魔法の薬草を五つ買う
旅立ちの村。
勇者の家の居間には、魔王軍の全員が集まっていた。
テーブルの上には、一枚の紙幣。
いや。
この世界では紙幣なのか硬貨なのか、まだ魔王軍にはよく分かっていない。
ただ一つだけ、全員が理解していることがある。
――100ゴウ。
これが、先ほど魔王が受け取った報酬だった。
魔王はそれをテーブルの上に置いた。
「……100ゴウか」
勇気が目を輝かせる。
「初めての報酬ですね!」
「そうだな」
殴打も腕を組んでいる。
「100ゴウあれば、かなり買えるんじゃないか?」
五利武も頷く。
「ゴルフクラブ……は、さすがに買えないか」
「異世界に来てまでゴルフクラブ買うの?」
魔王が突っ込む。
「いや、武器として使える」
「いや、ゴルフクラブはゴルフに使うものだから」
「でも私は物理攻撃担当だ」
「そういう問題じゃないんだよ」
その横で、便意が100ゴウをじっと見ていた。
「100ゴウ……」
「どうした?」
「便通大魔王が何本買えるでしょうか」
魔王が嫌な予感を覚えた。
「……異世界でも売る気なの?」
「売れるかもしれません」
「売らないで」
昆布が100ゴウを見ながら、冷静に話し始めた。
「まず、必要なものを考えましょう」
全員が昆布を見る。
軍師・昆布。
魔王軍の作戦を考える男である。
今回も、何か重要な作戦が始まるのかもしれない。
昆布は真剣な顔で言った。
「まず、回復が大事ですね」
母が頷いた。
「そうですね」
魔王も頷く。
「確かに」
昆布は続けた。
「森に入っただけで、全員蚊に刺されました」
「うん」
「そして、村人さんは重症でした」
「うん」
「つまり、今後もっと強いモンスターが出てくる可能性があります」
「そうだな」
「だったら、回復手段を確保しておくべきです」
全員が納得した。
さすが昆布。
話が早い。
魔王が尋ねる。
「じゃあ、何を買う?」
昆布は即答した。
「魔法の薬草です」
「魔法の薬草?」
「はい。村の店に売っています」
母が嬉しそうに言った。
「魔法の薬草なら、私の回復魔法と合わせられそうですね」
「それはいいな」
魔王は100ゴウを見る。
「じゃあ、いくつ買える?」
昆布が答えた。
「一つ20ゴウです」
「20ゴウか」
魔王は計算する。
100ゴウ。
20ゴウ。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
五つ。
魔王は顔を上げた。
「……五つ買えるな」
昆布が頷く。
「五つですね」
勇気も頷く。
「五つです!」
殴打も頷く。
「五つだ」
五利武も頷く。
「五つだな」
便意も頷く。
「五つですね」
鍋も頷く。
「五つですね」
母も頷く。
「五つね」
父も頷いた。
「五つだ」
魔王は全員を見た。
「……全員で確認する必要ある?」
昆布が真顔で言う。
「大事な買い物です」
「確かに」
魔王軍は立ち上がった。
---
村の小さな店。
棚には、この世界で使われる薬や道具が並んでいる。
魔王は店主に声をかけた。
「魔法の薬草を五つください」
店主は驚いた顔をした。
「五つ?」
「はい」
「一つ20ゴウですよ」
「分かっています」
魔王は100ゴウを差し出した。
店主はそれを受け取る。
そして棚から、魔法の薬草を五つ取り出した。
小さな袋に入れてくれる。
「はい。100ゴウです」
「ありがとうございます」
魔王は袋を受け取った。
昆布が横から確認する。
「五つありますね」
魔王が袋を開ける。
「一、二、三、四、五」
「大丈夫です」
昆布が頷く。
「これで回復手段は確保できました」
勇気が感心する。
「さすが昆布さん!」
昆布は少し照れた。
「軍師ですから」
魔王は店の外に出た。
財布を見る。
いや。
財布というほどのものではない。
100ゴウが入っていたところには、何もない。
魔王は財布を振った。
カラカラ。
……ではない。
何も入っていない。
「……全部使ったな」
殴打が言う。
「100ゴウ全部だ」
五利武も言う。
「きれいになくなった」
便意が財布を覗く。
「一ゴウもありませんね」
「言わなくていいよ」
魔王は少し考えた。
「でも、これでいいんだよな?」
昆布が頷く。
「はい」
「全部使ってしまったけど?」
「必要なものを買ったので問題ありません」
「でも、次に何か買いたくなったら?」
昆布は真剣な顔で答えた。
「また稼ぎましょう」
魔王は少し黙った。
「……そうだな」
勇気が笑う。
「便利屋ですから!」
「そうだった」
魔王も笑った。
「俺たちは魔王軍だけど、便利屋でもあるんだった」
---
勇者の家に戻る。
魔王軍は居間に集まった。
テーブルの上には、買ってきた魔法の薬草が五つ。
魔王はそれを見つめた。
「五つか」
母が言う。
「大切に使いましょう」
「そうだな」
昆布が薬草を一つずつ確認する。
「傷を負ったときに使う」
「はい」
「母さんの回復魔法と組み合わせる」
「はい」
「無駄遣いしない」
「はい」
便意が手を上げる。
「食べてみてもいいですか?」
全員が一斉に振り向いた。
「ダメ」
便意は手を下ろした。
「はい」
鍋が笑う。
「料理には使えそうですけどね」
「料理にも使わない」
魔王が即答する。
鍋は少し残念そうだった。
「薬草料理……」
「作らなくていい」
「分かりました」
昆布は頷いた。
「非常食としても考えない方がいいでしょう」
「そうですね」
鍋は納得した。
