守備世界一の勇者、殴打
それから数日後。
魔王軍は、ある場所に来ていた。
球場である。
「……」
魔王はスタンドを見渡した。
隣には勇気。
その後ろには魔王軍の仲間たち。
母親もいる。
父親もいる。
そして。
全員が一枚の巨大な横断幕を持っていた。
そこに書かれていた文字は――
『魔王軍と千本ノック』
「……」
魔王は横断幕を見つめた。
「これ、誰が作ったの?」
勇気が手を挙げた。
「俺です!」
「勇気か……」
「はい!」
「なんで『魔王軍と千本ノック』なの?」
「この前、みんなで千本ノックしたじゃないですか!」
「まあ……」
魔王は思い出した。
数日前。
魔王の家にやってきた、野球選手の勇者。
プロ野球選手でありながら、魔王を倒すためにバットを持ってきた男。
魔王が魔法で混乱させると。
なぜか外に出て、野球を始めた。
そして。
魔王軍全員で千本ノックをした。
結果。
魔王軍は全員、筋肉痛になった。
「でも、横断幕にする必要ある?」
「応援です!」
「何の?」
「勇者の!」
魔王は少し考えた。
「……まあ、いいか」
「いいんです!」
魔王軍一同も横断幕を持ち上げる。
「魔王軍!」
「千本ノック!」
「魔王軍!」
「千本ノック!」
父親だけは少し恥ずかしそうだった。
「俺、会社帰りみたいな格好なんだけど」
母親が笑う。
「いいじゃない」
「そうか?」
「応援に来てるんだから」
「まあ……」
そして。
試合が始まった。
魔王軍は真剣に応援した。
「頑張れー!」
「打てー!」
「守備、すごかったぞー!」
「千本ノック!」
「魔王軍!」
周囲の観客が振り返る。
「……」
「……」
魔王は少し恥ずかしくなった。
「勇気」
「はい!」
「『千本ノック』はもう少し小さく言おう」
「分かりました!」
「あと、魔王軍って叫ぶのも……」
「はい!」
勇気が叫ぶ。
「魔王軍――!」
「声が大きい!」
「すみません!」
その時。
打球が外野へ飛んだ。
「おお!」
魔王軍が一斉に立ち上がる。
野球選手が走る。
そして。
――パシッ!
見事なキャッチ。
球場から大歓声が上がった。
「うおおおお!」
「すごい!」
「取った!」
魔王も思わず立ち上がった。
「すごいな……」
勇気も興奮している。
「魔王様!」
「うん」
「やっぱり守備、すごいです!」
「うん」
魔王は拍手した。
「この人、野球を続けた方がいいよ」
空耳の声が聞こえた。
『……』
魔王が少し嫌な予感を覚える。
「空耳さん?」
『……』
「何か言おうとしてない?」
『いや』
「本当に?」
『まだ何も決めておらん』
「その言い方、絶対何か考えてるよね」
しかし。
その日は何事もなく試合が終わった。
魔王軍は最後まで応援した。
帰り道。
勇気が言った。
「楽しかったですね!」
「ああ」
「また来たいです!」
「そうだね」
母親も笑う。
「野球って面白いわね」
父親も頷く。
「プロはやっぱり違うな」
魔王も頷いた。
「……うん」
魔王は、あの勇者がこれからもプロ野球選手として活躍することを願っていた。
しかし。
数日後。
魔王便利屋事務所。
その日の昼。
コンコン。
玄関のドアがノックされた。
「はーい」
魔王がドアを開ける。
そこに立っていたのは――
見覚えのある男だった。
野球のユニフォーム姿。
大きな身体。
そして、手にはグローブ。
「こんにちは」
「あ!」
魔王が声を上げた。
「この前の!」
男は笑った。
「この前は、応援ありがとうございました」
「いえいえ」
「おかげさまで、グラブ章も頂きました」
魔王軍が一斉に喜んだ。
「おお!」
「おめでとうございます!」
「素晴らしい守備でした!」
「本当にすごかった!」
「千本ノックの成果ですね!」
男は少し照れながら笑った。
「皆さんが応援してくれたおかげです」
「いや、俺たちは応援しただけだから」
魔王が言う。
「でも、すごかったよ」
「ありがとうございます」
勇気が興奮気味に言う。
