魔王、勇者を料理人に転職させる
魔王の家。
そこは、魔王が住んでいるというだけで「魔王の城」と呼ばれている、どこにでもある普通の一軒家だった。
庭がある。
玄関がある。
リビングがある。
台所もある。
そして、二階には魔王の部屋がある。
城らしいものといえば、せいぜい魔王が使っている椅子くらいだ。
しかも、ちょっとかっこいいゲーミングチェアだった。
「……本当にここが魔王の城なのか?」
庭に立つ一人の男が、家を見上げていた。
男は勇者だった。
ただし、世間一般が想像するような勇者とは少し違う。
鎧はない。
立派な剣もない。
盾もない。
代わりに持っているのは、一本の木製バット。
服装はTシャツに短パン。
そしてスニーカー。
どう見ても近所の公園から来た青年である。
「ここに魔王がいる……」
勇者は拳を握った。
「今日こそ倒してやる!」
その声を聞いて、家の中にいた魔王が顔を上げた。
「来たな」
「また勇者ですか?」
勇気が聞いた。
「うん」
「今度は強そうですか?」
魔王は窓から外を見た。
「……どうだろう」
「バット持ってますね」
「うん」
「勇者なのに?」
「うん」
そのとき、空耳さんの声がした。
『魔王よ。』
「何?」
『せっかくだ。新能力を全部試してみよう。』
「全部?」
『笑いの呪い、魔王の睨み、混乱。』
魔王は少し考えた。
「……まあ、相手を傷つけないならいいか」
『そういうところが魔王らしくない。』
「うるさいな」
魔王は玄関へ向かった。
ドアを開ける。
「こんにちは」
「挨拶するな!」
勇者が叫んだ。
「今日は魔王を倒しに来た!」
「そう」
「覚悟しろ!」
勇者がバットを構えた。
魔王はじっと勇者を見る。
そして――
ニコッ。
「……」
勇者の顔が引きつった。
「フ……」
「?」
「フフッ……」
「おい」
「ハハ……ハハハハハ!」
勇者は突然笑い始めた。
「ハハハハハハハ!」
「始まった」
魔王軍が家の中から見守る。
勇気が時計を持ってきた。
「一分間ですね!」
「うん」
「ハハハハハ!」
勇者は笑いながらバットを振ろうとする。
しかし、笑いすぎて腕に力が入らない。
「ハハハ! くそっ! 何だこれ!」
魔王は時計を見る。
「あと四十秒」
「長い!」
「あと三十秒」
「まだか!」
「あと二十秒」
「もう笑いたくない!」
「あと十秒」
「魔王! 覚えてろ!」
「もうすぐ終わるよ」
そして一分。
「……はぁ……」
勇者の笑いが止まった。
勇者は肩で息をする。
「……やったな、魔王」
「うん」
「今度こそ――」
魔王は勇者を睨んだ。
ギロッ。
「……」
勇者が固まった。
「…………」
「動けない?」
「…………」
勇者は目だけを動かした。
「……動けない」
「うん」
「これが……魔王の睨み……」
「そう」
「卑怯だ!」
「能力だから仕方ないだろ」
「……」
しばらくすると、魔王が普通の表情に戻った。
「もう動いていいよ」
勇者が動けるようになった。
「くっ……」
そして、魔王は一言。
「混乱しろ」
「……」
勇者の目が泳いだ。
「…………」
「どう?」
勇者は辺りを見回した。
「……フライパン」
「え?」
「フライパンを探さないと」
「なんで?」
「分からない」
勇者は家の中へ入っていった。
「ちょっと待って!」
魔王が止めようとする。
しかし、勇者はすでに台所へ向かっていた。
「フライパン……」
「何でフライパンなんだよ」
勇者は棚を開ける。
「ない」
引き出しを開ける。
「ない」
戸棚を開ける。
「ない」
魔王軍が後ろからついてくる。
「何を探してるんでしょう?」
「フライパンだろ」
「なんで?」
「俺にも分からない」
勇者は台所を見回した。
そして――
「あった!」
フライパンを発見した。
「見つけた!」
勇者は嬉しそうにフライパンを持ち上げた。
魔王は一瞬、身構えた。
「……!」
魔王軍も警戒する。
勇気が構える。
「魔王様!」
「待て」
魔王は勇者から目を離さなかった。
「もしかしたら、これを武器にするつもりかもしれない」
勇者はフライパンを持って魔王へ近づいてくる。
「……」
「……」
「……」
魔王は防御姿勢を取った。
「来るぞ」
「魔王様!」
「大丈夫」
勇者はフライパンを――
コンロの上に置いた。
「……?」
魔王は固まった。
勇気も固まった。
魔王軍全員が固まった。
勇者はコンロを見ている。
そして言った。
「今日は何食べる?」
「…………」
家の中が静まり返った。
魔王が小さな声で言った。
「……え?」
「今日は何食べる?」
勇者はもう一度聞いた。
魔王は後ろを振り返った。
魔王軍と目が合う。
全員が顔を見合わせる。
「……相談する?」
勇気が言った。
「うん」
魔王軍は小さな円になった。
「何食べたい?」
「肉」
「ラーメン」
「餃子」
「カレー」
「焼きそば」
意見がまとまらない。
魔王は腕を組んだ。
「……チャーハン」
全員が振り返った。
「チャーハン?」
「うん」
魔王は少し考えた。
「なんとなく」
