魔王軍、護衛クエストへ
旅立ちの村。
魔王便利屋――いや、今ではすっかり「魔王軍の本部」のようになっている家に、一人の商人がやって来た。
商人は少し緊張した顔で、玄関先に立っている。
「すみません。魔王軍の皆さんはこちらでしょうか?」
魔王が玄関から顔を出した。
「はい。そうです」
「実はお願いがありまして……」
魔王は少し身構えた。
最近、魔王軍にはいろいろな依頼が来る。
蚊。
蜂。
井戸。
薬草。
そして、なぜか毎回、最終的には戦いになりそうな雰囲気になる。
魔王は思った。
(今回は普通の便利屋の仕事だといいな……)
商人は深く頭を下げた。
「薬草を隣町まで運びたいんです」
魔王はほっとした。
「なるほど。配達ですね」
「はい。ただ……」
商人が森の方を見る。
「最近、森に魔物が増えていまして」
魔王の顔が曇った。
「……護衛ですか?」
「はい」
魔王は後ろを見る。
勇気。
殴打。
五利武。
鍋。
便意。
昆布。
父。
母。
全員がこちらを見ている。
魔王は少し考えた。
そして笑顔になった。
「もちろん、やります」
昆布が頷く。
「護衛任務ですね」
商人が安心した顔になる。
「ありがとうございます!」
「報酬はありますか?」
父が聞いた。
「お父さん!」
魔王が突っ込む。
商人は笑った。
「もちろんあります」
父が頷く。
「それなら問題ありません」
「問題ないのそこ!?」
母が笑う。
「あなた、最近すっかり商売人みたいね」
「仕事には報酬が必要ですから」
父は真顔だった。
「サラリーマンも同じです」
「急にサラリーマンの話になるな」
昆布が白板を持ってきた。
「では、護衛隊形を決めましょう」
「白板まで持ってきたの?」
「当然です」
昆布は地面に簡単な図を書いた。
商人と荷車。
その周囲に魔王軍の配置を書いていく。
「前衛は魔王様とお父さん」
「はい」
「側面は私」
「はい」
「後方は勇気さんとお母さん」
「分かったわ」
「そして荷車の後ろを殴打さんと五利武さんにお願いします」
殴打が荷車を見る。
「これ、押すのか?」
「はい」
五利武も荷車を見る。
「押すだけ?」
「基本的には」
殴打が笑った。
「物理攻撃専門の俺にはちょうどいいな」
五利武も頷く。
「素早い物理攻撃担当だけど、今日は素早く荷車を押すか」
「そこまで素早くなくていいです」
昆布が冷静に言った。
鍋は荷車の薬草を見ていた。
「この薬草、何に使うんだ?」
商人が答える。
「傷薬や回復薬の材料です」
母が興味を示した。
「薬草料理には使えないかしら?」
「母さん、それは料理じゃない」
便意が薬草を覗き込む。
「これ、便通にも効きますか?」
商人が困った顔をする。
「……たぶん違います」
「そうですか」
便意は残念そうだった。
「便通大魔王の出番ではないですね」
魔王はため息をついた。
「今日は普通の護衛だからね」
「はい」
便意が胸を張る。
「今日は便意を起こさないようにします」
「そこを目標にするな」
商人は大量の薬草を荷車に積み込んだ。
緑色の薬草が山のように積まれている。
魔王が眺める。
「かなり多いですね」
「隣町で薬草が不足しているんです」
昆布が反応した。
「不足?」
「はい」
「この前、村でも薬草が不足していました」
商人が頷く。
「実は隣町も同じなんです」
昆布の目が鋭くなる。
「……なるほど」
魔王が聞く。
「何か分かった?」
「まだ何も分かりません」
「じゃあ、今の顔は何?」
「考えている顔です」
「分かりにくいよ」
昆布は白板に小さく書いた。
『薬草不足』
その下に、
『村』
『隣町』
と書く。
「偶然かもしれません」
「うん」
「しかし、森の奥では薬草が採れる場所が減っている」
「うん」
「さらに魔物が増えている」
「うん」
昆布はペンを置いた。
「つまり、何かが起きている可能性があります」
魔王が頷く。
「でも、今は護衛が仕事だ」
「その通りです」
昆布は白板を閉じた。
「まずは商人さんを安全に隣町まで届けましょう」
魔王は笑った。
「よし、出発!」
商人が荷車を引く。
ガラガラ……。
殴打と五利武が後ろから押す。
「せーの!」
「おお!」
ガラガラガラ……。
魔王と父が前を歩く。
昆布は横。
勇気と母は後ろ。
こうして魔王軍の護衛任務が始まった。
しばらく進むと、森に入った。
木々が高く伸びている。
日差しが葉の隙間から差し込んでいた。
魔王は辺りを見る。
「静かだな」
父が頷く。
「静かすぎるな」
昆布も周囲を見る。
「警戒してください」
魔王軍全員が緊張する。
すると――
ブーン。
「ん?」
魔王の耳元を何かが飛んだ。
「蚊だ」
勇気が叫ぶ。
「蚊!」
全員が一斉にハエ叩きを取り出した。
商人が目を丸くする。
「……皆さん、なぜハエ叩きを?」
魔王が答えた。
「以前、蚊の討伐クエストがありまして」
「蚊を討伐したんですか?」
「はい」
昆布が頷く。
「その経験から、ハエ叩きは非常に有効な武器です」
「武器……」
商人は困惑した。
ブーン。
さらに蚊が飛んでくる。
「来た!」
パシン!
