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19/19

早瀬社長

サービス終了まで 残り11日


 五反田の駅を出たところで、柚木は、すぐに分かった。


 アバターと、同じ顔だったからだ。


 短く切った黒い髪。細い肩。グレーのコート。

 そして、目の下の、うっすらとした隈。


「……隈まで、そのままなんだな」


 思わず言うと、柚木は、少しだけ眉を寄せた。


「最初に会って、それ?」


「悪い」


「アバターを作るとき、隈を消し忘れた。十年前から」


「十年前から、隈があったのか」


「十年前から、寝てない」


 柚木は、冗談なのか本気なのか分からない顔で言った。


 春分の日の五反田は、人が少なかった。

 ビルのあいだの細い道を、二人で歩いた。電車で二時間かけて出てきた俺は、なんとなく、場違いなところにいる気がしていた。


 ルミナスゲートは、古い雑居ビルの七階にあった。


 エレベーターを降りると、すぐに受付のカウンターがある。だれもいない。

 壁に、色あせたポスターが一枚貼ってあった。


《アストラ・リンク 始動。――あなたの、もう一つの世界へ》


 十年前、駅の広告で見たポスターだった。

 リュネの広場を背景に、噴水の前で、冒険者たちが空を見上げている。


 その端の、道具屋の窓に、小さく、栗色のおさげが描かれていた。



◇



 社長室は、思ったより狭かった。


 本棚と、古いソファと、大きな机。窓の外に、隣のビルの壁が見える。

 机の向こうに、白髪の男が座っていた。


「早瀬です。遠いところを、わざわざ」


 早瀬誠一は、立ち上がって、頭を下げた。


 社長というより、町の工務店の親方みたいな人だった。

 ゆるいカーディガンに、スニーカー。手が大きくて、指の節が太い。


「真壁です。……いつも、遊ばせてもらっています」


 言ってから、変なあいさつだと思った。

 早瀬は、少しだけ笑った。


「十年、ありがとうございます。それから、終わらせることになって、申し訳ない」


 早瀬は、ソファをすすめた。

 柚木は、俺の横に座った。膝の上で、両手を固く握っていた。


「話は、柚木から聞いています。道具屋のニナが、話すようになったこと。あなたたちが、あの子を残したいと思っていること」


「はい」


「あなたの口から、聞かせてもらえますか。なぜ、残したいのか」


 俺は、話した。


 三月一日の夜のこと。ツケのこと。十年分の帳簿のこと。広場の二十歩と、草原の一時間。

 「こわい」と言ったこと。「いなくならないで」と言ったこと。ガロのことを、「同じことを言う人」と言ったこと。


 うまく話せたとは思わない。営業で十年しゃべってきたのに、言葉がうまくつながらなかった。

 早瀬は、一度も口をはさまずに、最後まで聞いていた。


 話し終えると、早瀬は、しばらく窓の外の壁を見ていた。


「真壁さん」


「はい」


「ゲームは、終わるものです」


 静かな声だった。


「人が集まって、にぎやかになって、やがて人が減って、終わる。私は、四十年この仕事をしてきて、いくつも終わらせてきました。アストラは、その中でいちばん長く続いた。いちばん、終わらせたくなかった」


「……」


「だから、終わらせ方を、間違えたくないんです」



◇



「百人が残りたいと言っている。それは、分かります」


 早瀬は、机の上で、大きな手を組んだ。


「でも、ニナの中にいるのは、百人じゃない。一万二千人でしょう」


 柚木の肩が、小さく動いた。


「十年間で、あの店に来た一万二千人。そのほとんどは、もうアストラにいない。やめた人。忘れた人。思い出したくない人もいるかもしれない。その人たちの言葉が、ニナの中に入っている」


「……はい」


「残った百人が、いなくなった一万二千人の言葉を、勝手に持っていく。それは、正しいことでしょうか」


 俺は、答えられなかった。


 考えたことがなかったわけじゃない。

 でも、どこかで、考えないようにしていた。


「私は、あなたたちを責めているんじゃない」


 早瀬は、首を横に振った。


「むしろ、うらやましいくらいだ。十年たっても、毎晩、道具屋に通う人がいる。作った側として、こんなにありがたいことはない」


 早瀬は、少しだけ目を細めた。


「私も、道具屋の娘には、一度だけ会ったことがあるんですよ。ずいぶん昔に」


 それから、まっすぐ俺を見た。


「だから、条件を出します」


 柚木が、息を止めたのが分かった。


「ニナに言葉を残した人の、過半数。その人たちが、ニナを残すことに同意するなら、データを外に出すことを許可します」


「過半数……」


「同意しない人の言葉は、移す前に消す。それは法律の決まりです。でも、それとは別に、私の条件として。いなくなった人たちの半分以上が『残してほしい』と言うなら、それは、残った人のわがままじゃない。みんなの思い出です」


 早瀬は、机の上の卓上カレンダーを見た。


「期限は、三月三十一日の二十三時。それまでに、過半数が集まらなければ、予定どおり、零時にすべて消します」


 俺は、膝の上の拳を握った。


「……一万二千人のほとんどは、連絡先も分からないんです」


「分かっています」


「どうやって集めろって」


「それを考えるのは、私ではありません」


 早瀬は、静かに言った。


「意地悪で言っているんじゃない。いなくなった人たちに届かないなら、それは、その人たちにとって、もう終わった世界だということです。終わった世界を、無理に開け直すことはしたくない」


 早瀬は、立ち上がった。


「届くなら、開けましょう。私も、それを見てみたい」



◇



 駅前のコーヒーチェーンで、柚木は、しばらく何も言わなかった。


 カップを両手で持ったまま、テーブルの木目を見ていた。

 ガロの店のカウンターを見るときのニナに、少し似ていた。


「……ごめんなさい」


 やっと口を開いたと思ったら、それだった。


「何が」


「社長が、ああ言うのは、分かってた。たぶん、そう言うと思ってた。でも、言わないで連れてきた」


「先に聞いてたら、俺は来なかったと思うか」


「……分からない」


「来たよ」


 俺は、冷めかけたコーヒーを飲んだ。


「あの人の言ってることは、正しい。ニナは、百人のものじゃない」


 ガラス窓の外を、家族連れが通りすぎていった。祝日の午後だった。

 ニナに言葉を残した一万二千人も、今ごろ、どこかで、こんなふうに休みの日を過ごしているのだろう。アストラのことなんて、思い出しもしないで。


「柚木さん。ニナに言葉を残した人の数、もう一回、教えてくれ」


 柚木は、スマホを取り出して、画面を見た。


「一万二千四百十一人」


「過半数は」


「六千二百六人」


 帰りの電車の中で、俺は、窓に映った自分の顔を見ていた。


 一万二千四百十一人。

 その過半数は、六千二百六人。


 残り、十一日。


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