魔王を倒すよう頼まれる
「お米は?」
母の一言で、魔王軍の笑い声が小さな部屋に響いていた。
魔王は苦笑しながら扉に手をかける。
「はいはい。お米はあとで考えよう」
「大事よ」
「分かってるって」
ガチャ。
扉が開いた。
そして――。
魔王は固まった。
「……」
扉のすぐ前に、
一人の男が倒れていた。
服は泥だらけ。
腕には傷。
足も引きずっている。
明らかに怪我をしている。
「うわっ!」
勇気が駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
男は苦しそうに顔を上げた。
「……あなたたちは……?」
魔王が答える。
「えっと……」
一瞬、どう説明するか迷った。
「……旅の者です」
昆布が小声で言う。
「魔王軍です」
「今はそれ言わなくていい」
男は魔王たちを見回した。
そして、必死に口を開いた。
「助けて……ください……」
母がすぐにしゃがみ込む。
「まあ大変」
母は怪我人の腕を見る。
「かなり怪我してるわね」
「はい……」
母は手をかざした。
「回復しますわ」
淡い光が手のひらから広がった。
「回復魔法――」
光が怪我人の体を包む。
すると、
傷が少しずつ消えていく。
男が驚いた。
「……!」
腕を動かす。
足を動かす。
「痛くない……」
母が笑った。
「良かったわ」
勇気が目を輝かせる。
「お母さん、すごいです!」
母も嬉しそうだ。
「練習しておいて良かったわね」
魔王も安心した。
「異世界に来て、さっそく母さんの出番があったな」
父が頷く。
「回復役として優秀だ」
「父さんは防御役だけどね」
「もちろん」
父は胸を張った。
怪我人は立ち上がった。
そして魔王軍に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
母が笑う。
男は少し安心したようだった。
しかし――。
次の言葉で、
魔王の顔が引きつった。
「実は……お願いがあります」
魔王が聞く。
「何でしょう?」
男は真剣な顔をした。
「最近……魔王の力が弱まっているのです」
魔王軍が一斉に魔王を見る。
「……」
魔王は目をそらした。
男は続ける。
「そのせいで、魔物たちが各地で暴れています」
「なるほど」
昆布が腕を組む。
男は言った。
「どうか……」
そして魔王軍全員を見回し、
「モンスターを五匹、倒してください」
魔王軍全員が、
「……」
沈黙した。
魔王が聞き返す。
「五匹?」
「はい」
「いきなり?」
「はい」
「異世界に来て、まだ数分なんだけど」
男は申し訳なさそうに言った。
「ですが……どうかお願いします」
魔王軍は顔を見合わせた。
勇気が小声で言う。
「魔王様」
「何?」
「いきなりモンスター五匹ですね」
「うん」
殴打が腕を組む。
「いきなり五匹ですか」
五利武も、
「かなり本格的な依頼ですね」
便意が少し緊張する。
「僕、まだ異世界の魔物を見たことがありません」
鍋も言う。
「私もです」
父は静かに拳を握った。
「戦うなら俺が前に出る」
魔王が見る。
「父さん、やる気?」
「防御する」
「やっぱりそこなんだ」
昆布は何も言わず考えていた。
そして――。
「報酬は?」
魔王が昆布を見る。
「そこ?」
昆布は真剣だった。
「重要です」
怪我人が答える。
「もちろん、報酬は用意します」
「ゴウですか?」
「はい」
昆布の目が少し鋭くなった。
「では、依頼として成立します」
魔王は腕を組む。
「でも……」
男が見る。
「何でしょう?」
魔王は言った。
「モンスター五匹って、どんなモンスター?」
男は少し困った顔をした。
「それは……」
「強い?」
「種類によります」
「弱い?」
「それも種類によります」
魔王が頭を抱える。
「情報が少ないな……」
昆布が頷く。
「その通りです」
昆布は周囲を見る。
「この世界に来たばかりで地理も分からない。敵の能力も不明。武器も防具もない」
殴打が自分のバットを見る。
「一応、これがあります」
五利武もゴルフクラブを持つ。
「私もあります」
便意がスマートフォンを持つ。
「僕はこれです」
魔王が言う。
「スマホは武器じゃないよ」
便意が少し残念そうにする。
「魔法の呪文を読むことはできます」
昆布が言う。
「でも、便意さん本人が唱えないといけません」
「はい……」
昆布はさらに考えた。
「そして、魔王様は――」
魔王が聞く。
「俺?」
「魔王様自身も、武器を持っていません」
「まあ、俺は魔法があるから」
「それでも、いきなり未知のモンスター五匹は危険です」
魔王も頷いた。
「確かにな」
昆布は決断した。
「一度、戻りましょう」
