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8月 芳田

――side: 春風ミユウ


 暑さは限界を超えていた。問題集へ向かおうとする気力を振り絞りながら、わたしはこれ以上耐えられない気持ちになっていた。

「シズカ。喉が渇いた……」

「緑茶を淹れようか?」

 この信じがたい言葉は平然と放たれた。

(なんて女なんだろう)

 わたしは受けたショックと非難の気持ちを眼差しにこめて睨んだ。こいつは砂漠で行き倒れた気の毒な人にも親切顔でパッサパサのビスケットを差し出すような女に違いない。

「……外にコーラでも買いに行く?」

「そうこなくちゃ」

 ところがわたしはまたもや田舎というものを甘く見ていたのだった。


 シズカの実家がある、ここ芳田という集落は、なんとものどかで穏やかな村だった。道ですれ違う人もほとんどなく、庭先で気楽な無駄話に興じている老人たちを見かけただけ。わたしとシズカが歩く横を乗用車や軽トラック、業務用の車がたまに通り過ぎて行く。家から徒歩5分圏内にコンビニなどあるはずもなかった。

「ごめんね。たしかこっちの方に自販機があったと思うの」

 シズカのいい加減な記憶を頼りになんとか探しだすしかない。

「このあたりって子どもはいないの?」

 わたしが深川ミユウになったとして、ここで子育てができるのだろうか? こんな誰もいない、何もない場所で? 急に心配になってきた。

「何人かいたと思うけど……」

 シズカは自信のなさそうな顔つきだった。

「何人かって?」

「このあたりの地域で各学年20人弱くらいいたと思う。わたしのときもそうだったもの」

「このあたりって?」

「だから……旧芳田町でってこと。平成の大合併で編入合併して、今は青垣市芳田だけど……」

「学校なんてどこにあるの?」

「……うん、だから、青垣市街に。芳田にあった学校はもう全部廃校になってるの。わたしの母校の小学校もそう。今はスクールバスが各集落を回って小中学生を乗せて、市街の学校に連れて行くのよ」

「あ、廃校……」

「うん。ほら、ここからでもちょっと見えてきた。あの3階建ての建物がそうなの」

 シズカがそう言って指差した先には、いかにも校舎風の無個性の塊が山に張り付くように建っていた。

「今は集会所になってるの。市民教室もよくやってるみたい。ちぎり絵とかシャドーボックスアートとか……わたしも園生学園に入学するまで、2年くらい絵はがきを習ってたのよ。大して上達しなかったんだけど。あそこなら自販機があったと思う」

 シズカは暑さで額に浮かぶ汗をハンカチで押さえながら、遠くを見るように目を細めた。

「そんなに前のことじゃないのに……。なんだか結構昔のことみたいに感じるの。不思議。わたし、もし園生学園に受からなかったら隣の市の公立高校にバス通学してたと思う。でももう今じゃそんなこと想像もできない」

 そして黒い目がわたしを見つめた。

「これは決められてたことだったと思う?」

 わたしはとっさには何も言えず、立ちすくんだ。シズカが怪しい宗教にはまっているのではと身構えたわけではない。シズカと宗教観や死生観について話し合ったことは一度もないけど、彼女が熱烈な運命決定論者だというわけでもないだろう。わたしにはシズカがこんなことを言いだした理由がわかっていた。

「……わたしの場合、少なくとも、わたしが決めたことだよ」

「本当に? なんでそう言えるの?」

 わたしは止めていた足を再び動かしはじめた。

「わたしはこのゲームをプレイするつもりでずっと生きてきたんだよ。自分で学園の資料を取り寄せたし、自分で受験申し込みを送ったし、受かるための学力だって努力して上げてきたもん」

「プレイするつもりで? いつから気づいてたの?」

「さあ、物心ついたときくらいからかな」

「え? わたし入学式の日だけど……」

「は?」

 お互いの視線がぶつかり、ほぼ同時にそらされた。わたしはコーラルピンクのペディキュアが塗られた足先を見るとはなしに見ながら、先ほどのシズカの言葉を反芻した。

(は?)

「……前々から思ってたんだけどさ、シズカ、どういうつもりでこのゲームを手に取ったの? 一番縁遠いタイプじゃない? 興味自体も薄そうだよね?」

「それは――」

 シズカは怯んだように言い淀んだ。

「まあいいんだけど」

 わたしは手を振って話を切った。乙女ゲームに手を出した理由に深く突っ込んだところで、どうしてあげようもないコンプレックスしか出てこないだろう。

「それより、もう着くよ。コーラ!」

「はいはい」

 シズカはくすくす笑って、正門ではなく通用門の方にわたしを案内した。

 通用門には『関係者以外の立ち入りを禁じます』と書かれた金属プレートがかけられていたけど、そのプレートはすっかり錆びていて、今となっては特に意味などないようだった。その門を抜けると左手に駐輪場と校庭、正面に校舎が、側面がくるように配置されていた。校舎の出入り口横に自動販売機があるのを発見してわたしの足取りもつい軽くなる。

