うっ……」」」」」


五人の審査員の顔が、同時に歪んだ。


「なんだなんだ?」

「どうしたのかしら……」

「まさか……毒でも!?」

会場に妙な騒ぎが起こる。


「……?」

ただならぬ空気感に、リコが首をかしげた。


「……おい」

紫水がゆっくりと顔を上げる。

そして鋭くリコを睨みつけた。


「おい、お前……いったい何を入れた?」


リコはきょとんとし、


「え? 何って……」


首を傾げたまま答える。


「梅昆布茶を隠し味に入れたんだけど……」


「それでこんな味になるのか!?」


「梅と昆布を刻んで入れたよ!あと調味料を色々……」


「それは梅昆布茶ではない!退場しろ!」


ため息をつく紫水。

審査員たちも、何とも言えない表情のまま紙に感想を書き込んでいく。


その様子を見て、雪乃が慌てて場を繋いだ。


「え、えー……では、最後に感想をいただきましょうか……」


視線が審査席へ向く。


「紫月様、お願いいたします。」


当てられた紫月は、少し困ったように立ち上がった。


「は、はい。」


一度咳払いをしてから、言葉を選ぶ。


「……生地の焼き具合や、餡の甘さはちょうど良かったです。あとは……隠し味の工夫と、味見をしていれば完璧でした。」


会場に小さなざわめきが起こる。


するとリコが、きょとんとした顔で言った。


「え?ウチ、味見したけどな?」




ーー




「次は、四十九番。お願いします。」


雪乃のアナウンスが、会場に響く。


その声を聞いた紫月と紫水は、ほとんど同時に心の中でつぶやいた。


((次はちゃんとしたものを食べたい……))


次に現れたのは、


「ダメねー、リコちゃんは。」


セリナだった。


係員が静かに皿を運び込む。


審査員の前に並べられた皿には、例のごとく銀の蓋が被せられていた。


ジャラララララッ


「私が作ったのは、プリンです!」


ジャンッ!


勢いよく蓋が持ち上げられる。


皿の中央には、つややかなカラメルをまとったプリンが鎮座していた。


なめらかな表面、綺麗なクリーム色。

見た目は申し分ない。


しかし先ほどの事件のせいか、審査席の空気はどこか警戒していた。


エドワードが小さく呟く。


「少し不安ですな……」



審査員たちはそれぞれスプーンを取り、慎重にプリンをすくう。


そして口へ運んだ。


「「「「「お。」」」」」


五人の審査員の表情が、一斉に和らいだ。

安心したような顔をしている。


セリナは満足そうに笑った。


「おほほ。リコちゃんとは違いますのよ。」


審査員たちは頷きながら、それぞれ紙に点数と感想を書き込んでいく。


やがて雪乃が口を開いた。


「では最後に一言、感想をいただきましょうか。」


視線が審査席へ向く。


「紫水様、お願いいたします。」


指名された紫水は、わずかに目を見開いた。


「……はい。」


立ち上がる。

すると、よく見ると頬が少し赤い。


どうやら大勢の視線を浴びるのは苦手らしい。


紫水は咳払いを一つしてから、短く言った。


「……無難に美味かった。」


その一言で終わりだった。


セリナが目を丸くする。


「え?それだけ?」







ーー








「次は、五十番。お願いします。」


雪乃のアナウンスが、会場に響いた。


紫月は静かに顔を上げる。


(次は誰が……)



現れたのは、


「綺麗に作れたと思います!」


ミキだった。


係員たちが静かに皿を運び込む。

銀の蓋の中からは、香ばしい匂いがした。


ジャラララララッ


ミキは得意げに両手を腰に当てる。


「ミキが作ったのは、クッキーです!」


ジャンッ!


