魔王に選ばれた理由
旅立ちの村を出発した魔王軍は、村の外れまで来ていた。
目の前には、森へ続く一本道。
その先には、今回の依頼である五匹のモンスターがいるらしい。
殴打はバットを肩に担いでいる。
五利武はゴルフクラブを持っている。
便意はスマートフォンを握っている。
鍋は食料の入った袋を持っている。
勇気は両手を握りしめている。
母は回復用の道具を持ち、父は何も持っていない。
ただ、堂々と歩いている。
昆布は地図を見ている。
そして魔王は――。
いつもの服装だった。
「……」
昆布が魔王を見る。
「魔王様」
「何?」
「武器は?」
「持ってない」
「防具は?」
「ない」
「魔法道具は?」
「ない」
昆布は少し考えた。
「……便利屋の服装ですね」
「そうだな」
「魔王様なのに」
「俺、便利屋だから」
勇気が笑った。
「でも魔王様は格闘技のチャンピオンなんですよね?」
「昔な」
殴打が言う。
「ボクシング世界チャンピオン」
五利武が続ける。
「MMAでも勝利」
鍋が続ける。
「キックボクシングでも勝利」
便意が続ける。
「そして今は魔王」
父が言った。
「肩書きが多いな」
魔王は苦笑した。
「俺もそう思う」
その時だった。
『魔王』
頭の中に、空耳さんの声が響いた。
魔王は立ち止まった。
「空耳さん?」
『そうじゃ』
「急に出てくるなよ」
『いや、ずっといるぞ』
「そうなの?」
『うむ』
昆布が振り返った。
「空耳さんですか?」
『そうじゃ』
勇気も手を振る。
「こんにちは!」
『こんにちは』
母も言う。
「今日は何のお話ですか?」
空耳さんは少し間を置いた。
『今日は……』
魔王が嫌な予感を覚える。
『世界の話をしよう』
「急に重いな」
『実はな』
空耳さんが続ける。
『お前たちが学生生活を送っていた世界』
「うん」
『そして社会人をしていた世界』
「うん」
『あれはな』
全員が静かになった。
空耳さんは言った。
『仮想世界じゃ』
「…………」
魔王が止まった。
「え?」
勇気も止まる。
「仮想世界?」
昆布が地図を下ろす。
「……どういう意味ですか?」
空耳さんは淡々と答える。
『お前たちが「異世界」と呼んでいた今いる世界』
魔王が周囲を見る。
小さな村。
畑。
森。
遠くに見える山。
『こちらが本物の世界じゃ』
「…………」
誰も喋らない。
魔王はゆっくり振り返った。
「じゃあ……」
「はい」
昆布が答える。
「私たちが今までいた世界は?」
空耳さんが答えた。
『仮想世界』
「…………」
魔王は頭を抱えた。
「ちょっと待って」
『何じゃ?』
「俺たちが学生だった世界も?」
『仮想世界じゃ』
「俺が社会人として働いていた世界も?」
『仮想世界じゃ』
「便利屋をやってた世界も?」
『それもじゃ』
魔王はしばらく黙った。
そして――。
「俺の便利屋人生まで仮想だったの?」
『そうじゃ』
「そこは現実であってほしかった!」
勇気が言った。
「僕の学校生活も?」
『仮想じゃ』
「会社員だった人たちも?」
『仮想じゃ』
殴打が聞く。
「プロ野球も?」
『仮想じゃ』
「…………」
殴打の顔が少し曇った。
魔王が慌てる。
「いや、待て。お前の野球はこの世界でも続けられるだろ」
殴打が頷いた。
「そうですね」
五利武も言った。
「私のゴルフも?」
『この世界にもゴルフはある』
「よかった」
鍋が言う。
「料理は?」
『料理もある』
「よかった」
便意がスマートフォンを見る。
「会社は?」
『ある』
「サラリーマンも?」
『いる』
便意は少し安心した。
「じゃあ、僕はこの世界でもサラリーマンができますね」
魔王が言う。
「お前は魔術師になるんじゃないのか?」
「それもやります」
「欲張りだな」
昆布が冷静に尋ねた。
「空耳さん」
『なんじゃ?』
「では、なぜ我々は仮想世界で生活していたのですか?」
空耳さんは答えた。
『次の魔王を探して、育てるためじゃ』
「…………」
全員が魔王を見る。
魔王も全員を見る。
「俺?」
『そうじゃ』
「……」
魔王は頭を抱えた。
「だから、俺が魔王になるって話なの?」
『そうじゃ』
「でも、どうして仮想世界なんかで?」
空耳さんは説明を始めた。
『いきなり本物の世界に連れてきて、「今日からお前が魔王です」と言われたら困るじゃろ?』
「そりゃ困る」
『だから、まず普通の生活をさせた』
