危機からの脱出2
気がつくと、わたしは町田の腕の中にいた。
町田は心配そうにわたしを見下ろしていた。
「大丈夫か?」
わたしは、うなずくと立ち上がろうとして、そこが車のシートだと気がついた。
「運んでくれたの?」
「ああ。」
そういうと、町田はじっとわたしを見ていた。
「何があったんだ?死んでいるのかと思ったぞ。」
「話すと長いわよ。」
「いいさ。奈々のアパートまでは1時間ちかくかかるだろうから。」
「そうね。でも、あの部屋には戻りたく無いわ。」
「どうして?」
「それも、後で話すわ。」
それだけいうと、わたしは再び訪れた眠気に目を閉じることにした。
町田は戸惑っているようにも考えているようにも見えたけど、ドアを閉めて車を運転することにしたようだった。わたしは、ようやく安心して眠れるようになった。
警察は来ていなかったけれど、もう何も考えられなかった。
あとでいい、そういうことは・・・
町田の部屋に着くまで、わたしは一度も目を覚まさなかった。車が信号で止まったときも、駐車場で切りかえしているときも、町田が再びわたしを抱き上げて部屋まで連れて行ってくれたときも、目を覚まさなかった。
いや、本当は気がついていたけど、わたしは目を開けなかった。わたしは疲れていた。フローリングの床に寝かされて、それから町田は言った。
「奈々、ベッドに寝るなら、シャワーを浴びてくれよな。」
わたしは片目を開けて、それから再び目を閉じた。
「せめて着替えてくれよ。」
わたしは目を開けなかった。
「わかったよ。じゃあ、かってに着替えさせるからな。」
わたしは、目を開けた。町田はすっとぼけた顔でわたしを見ていた。しぶしぶわたしは立ち上がってシャワーを浴びに行くことにした。まあ、たしかに自分でも乾きかけのジーンズは気持ち悪かったし、砂だらけの髪は最低だった。
「アスト、着替えは?」
「あるわけないだろ。今着ているのは洗濯機にでも入れておけよ。」
「シャワーから出たらどうするの?」
「タオルでも巻いてろよ。」
「えー、いやよ。」
「どうせ、おれは出かけるからなんだっていいだろ。奈々の部屋の鍵を貸せよ。適当な服持ってくるから。下着は、何処かで買ってくる。」
「サイズ、知っているの?」
「知るわけないだろ。」
むくれたような顔で、町田は答えた。
「じゃあ、あとで一緒に取りに行くわ。シャツ、貸してよ。なるべく新しいやつね。」
「本当に、勝手な女だな、おまえは。」
そういうと、町田は押入から新品のヘインズを一枚取り出して投げてよこした。
「じゃあ、コンビニで食べるもの買ってくるから、帰ってくるまでにシャワー終わっててくれよ。」
そういうと、入り口のほうへ歩きかけた。わたしは、急に心細くなった。
「ねえ、行かないで。」
「なんだよ、それ。」
「今は、一人になりたくないの。」
町田は、ため息をついて、戻ってきた。
「後で話してくれよ、何があったのか。」
そう言うと、ベッドに腰をかけてテレビのスイッチを入れた。
昨日からのことをすっかり話し終えた頃には、昼過ぎになっていた。外ではセミがやかましく鳴いていた。相当に暑いんだろう。暑すぎて、黙っているのが堪えられないから、セミって鳴くんだろうか。
「警察に行くか?」
町田は深刻そうな顔で言った。
「警察に電話はしたけど、途中でわたしが力尽きちゃったらしい」
わたしは、町田に借りたTシャツと短パンという格好で床に寝そべりながら言った。床には埃が溜まっていた。
「警察はいたずら電話だと思っているんじゃないのか?どっちにしても届け出を出した方がいいだろう」
町田は、わたしの反応を待つようにじっと見つめていた。
「そうよね」
「誘拐に殺人未遂だぞ。のんびりしている場合じゃないだろ」
「わかってるんだけど、もう今さら急いでも仕方ないかな。それに一度行ったら時間かかるだろうし」
わたしは、町田から目をそらすと、さっと立ち上がった。
「まずは着替えを取りに行きましょ。」
「そうだな・・・。」
町田は、車のキーをつかむと、さっさとドアを開けた。暑い熱気と耳障りなセミの声が部屋の中になだれ込んできた。町田は振り向いて、わたしを見つめた。
「しばらく、うちに泊まるつもりか?」
わたしは、ちょっと考えた。
「うん。いい?」
「まあ、いいんだけど。今、彼女いないし。」
「あれ?いつの間に別れたの?」
「知らなかったのかよ。それで泊まろうなんてムシがいいな、奈々。」
そうかな、と考えて、そうだな、と思い直した。でも、その時ほど一人になりたくなかった時はなかった。とくに、自分の部屋では。
「奥村彩子だけど、奈々が生きていることを知ったら、どうにかしようとすると思うか?」
わたしの部屋の前まで来たときに、町田が言った。
「どうだろう、するかな?」
わたしは曖昧に答えて、それから自分の部屋のドアノブを引いた。予想通り、それは抵抗無く開いた。わたしを拉致しようとする時に、わざわざ鍵をかけてはいかないだろうな、とは思っていたけど。
「あ、ドアチェーン、切られちゃってるね。」
町田は、さも当り前、という顔で言った。
「中も散らかっているねえ。」
そう言われて、わたしは部屋の中をおそるおそる覗き込んだ。町田がにやにやしながらこっちを見ていた。
「デスクスタンド以外はいつも通りよ。」
「ま、いつも通り散らかっているよ。」
「悪かったわね。」
二人で中に入ると、特に荒されたあとは見当たらなかった。わたしは手早く着替えをバッグに詰めて、それから部屋の中をチェックした。
「何か無くなっているものないのか?」
町田は、ウイスキーの瓶とビールの缶をちゃんと分別してごみ袋に詰めながら言った。
「うん。無いみたい。」
「じゃあ、奈々を連れ出すのが目的だっただけなのかな。」
「さあ。随分と荒っぽいやりかたをしてくれたけど。」
わたしは思い出して痛んできた頭をそっとさわった。
「痛いのか?」
「うん、ちょっと。」
町田が傍にやってきて、なぐられたところに触れた。
「痛。」
「ごめん。ちょっと腫れているよ、医者に行ったほうがいいんじゃないか?」
「うん、大丈夫だと思う。」
「いや、どっちしても警察で証言しなくちゃな。警察が先か病院が先かくらいなものだぞ」
「大丈夫よ。この前、酔ってお風呂で転んだときよりも痛くないもの。」
「そういう問題か?」
わたしは、部屋の鍵が無くなっていないことを確認して、それをポケットにいれた。
「とりあえず、西口さんに電話しとくか。」
わたしと町田は、部屋を出た。
もちろん、鍵を閉めて。それが結構役に立たないとは思いながらも。




