名前がないモンスター
地下洞窟から地上へ戻る階段を、魔王軍と二体の水吸収モンスターはゆっくりと上っていた。
二体のモンスターは、頭の上にある不思議な器官から水を吸い上げることができる。
先ほどまで、その能力を使って地下水を吸い取り続け、
「俺が全部の水を吸い取って、次の魔王になる!」
「いや、俺が魔王になる!」
などと張り合っていた。
しかし昆布に、
「水を全部吸い取ったら、他の生き物が生きられませんよ」
と説明され、二体はようやく自分たちの計画の問題点に気づいた。
そして今は――
「水を戻そう」
という話になっていた。
ただし。
魔王には、一つ気になることがあった。
魔王は二体のモンスターを見た。
「そういえばさ」
「なんだ?」
「お前たち、名前は?」
二体のモンスターは顔を見合わせた。
「……名前?」
「うん。名前」
「ない」
「俺もない」
魔王は目を丸くした。
「ないの?」
「ない」
「どうして?」
二体はしばらく黙った。
そして、一人が言った。
「俺たちの母親は、卵を産んだらいなくなる」
「……」
「だから名前を付けてもらったことがない」
「……」
魔王は二体を見た。
二体は何でもないことのように立っている。
だが、魔王には少し寂しく感じられた。
「そうか……」
勇気も二体を見た。
「それなら、名前を付けてあげたらいいんじゃない?」
母も微笑んだ。
「そうね。名前があると呼びやすいものね」
父も頷いた。
「名前は大事ですよ」
昆布も腕を組んだ。
「これから一緒に行動する可能性もありますし、名前がないと指示を出すときに困ります」
「たしかに」
魔王は真剣な顔になった。
「じゃあ――」
魔王は二体の前に立った。
「名前を付けよう」
二体のモンスターが少し驚いた。
「名前を……?」
「うん」
「俺たちに?」
「そう」
二体は顔を見合わせる。
「……初めてだ」
「俺も」
魔王は腕を組んで考えた。
「うーん……」
昆布も少し離れたところから見守っている。
「魔王様、慎重にお願いします」
「分かってる」
魔王は二体の能力を思い出した。
水を吸う。
とにかく吸う。
地下水を吸いまくっていた。
そして先ほど、
「俺が吸水――」
「待って」
魔王が突然言った。
「吸水って名前、いいんじゃない?」
二体が顔を上げる。
「吸水?」
「うん。水を吸うから吸水」
魔王はもう一人を見る。
「そして、もう一人は――」
少し考えてから、
「吸入」
と言った。
沈黙。
二体が互いを見る。
「……」
「……」
魔王は自信満々だった。
「どう?」
一人が言った。
「俺が吸水、お前が吸入な」
「え?」
もう一人が振り向いた。
「お前が吸入な」
「いや待て」
吸入と呼ばれたモンスターが慌てた。
「吸入って俺が風邪引いてるみたいじゃないか!」
「……」
魔王が固まる。
勇気が口元を押さえた。
母も少し笑っている。
五利武が小声で言った。
「たしかに……病院で聞く言葉っぽいですね」
殴打も頷く。
「『吸入してください』って言われそうだな」
「そうだよ!」
吸入モンスターが怒った。
「俺は病人じゃない!」
「いや、分かってるけど……」
魔王は困った。
「吸入……駄目?」
「駄目だ!」
「そんなに?」
「俺が自己紹介するときに『俺、吸入です』って言ったら、絶対に風邪引いてると思われる!」
「……」
便意が横から口を挟んだ。
「じゃあ俺が『便意』って名乗るのも結構なものですよ」
「お前はもう慣れてるだろ」
魔王が即答した。
「そうですね」
便意は妙に納得した。
「では、吸入も慣れれば――」
「慣れたくない!」
吸入モンスターが叫んだ。
魔王は頭を抱えた。
