びしょ濡れ魔王軍
「…………」
洞窟の中に、静寂が戻った。
いや。
正確には、静寂ではなかった。
ポタ……。
ポタ……。
ポタ……。
全員の服から、水が落ちていた。
魔王。
勇気。
殴打。
五利武。
鍋。
便意。
昆布。
父。
母。
そして――ゴプリン。
全員、びしょびしょだった。
魔王は前髪から水を垂らしながら、ぼそっと言った。
「……みんな、びしょびしょだな」
勇気が自分の服を見る。
「うん……びしょびしょだね」
五利武が靴を脱いで逆さにする。
ジャーッ。
「靴から水が出てきました」
殴打も靴を逆さにする。
ジャーッ。
「俺もです」
便意は髪を絞った。
「俺の髪からも水が出ます」
父は服の袖を見た。
「かなり濡れましたね」
母は笑った。
「でも、みんな無事だからいいじゃない」
昆布は眼鏡を外した。
「眼鏡の内側まで濡れています」
魔王が言った。
「それ、かなり困るな」
「はい。見えません」
「軍師なのに」
「軍師でも眼鏡が濡れたら見えません」
「そりゃそうか」
ゴプリンはというと――
「……」
頭を両手で押さえていた。
ぷる……。
プリンがわずかに揺れる。
魔王が心配そうに見る。
「ゴプリン、大丈夫か?」
「……大丈夫」
「プリンは?」
「……大丈夫」
「本当に?」
「……大事」
ゴプリンは真剣だった。
魔王は頷いた。
「うん。プリンは大事だな」
すると、吸水と吸着が申し訳なさそうに立っていた。
二人もびしょびしょだった。
吸水が言った。
「……俺たち、水を戻しすぎたな」
吸着も頷く。
「かなり戻した」
魔王は二人を見る。
「でも、水を戻すこと自体は悪くない」
「そうか?」
「うん」
魔王は洞窟の外を見た。
「問題は、戻し方だ」
吸水と吸着が顔を見合わせた。
「……」
「……」
二人とも反省しているようだった。
魔王軍は濡れた服を気にしながら、洞窟の外へ出ることにした。
一人ずつ階段を上がっていく。
ゴプリンはいつも通り慎重だった。
ドス……。
ドス……。
ぷるん……。
「ゴプリン、ゆっくりでいいぞ」
「……うん」
そして最後に、吸水と吸着が出てきた。
地上に出ると――
「うわぁ……」
魔王が空を見上げた。
太陽が出ていた。
森の木々は濡れている。
地面にはところどころ水たまりができている。
洞窟から流れ出した水が、小さな川になって森の中を流れ始めていた。
昆布が周囲を確認する。
「思ったより広い範囲に水が流れています」
魔王は腕を組んだ。
「……だったら」
全員が魔王を見る。
「まず水は、薬草が育ちそうな所にまこう」
「薬草?」
勇気が聞き返した。
「そう」
魔王は森を見る。
「薬草が増えれば、町の人もゴプリンも嬉しいだろ」
ゴプリンが反応した。
「……薬草」
魔王が笑う。
「そう。お前、薬草好きだもんな」
「……うん」
ゴプリンは嬉しそうに頷いた。
しかし――
ぷるん。
頭のプリンが揺れた。
「あ」
ゴプリンが慌てて両手で頭を押さえる。
魔王が笑う。
「プリンを落とさないようにな」
ゴプリンは真剣な顔で頷いた。
「……うん」
ぷるん。
「また揺れた!」
「……慎重にする」
ゴプリンはさらにゆっくり頷いた。
ドス……。
魔王は思った。
「ゴプリン、頷くだけでも大変なんだな……」
昆布が森の地図を広げた。
「薬草が多く生えていた場所は、先ほどの森の奥ですね」
「じゃあ、そこに水を」
「はい。ただし――」
昆布が二体を見る。
「今度は少しずつです」
吸水と吸着が同時に頷く。
「分かった」
「少しずつ」
魔王も頷いた。
「それと、もう一つ」
魔王は遠くを指差した。
「あの隣町」
昆布が振り向く。
「はい」
「さっきの町の、二丁目の井戸」
「二丁目の井戸ですね」
「そこにも水をたくさん入れてもらおう」
吸水が言った。
「たくさん?」
魔王が答える。
「うん。でも――」
吸着が続けた。
「出し過ぎない」
「そう!」
魔王が強く頷いた。
「そこ大事!」
全員が頷いた。
すると昆布が少し考えた。
「ただ、このまま全員で二丁目の町へ向かうと……」
魔王も気づいた。
「また町の人が逃げるな」
「はい」
昆布は頷いた。
「ゴプリン、吸水さん、吸着さんが一緒ですから」
吸水が少し落ち込んだ。
「俺たち、そんなに怖いか?」
魔王が正直に答える。
「見た目は結構怖い」
「……」
吸着も落ち込む。
「俺も?」
「うん」
「……掃除道具みたいなのに?」
「そこは関係ないと思う」
魔王は苦笑した。
昆布が言った。
「そこで、私が先に二丁目の町へ行って説明してきます」
魔王が頷く。
「頼む」
昆布は真剣な顔になった。
「町の人に、水を戻す目的を説明します」
「うん」
「そのうえで、井戸に水を入れる許可をもらいます」
「うん」
「そして、町の人たちに『ゴプリンたちは敵ではない』と伝えます」
「頼んだ」
魔王は昆布の肩に手を置いた。
