虚無僧ゴプリン、町を歩く
翌朝。
二丁目の町の宿屋。
魔王軍は、昨日の歓迎の宴を終えて、宿屋の前に集まっていた。
魔王は大きく伸びをした。
「いやあ……昨日は食べましたね」
父さんも満足そうにお腹をさすった。
「今日は好きなものを食べれるぞって言ったからな。しっかり食べた」
母さんが笑った。
「お父さん、昨日からずっと食べてばっかりよ」
「いいじゃないか。旅なんだから」
「旅って言っても、昨日はほとんど町にいただけじゃない」
「それでも旅だ」
「まあ、いいけど」
その横では、便意が眠そうに立っていた。
「昨日、食べ過ぎた……」
昆布が振り返った。
「便意さん、何をそんなに食べたんですか?」
「町の人がくれた料理を、断るのも悪いと思って……」
「何皿ですか?」
「……覚えてない」
五利武が笑った。
「プロゴルファーでも食べ過ぎには勝てないんですね」
「ゴルフと食事は別競技です」
殴打も大きく頷いた。
「野球も別競技だ」
魔王が言った。
「いや、誰も競技の話してないですよ」
そんな中。
宿屋の入口から、ゆっくりと一人の大男が出てきた。
筋骨隆々。
黒い服。
黒いブーツ。
そして頭には巨大な編笠。
その姿を見た魔王軍は、一斉に振り返った。
「ゴプリン」
ゴプリンだった。
昨日まで、ゴプリンはプリンを落とさないように慎重に歩いていた。
一歩。
また一歩。
そして、少しでも急ぐとプリンが揺れる。
だから非常に遅かった。
しかし――。
今日は違った。
スタスタ。
スタスタ。
スタスタ。
普通に歩いている。
魔王が目を丸くした。
「ゴプリン、歩くの速くなりましたね」
ゴプリンは歩きながら答えた。
「……うん」
魔王軍全員がゴプリンを見る。
編笠の下にあるプリンは、まったく揺れていない。
母さんが嬉しそうに言った。
「編笠で支えてるから、プリンが落ちる心配がないのね」
ゴプリンは頭の上の編笠を少し触った。
「……守れる」
母さんは満足そうに頷いた。
「よかったわね」
ゴプリン。
「……うん」
魔王が笑った。
「それにしても、ずいぶん歩きやすそうですね」
昆布がゴプリンを観察する。
「なるほど。以前は頭の上のプリンを守るために、体全体をかなり慎重に動かしていました。しかし今は編笠がプリンを固定している。これなら身体能力を普通に使えます」
五利武が驚いた。
「ということは……」
殴打が続けた。
「ゴプリンは本来、もっと速く動けた?」
昆布が頷いた。
「その可能性があります」
魔王がゴプリンを見る。
「じゃあ、今まで……」
ゴプリン。
「……ゆっくり」
魔王。
「プリンを守るために?」
「……うん」
魔王軍。
「大変だったな……」
そのとき。
宿屋の前を通りかかった町人たちが、ゴプリンを見て足を止めた。
「おい……」
「ああ」
「あの虚無僧……」
「すごいな……」
町人たちは小声で話し始めた。
「見ろよ。あの筋肉」
「すごいな」
「精神も鍛えて、筋肉もあそこまで鍛えているのか」
「修行の賜物だな」
「きっと山奥で何十年も修行しているんだ」
ゴプリンは何も知らずに歩いている。
スタスタ。
スタスタ。
魔王が町人たちの会話を聞いて、少し困った顔をした。
「……なんか、勘違いされてません?」
昆布が冷静に答えた。
「かなり勘違いされていますね」
勇気がゴプリンを見ながら言った。
「でも、虚無僧だとただのマッチョの僧侶に見えるから、モンスターだと思われませんね」
魔王が頷いた。
「確かに……」
五利武が腕を組む。
「言われてみれば」
殴打も頷く。
「モンスターには見えない」
父さんもゴプリンを見る。
「ただ、ものすごく鍛えた人には見える」
母さんが笑う。
「でも普通の僧侶にしては、筋肉がすごすぎるわね」
魔王。
「それはそうですね」
便意がゴプリンを見る。
「普通の僧侶なら、あんなに肩が盛り上がらないと思います」
殴打。
「俺より肩幅がある」
五利武。
「俺より脚が太い」
父さん。
「俺より背中が広い」
魔王がみんなを見る。
「なんで全員、筋肉比較を始めてるんですか」
昆布は少し考えていた。
「しかし、これは今後かなり有利かもしれません」
「どういうことですか?」
「ゴプリンはモンスターです。しかし、あの姿なら町中を歩いても騒ぎになりにくい」