「ミユウ!」

 シズカの声も右から左だった。小銭入れから100円玉を3枚出してコイン投入口に突っ込み、一番左上のボタンを押すと、目当てのものがガコンと出てきた。それを取り出し、もう一度同じボタンを押して2本目を取り出して、振り返った。

「暑ーい! 早く飲もう!」

「ミユウ! ……家で飲もうよ」

「ぬるくなっちゃうよ?」

「でも……」

 シズカの視線は周囲をさまよっていた。その先には、ここでたむろしていたらしい地元の高校生たちがいた。

「家の方が涼しいと思う」

「そう? たいして変わらないよ。いいじゃん。ここ、ちょうど日陰だし」

 シズカは困り顔でわたしを見た。

「なんで? だめ? どうかした?」

 黒い目は何かを察してほしそうに瞬いたけど、測りかねてわたしは首を傾げた。焦れたシズカがわたしの手首をつかんで立ち去ろうとしたところで、突然、高校生たちが口を開いた。

「――あれ、深川さんじゃん」

「あ、ほんとだ。久しぶりだねー」

 話しかけられたシズカはぎこちなく微笑んだ。

「全然変わってないな。なんか安心した」

「安心ってなんだよ」

「いや、ほら、高校入学でいきなりケバくなってたら嫌だろ。眉毛描いてつけまつげつけて、みたいな」

「お前、それユイのことじゃん!」

「誰もユイのことなんて言ってねーよ」

「絶対ユイのことだって! お前このあいだ会って、ショックだったって言ってたじゃん」

「違うって。ただちょっと、素朴な感じがよかったのにギャルになってたからさあ」

「わかる! そのままが一番かわいいのに、みたいな……」

「お前の彼女ギャルじゃねーか! なにが、わかる、だよ!」

「オレの彼女可愛いからいいんだよ」

 言うほどかよ、ぎゃはは、などと盛り上がっている。偏差値35、という感じだった。シズカはうつむいてしまっていた。このころには、シズカがなぜこの場を離れたがったのか、わたしにも完璧に理解できていた。今度はわたしがシズカの手を引っ張った。

「シズカ――」

「そういえば、最近深川さんと全然会わないんだけど、どこの高校行ってるの?」

「目撃情報全然ないよね!」

 タイミング悪く話しかけられてしまった。

「県内の高校だけど……」

 シズカはあいまいに答えた。

「県内のどこ?」

「公立? 私立?」

「講女? 清明? 千鳥?」

「講女でしょ? オレの予想じゃ講女なんだけど」

「わかる! 深川さんには女子高に通っててほしい!」

 シズカの愛想笑いにも綻びが見え始めていた。

(あーあ。だめだこりゃ)

 押しの強さが違った。シズカは彼らに対抗するには、はっきり言って内向的過ぎたし、育ちが良すぎた。

「ううん……園生学園なの」

「マジ!? 園生!?」

「すごっ! あそこ偏差値めちゃ高いじゃん!」

「入学金とか授業料とかも高いよな」

「深川さん、お嬢様なんだねー。そりゃそうか、お屋敷に住んでるんだもんな」

「そんなことないけど……」

「またまたあ!」

 シズカは目線で助けを求めてきた。

(こら、こっち向くな)

「あ、じゃあもしかして、この子も園生?」

「高校の友だち?」

(ほらー)

 どうやってもこの美貌が隠せたはずはないだろうけど、要らぬ注目を浴びてしまった。

「うん、まあ」

「可愛いね」

 わたしにとっては聞き飽きた、芸のない褒め言葉。量産型の馬鹿はそれ相応のセリフしか吐かない。たまに本気で、こいつらは本当にNPCなのではないだろうか、という疑念がわいてくる。

「シズカ、帰ろう」

 なぜシズカはこんなNPCのとりとめのないおしゃべりに付き合って時間を無駄にするのか? シズカの勝手だけど、わたしまでそれに付き合う気はなかった。

「え?」

「帰るの?」

「無視?」

 シズカは戸惑ってわたしと量産型馬鹿たちの顔を交互にうかがった。

「ここに残りたいなら、わたしは先に帰るけど」

「待って。ミユウ、そういうのは……よくないよ」

「は? そう?」

 まさかこんなところに攻略対象キャラが現れるはずもないというのに、何を気にすることがあるだろう? シズカの友だちだというなら多少気を遣うこともやぶさかではないけど、どう見ても扱いに困る知り合いレベルだし、そもそも帰りたがっていたのはシズカの方ではないか。

「この人たちのおしゃべりなんて、セミが鳴いてるみたいなものじゃない? わたしたちにとっては別に意味なんてないし、やかましいだけ。返事をしなかったからって無視したって言うのは、言い過ぎというか、あまりにも表面的というか、違うよね。そうだよね?」

