憂鬱すぎて考えがまとまらない
いつの間に、わたしは眠ってしまったらしい。
そこには、洋一が立っていた。
夏の海で、洋一がわたしを呼んでいる。夏だっていうのに、Gジャンを着ていた。
ああ、そうか、バイクで来たんだった。わたしは、ヘルメットを持って立っていた。
「ほら、早く。」
洋一が、そうせかすから、わたしはそっちに向かって走り出した。いつの間に着替えたのか、わたしはライトブルーのワンピースの水着で、洋一は海に膝まで浸かっていた。わたしは、海に勢い良く走り込んだ。水飛沫が上がり、わたしは洋一の胸に飛び込んだ。大きくて、がっしりした胸。
洋一は、わたしをそのまま抱き上げて、勢い余って、そのまま後ろに倒れて行った。すうっと、いう落下感のあと、大きな水飛沫が上がり、わたしは水の中だった。
膝までしかなったはずなのに、わたしは深く深く沈み込んで行った。
わたしは、見回した。
洋一は何処にいるの?
息が苦しい。もがいても、もがいても体は一向に浮かび上がらない。自由に体が動かない。息が苦しい。
洋一は何処?
目を開けると、車の中でわたしはシートベルトを掴んでいた。お腹のあたりを、シートベルトがきつく締め上げていて、わたしはそれを緩めた。車は止まっていて、車内の温度は少し上がっていた。
一瞬、自分がどうしてここにいるのか分からなかった。
洋一はいなかった。
そういえば、町田もいなかった。車は、何処かの住宅街にあった。静かな住宅街だった。犬の鳴き声もしない。赤ん坊や子供の声も、車の行きかう音もない。
風もなくて、死んだように静かだった。
町田の座っていたシートには広げられた地図が載っていた。
詳細な地図で、細かな町名まで載っている。それでも、目的の家を探すのは大変なのだ。住宅地図は、是非とも必要なのだ。
でも、それはなかった。
ひょっとすると、この地図だけで見つけようというのかもしれない。番地は分かっているから、電柱の表記をいちいち確認して行けば、無理、というわけではない。時間がかかるけれども。
町田はそれを探しに行ったのかもしれない。
わたしは再び目を閉じた。体中で疲労感が漂っていた。細胞という細胞全てが、縮こまってしまったかのような、だるさだった。指先がしびれている。薄暗くなりかけた車内では、よくわからなかったけど、きっとむくんでいるんだろう。顔もきっとむくんでいて、ぶっさいくなんだろう。
リクライニングさせて、わたしはなるべく楽な姿勢をとった。
疲れているんだろう。
目を閉じて、町田が戻ってくるまで眠ろうと思った。
でも、頭の中に彩子の顔が浮かんできて、それを消すことが出来なかった。
疲れのせいかもしれない。
裕樹を殺した犯人が、彩子だという確証も、根拠もなかったけれど、そうだという気がしているからかもしれない。
とりあえず仮に、彩子が犯人だとしてみよう。
そうやって、わたしは眠りにつこうとしたけど、出来なかった。
じゃあ、ビデオ売りのおっさんは、誰を見たんだ?
そういう町田の声が聞こえてくるような気がした。ビデオ売りのおっさんの証言がある限り、犯人が彩子であるはずがない。
倒れていた裕樹の様子が目に浮かんできた。
わたしは、必死にそれを追い払おうとした。思い出したくない。
うつぶせで、顔を左に向けて、右手は頭上に上げて・・・。
背中には、どす黒く変色した大きな染みが広がっていた。それから、あたりにも血は飛び散っていて・・・。
わたしは頭を振って、それを忘れようとした。
でも、血液の匂いが思い出されてくる。気持ちの悪い匂い。そこに倒れていたのは、裕樹というよりも、死体だった。人というよりも、物質。それも、とびっきり気分が悪くなる物質。思わず、裕樹のことが好きだったということを忘れてしまうくらい。
でも、同時に、手に入りかけた安心や幸せが、一瞬のうちにばらばらと崩れていった感覚も思い出されてくる。裕樹が裕樹だった時のおもかげを見い出すうちに、その物質は裕樹に戻っていくのだ。
わたしは分からなくなっていった。
本当に裕樹のことが好きだったんだろうか。
彼と出会って数日過ごしただけなのだ。わたしが、洋一のことを忘れようとしていただけなのかもしれない。
わたしが、洋一のことを忘れようとしている・・・。
そんな馬鹿な。
でも、どうして。
わたしは、悲しくなってそうっと目を押さえた。
町田が帰ってきた。
運転席のドアが急に開いて、わたしは飛び上がるほど驚いた。
「悪い、悪い。起こしたか?」
町田は、少しだけ心配そうな顔で言った。
「ううん。起きてた。何処に行っていたの?」
「近くで聞き込んでた。」
そう言うと、車のエンジンをかけた。
「しかし、日が落ちても暑いな。」
エアコンの風量を最大にして、町田は車を動かした。
「起こしてくれて良かったのよ。」
わたしは町田に言った。
「何言ってる。起こしたけど、ぴくりともしなかったよ。」
「あら?そうだったの?」
わたしは釈然としないまま言った。
「彩子の家はわかったよ、奈々。」
「え?」
「このすぐ先だよ。わりと小さな集落だから、すぐに分かったよ。それよりな、もっとおもしろいことがある。」
わたしが一人で取り残されている間に、町田のした仕事の早さに少し驚きつつ、聞き返した?