「俺、あの守備忘れません!」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
そんな和やかな空気の中。
空耳の声が響いた。
『ところで』
男が固まった。
『君の名前は何だ?』
男の顔が驚きに変わった。
「え?」
周囲をキョロキョロ見回す。
右を見る。
左を見る。
上を見る。
そして。
小声で言った。
「……私は、おうだです」
魔王が聞き返す。
「おうださん?」
「はい」
男は少し恥ずかしそうに答えた。
「殴るに……打つで……」
一瞬の沈黙。
「殴打と言う名前です」
魔王軍が固まった。
「…………」
勇気が口を開ける。
「殴打……」
母親も驚いている。
父親が小さく呟いた。
「すごい名前だな……」
魔王は思わず本人を見る。
「殴打さん」
「はい」
「野球選手なのに?」
「はい」
「名前が殴打?」
「はい」
「……」
魔王は頭を抱えた。
「名前だけ見ると、すごく攻撃的だね」
殴打は困ったように笑った。
「よく言われます」
『なるほど』
空耳が納得したように言った。
『守備世界一の殴打よ』
「はい」
『魔王軍に入るが良い』
「……」
魔王が振り返った。
「いやいやいや!」
空耳に向かって叫ぶ。
「なんで!?」
『何がじゃ』
「殴打さん、守備世界一だよ!」
『うむ』
「プロ野球選手だよ!」
『うむ』
「続けた方が良いでしょ!」
『しかし』
空耳の声が低くなる。
『魔王は良い事しかしていないのに、魔王をバットで殴りに来たんだ』
「……」
殴打がうつむいた。
『罪は大きいぞ』
「いや……」
魔王が言う。
「もう終わったことじゃん」
『そうはいかん』
「なんで?」
『バットで魔王を殴ろうとした』
「実際には殴ってないよ」
『殴ろうとはした』
「それはそうだけど」
『ならば魔王軍に入るのじゃ』
「理屈がおかしい!」
魔王軍の仲間たちも困惑する。
「確かに……」
「でも殴打さん、プロ野球選手ですよ?」
「守備、ものすごく上手かったですよ」
「グラブ章ももらったばかりだし」
「辞める必要ないんじゃないですか?」
魔王も頷いた。
「そうだよ」
殴打を見る。
「殴打さん」
「はい」
「俺は怒ってないよ」
「……」
「バットで襲おうとしたことも、もういい」
「本当ですか?」
「うん」
「……」
殴打はしばらく黙っていた。
そして。
深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「え?」
「俺……」
殴打は静かに話し始めた。
「勇者になれるという言葉に惑わされて」
「……」
「魔王を倒せば、自分も特別な存在になれると思ってました」
魔王は黙って聞いた。
「だから、あなたが悪い人なのかどうかも確かめずに」
殴打は頭を下げた。
「バットを持って、殴りに行きました」
魔王は少し笑った。
「でも、結局野球したじゃん」
殴打も苦笑した。
「はい」
「千本ノックもした」
「はい」
「めちゃくちゃ疲れたけど」
「俺も疲れました」
魔王軍が笑った。
「俺は、あの時思ったんです」
殴打が続ける。
「自分が本当に好きなのは、魔王を倒すことじゃない」
「……」
「野球なんだって」
魔王は頷いた。
「じゃあ、続ければいいじゃん」
「……」
「プロ野球」
「……」
「俺はその方がいいと思う」
殴打は少し困ったように笑った。
「でも……」
『殴打よ』
空耳が口を挟む。
「……はい」
『魔王軍に入るがよい』
魔王がすぐに言う。
「だから空耳さん!」
『なんじゃ』
「話が進まない!」
『罪を償う必要がある』
「もう十分反省してるよ!」
『では魔王軍へ』
「どうしてそうなるの!」
殴打はしばらく魔王と空耳のやり取りを見ていた。
そして。
ゆっくり口を開いた。
「……魔王様」
魔王が振り向く。
「ん?」
「魔王軍に入れて下さい」
「…………」
魔王軍全員が固まった。
「え?」
魔王は聞き返した。
「本当に?」
「はい」
「でも、野球は?」
「続けたいです」
「だったら……」
「野球選手を続けながら、魔王軍に入りたいです」
「……」