「じゃあ……吸入はやめよう」
吸水モンスターが言った。
「じゃあ俺が吸水でいい」
「うん」
魔王はもう一人を見る。
「じゃあ、お前は――」
少し考える。
「吸着」
「……」
吸着と呼ばれたモンスターが黙った。
魔王は説明した。
「水を吸い付けるような感じだから」
「……」
吸着モンスターが自分の体を見る。
そして言った。
「俺が吸入で、お前が吸着な」
「いや、なんで俺が吸入なんだよ」
「俺は吸水がいい」
「じゃあ俺が吸着?」
「そう」
吸着モンスターは少し考えた。
そして顔をしかめた。
「……俺がお掃除道具みたいじゃないか」
「……」
全員が黙った。
魔王は想像してしまった。
床に何かをこぼす。
「吸着!」
するとモンスターが、
「はい!」
と床に張り付いて水を吸い取る。
魔王は首を振った。
「……たしかに」
「だろ!」
吸着モンスターが言った。
「俺はモップじゃない!」
「モップとは言ってないよ」
「でも似たような扱いになるだろ!」
五利武が笑った。
「『新発売! 超吸着モンスター!』とかありそうですね」
殴打が続ける。
「床の水分を強力吸収!」
「やめろ!」
「頑固な水滴にも!」
「やめろ!」
「水回りのお掃除に!」
「やめろって言ってるだろ!」
洞窟の中に笑い声が響いた。
ゴプリンも、
「……ぷるん」
と頭のプリンを揺らした。
魔王が振り返る。
「ゴプリン、お前はどう思う?」
「……」
ゴプリンは二体を見る。
そして、
「……吸着」
「ほら!」
吸着モンスターが叫んだ。
「ゴプリンまで俺を掃除道具扱いしてるじゃないか!」
ゴプリンは首を横に振った。
「……大事」
「何が?」
「……吸着……大事」
「……」
吸着モンスターは少し黙った。
「……そう言われると悪くないな」
昆布が冷静に言った。
「ちなみに、吸着は物質が表面に付着する現象を表す言葉でもあります」
「余計に掃除道具っぽくなった!」
「すみません」
昆布はすぐに謝った。
魔王はもう一度考えた。
「じゃあ、名前は別のものにしよう」
二体が同時に頷いた。
「頼む」
「まともなのにしてくれ」
「分かった」
魔王は真剣な顔をした。
「水に関係する名前がいいんだよな?」
「そう」
「じゃあ……」
魔王は考える。
「水丸」
二体が無言になる。
「……」
「……」
魔王が聞く。
「どう?」
吸水モンスターが言った。
「魚みたい」
「じゃあ、水太郎」
「もっと魚みたいだ」
「水之助」
「時代劇みたいだ」
「水兵衛」
「そっちはそっちで変だ」
魔王は頭を抱えた。
「名前って難しいな……」
母が笑う。
「でも、魔王が一生懸命考えてくれているのは分かるわ」
二体は少し照れたように顔を逸らした。
「……うん」
「俺たち、名前を付けてもらったことなんてなかったからな」
魔王は二体を見る。
「じゃあ、ちゃんと考えよう」
そのときだった。
昆布が突然、手を挙げた。
「一つ提案があります」
「何?」
「能力そのものではなく、性格から名前を決めてみてはいかがでしょう」
「性格?」
「はい」
昆布は二体を観察した。
「一人は、水を吸い取ることばかり考えていました」
「うん」
「もう一人は、俺が魔王になるとずっと張り合っていました」
「うん」
「つまり二人とも――」
昆布は少し考えて、
「負けず嫌いです」
二体が同時に言った。
「それは名前じゃない!」
「そうですよね」
昆布は頷いた。
「では、却下します」
「早いな!」
魔王は笑った。
「でも、そうだな……」
魔王は二体を見た。
最初は水を奪い合っていた。
魔王になるために水を全部吸い取ろうとしていた。
けれど、話をしてみれば悪い奴らではなかった。