「おもしろいこと?」
「ああ。奥村裕樹もここの出身だ。」
「え?」
町田は、顔をしかめつつハンドルを握り直した。
「二人は、昔からの知り合いだよ。」
わたしはどのくらい寝ていたんだろう。調べが早すぎる。
そう言うと、町田は弁解がましい口調で言った。
「実を言うと、1軒めに入った家が奥村裕樹さんの親戚だったんだ。」
「偶然にしてはうまい話ね。」
わたしは、皮肉を言うつもりは無かったけれど、そういうようにも聞こえる言い方をしてしまったらしい。
「ああ、そうだけど、この辺りじゃあたりまえなんだよ。奈々は寝ていたから知らないだろうけど、この町、小さいぜ。ざっと数えてみたけど、全部で30軒ってとこだ。」
そう言っている間に、車は家の無い区画に出てしまった。田んぼが広がっていた。住宅街らしかったのは、さっきの場所だけのようだった。集落から出て外側から眺めると、数えるほどしか家の無いことが分かった。集落の中心の方に比べ、外側のこちら側には、大きな屋敷が何軒かあった。つまり、昔からの家だ。おそらく、こちがわから反対側にむかって家を建てていったのだろう。
古くからの集落にはよくあることだ。子孫が増える度に一方に向かって町が拡大していく。そんな話を、大学の教養の授業で聞いたことがある。町の形成の仕方、とかなんとかいう題目だったような気がする。地理的なこともあるだろうが、水田をつぶして家を建てていくよりも、その水田の反対側に家を作っていくのだ。ということは、こちら側の大きな屋敷から順番に古いということだろう。
ま、わたしには関係ないけど。
「あの二人は、昔からの知り合いだった。」
町田は繰り返した。
「それで、裕樹さんが大学へ入ったあと、彩子も同じ大学へ行った。裕樹さんの方はどう思っていたか分からないけど、彩子がそれを追いかけていたのは間違い無いみたいだよ。」
「そうなの。」
わたしは、何か嫌な気分だった。彩子は単なるストーカーであったほうが、わたしにとっては気分が楽だった。彩子にとって、裕樹は長年のあこがれの人だったのかもしれない。
「それからね、奈々。裕樹さんの葬式、明日みたいだよ。」
わたしは、おもわず、あっ、と声を出してしまった。葬式に呼ばれない程、わたしは裕樹との関係が薄いんだ、ということをまじまじと思い知らされた気がした。
「奈々、それで考えたんだけど、彩子も明日、来るんじゃないかなあ。」
わたしの様子には気がつかないで、町田はそう続けた。
「そうかも、しれないわね。」
わたしは、それだけ言うと、口を閉ざした。
「今から彩子の実家を見張ってみるか?」
町田はあぜ道に車を止めると、そう言った。わたしは、返事もしないで落ち込んでいた。
「奈々?どうする?」
町田は、じれったそうに言った。わたしは、ようやくそれで口を開いた。
「いいわ、こんな小さな町じゃ、見張っていたら目立つし。いったんひきあげましょ。」
「それもそうだな。」
町田はドライブをセレクトして車を走らせ始めた。
「で、また戻るのか?100キロも。」




