巨大な亀裂の中へ
巨大な亀裂。
それは、森の中に突然ぽっかりと口を開けていた。
地面が大きく裂け、その裂け目がそのまま地下へ続いている。
上から覗いても底が見えない。
「……深いな」
魔王が亀裂の中を覗き込みながら言った。
その隣で、昆布が双眼鏡を取り出した。
「ちょっと待ってください。確認します」
「双眼鏡で地下を見るの?」
「見えないですね」
「そりゃそうだろ」
昆布は双眼鏡を下ろした。
「暗すぎます」
「双眼鏡関係ないだろ」
父が亀裂の入口を見ながら言った。
「この先、本当に行くんですか?」
魔王は少し考えた。
するとゴプリンが、
「……あっち」
と、亀裂の中を指した。
「やっぱり行くんだな」
「……うん」
「ゴプリンが行きたがってる」
昆布が言った。
「ということは、何か知っている可能性があります」
魔王はゴプリンを見た。
「ゴプリン。この先に何があるんだ?」
「……あいつ」
「また『あいつ』か」
「……いる」
「誰だよ!」
ゴプリンは答えなかった。
ただ、ゆっくりと亀裂の中へ入っていった。
ドス。
ドス。
ドス。
「行った……」
魔王が呟いた。
「行くしかないですね」
昆布が言った。
「でも、暗いぞ」
勇気が言う。
母が笑顔で答えた。
「大丈夫よ。魔王軍ですもの」
「その根拠、どこにあるんですか?」
便意が聞いた。
「ありません」
「ないんかい」
---
地下へ
魔王軍は、一人ずつ亀裂の中へ入っていった。
入口から少し進むと、巨大な岩壁に囲まれた洞窟になっていた。
天井は高い。
しかし光はほとんどない。
足元には大小様々な岩が転がっている。
ところどころに段差もあった。
そして何より――。
「……下ってるな」
魔王が言った。
「かなり下ってます」
昆布が答えた。
ゴプリンは先頭を歩いていた。
ドス。
一歩。
ドス。
また一歩。
そして段差が現れる。
ゴプリンは立ち止まった。
「……」
じっと段差を見る。
そして、
ゆっくり。
ゆっくり。
ゆっくりと前脚を下ろした。
「慎重だな」
魔王が言った。
ゴプリンの頭。
そこには、あのプリンが乗っている。
少しでも急げば、
ぷるん。
と揺れる。
ゴプリンは、それを絶対に落としたくないらしい。
段差を一つ下りるだけなのに、
まるで精密機械を運んでいるかのように慎重だった。
ドス……。
ぷるん。
「今、揺れたぞ」
魔王が言った。
ゴプリンが固まった。
「……」
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
「しゃべった」
「そこ?」
昆布が呆れた。
ゴプリンはまた歩き始めた。
ドス……。
ぷるん。
ドス……。
ぷるん。
五利武が言った。
「ゴプリンって、歩くたびにプリンが揺れるんだな」
殴打が答えた。
「そりゃプリンだからな」
「そうだけど」
魔王が言った。
「なんか……すごく大事なものを運んでる感じがするな」
母がゴプリンの頭を見ながら言った。
「そういえば……」
「はい?」
母は少し首を傾げた。
「ゴプリンのカップはどこにあるのかしらね」
全員が止まった。
「……」
魔王が母を見る。
「カップ?」
「ええ。プリンって普通、カップに入ってるでしょう?」
「まあ……そうですね」
「じゃあ、ゴプリンのプリンは、どこから来たのかしら?」
便意が腕を組んだ。
「たしかに謎ですね」
母は真剣な顔で言った。
「ちゃんとプラスチックゴミに入ってあれば良いけど」
「そこ心配するんですか?」
魔王が叫んだ。
「今、地下ですよ!?」
「環境問題は場所を選ばないわ」
「お母さん、そこだけ妙に現実的だな!」
昆布が冷静に言った。
「でも重要な問題です」
「重要なの?」
「もしゴプリンがプリンを食べた後のカップを自分で捨てているなら、ゴプリンはかなり知能が高いことになります」
全員がゴプリンを見る。
「……」
ゴプリンは黙っていた。
魔王が聞いた。
「ゴプリン。カップは?」
「……」
「知らない?」
「……」
「捨てた?」
「……」
「まさか、ずっと持ってる?」
ゴプリンは頭を少し傾けた。
ぷるん。
プリンが揺れた。
「……」
魔王はため息をついた。
「分からん」
「ですね」
昆布も頷いた。
---
水の音
そのときだった。
どこからか、
ポタ。
という音が聞こえた。
魔王が立ち止まった。
「……水?」
ポタ。
ポタ。
最初は小さかった。
しかし、奥へ進むにつれて――。
サァァァ……。
水が流れる音が聞こえてきた。
「水だ」
勇気が言った。
「さっきより大きくなっています」
母も耳を澄ませた。
「本当ね」
さらに進む。
サァァァァァ……。
音が大きくなっていく。