ただ、自分たちが強くなることしか考えていなかったのだ。
「……だったら」
魔王が言った。
「名前は、これから決めてもいいんじゃないか?」
二体が魔王を見る。
「これから?」
「うん」
「今決めないのか?」
「無理に決めなくてもいいと思う」
魔王は笑った。
「名前って、誰かに呼ばれていくうちに、だんだん似合ってくるものかもしれないし」
二体はしばらく黙っていた。
そして――
「……じゃあ」
一人が言った。
「とりあえず、吸水でいい」
もう一人も頷く。
「俺も……とりあえず吸着でいい」
「いいの?」
魔王が聞く。
「うん」
吸着モンスターが言った。
「掃除道具みたいなのは嫌だけど……」
吸水モンスターが笑う。
「お前、吸着な」
「お前も吸水だからな」
「分かった」
二人は互いを見て笑った。
魔王も笑った。
「じゃあ、しばらくは吸水と吸着で」
勇気が拍手する。
「名前が決まったね!」
母も微笑む。
「よかったわね」
父も頷いた。
「呼びやすくなりました」
便意が言った。
「吸水さん、吸着さん」
「……」
二人が振り向く。
「なんか変な感じだな」
「でも悪くない」
五利武が言う。
「吸水!」
殴打が続く。
「吸着!」
二人が振り返る。
「呼ばれると、ちゃんと自分のことだって分かるな」
魔王はその様子を見て、嬉しそうに笑った。
――そのとき。
ゴゴゴゴゴ……。
地下から大きな音が響いた。
全員が黙った。
昆布がすぐに周囲を見る。
「……水の音です」
魔王が聞き返す。
「水?」
「はい」
ゴゴゴゴゴ……。
地下の奥から、水が流れる音がどんどん大きくなっている。
吸水が言った。
「……俺たちがさっき水を吸ったから」
吸着も続ける。
「地下水の流れが変わったのかもしれない」
昆布が頷いた。
「可能性があります」
魔王は二体を見る。
「じゃあ、今度は戻そう」
吸水と吸着が頷く。
「分かった」
「任せろ」
二人は頭を上に向けた。
そして――。
シュゴォォォォォォォォォッ!!
「うわああああああ!」
突然、二人の頭から大量の水が噴き出した。
魔王軍全員が固まった。
「…………」
水は洞窟の天井にぶつかり――
ザバァァァァァァァン!!
滝のように落ちてきた。
「ちょっと待てぇぇぇぇぇ!」
魔王が叫んだ。
父が叫ぶ。
「メンタルガード!」
だが、水にはまったく効かなかった。
「父さん、それ水には効かない!」
「そうでした!」
殴打と五利武は流されながら叫ぶ。
「多すぎる!」
「戻しすぎだ!」
便意も流される。
「俺たち、まだ名前付けただけですよ!」
勇気が叫ぶ。
「みんな頑張れぇぇぇ!」
母はずぶ濡れになりながら笑った。
「水は大事だけど――」
そして一言。
「ちょっと多いわね」
ゴプリンは水流の中で必死に立っていた。
「ドス……」
「ぷるん!」
頭のプリンが大きく揺れる。
「ゴプリン! プリンを守れ!」
魔王が叫ぶ。
「……守る!」
ゴプリンは両手で頭を押さえた。
そして魔王は思った。
「……名前を付けた直後にこれかよ」
昆布はずぶ濡れになりながら、冷静に叫んだ。
「魔王様!」
「何!」
「まず、水を止める方法を考えましょう!」
「二人に言って!」
魔王が叫ぶ。
「吸水! 吸着!」
「どうした!」
「止めて!」
二人が顔を見合わせた。
「……どうやって?」
魔王は絶句した。
「お前たち、自分で出した水を止められないのか!?」
二人は同時に答えた。
「分からない!」
「今まで吸うことしかしてなかった!」
魔王は天を仰いだ。
「……名前を付ける前に、そこを教えておけばよかった……」
そして洞窟の中は――
しばらく水浸しになった。