勇者は頷いた。
「分かった」
「作れるの?」
「作れる」
勇者は冷蔵庫を開けた。
卵。
ご飯。
ネギ。
チャーシュー。
そして調味料。
「……材料あるな」
「なんで勇者がそんなに料理に詳しいんだよ」
空耳さんが言った。
『勇者とは、何でもできる者じゃ。』
「空耳さん、急にそれっぽいこと言うね」
『たまたまじゃ。』
勇者は卵を割った。
フライパンを温める。
ジュッ。
卵を入れる。
ジュワッ。
ご飯を入れる。
「よし!」
勇者はフライパンを振った。
チャッ。
チャッ。
チャッ。
米が宙を舞う。
魔王軍の目が輝いた。
「おお……!」
「すごい!」
「勇者、料理できるじゃん!」
「勇者なのに料理が本職みたいだな」
勇者は無言で炒め続けた。
塩。
胡椒。
調味料。
ネギ。
チャーシュー。
そして最後に――
「完成」
大きな皿に、こんもりとチャーハンが盛られた。
「魔王軍のみんな、大盛りのチャーハンをどうぞ」
「いただきます!」
全員が一斉に食べ始めた。
「……!」
「うまい!」
「何これ!」
「めちゃくちゃ美味しい!」
「パラパラだ!」
「味もちょうどいい!」
勇気は夢中になって食べている。
「魔王様!」
「うん?」
「これ、すごく美味しいです!」
魔王も一口食べた。
「……うん」
もう一口。
「美味しい」
さらに一口。
「これ、かなり美味しい」
勇者は黙って料理を続けていた。
魔王軍は次々と食べる。
「おかわり!」
「俺も!」
「私も!」
「もう一杯!」
「まだあるぞ!」
勇者は次々にチャーハンをよそう。
「はい」
「ありがとう!」
「はい」
「ありがとう!」
「はい」
「最高!」
いつの間にか、魔王の家は完全に食堂になっていた。
さっきまで勇者を警戒していた魔王軍は、今では誰も戦う気がない。
ただチャーハンを食べている。
魔王も黙々と食べている。
「……」
「……」
「……」
そして――
「……あれ?」
勇者が突然、目を瞬かせた。
「俺……何してるんだ?」
魔王が顔を上げた。
「我に返った?」
「え?」
勇者は周囲を見回した。
自分の手にはお玉。
目の前には大量のチャーハン。
魔王軍は食事中。
そして魔王が座っている。
「……」
勇者は青ざめた。
「俺……魔王を倒しに来たんじゃなかったか?」
「そうだよ」
「なんで俺、チャーハン作ってるんだ?」
魔王が答えた。
「混乱してたから」
「…………」
勇者は頭を抱えた。
「そうだった……」
空耳さんが言った。
『実に有意義な混乱じゃったな。』
「どこがだよ!」
勇者は叫んだ。
しかし魔王軍から声が飛んだ。
「でも、美味しかったよ!」
「すごく美味しかった!」
「ありがとう!」
「ごちそうさまでした!」
勇者は困った顔をした。
「……」
魔王も言った。
「本当に美味しかった」
「魔王……」
「うん」
「俺さ……」
「うん」
勇者はフライパンを見つめた。
「勇者やめようかな」
魔王が驚く。
「え?」
「俺、魔王を倒すより……」
勇者は少しだけ笑った。
「料理のほうが向いてるかもしれない」
魔王軍が一斉に頷いた。
「向いてる!」
「絶対向いてる!」
「勇者より料理人!」
勇者は照れくさそうに頭をかいた。
「じゃあ……中華料理店で働くことにする」
「いきなり?」
「うん」
「いいと思うよ」
魔王は笑った。
「頑張って」
勇者は玄関へ向かった。
そして、ドアを開ける前に振り返る。
「魔王」
「何?」
「今日は……ありがとう」
「こっちこそ」
「チャーハン、食べてくれて」
魔王は少し笑った。
「また作りに来てよ」
「……え?」
勇者の顔が明るくなる。
「いいのか?」
「うん」
「じゃあ、今度は餃子も作る!」
「楽しみにしてる」
勇者は嬉しそうに家を出ていった。
玄関のドアが閉まる。
静かになったリビング。
勇気が言った。
「魔王様」
「何?」
「……また勇者を倒さずに仲間にしましたね」
「いや、仲間にはしてないよ」
「でも、料理人に転職させました」
「俺が転職させたわけじゃない」
空耳さんが笑った。
『新能力の力じゃな。』
魔王はため息をついた。
「笑いの呪い」
「魔王の睨み」
「混乱」
魔王は指を折りながら数えた。
「全部使った結果が……」
勇気が答えた。
「チャーハンです」
「……」
魔王はテーブルの上に残ったチャーハンを見る。
「まあ、美味しかったからいいか」
『魔王よ。』
「何?」
『次の勇者が来たぞ。』
「……」
魔王が玄関を見る。
ピンポーン。
全員が固まった。
魔王は立ち上がる。
「……今度は何を作ってもらおうかな」
「魔王様、目的変わってません?」
「いや、違う」
魔王は真剣な顔で答えた。
「俺は勇者と戦いたくないだけだ」
そして、少し考えてから付け加えた。
「……でも、餃子は食べたい」
魔王軍が笑った。
魔王の城。
今日もまた、勇者がやって来る。
そして今日も――
戦いが始まるとは限らない。
なぜなら、ここは魔王の城であると同時に、
いつの間にか、
勇者の転職相談所兼食堂になりつつあったからだ。