魔王は少し考えた。
空耳が言う。
『二足のわらじじゃな』
魔王が頷く。
「まあ……」
勇気が手を挙げる。
「それならいいんじゃないですか?」
魔王軍の仲間たちも頷く。
「いいと思います」
「プロ野球選手兼、魔王軍」
「新しいですね」
「野球がある日は野球」
「暇な時は便利屋」
「守備が必要な時は守備」
魔王は笑った。
「……それなら、いいよ」
殴打の顔が明るくなった。
「ありがとうございます!」
「でも一つだけ」
「はい」
「魔王軍に入っても、野球は絶対に辞めないで」
「……!」
「プロ野球選手を続けて」
殴打は目を潤ませた。
「魔王様……」
「俺は、君の守備が好きだから」
「……」
「この前の試合も、すごかった」
「……ありがとうございます」
「グラブ章をもらったんだから、それを大事にして」
殴打は自分のグローブを見た。
そして、しっかりと握った。
「はい」
「これからも野球、頑張ります」
「うん」
「そして」
殴打は魔王を見る。
「魔王様のお役に立ちたいです」
魔王は少し笑った。
「じゃあ、魔王軍の役割は?」
殴打は考えた。
「……殴打です」
「やっぱり」
勇気が笑う。
「ぶん殴り勇者!」
「いいな、それ」
魔王軍から拍手が起こる。
「殴打勇者!」
「殴打世界一!」
「殴打さん!」
殴打は照れながら頭を下げた。
その時。
空耳が言った。
『では正式に』
全員が静かになる。
『殴打』
「はい」
『魔王軍所属、殴打勇者』
殴打が胸を張る。
「はい!」
『なお、本業はプロ野球選手』
魔王が頷く。
「そこ大事」
『そして――』
空耳が続けた。
『魔王をバットで殴ろうとした過去を反省し、今後は魔王を守る側に回る』
「……」
魔王が苦笑する。
「そこまで正式に言わなくていいよ」
殴打も苦笑した。
「はい……」
勇気が笑う。
「でも、いいじゃないですか!」
魔王軍の仲間たちも笑った。
「これで攻撃担当ができたな」
「父さんは精神防御」
「勇気は補助防御」
「殴打さんは物理攻撃!」
魔王が言った。
「……」
「なんか魔王軍、強くない?」
空耳が答える。
『魔王軍じゃからのう』
「……」
魔王は何も言えなかった。
確かに。
この魔王軍は。
攻撃。
防御。
回復。
補助。
そして、応援。
そんな能力が集まっている。
しかし。
魔王は思った。
それでいいのかもしれない。
誰かを倒すためではなく。
誰かを守るために力を使う。
その方が。
自分の作りたい魔王軍には合っている。
殴打は帰る前に言った。
「魔王様」
「ん?」
「次の試合も、来てくれますか?」
魔王軍が一斉に顔を上げた。
勇気が言う。
「もちろんです!」
母親も笑う。
「応援するわ」
父親も頷く。
「仕事が休みなら行く」
魔王も笑った。
「行くよ」
殴打は嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そして。
玄関へ向かう。
ドアを開ける。
外へ出る。
数歩歩いたところで。
殴打が振り返った。
「魔王様!」
「何?」
「今度は千本ノックじゃなくて!」
魔王が身構える。
「……何?」
殴打が笑う。
「バットスイング、教えます!」
魔王軍が一斉に叫んだ。
「やった!」
「スイング練習!」
「今度は打てるようになりたい!」
「俺、前より上手くなってますよ!」
魔王は頭を抱えた。
「……また筋肉痛になるな」
空耳が言った。
『それも修行じゃ』
「空耳さん」
『なんじゃ』
「魔王軍の役割決めたら、どんどん野球部みたいになってない?」
『魔王軍じゃ』
「……」
魔王は外を見た。
そこには、グローブを持って帰っていく殴打の背中があった。
プロ野球選手。
守備世界一の勇者。
そして。
魔王軍の仲間。
魔王は笑った。
「……まあ、いいか」
こうして。
魔王軍に、新たな勇者が加わった。
その名は――
殴打。
魔王を倒すために振るったバットは。
これからは。
魔王を守るために使われることになる。
ただし。
本業はあくまで。
プロ野球選手だった。