「では、これは料理に使わないことにします」
「最初からそうして」
そのときだった。
母が窓の外を見る。
「今日はもう、出かけないんですか?」
魔王も外を見る。
まだ昼過ぎだ。
天気も悪くない。
だが、森に入ってみた結果は――
蚊。
蚊。
蚊。
そして蚊。
魔王は思った。
「……今日は休もうか」
昆布がすぐに反応した。
「賛成です」
勇気も頷く。
「僕も賛成です!」
殴打が言う。
「今日はかなり歩いたからな」
五利武も肩を回す。
「ゴルフの練習より疲れた」
「蚊を叩いてただけなのにね」
魔王が言う。
昆布が冷静に補足する。
「ですが、10匹以上倒しました」
「それを言われると、かなり働いた気がするな」
便意が椅子に座った。
「私は三本飲んだだけでも疲れました」
「それ、便通大魔王だろ」
「はい」
「こっちに持ってきてないよな?」
「持ってきてません」
魔王は安心した。
「よし」
---
その頃。
台所では鍋が、おばあちゃんの料理を手伝っていた。
おばあちゃんは大きな鍋をかき混ぜている。
「鍋さん、こっちお願いできる?」
「はい」
鍋はすぐに動いた。
野菜を切る。
鍋を洗う。
皿を並べる。
火加減を見る。
料理の下準備をする。
動きが非常に手慣れている。
おばあちゃんが感心した。
「ずいぶん料理が上手になったねえ」
鍋は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「最初に会ったときより、ずっと上手だよ」
「魔王様のところで料理をするようになってから、もっと料理が好きになったんです」
「そうかい」
おばあちゃんは優しく笑った。
「料理はね、誰かが美味しいって言ってくれると嬉しいものだよ」
鍋は少し黙った。
そして笑った。
「はい」
台所から、いい匂いが漂ってくる。
居間にいた魔王軍の全員が一斉に反応した。
勇気が鼻を動かす。
「……いい匂い」
五利武も言う。
「腹が減ったな」
殴打も頷く。
「かなり減った」
便意が立ち上がった。
「食事ですか?」
魔王が言う。
「まだだよ」
「そうですか」
便意は座り直した。
昆布が笑う。
「鍋さんは、料理の才能がありますね」
魔王も頷く。
「本当にそうだな」
母が言う。
「鍋さんがここにいてくれると、おばあちゃんも助かりますね」
魔王は少し考えた。
「……そうだな」
この家は、勇者の家。
そして、旅立ちの村の家。
魔王軍が最初に異世界へ来たとき、偶然たどり着いた場所。
そして今では――
少しずつ、自分たちの居場所になり始めていた。
---
夕方。
食卓に料理が並んだ。
おばあちゃんが作った料理。
鍋が手伝った料理。
全員が席につく。
魔王が言った。
「いただきます」
「いただきます!」
全員が食べ始める。
「美味しい!」
勇気が叫ぶ。
「うまい!」
殴打も続く。
五利武も頷く。
「これはいい」
便意も笑顔になった。
「美味しいです」
母も嬉しそうに食べている。
父は黙々と食べている。
魔王が父を見る。
「父さん、どう?」
父は一口食べてから答えた。
「美味しい」
「一言だけ?」
「美味しいものは、長く説明しなくても美味しい」
魔王は少し笑った。
「確かに」
昆布も料理を食べながら、周囲を見た。
みんなが笑っている。
今日、モンスターを倒した。
といっても、蚊だった。
報酬は100ゴウ。
その100ゴウは全部、魔法の薬草五つに変わった。
そして今は、勇者の家で食事をしている。
昆布は静かに言った。
「今日は、いい一日でしたね」
魔王が頷く。
「ああ」
「初めてモンスターを倒して」
「蚊だったけどな」
「報酬をもらって」
「100ゴウ」
「必要なものを買って」
「魔法の薬草五つ」
「そして、休める場所もある」
魔王は周りを見た。
母。
父。
勇気。
殴打。
五利武。
鍋。
便意。
昆布。
そして、おばあちゃん。
魔王は少し笑った。
「……なんか、本当に魔王軍っぽくなってきたな」
勇気が笑う。
「はい!」
殴打が頷く。
「そうだな」
五利武も笑う。
「悪くない」
鍋は料理を見ながら言った。
「次は何を作りましょうか」
「もう次の料理の話?」
魔王が笑う。
便意が手を上げる。
「便通大魔王も――」
「それは作らなくていい」
昆布が冷静に言った。
「魔王軍には、まだ課題があります」
全員が昆布を見る。
「何?」
昆布は真剣な顔で答えた。
「次に稼ぐ方法です」
魔王は黙った。
財布を見る。
空っぽ。
魔法の薬草は五つ。
そして今日の食事。
魔王は腕を組んだ。
「……確かに」
勇気が元気よく立ち上がる。
「次の仕事を探しましょう!」
魔王も立ち上がる。
「そうだな」
昆布が頷いた。
「焦らず、情報を集めてから動きましょう」
魔王軍は頷いた。
異世界での生活。
まだ始まったばかりだ。
100ゴウはなくなった。
しかし、魔王軍には仲間がいる。
回復役がいる。
防御役がいる。
物理攻撃役がいる。
素早い攻撃役がいる。
コックがいる。
魔術師がいる。
軍師がいる。
そして――
便利屋の魔王がいる。
魔王は空になった財布を見て、苦笑した。
「……次は、ちゃんと稼がないとな」
昆布が頷いた。
「はい。まずは回復」
魔王も頷く。
「まずは回復」
母が笑う。
「今日はゆっくり休みましょう」
魔王軍全員が頷いた。
そしてその日の夜。
魔王軍は、旅立ちの村の勇者の家で、初めての異世界の夜を迎えた。
100ゴウで買った魔法の薬草は、五つ。