「家に?」
「はい」
そして昆布は全員に向かって言った。
「武器と防具になる物を持ってきましょう」
殴打がバットを見る。
「これも?」
「必要です」
五利武がゴルフクラブを見る。
「これも?」
「必要です」
父が胸を張る。
「俺は?」
昆布は父を見る。
「父さんは……」
少し考える。
「防具を持ってきてください」
父は嬉しそうに頷いた。
「任せろ」
魔王が言う。
「でも、普通の防具なんて家にある?」
父が答える。
「防護ベストくらいならある」
「なんで持ってるの?」
「防御力のためだ」
「父さん、本当に防御好きだな……」
昆布はさらに母を見る。
「お母さん」
「はい?」
「回復が終わったら、一度お家に帰ってください」
母が驚く。
「私も戦いますよ?」
「もちろん、お母さんの回復能力は重要です」
昆布は少し申し訳なさそうに続けた。
「でも、ここにはおばあちゃんがいます」
魔王も気づいた。
「ああ……」
異世界のおばあちゃん。
彼らを「勇者様」と呼んだおばあちゃん。
そして、突然八人もの人間が押しかけてきたことに、
「なんか今日多くない?」
と言ったおばあちゃん。
昆布が続ける。
「また全員で戻ってきたら、おばあちゃんがびっくりするかもしれません」
母が頷いた。
「そうね」
「ですから、お母さんは一度帰宅してください」
「分かったわ」
そして昆布は鍋を見る。
「鍋さん」
「はい」
「鍋さんも一度帰ってください」
鍋が少し驚く。
「私も?」
「はい」
昆布は異世界の台所の方を見る。
「ただし――」
鍋が待つ。
「おばあちゃんの料理を、たまに手伝ってあげてください」
鍋の顔が明るくなった。
「料理を?」
「はい」
魔王も笑う。
「それなら鍋さんにぴったりだ」
鍋は嬉しそうに頷いた。
「分かりました」
昆布は続ける。
「おばあちゃん一人で大人数分の料理を作るのは大変です」
「確かに」
「それに、異世界の料理を知ることは情報収集にもなります」
昆布らしい理由だった。
鍋は笑った。
「では、料理を手伝いながら、この世界のことも聞いてみます」
「お願いします」
魔王は少し感心した。
「昆布、本当に軍師らしくなったな」
昆布は真顔で答える。
「ありがとうございます」
「最初はマッチングとか言ってたのに」
「魔王様とマッチングした件は忘れてください」
「俺も忘れたいよ」
勇気が笑う。
「僕はどうします?」
昆布は考える。
「勇気は一緒に戻ってください」
「はい!」
「武器と防具を持って戻ってきましょう」
「分かりました!」
殴打が立ち上がる。
「私も戻ります」
五利武も立つ。
「私も」
便意も立つ。
「僕も戻ります!」
父も立った。
「俺も」
魔王は全員を見回した。
「……」
異世界に来て、
数分。
そしてもう、
一度帰ることになった。
魔王は苦笑する。
「異世界旅行って、もっと壮大なものだと思ってた」
空耳さんが言う。
『最初はそんなものだ』
魔王が聞く。
「空耳さん、異世界に詳しいの?」
『少しな』
「少し?」
『……』
「また何か忘れてる?」
『まあな』
「何を?」
『忘れた』
「忘れたんかい!」
---
■いったん帰宅
魔王軍はダンボールを通って、
元の世界へ戻った。
最初に魔王。
次に父。
母。
勇気。
殴打。
五利武。
鍋。
便意。
昆布。
全員が魔王の家に戻ってきた。
母が玄関を見回す。
「やっぱり家って落ち着くわね」
魔王も頷く。
「分かる」
父はすぐに部屋へ行った。
「防具を探してくる」
魔王が叫ぶ。
「父さん、そんなに本格的なの!?」
父の声が遠くから聞こえる。
「防御力は大事だ!」
魔王はため息をついた。
「まあ、いいか」
殴打は自分のバットを確認する。
「これで大丈夫でしょう」
五利武はゴルフクラブを見ている。
「モンスターにゴルフクラブ……」
魔王が言う。
「それ、ゴルフじゃないからね」
「分かっています」
便意はスマートフォンを確認している。
「魔法の呪文も確認しておきます」
「いいね」
「ただ……」
便意は少し不安そうだった。
「モンスターって、どんな感じなんでしょう」
魔王は答えられなかった。
「俺も知らない」
勇気が言う。
「大丈夫です!」
魔王が見る。
「何が?」
「僕が応援します!」
「それは心強い」
昆布が紙を広げる。
「では、必要物資を整理します」
魔王が覗く。
「何を持っていく?」
昆布は書き始めた。
・武器
・防具
・回復用品
・食料
・水
・ロープ
・懐中電灯
・簡単な工具
・地図
・お金
魔王が止めた。
「お金って、日本円?」
昆布も止まる。
「……」
魔王も気づいた。
「ゴウだ」
「はい」