ゴプリンも足を止めた。
「……」
「ゴプリン?」
魔王が呼びかける。
ゴプリンは水音のする方向を見ていた。
「……あっち」
「やっぱりそっちか」
昆布が前へ出た。
「少し待ってください」
昆布は周囲を観察した。
壁。
床。
天井。
水が流れている方向。
そして地面の傾斜。
「……」
しばらく考える。
「ここに、水が集まってきているみたいだ」
魔王が聞いた。
「水が?」
「はい」
昆布は壁を指した。
「この洞窟は自然にできた亀裂に見えますが、地下の水が流れやすい構造になっています」
「つまり?」
「森に降った雨や地下水が、ここへ集まっている可能性があります」
魔王は黙った。
「じゃあ、この水が……」
「薬草や井戸と関係している可能性があります」
勇気が言った。
「じゃあ、やっぱりここが……」
「薬草不足の原因に繋がっているかもしれません」
昆布が答えた。
魔王軍は顔を見合わせた。
これはただの洞窟探検ではない。
この地下には――。
森の水を左右する何かがある。
そして、それが薬草不足にも関係している。
魔王はゴプリンを見た。
ゴプリンは黙って水音の方向を見ている。
「ゴプリンは、これを知ってたのか?」
「……」
「ずっと、この場所を探してたのか?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「……大事」
「何が?」
ゴプリンは答えなかった。
ただ、
ドス。
と歩き出した。
---
さらに深く
魔王軍はさらに地下へ進んだ。
道はどんどん狭くなる。
しかし水音は逆に大きくなる。
サァァァァァ……。
ゴォォォ……。
「結構流れてるな」
魔王が言った。
「相当な水量です」
昆布が答える。
父が壁を見た。
「でも、水が流れているなら、井戸が止まるのはおかしくないですか?」
昆布が頷いた。
「その通りです」
「水はあるのに、井戸に届いていない?」
「おそらく」
「じゃあ……」
魔王が言った。
「どこかで水が止められている?」
「その可能性があります」
その瞬間。
ゴプリンが立ち止まった。
「……」
全員も止まる。
「どうした?」
ゴプリンは右側の壁を見ていた。
魔王も見る。
ただの岩壁。
何もない。
「何かあるのか?」
ゴプリンは壁に近づいた。
そして鼻を近づける。
クンクン。
「……」
「匂い?」
母が言った。
ゴプリンは壁を触った。
コン。
コン。
コン。
中が空洞になっているような音がした。
魔王が目を見開いた。
「……壁の向こう、空洞じゃないか?」
昆布がすぐに近づいた。
「全員、少し下がってください」
昆布が壁を観察する。
「ここは……」
「何?」
「人工的に作られた可能性があります」
「え?」
昆布は岩の表面を指でなぞった。
「自然の岩とは少し違います」
「建物?」
「分かりません」
魔王が壁を見つめる。
「でも、こんな地下深くに人が作ったものが?」
「昔のものかもしれません」
「昔ってどれくらい?」
「分かりません」
魔王は少し黙った。
そして、
「便利屋の仕事って、もっと簡単なものじゃなかったっけ?」
と言った。
父が答えた。
「最初はそうでしたね」
便意が言った。
「今では地下探検です」
五利武が言った。
「そのうち王都とか行くんじゃない?」
魔王が振り返る。
「やめてくれ」
昆布が真顔で言った。
「可能性はあります」
「昆布まで!」
---
壁を這うもの
そのときだった。
勇気が何かを見つけた。
「……あれ?」
「どうした?」
「壁に何かいます」
全員がそちらを見る。
岩壁。
そこに――。
小さな緑色の生き物がいた。
大きさは手のひらほど。
四本の脚。
丸い体。
緑色の皮膚。
そして、小さな黒い目。
「……」
魔王が首を傾げた。
「亀の赤ちゃん?」
勇気が答えた。
「亀は壁に張り付くこと出来ないですよね」
「……確かに」
一匹だけではなかった。
その周囲を見ると、
一匹。
二匹。
三匹。
十匹。
二十匹。
いや――。
もっといる。
壁のあちこちに、小さな緑色の生き物が張り付いている。
天井にもいる。
床にもいる。
岩の隙間にもいる。
「多いな……」
魔王が呟いた。
五利武が近づこうとする。
「触ってみる?」
昆布がすぐに止めた。
「待ってください」
「危険?」
「分かりません」
昆布は双眼鏡を出した。
「近いけど」
魔王が言った。
「使うんだ」
昆布は真剣に観察する。
「……敵意はなさそうです」
一匹が、
ぴょこ。
と動いた。
「かわいい」
母が言った。
「お母さん、そういうの好きだよな」
「ええ」
母は微笑んだ。
「小さいものは可愛いわ」
その瞬間。
緑色の生き物が一斉に動いた。
カサカサカサカサ!