「それから、ゴプリンと吸水と吸着で来てください」
「分かりました」
昆布は頷いた。
「ゴプリンさんたちは、私の説明が終わってから来るということですね」
「そう」
「了解です」
魔王は少し安心した。
「じゃあ、俺たちは薬草のところを――」
そのときだった。
「ゴクゴクゴクゴク……」
どこからか、水を飲む音がした。
魔王軍全員が振り返った。
「……?」
「ゴクゴクゴクゴク……」
「誰?」
森の中から声が聞こえた。
「プハー!」
魔王が目を細める。
「この声……」
すると、
「そうだ」
空耳さんの声だった。
「昆布が急いで町に行くなら、良い乗り物があるぞ」
「空耳さん?」
魔王が周囲を見る。
しかし姿は見えない。
「どこにいるの?」
「ここだ」
「どこ?」
「そこだ」
「そこってどこだよ!」
「……」
少し沈黙。
そして、
「水を飲める場所の近く」
「それ、今の森ならどこでもそうだろ!」
魔王が叫んだ。
すると茂みの奥から、
ガサガサ……。
何かが動いた。
「ん?」
昆布が構える。
殴打も周囲を見る。
五利武も警戒する。
ゴプリンは、
「……」
プリンを両手で押さえた。
ガサガサ……。
そして――
「ニャー」
「……」
巨大な猫が茂みから顔を出した。
「…………」
魔王が固まった。
勇気が目を丸くする。
「猫?」
殴打が言った。
「……でかくない?」
五利武が頷く。
「かなり大きいですね」
父も驚いている。
「これは……猫ですか?」
母が微笑んだ。
「かわいいわね」
猫は森の中からゆっくりと姿を現した。
普通の猫の何倍も大きい。
四本の足。
大きな尻尾。
そして――
どこか見覚えのある顔。
魔王は目を見開いた。
「……ミケ!」
巨大猫が魔王を見る。
そして、
「ニャー」
嬉しそうに返事をした。
魔王の顔が明るくなる。
「やっぱりミケか!」
ミケは魔王のところへ歩いてくる。
ドス……。
ドス……。
ドス……。
魔王が頭を撫でる。
「久しぶりだな」
「ニャー」
ゴプリンもミケを見る。
「……猫」
ミケはゴプリンを見る。
「ニャー」
ゴプリンも頷く。
「……うん」
ぷるん。
ミケがプリンを見る。
「ニャ?」
ゴプリンが慌てて頭を押さえる。
「……大事」
ミケは、
「ニャー」
と鳴いた。
魔王は笑った。
「ミケもプリンが気になるのか?」
ゴプリンは少し警戒している。
「……食べない?」
ミケは首を横に振った。
「ニャー」
「……よかった」
昆布は巨大猫をじっと観察した。
「空耳さん」
「なんだ?」
「この猫は……」
「ミケだ」
「それは分かりました」
「そうか」
「問題は――」
昆布がミケを見る。
「この大きさで、私を乗せられるんですか?」
空耳さんが答えた。
「乗れるぞ」
「本当に?」
「昔からそうだ」
魔王がミケを見る。
「ミケ、乗っていいのか?」
「ニャー」
ミケはその場にしゃがんだ。
昆布が驚いた。
「……乗れということですね」
「たぶん」
「たぶん?」
魔王が笑った。
「まあ、ミケだし大丈夫だろ」
昆布は少し迷った。
しかし、二丁目の町は遠い。
走って行くより、ミケに乗ったほうが早い。
「分かりました」
昆布はミケの背中に乗った。
「……」
ミケが立ち上がる。
「うわ」
昆布の体が少し揺れた。
ミケは巨大な四本の足で地面を踏みしめる。
ドスン。
ドスン。
そして――
「ニャアアアアア!」
走り出した。
「速い!」
昆布の髪が風で激しくなびく。
「ミケさん! 二丁目の町へお願いします!」
「ニャー!」
ミケは森の中を駆け抜ける。
木々の間をすり抜ける。
小さな水たまりを飛び越える。
川をジャンプする。
昆布はミケの背中にしっかりつかまる。
「これは……!」
昆布の目が輝いた。
「非常に速い!」
ミケはさらに速度を上げる。
「ニャアアアアア!」
昆布が叫ぶ。
「二丁目の町へ!」
「ニャー!」
一方、残された魔王軍。
魔王はその様子を見送った。
「……行ったな」
勇気が頷く。
「行ったね」
父も言う。
「速かったですね」
五利武が言う。
「俺より速いかもしれません」
殴打が答える。
「俺よりも速い」
便意も頷く。
「俺よりも速いです」
母が笑った。
「昆布さん、ちゃんと説明できるかしら」
魔王も笑った。
「大丈夫だろ」
そして――
「ニャアアアアアアア!」
遠くからミケの声が響いた。
魔王は空を見上げた。
「……頼んだぞ、昆布」
そのころ昆布は――
巨大猫ミケの背中で必死にバランスを取っていた。
「ミケさん!」
「ニャー!」
「少しだけ速度を落として――」
「ニャアアアアア!」
「聞いてませんね!」
ミケはさらに加速する。
昆布は前方を見る。
遠くに、二丁目の町が見えてきた。
「……見えた!」
昆布は気合を入れた。
「まずは町の人に説明する!」
そしてミケは――
二丁目の町へ向かって、
一直線に走っていった。
次回へ続く