「だよねって言われても……」

 わたしは眉を寄せた。例えが悪かったかもしれない。

「シズカは育ててる薔薇にも話しかけたりしてるからピンと来ないかもしれないけど……草木や虫に話しかけないのが一般的なんだよ? セミがミンミン鳴いたからって、そうだね、今日も暑いね、なんて返事したりしないよ。なんか、わたしが変なこと言ってるみたいな顔してるけどさ。もちろんペットに話しかける人は珍しくもないし、シズカもその感覚で薔薇に話しかけてるのかもしれないけど、でもそれと虫を一緒にしたら……。じゃあシズカ、想像してみて――アリと会話してる人を小さい子供以外で見たことある?」

 シズカは答えず、ただはらはらと量産型馬鹿たちを横目で見ている。量産型馬鹿たちはにやつこうとして失敗したような間抜け面をさらしていた。

「ねえ、どうなの?」

「ちょっと待て。オレら虫じゃねえけど」

「ミユウ……ミユウ、もう帰ろ? ね?」

「わたしはさっきからそうしようって言ってるよ」

 シズカは強い力でわたしの腕をつかみ、ぐいぐい引っ張った。

「じゃあね!」

「おい待てよ」

 量産型馬鹿のひとりがシズカの腕をつかんだ。そのせいでわたしたちは列車みたいにつながった。

「お前の友だち、何なんだよ、さっきから」

 シズカはまともに顔を上げることもできず、鷹の前の雀のように身をこわばらせていた。わたしはすぐさまシズカをつかんでいた馬鹿の手を叩き落とした。量産型馬鹿は臆したように一歩下がった。

「あなたたちの話、退屈で死にそうなんだよ」

 相手の目を見ながらはっきり言った。睨み返されはしなかった。


「ミユウって、誰にでも親切で優しいのかと思ってた」

 帰り道、シズカはぽつりと言った。

「わたしの知ってるミユウじゃないみたいだった」

 その口ぶりに非難の匂いを嗅ぎつけて、わたしは悪意なく笑った。

「何それ」

「だってミユウがあんな失礼なこと言うなんて」

 コーラを口に含むと、シュワシュワした刺激が広がった。

「わたし、みんなに親切に優しくしたいなんて考えたこともないよ」

「なんであんなこと言ったの?」

 シズカはうなるように言った。

「本心を言っただけだよ」

「あの人たち、確かにいつもミユウが好んで付き合うようなタイプの人たちじゃないけど、ああいう言い方はひどいと思うの」

 わたしはおやという思いでシズカを見やった。

「シズカって、わたしに対してははっきり物が言えるんだね」

 シズカははっとしたようにわたしに目を向けた。

「ほかの人にも言えばいいのに。その方がずっと簡単じゃない? どう思われたってかまわないもん」

「自分が好きな人には猫を被るってこと?」

「わたし、シズカやユウコにあんな言い方はしないよ。本心を隠してるからじゃなくて、好きだから親切に優しくできるんだよ」

「…………」

「どうでもいい人たちにもそれなりに礼儀正しく振る舞えるよ。その方がいろんな場面でうまくいくってわかってるもの。でもシズカ、さっき嫌そうにしてたよね。ああいうノリ苦手なんでしょ? あの人たち、シズカに気なんてひとつも遣ってなかったよ。わたしもああいう人たちに気遣いなんて、必要性感じなかったなあ」

 シズカはもうそれ以上何も言わなかった。

 ペットボトルにまた口をつけ、ごくごく喉を鳴らして飲んだ。炭酸が喉を通る感覚が心地よい。園生学園の生徒として期待されるマナーに即してはいなかったけど、こんな田舎で誰が見ているわけでもないし、お行儀の悪い歩き飲みをわたしは楽しんだ。


 家に着くや否や、シズカは携帯電話を握りしめ、どこかに電話していた。呼び出し音が鳴っているあいだももどかしそうに座卓の上を人差し指が跳ねる。何コールかして相手が出たらしく、シズカは急き込んで話し始めた。

「深川です。今、お電話大丈夫ですか? あの、庭の気温と湿度が気になって……今日暑かったものですから……――ええ!? 38度!? 本当ですか? 先輩、一生のお願いです、庭の薔薇に水をあげてください。早朝か日が沈んだくらいの時間がいいんですけど……。いいんですか? よかった! 先輩はわたしの天使です、本当にありがとうございます。――いえ、そんなに難しくないですよ。水道の栓にホースをつけてあるので、それでたっぷり水をやってくださったら……ええ、1時間くらいで終わると思います。あっ、薔薇だけじゃなくてほかの植物にも忘れずにあげてくださいね! グラジオラスとかヘメロカリスとかハーブ類にも! 絶対に真昼間に水やりしたりしないでくださいね。根腐れしたりしたら……そうですよね、先輩もちゃんとご承知ですよね。くれぐれもよろしくお願いしますね。では、そろそろ失礼します。ついでに雑草が目についたら抜いておいてください。先輩には心から感謝しています。ありがとうございます。失礼します」

「…………」

 電話を切ったシズカは、わたしと目が合うと、どうかした?というように首を傾げた。


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