パシン!
パシン!
「よし!」
「倒した!」
「こっちにも!」
パシン!
パシン!
森の中に乾いた音が響き渡る。
商人は薬草を押しながら呟いた。
「……本当にこれが魔王軍なのか?」
魔王が蚊を見つける。
「そこ!」
ブーン。
魔王の目が鋭くなる。
「魔王の睨み!」
蚊が――
ピタッ。
空中で止まった。
「止まった」
父がハエ叩きを構える。
「任せろ」
パシン!
「よし」
昆布が頷いた。
「見事な連携です」
商人が呆然とする。
「蚊一匹に、魔王の睨みまで……」
魔王が真顔で言った。
「護衛ですから」
「そういう問題なのかな……」
しばらく進む。
すると森が開けた。
目の前に広がったのは――
一面のお花畑だった。
「うわぁ……」
勇気が声を上げる。
母も笑顔になる。
「綺麗ね」
鍋が言った。
「料理に使える花はあるかな?」
「鍋さん、何でも料理に結びつけないでください」
昆布が注意する。
魔王は花畑を眺める。
「ここなら少し休憩しても――」
その瞬間。
ブーン。
ブーン。
ブーンブーンブーン!
空から大量の蜂が現れた。
「……」
魔王が固まる。
「……またか」
勇気がハエ叩きを握る。
「蜂です!」
殴打が構える。
「蚊の次は蜂か」
五利武が笑う。
「ハエ叩きの出番だな」
商人が叫ぶ。
「いやいやいや! 蜂にハエ叩きは無理でしょう!」
昆布が冷静に言った。
「では、魔王様」
「うん」
「まず睨みで動きを止めてください」
魔王は頷いた。
「魔王の睨み!」
ギロッ!
大量の蜂が――
ピタッ。
「止まった!」
「今です!」
パシン!
パシン!
パシン!
パシン!
「うおおお!」
「まだいるぞ!」
「こっち!」
「任せろ!」
パシン!
パシン!
パシン!
魔王軍が一斉にハエ叩きを振るう。
商人は呆然と立っていた。
「……蜂って、こんな倒し方でしたっけ?」
魔王が汗を拭く。
「僕たちもよく分かってません」
「分かってないんですか!?」
花畑を抜ける。
再び森の中へ。
今度は道が細くなっていた。
左右から茂みが迫っている。
昆布が周囲を確認する。
「注意してください」
父が前を見た。
「……待て」
魔王も足を止める。
「どうしたの?」
父が指差す。
「前から誰か歩いて来るぞ」
全員が前を見る。
最初は木々しか見えなかった。
しかし――
誰かの足が見えた。
日光に照らされている。
黒いブーツ。
ゆっくり。
ゆっくりと近づいてくる。
魔王が呟く。
「誰だ?」
昆布がすぐに指示する。
「お母さんは後ろを見張っていてください」
「分かったわ」
母が振り返る。
勇気も後ろにつく。
昆布は前方を見る。
「全員、慌てないでください」
殴打がバットを握る。
五利武がゴルフクラブを持つ。
便意が魔法の杖を構える。
鍋がフライパンを持つ。
「鍋さん、それで戦うんですか?」
「一応」
父が盾を構える。
魔王は――
素手だった。
「魔王様、何か武器を持ちますか?」
昆布が聞く。
「いや」
魔王は答えた。
「できれば戦いたくない」
昆布が頷く。
「それでこそ魔王様です」
そのとき。
男の全身が見えた。
黒いブーツ。
灰色の肌。
そして――
ボクサーパンツ。
筋骨隆々の肉体。
肩幅は広い。
腕は太い。
胸板も厚い。
脚も太い。
どう見ても強そうだった。
商人の顔が青ざめる。
「あ……」
魔王が商人を見る。
「どうしたんです?」
商人が震える声で言った。
「あれは……」
一歩。
敵が歩く。
ドス……
もう一歩。
ドス……
商人が叫んだ。
「ゴプリンだ!」
魔王が首を傾げた。
「ゴプリン?」
「はい!」
「強いの?」
商人は即答した。
「ボコボコにされます!」
魔王はゴプリンを見る。
「確かに……」
しばらく見つめる。
「世界チャンピオンだった俺より、向こうの方が筋肉あるかも」
殴打が頷いた。
「俺もそう思う」
五利武も見る。
「かなりあるな」
父が冷静に観察する。
「でも……」
魔王が父を見る。
「何?」