魔王はゴプリンを見る。
ゴプリンは、町人から見られていることにも気づかず、ゆっくり歩いている。
いや。
今はゆっくりではない。
スタスタ。
スタスタ。
完全に普通の速度だった。
すると、町の子供が一人、ゴプリンを指差した。
「お母さん!」
「どうしたの?」
「あのお坊さん、すごく大きい!」
母親がゴプリンを見る。
「本当ねえ」
「強そう!」
「きっと修行しているのよ」
「何の修行?」
母親は少し考えた。
「……たぶん、筋肉の修行?」
「そんな修行あるの?」
「お母さんも知らないわ」
ゴプリンはその横を通り過ぎる。
「……」
子供は手を振った。
「お坊さん、バイバイ!」
ゴプリンは少しだけ立ち止まった。
そして――
「……バイバイ」
子供。
「しゃべった!」
母親。
「礼儀正しい!」
魔王軍。
「そこじゃない!」
魔王が思わず叫んだ。
しかし町人たちは気にしていない。
「最近の僧侶は礼儀正しいな」
「筋肉もすごいしな」
「修行してるんだろう」
「きっとそうだ」
昆布が小声で言った。
「……完全に成功していますね」
魔王も小声で返す。
「何がです?」
「モンスターに見えない作戦です」
「作戦だったんですか?」
「結果的にです」
母さんがゴプリンに近づいた。
「ゴプリンさん、プリンは大丈夫?」
ゴプリンは編笠を少し持ち上げようとした。
魔王が慌てる。
「待ってください! 今は触らないほうがいいですよ!」
ゴプリン。
「……?」
魔王。
「せっかく安定してるんですから」
ゴプリンは手を止めた。
「……分かった」
母さんが笑った。
「今日はそのままでいいわね」
「……うん」
そして、魔王軍は町の出口へ向かって歩き始めた。
ゴプリンが先頭。
その後ろを魔王軍が続く。
町人たちは遠くから見送っている。
「すごい僧侶だったな」
「うん」
「でも、どこへ行くんだろう?」
「修行の旅じゃないか?」
「なるほど」
「筋肉をさらに鍛えるんだな」
「これ以上?」
「これ以上だ」
町人たちは真剣だった。
魔王軍は町の門を出る。
魔王が振り返った。
「二丁目の町の人たち、いろいろありがとうございました!」
町人たちが手を振る。
「また来てください!」
「虚無僧さんも!」
ゴプリンも振り返る。
「……うん」
そして、魔王軍は町を離れていった。
少し歩いたところで、魔王が隣の勇気に言った。
「なんか、不思議ですね」
「何がですか?」
「昨日まで、ゴプリンは町の人たちから怖がられていたのに」
勇気は後ろを見る。
そこには、巨大な編笠をかぶった筋骨隆々のゴプリンが歩いている。
スタスタ。
スタスタ。
勇気が笑った。
「今は完全に、修行中のマッチョな僧侶ですね」
魔王も笑った。
「しかも、ものすごく強い」
昆布が前方を見ながら言った。
「でも、本人はプリンを守っているだけです」
ゴプリンが振り返った。
「……プリン……大事」
母さんが微笑んだ。
「そうね」
魔王も頷く。
「大事だな」
父さんも言った。
「大事だ」
殴打も頷く。
「大事だ」
五利武も。
「大事だな」
便意まで。
「大事ですね」
勇気。
「大事です」
昆布。
「……はい」
全員が頷いた。
ゴプリンは少しだけ嬉しそうに歩く速度を上げた。
スタスタスタ。
魔王が驚いた。
「おお、さらに速くなった!」
昆布が言う。
「ゴプリン、待ってください!」
ゴプリン。
「……?」
「速く歩きすぎると、我々が追いつけません」
ゴプリンは止まった。
そして少し考えてから、
「……ごめん」
魔王が笑った。
「いやいや、謝らなくていいですよ」
母さんも笑う。
「ゴプリンさん、前よりずっと歩きやすくなったのね」
ゴプリンは編笠に手を添える。
「……プリン……落ちない」
魔王軍はその言葉を聞いて、みんな笑った。
森へ続く道。
その先には、まだ誰も知らない異変が待っている。
魔法石の黒い核
そして、ゴプリンがずっと探している「あいつ」。
しかし今はまだ、その正体を知る者はいない。
魔王軍は何も知らないまま、旅を続ける。
そしてその先頭を――
巨大な編笠をかぶった筋骨隆々のゴプリンが、
普通の速度で歩いていた。
スタスタ。
スタスタ。
まるで、
ものすごく鍛えた虚無僧のように。