二人で顔を見合わせる。
「ゴウ、持ってない」
「ありません」
魔王が言う。
「どうする?」
昆布が答えた。
「依頼を受けたときに報酬をもらうしかありません」
「つまり――」
「最初の仕事をするまで、無一文です」
魔王は天井を見る。
「異世界生活、厳しいな」
母が台所から言う。
「お米はあるわよ」
魔王が笑った。
「そこは助かる」
---
■数日後
それから数日。
魔王軍は準備を続けた。
必要な物を確認し、
異世界へ持っていく荷物をまとめた。
魔王は最低限の道具を用意。
殴打はバット。
五利武はゴルフクラブ。
便意はスマートフォン。
勇気はフライパン。
父は防護ベスト。
母は回復魔法の練習。
鍋は調理道具。
昆布は地図や筆記用具を用意した。
そして――。
魔王はダンボールの前に立った。
「準備できた?」
全員が頷く。
「はい!」
魔王は箱を見る。
「じゃあ、行こう」
一人ずつ、
箱の中へ入っていく。
魔王。
父。
勇気。
殴打。
五利武。
便意。
昆布。
そして最後に鍋。
鍋は振り返った。
「お母さん」
母が笑う。
「何?」
「おばあちゃんの料理、手伝ってきますね」
「よろしくね」
鍋は箱へ入っていった。
そして――。
母だけが残った。
「じゃあ、私も行くわ」
魔王が言う。
「母さんは今日はこっちで待機ね」
「そう?」
「回復役だから、必要になったら呼ぶよ」
母は少し寂しそうだったが、
「分かったわ」
と笑った。
魔王は頷く。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
「うん」
魔王も箱へ入った。
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■数日後、異世界
数日後。
異世界側の小さな部屋。
そこに、
一人。
また一人。
魔王軍が集まってきた。
魔王。
父。
勇気。
殴打。
五利武。
便意。
昆布。
そして鍋。
全員が揃った。
魔王が言う。
「……」
昆布が確認する。
「全員います」
魔王は頷いた。
「よし」
勇気が拳を握る。
「モンスター五匹!」
殴打もバットを持つ。
「準備完了です」
五利武もクラブを構える。
「いつでも行けます」
便意がスマートフォンを見る。
「呪文も確認しました」
父は防護ベストを着ている。
「防御も問題ない」
魔王が父を見る。
「本当にそれ着てきたんだ」
「もちろん」
鍋は笑っていた。
「おばあちゃんにも、しばらくよろしくと言われました」
「何か聞けた?」
昆布が聞く。
「はい」
「何を?」
「この辺りには、最近モンスターが増えているそうです」
昆布の顔が真剣になる。
「やはり……」
鍋が続ける。
「それから、おばあちゃんが言っていました」
「何を?」
「この世界では、魔王の力が弱まっているから、魔物が活発になっているそうです」
魔王は少し黙った。
「……魔王の力が弱まっている」
昆布が頷く。
「最初の依頼の話と一致します」
勇気が言う。
「じゃあ、その魔王を倒せば……」
魔王が苦笑する。
「俺なんだけどね」
勇気が固まる。
「あ」
殴打も、
「そうでした」
五利武も、
「そうでしたね」
便意も、
「魔王様でした」
父は平然としている。
「本人だから問題ない」
「何が問題ないんだよ」
昆布が言った。
「少なくとも、この世界では『魔王を倒す』ことと『魔王様を倒す』ことは別問題として考えましょう」
魔王が頷く。
「そうだな」
そして魔王軍は、
小さな部屋を出る準備をした。
異世界に来て数日。
ようやく、
最初の本格的な依頼に挑む。
目的は――。
モンスター五匹。
報酬はゴウ。
そしてもう一つ。
この世界で語られている、
「魔王の力が弱まっている」
という謎。
魔王は扉を見る。
その先には、
自分たちがまだ知らない世界が広がっている。
魔王は静かに言った。
「行こう」
勇気が元気よく答える。
「はい!」
殴打。
「はい」
五利武。
「はい」
便意。
「はい!」
鍋。
「はい」
昆布。
「はい」
父。
「防御する」
魔王が笑う。
「父さん、そればっかりだな」
そして――。
魔王軍は、
異世界で初めての討伐依頼へ向かった。
ただし、
魔王本人だけは、
少し複雑な気持ちだった。
依頼人から言われた言葉。
「どうか魔王を倒してください」
その魔王に、
今、
自分がなるらしい。
魔王は小さくため息をついた。
「……異世界って、やっぱり変だな」
昆布が答える。
「まだ始まったばかりです」
魔王は前を見る。
「そうだな」
こうして――。
魔王軍の異世界冒険は、
ようやく本当の意味で始まった。




