警察にも行かずに遠出する
大学構内に入り、サークル棟3階の事務所に行った。
アストは自分の携帯で西口に電話をした。
え?自分で電話しろって?わたしは着替えがしたかったの。自分の部屋で着替えてこればよかったのに、と思うかもしれないが、そうするのが嫌だったのだ。
わたしは、ひょっとすると引っ越しをしなくてはいけないかもしれない。いや、それよりも独り暮らしを続ける自信が少し、揺らいできていた。
洋一との思い出がある部屋だけれど。
着替えをすませ、外にいた町田を呼んだ。
町田は、電話をしながら入ってくると椅子に腰かけた。彩子の住所を聞き出すようにアストには頼んでいた。
「どう、わかりそう?」
わたしがそう小声で尋ねると、町田は手で合図した。待て、という意味なんだろう。
わたしは犬か?
そう思っていると、町田が丁寧に礼を言いながら、電話を切った。
「分かったよ。」
そういうと、町田は立ち上がった。
「さっそく行ってみようか?」
信号を睨みながら、町田はパワーウインドーを操作すると、タバコを取り出した。
「アスト、わたしにもちょうだい。」
町田は、タバコを渡しながら、
「あいかわらず、自分では買わないのか?」
と言った。
「買うわよ。でも、置き忘れたの。」
「あ、そう。」
JPSを一本抜いて、火をつけた。本当は、このタバコはきつすぎて、好きじゃない。
「それで、奥村彩子の本名は分かったの?」
「ああ。奥村彩子だったよ。」
「本名だったってこと?」
「そうらしい。」
町田は片手で運転しながら、ツードアの大きなウインドーから外へ向かって煙を吹き出した。
しばらく黙って運転していた町田だったけど、
「奈々、彩子は奥村裕樹さんを殺した犯人だと思うか?」
わたしは、細めに開けたウインドーの隙間へ煙が吸い込まれていくのを眺めながら答えた。
「さあ。わからないわ。」
「しかし、奈々を殺そうとしたことは確かだろう?」
「まあね。」
彩子は、裕樹を殺していない、と言った。それから、わたしが裕樹と寝たから彼は死んだのだ、とも。
彼女は、狂っているんだろうか。
名字がたまたま同じだというだけで、結婚しているかのように思い込んだりするのだ。自分が殺しても、自分がやったのではないと思い込むことがあってもおかしくはないだろう。彼女は危険だ、と思った。
それから、彼女のを手伝っている男がそばにいる可能性が高い。
どんなやつなのか、まだ分からないけれど、いずれにしても体力的に、こちらと互角かそれ以上ということも有り得る。
町田って、あんまりがっしりしたタイプじゃないからなあ。
「ねえ、田辺君の見た、彩子の車に乗った男って、わたしの聞いた声の男と同じかな?」
町田は、灰皿に吸い殻を捨てると、
「たぶんな。田辺本人がはっきり見たわけじゃないし、同一人物でも違っていてもあんまり意味はないけどね。」
「その男が一緒にいる可能性もあるよね。」
「そうだな。」
新しいタバコをくわえたまま、町田は考え事をしているようだった。
「やっぱり、今日行くのはやめにしよう。」
突然、そう言って、町田は車を止めた。
わたしは、驚いて町田の顔をのぞきこんだ。
「どうしてよ?」
町田はくわえていたタバコに火をつけて、その煙を吸い込んだ。
「分からないことが多すぎる、そう思わないか?」
わたしは、狐につままれたような顔、っていうのになっていたに違いない。
「どういうこと?」
煙を窓の外に吐きながら、町田は続けた。
「例えば、ビデオ売りのおっさん。あの人の証言では、犯人は背の高い男だ。信用できるかどうかは分からないけどな。動機の面では分からないけれど、奥村さんを殺していないとは言い切れないんじゃないか?」
「それはそうだけど、それと、彩子に会うのとなんの関係があるのよ。」
そう抗議するわたしの言葉を無視して、町田は続けた。
「それから、奥村さんの勤め先の事については、まだ情報が無いだろ?」
「だから、それが何の関係があるっていうの?」
「第一、奈々、おまえだって疲れているし、けがもしている。一応西口さんには奈々が殺されそうになったという話はしているけれど、本人から直接話を聞きたがっている。何故自分で連絡してこないのかって言ってたぞ。混乱してるんじゃないのか?奈々」
「わたしは、大丈夫よ。」
町田は、次の言葉を探そうとしているようだった。
「アスト、車を出して。彩子のところに行くの。」
町田は、タバコを吸わないでそれを見つめたままだった。
「早く。」
ようやく、それを窓から捨て、車を出した。
「奈々、行ってどうするつもりだ?」
その一言で、わたしは町田が何を考えていたのかを知ったような気がした。
「アスト、わたしが冷静な判断を出来ないでいる、って思っているの?」
町田は、車を走らせたまま何も言わなかった。
「そうかもしれないわ。」
わたしは、目を閉じて言った。
「じゃあ、こうしましょ。彩子がいるかどうかだけ、それを確認して、本人には会わないことにしましょ。もし彩子本人がいたら、警察に連絡して、わたしへの殺人未遂で捕まえてもらう、それでどう?」
町田は、考えていたようだった。けれども、それで頷いた。どうしようもない、そう思っているようでもあった。
それが、何かひっかかような気がした。
車検証にあった彩子の住所は県内ではなかった。
だから、必然的に長いドライブになった。高速道路に入り、わたしはだいぶ冷静になっていた。
わたしをダム湖につきおとしてから、彼女達はこの距離を移動して帰ったのだろうか。それから、もう一つ気になっていたことがあった。
裕樹の部屋へ、彼女は毎日100キロ近くも通っていたのだろうか。
そう考えると、彩子は車検証記載の住所にはいないように思えてきた。
しかし、住所を見る限り、それはアパートやマンションというより一軒屋だった。つまりそれは、実家だ。それならば近所を聞き込めば、なにかの情報が得られるのではないだろうか。
そんなことを考えながら、わたしは流れ去る景色を眺めていた。
空いた高速道路からは田園風景が見えた。良く晴れていて水田は青く光っていた。一台の軽トラックが、その間を走っていく。日はだいぶ傾きかけていた。一日の仕事を終えて家に帰るのかもしれない。
夏の日差しは、それでも強くてそこにあるもの全てをじりじりと焼いていた。エアコンを効かせた車内にいても、それはわたしの腕も焼いていた。
「アスト、暑い。」
「知らん。自分でなんとかしてくれ。」
わたしは、タオルを探したけれど、そんな気の効いたものは無かった。仕方無く、窓拭き用のボロ切れを腕に乗せた。
「なんか汚い。」
「こぼしたジュースとかも拭くしな。」
「えー。」
わたしは、それを払い除けた。日差しの強さは、我慢するしかない。少し体を曲げて、太陽を避けながら、外を眺める仕事に戻ることにした。
遠くで、何かが光りを反射していた。
看板か、美術館の窓か、巨大な鏡だろう。巨大な鏡、というのが一番面白そうだ。いったい、なんのためにそんなものを作る必要があるのか分からない。それを眺めながら、わたしは目を細めた。
そうしていると、遠くに海が見えた。
反射したのは、沖を行く船だったのかもしれない。