父が言った。
「歩くの、遅くないか?」
「……」
全員がゴプリンを見る。
ドス……
ドス……
ドス……
確かに遅い。
とんでもなく遅い。
勇気が小声で言う。
「歩幅は大きいのに……」
母も首を傾げる。
「どうしてあんなにゆっくりなのかしら?」
商人が説明する。
「はい……」
ゴプリンを見ながら答える。
「早く歩くと、お皿の上のプリンが落ちてしまうんです」
「……」
全員が沈黙した。
魔王がもう一度ゴプリンを見る。
ゴプリンの顔。
確かに――
お皿に乗ったプリン。
巨大なプリン。
いや、顔そのものがプリン。
顔全体がぷるんとしている。
しかも、頭の形が完全に皿の上のプリンだった。
魔王が呟く。
「……顔、プリンだ」
父が頷く。
「完全にプリンだ」
昆布が分析する。
「つまり、あの筋肉と顔の構造が……」
魔王が止める。
「昆布、そこまで分析しなくていい」
昆布は真顔だった。
「しかし重要な情報です」
「何が?」
「ゴプリンは高速移動が苦手です」
五利武が言った。
「じゃあ、弱点はスピードか?」
昆布が頷く。
「おそらく」
殴打がバットを肩に担ぐ。
「なら、俺の出番か?」
昆布は少し考える。
「待ってください」
「なんで?」
「まだ攻撃してきていません」
殴打が止まる。
「……そうだった」
魔王も頷いた。
「そうだよな」
商人が小声で言う。
「でも、ゴプリンはものすごく力が強いですよ」
父が聞く。
「どのくらい?」
商人は遠い目をした。
「以前、荷車を一人で持ち上げました」
「一人で?」
「はい」
殴打が荷車を見る。
「俺たち二人で押してるのに?」
五利武も見る。
「俺たちより強いのか」
商人が頷く。
「はい」
魔王は腕を組む。
「でも、こっちは人数がいる」
昆布が頷いた。
「そうです」
魔王が言う。
「それに、僕は戦いたくない」
昆布が頷く。
「それも重要です」
「あと、護衛対象は商人さん」
「その通りです」
「薬草も守らないといけない」
「はい」
魔王がゴプリンを見る。
ゆっくり。
ゆっくり。
こちらへ近づいてくる。
ドス……
ドス……
ドス……
ゴプリンは何も言わない。
ただ歩いてくる。
魔王は思った。
(もしかして……)
父も思った。
(攻撃する気はないんじゃないか?)
昆布も思った。
(まだ判断できない)
商人だけは震えている。
「ゴプリンが……来ます」
魔王が小声で聞く。
「商人さん」
「はい」
「ゴプリンって、普段からあんな歩き方なんですか?」
「はい」
「戦うときも?」
「はい」
「じゃあ、どうやって攻撃するんです?」
商人は答えた。
「近づいて……」
ドス……
「そして……」
ドス……
「殴ります」
魔王が苦笑する。
「……シンプルだな」
殴打が笑う。
「俺と同じじゃないか」
五利武が言う。
「いや、殴打より筋肉あるぞ」
「そこは言うな」
そのとき。
ゴプリンが立ち止まった。
全員が身構える。
ゴプリンの顔が、こちらを向いた。
プリンのような顔が――
ゆっくりと揺れる。
ぷるん。
魔王軍全員が固まった。
魔王が思わず呟く。
「……落ちないんだな」
父が真顔で答えた。
「落ちたら大変だろう」
昆布が一歩前に出る。
「全員、まだ攻撃しないでください」
「分かった」
魔王が答える。
ゴプリンが――
一歩。
踏み出した。
ドスン。
地面が少し揺れた。
商人が叫ぶ。
「来ます!」
魔王は構える。
昆布は周囲を確認する。
殴打はバットを握る。
五利武はゴルフクラブを握る。
勇気は補助魔法の準備。
母は回復魔法の準備。
父は盾を構える。
便意は杖を構える。
鍋はフライパンを構える。
そして魔王は――
拳を握った。
「……できれば、戦いたくないんだけどな」
ゴプリンが、ゆっくりと近づいてくる。
ドス……
ドス……
ドス……
果たして魔王軍は、プリン顔の怪力モンスター・ゴプリンを止めることができるのか。
そして――
ゴプリンは本当に敵なのか?
次回へ続く。