「学生生活とか?」
『そうじゃ』
「社会人とか?」
『そうじゃ』
「便利屋とか?」
『そうじゃ』
「……」
魔王が少し考える。
「じゃあ、俺が普通の人生を送ってたのも……」
『魔王になるための準備じゃ』
魔王は遠くを見る。
「普通に働きたかっただけなんだけどな」
空耳さんは続ける。
『だが、魔王というのは強くなければならん』
「まあ、それは分かる」
『そこで格闘技じゃ』
「……」
魔王の顔が引きつる。
『ボクシングをやらせた』
「やらせた?」
『世界チャンピオンにした』
「……」
『MMAもやらせた』
「……」
『キックボクシングもやらせた』
魔王が振り返る。
「空耳さん」
『なんじゃ?』
「俺が格闘技を始めた理由って……」
『魔王になるためじゃ』
「…………」
魔王は両手で顔を覆った。
「だから俺、格闘技嫌だったのに……」
『知っておる』
「知ってたの?」
『もちろん』
「だったらやらせるなよ!」
『でも必要だったんじゃ』
「俺、世界チャンピオンまでやったんだぞ!」
『立派じゃろ?』
「立派だけど!」
勇気が小声で言う。
「魔王様、すごい人生ですね」
魔王は答える。
「本人としては、普通の人生を送りたかったんだけどな……」
母が微笑んだ。
「でも、あなたはずっと人を傷つけないように戦っていたでしょう?」
魔王は少し黙った。
「……そうだな」
空耳さんが言った。
『それも魔王になるための訓練じゃ』
魔王が顔を上げる。
「それも?」
『魔王だからといって、何でも破壊すればよいわけではない』
「……」
『力を持ちながら、それを抑える』
『相手を倒せるのに、必要以上に傷つけない』
『それが魔王には必要じゃ』
魔王は少し考えた。
「……そこまで考えてたの?」
『もちろんじゃ』
魔王は少し安心した。
「じゃあ、格闘技をやらされたのにも意味があったんだな」
『そうじゃ』
「……」
空耳さんは続けた。
『ただ――』
「何?」
『魔王にする人間を探していたら、お前が見つかった』
「うん」
『名前が魔王だった』
「…………」
全員が固まった。
魔王がゆっくり聞く。
「……それだけ?」
『うむ』
「次の魔王は何で俺なの?」
『名前が魔王だったから』
「そこだけかよ!」
勇気が吹き出した。
「魔王様、名前で選ばれたんですか!」
殴打も笑う。
「分かりやすいですね」
五利武が頷く。
「確かに『魔王』という名前の人を見つけたら、魔王にしたくなりますね」
魔王が振り返る。
「いや、ならないだろ普通!」
鍋が言う。
「私が鍋という名前だったら、コックにされますか?」
昆布が答える。
「されました」
「確かに」
便意が言う。
「僕が便意という名前なら?」
全員が便意を見る。
「……」
魔王が言った。
「それは魔術師でいいんじゃないか?」
「ですよね!」
便意は嬉しそうだった。
父が腕を組む。
「俺が父だったら?」
「それは役職じゃないだろ」
母が言う。
「私が魔女だったら?」
魔王は母を見る。
「……もう魔女になってるじゃん」
「まあ」
空耳さんが笑った。
『そういうことじゃ』
魔王が空耳さんに聞く。
「じゃあ、空耳さんの役目は何なの?」
『わし?』
「うん」
『魔王を探すことじゃ』
「…………」
魔王は目を細めた。
「空耳さんの役目は、魔王を探す事なの?」
『そうじゃ』
「本当に?」
『本当じゃ』
昆布が質問する。
「では、空耳さんはずっと魔王候補を探していたのですか?」
『そうじゃ』
「そして魔王様を見つけた」
『そうじゃ』
「名前が魔王だったから?」
『そうじゃ』
昆布はしばらく考えた。
「……ものすごく重要な役目なのに、理由が単純ですね」
「俺もそう思う」
すると空耳さんが突然言った。
『ただな』
「何?」
『一つ問題がある』
魔王が嫌な顔をする。
「何?」
『わし、途中で遊んでおったら……』
「うん」
『魔王を探すのを忘れてた』
「…………」
静寂。
鳥の鳴き声だけが聞こえた。
魔王がゆっくり言う。
「空耳さん」
『なんじゃ?』
「あなたの役目、魔王を探すことだよね?」
『そうじゃ』
「なのに?」
『遊んでおった』
「魔王を探すのを?」
『忘れておった』
魔王は頭を抱えた。
「壮大な世界設定なのに、原因がものすごくしょうもない!」
勇気が笑いをこらえている。
昆布は真剣だった。
「空耳さん」
『なんじゃ?』