軽快な音とともに、蓋が一斉に持ち上げられた。


皿の上に並んでいたのは――


「「「「「……?」」」」」


不思議な形のクッキーだった。


丸いような、平たいような。

中央が膨らみ、外側が広がっている。


「「「「「……?」」」」」


審査員たちは思わず顔を見合わせる。


首を傾げる者。

眉をひそめる者。


そんな中、一人だけ目を輝かせている男がいた。


「んんんん、素晴らしい!!」

高貴な身分の“ 青”であり、芸術家でもある青沼だ。


彼は椅子から身を乗り出すと、


「私にも分からない作品だ!そこがいい!」


高らかに叫んだ。


「「「は、はぁ。」」」

青沼のテンションについていけない審査員たちは、ひとまずクッキーを手に取る。




そして一口。


「「「「うん。」」」」


味は普通に美味しい。

しかし、なんの形なのか分からない。


首を傾げたまま、クッキーを見つめる審査員たち。


「ミキさん、この形は……」

紫月が問うと、ミキは胸を張って答える。


「それ、羊を作ったんです!そっくりでしょう!」


「「「「……」」」」


審査員たちは苦笑いを浮かべながら、それぞれ紙に点数と感想を書き込んでいく。


やがて雪乃が口を開いた。


「では最後に一言、コメントをいただきましょうか。」


視線が審査席へ向く。


「青沼様、お願いいたします。」


「はい。」


青沼は勢いよく立ち上がった。

その目はきらきらと輝いている。


「素晴らしい!!なんて個性的で、独自性のある形なんだ!!」


腕を大きく広げて語る。


「既存の概念に囚われない大胆な発想!形の自由!これはもはや菓子ではない、芸術だ!!」


ミキは嬉しそうに笑った。


「えへへーっ。ありがとうございます!」


その様子を見ながら、エドワードが隣で小さく呟く。


「……顔はどこなんでしょう。」





ーー





「次は、五十一番。お願いします。」


(この流れだと……)

紫月は少し身を乗り出す。


現れた人間は案の定、


「よ、よろしくお願いします……!」


ユキミだった。


例のごとく、審査員の前に皿が運ばれる。


ジャラララララッ


ユキミはぎこちなく頭を下げた。


「あ、あたしが作ったのは……パウンドケーキです。」


ジャンッ!


蓋が持ち上げられる。


現れたのは、きれいに焼き色のついたパウンドケーキだった。


紫十郎が感心したように頷く。


「おぉ、柔らかそうな菓子だな。」


審査員たちはそれぞれフォークで切り分け、口へ運ぶ。


そして――


「「「「「……っ!!」」」」」


沈黙。

誰も言葉を発さない。


審査員全員が、目を見開いて固まった。


「え……え?」

ユキミは不安そうに尋ねた。


「え、えっと……どうでしょうか……?」


「……どうも何も……なんだこれは……」


紫水の低い声に、ユキミがびくっと肩を震わせる。


「お前……砂糖と塩を間違えたな!!塩っ辛くて仕方がないぞ!!」


ユキミの目が大きく見開かれた。


「えっ、えっえっえっ、えっえっえ?」



会場のあちこちで小さな笑いが起きる。


「ベタね。」

「ベタだ。」

「ベタベタ。」



ユキミは顔を真っ赤にして慌てだした。


「ち、違うんです!……あの……その……」


しどろもどろになる。


審査員たちはお茶をグビグビ飲みながら、紙に感想を書き始めた。


やがて雪乃が口を開く。


「で、では最後にコメントをいただきましょうか。……紫十郎様、お願いいたします。」


紫十郎は腕を組み、ゆっくり立ち上がった。


しばらくユキミを見てから言う。


「……うむ。」


そしてカッと目を見開く。


「しょぱぁぁあああああああいいいいい!!!」


あまりに素直な感想に、会場から笑いが漏れた。


ユキミは顔を両手で覆った。


「す、すみません……!!」








ーーーーーー







閉会式が終わり、会場のざわめきがゆっくりとほどけていく中。


セリナが肩をすくめ、少しだけ唇を尖らせた。


「優勝、逃しちゃったねー。」


その声は軽いが、ほんのりと悔しさが混じっている。


ミキは腕を組み、頷いた。


「ね、ミキの得点高そうだったのに。」


その言葉に、リコが首をかしげる。


「ミキを褒めてたの、あのおじさんだけだったよ……?」


的確すぎる一言だった。


ミキは「えっ」と固まり、ほんの一瞬だけ世界が止まる。


その横で。


「はぁ……」


大きく、深いため息が落ちた。


ユキミだった。


肩を落とし、今にも地面に溶けてしまいそうな勢いで項垂れている。


「やらかした……」


その一言に、リコがぽん、と軽く背中を叩く。


「ユッキー、やったなぁ。」


ミキもすかさず追撃する。


「ミキでも間違えなかったよ。」


セリナはニヤッと笑いながら、


「あれはベタすぎー。」


と容赦なく言い放った。


慰めという概念は、どうやらこの場には存在しないらしい。


ユキミはさらに肩を落とした。


「うぅ……」


その姿は、しょんぼりとした子犬のようである。


ふと、ミキが思い出したように顔を上げた。


「そういえば、墨男さん出てないよね?」


リコも同じ疑問を口にする。


「ね、どうしたんやろ。お菓子は渡したんかな?」


セリナは少しだけ考える素振りを見せてから、審査員席の方を見る。


「んー、紫月さんの近くにいるかもね。暇だし探してみよ。」


「「おー!」」


軽やかな一言とともに、さっさと歩き出す三人。




「え、みんな置いていくの!?」


取り残されたユキミが慌てて顔を上げる。


すでに、薄情な三人は少し先へ。


「待ってよぉ!」


小走りで追いかけるユキミ。








いったい、墨男はどこにいるのだろうか?

ちなみに、出場者に作られたスイーツは全て毒味済み。

リコのどら焼きを食べた人は大変だったでしょう。

ユキミのパウンドケーキを食べた人は高血圧間違いなし!


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