「うわっ!」
勇気が飛び退く。
「キャー!緑のゴキブリみたいに動いた」
お母さんが驚いた。
魔王も驚いた。
「増えた!?」
「違います!」
昆布が叫ぶ。
「全員、壁を移動しています!」
小さな四本脚の生き物たちは、魔王軍を避けるように壁を這って移動していた。
一匹。
二匹。
十匹。
大量の緑色の生き物が、
カサカサカサ……。
と洞窟の奥へ向かっていく。
「逃げてる?」
殴打が言った。
「どうでしょう」
昆布が答える。
「何かを恐れている可能性もあります」
魔王は奥を見た。
水音。
暗闇。
そして、小さな生き物たちが向かっていく先。
「……この先に何かいるのか?」
ゴプリンを見る。
ゴプリンも奥を見ていた。
「……」
「ゴプリン?」
「……あっち」
「またか!」
ゴプリンは歩き出した。
ドス。
ドス。
ぷるん。
魔王軍も後を追う。
しかし――。
今度は、緑色の生き物たちも一緒だった。
壁を這い、
天井を這い、
岩の隙間を進んでいく。
まるで魔王軍を案内するように。
---
「モンスターの赤ちゃんかな」
魔王は歩きながら考えた。
「確かに、モンスターの赤ちゃんかな」
勇気が言った。
「でも、何のモンスターでしょう?」
「分からない」
「亀じゃない?」
「壁に張り付いてるからな」
五利武が言った。
「じゃあ、壁亀?」
「そんな名前のモンスターいるのか?」
殴打が答えた。
「知らん」
便意がスマートフォンを取り出した。
「調べてみます」
魔王が言った。
「この世界のモンスター図鑑なんて入ってないだろ。電波も」
「……」
便意が画面を見る。
「ありませんね」
「だろうな」
母が生き物を見ながら言った。
「でも、もし赤ちゃんだとしたら……」
「したら?」
「親が近くにいるんじゃないかしら?」
全員が止まった。
「……」
魔王が振り返る。
「親?」
母が頷いた。
「ええ」
昆布の顔が変わった。
「それは……重要ですね」
「どういうこと?」
魔王が聞く。
昆布は壁を見た。
大量の小さな緑色の生き物。
そして、洞窟の奥。
「もしこの生き物たちが幼体なら……」
「なら?」
「どこかに成体がいる可能性があります」
魔王は黙った。
「……大きいの?」
昆布が頷く。
「可能性としては」
魔王はゴプリンを見る。
ゴプリンも魔王を見る。
「……」
「ゴプリン」
「……?」
「お前、この先にいる『あいつ』って……」
ゴプリンは少しだけ顔を上げた。
そして、
「……あいつ」
と呟いた。
その瞬間。
洞窟の奥から――。
ズズズズズ……。
という音が響いた。
地面が、
わずかに揺れた。
カサカサカサカサ!
壁にいた緑色の生き物たちが、一斉に逃げ始める。
「……」
魔王軍全員が固まった。
昆布がゆっくり双眼鏡を構える。
「……何かいます」
「見える?」
「まだ暗すぎます」
「じゃあ何で分かるんだよ!」
「音です」
さらに奥から、
ズズズズズ……。
ゴォォォ……。
そして――。
大量の水が流れる音。
サァァァァァァァ……。
魔王は拳を握った。
「……水の音だけじゃない」
「はい」
昆布が頷いた。
「水が動いています」
ゴプリンが一歩前に出る。
ドス。
ぷるん。
魔王が叫んだ。
「ゴプリン、待て!」
ゴプリンは止まらない。
「……あいつ」
そして暗闇の奥へ向かって、
「……いる」
と呟いた。
魔王軍は顔を見合わせた。
巨大な亀裂のさらに奥。
そこには、
地下水脈と、謎の緑色の生き物たち、そしてゴプリンが探していた「あいつ」がいる。
その正体は――まだ分からない。
ただ一つ分かるのは、
この地下深くで起きている異変が、
薬草不足や井戸の水不足と、
すべて繋がっている可能性が高いということだった。
魔王は小さく呟いた。
「……便利屋の仕事、どこ行ったんだろうな」
父が答えた。
「順調に仕事の規模が大きくなっていますね」
「それ、順調って言わないだろ」
――魔王軍は、さらに地下深くへ進んでいった。