「どのくらい忘れていたんですか?」
『……まあまあ』
「まあまあ?」
『結構』
「結構?」
『かなり』
昆布が目を閉じる。
「なるほど……」
魔王が聞く。
「何して遊んでたの?」
『いろいろじゃ』
「例えば?」
『ゲーム』
「……」
『お姉ちゃん』
「……」
『散歩』
「……」
『美味しいものを食べたり』
「……」
『あと、将棋』
魔王が叫んだ。
「将棋してる場合じゃないだろ!」
空耳さんが答える。
『でも面白かったぞ』
「知らないよ!」
母が笑いながら言う。
「空耳さん、魔王を探すのを忘れてしまったのね」
『うむ』
「だから、私たちがこうなったのですか?」
『そうじゃ』
魔王が言った。
「ちょっと待って」
全員を見る。
「つまり……」
魔王は指を一本ずつ折る。
「俺たちは仮想世界で生活していた」
「はい」
「それは次の魔王を探して育てるため」
「はい」
「空耳さんは魔王を探していた」
「はい」
「でも遊んでいて忘れた」
「はい」
「その後、俺を見つけた」
「はい」
「俺の名前が魔王だった」
「はい」
魔王は最後に空耳さんへ聞いた。
「……それで俺が次の魔王?」
『そうじゃ』
「…………」
魔王はしばらく黙った。
そして――。
「名前だけじゃん!」
全員が笑った。
昆布も珍しく笑っている。
「確かに、名前の影響が大きすぎます」
勇気が言う。
「でも魔王様は強いです!」
殴打が頷く。
「格闘技の実績もあります」
五利武も続ける。
「人を傷つけない強さもあります」
鍋が言う。
「便利屋として人を助けてきました」
便意が言う。
「そして私たちをまとめています」
母が微笑む。
「魔王になる理由は、名前だけではなかったのかもしれませんね」
父も頷いた。
「結果的には、合っていたんじゃないか」
魔王はみんなを見る。
「……」
そして小さく笑った。
「そう言われると、ちょっとだけ納得できるな」
空耳さんが言った。
『じゃろ?』
「でも」
『なんじゃ?』
「一つだけ言わせて」
『うむ』
「もっと早く説明してくれよ!」
『……忘れておった』
「またかよ!」
昆布がため息をついた。
「空耳さん」
『なんじゃ?』
「今後は重要な情報を忘れないでください」
『努力する』
「努力ではなく、覚えておいてください」
『分かった』
魔王が歩き出す。
「よし。とりあえず今は五匹のモンスターだ」
昆布が頷く。
「そうですね」
「異世界が本物の世界だろうが、仮想世界がどうだったとか、次の魔王がどうとか――」
魔王は森を見る。
「まずは目の前の依頼を片付けよう」
勇気が拳を上げる。
「はい!」
殴打がバットを構える。
「物理攻撃担当、行きます」
五利武もクラブを握る。
「素早い物理攻撃担当も」
鍋が食料袋を持つ。
「私は食事を」
便意がスマートフォンを見る。
「私は魔法を……」
スマートフォン。
『ファイアー』
便意。
「ファイアー!」
何も起きない。
「…………」
魔王が言った。
「便意、まずそこからだな」
昆布は地図を確認する。
「では、出発します」
魔王軍は森へ向かって歩き始めた。
その背後。
旅立ちの村では、勇者のおばあちゃんが手を振っている。
「気をつけてねー!」
魔王も手を振る。
「行ってきます!」
歩きながら、魔王は空耳さんに聞いた。
「なあ」
『なんじゃ?』
「俺が本当に次の魔王になるとしてさ」
『うむ』
「この世界の人たちに、どう説明するんだ?」
『簡単じゃ』
「何て?」
『魔王様が魔王を倒して、次の魔王になります、と』
「……」
魔王は黙った。
「やっぱり、ややこしいな」
昆布が横から言う。
「かなりややこしいです」
勇気が笑う。
「でも、魔王様なら大丈夫ですよ!」
魔王は笑った。
「まあ……なるようになるか」
その時、空耳さんが小さく呟いた。
『しかし――』
魔王が振り返る。
「何?」
『次の魔王を探す役目を忘れていたとはいえ……』
「うん」
『ちゃんと見つけたから、わしは優秀じゃな』
魔王は即答した。
「自分で言うな!」
森の中に、魔王の声が響いた。
そして魔王軍は進んでいく。
まだ彼らは知らない。
この世界で「魔王」と呼ばれる存在が、なぜ力を失ったのか。
そして、なぜ魔物たちが不穏な動きを見せているのか。
それらの真相は、まだ深い森の向こう側に隠されている。
今はただ――。
魔王が魔王を倒し、
魔王が次の魔王になる。




