魔王の勇者研修
便利屋の事務所に、とんでもない噂が流れ始めていた。
――伝説の魔王がいる。
――その魔王は、勇者を育てている。
――そして勇者の武器は、フライパン。
もちろん、全部間違っている。
しかし、噂というものは、一度走り出すと止まらない。
そして何より厄介なのは――
魔王本人が、その噂を訂正するのが面倒になってきていたことだった。
「魔王さん!」
勇気が事務所に飛び込んできた。
「何だよ、朝から」
「今日も来ました!」
「何が?」
「勇者候補者です!」
「……」
魔王は頭を抱えた。
「またか」
「はい!」
「何人目だ?」
「昨日までで八人です」
「八人!?」
「今日は三人来る予定です」
「増えてるじゃないか!」
「人気ですね」
「俺は便利屋だぞ!」
勇気は首を傾げた。
「でも魔王さんですよね?」
「便利屋の魔王だよ!」
「便利屋の魔王……」
「その肩書きも嫌だな」
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第一の候補者
午前九時。
事務所の扉が開いた。
「失礼します!」
入ってきたのは、十代後半くらいの青年だった。
背筋がピンと伸びている。
「勇者候補者として来ました!」
魔王はため息をついた。
「名前は?」
「剣太郎です!」
「……」
「よろしくお願いします!」
剣太郎は深々と頭を下げた。
魔王は彼の腰を見た。
「剣は?」
「ありません!」
「勇者なのに?」
「はい!」
「じゃあ何で戦うんだ?」
剣太郎は自信満々に答えた。
「これです!」
バッグから取り出した。
――しゃもじ。
「……」
「……」
魔王と勇気が同時にしゃもじを見る。
「これは?」
「勇者の剣です!」
「しゃもじだろ」
「剣太郎という名前なので、剣を持ってくる必要があると思ったんですが、お母さんに『家に剣なんかない』と言われまして」
「それでしゃもじ?」
「はい!」
勇気が感動したように頷く。
「家庭的な勇者ですね」
「褒めるな」
魔王はしゃもじを指差した。
「それで魔王を倒すの?」
「はい!」
「どうやって?」
「ご飯をよそって油断させます」
「魔王は空腹なのか?」
「そこから一気に!」
「どこから一気にだよ!」
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第二の候補者
午前十時。
また扉が開いた。
「勇者候補です!」
今度は女性だった。
「名前は?」
「美咲です!」
「武器は?」
「あります!」
彼女がバッグを開ける。
中から出てきたのは――
フライパン。
「……」
魔王が固まった。
「お前もか」
「はい!」
「なぜフライパンなんだ?」
「伝説の武器だと聞きました」
「誰から?」
「近所のおばあちゃんから」
「なんでおばあちゃんまで知ってるんだ……」
美咲はフライパンを掲げた。
「これで魔王を倒します!」
魔王は自分を指差した。
「ちなみに魔王って俺だぞ」
「えっ」
「えっ」
美咲がフライパンを下ろした。
「じゃあ……今ここで?」
「やめろ」
「一回だけでも?」
「やめろ」
「軽くなら?」
「ここを試合会場にするな」
勇気が横から口を挟む。
「魔王さん、勇者の訓練なんですよね?」
「違う!」
「でも昨日、勇者候補者を育てるって――」
「誰がそんなこと言った!」
「魔王さん自身が……」
「言ってない!」
美咲が二人を見て首を傾げた。
「じゃあ、ここは何の事務所なんですか?」
「便利屋」
「……」
「便利屋です」
「……」
「普通の便利屋」
「魔王なのに?」
「それを言うな」
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第三の候補者
午後一時。
三人目がやってきた。
今度は、ものすごく真面目そうな男性だった。
「勇者候補として参りました」
「またか……」
魔王は机に突っ伏した。
「名前は?」
「田中です」
「普通だな」
「普通の田中です」
「勇者っぽさが全然ない」
「それを言われると困ります」
「武器は?」
「ありません」
「じゃあ、何ができます?」
田中は胸を張った。
「土下座ができます」
「……」
「かなり速いです」
「勇者に必要か?」
「魔王に許してもらう時に使えます」
「最初から戦う気がないだろ」
「魔王さん、お願いします!」
田中が床に手をついた。
「早い!」
ドンッ!
土下座。
魔王は目を丸くした。
「確かに速い」
勇気がメモを取った。
「特殊スキル『高速土下座』」
「書くな!」
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候補者が増えすぎる
翌日。
さらに四人。
その翌日には六人。
その次の日には――
なんと十二人。
「何でこんなに来るんだ!」
魔王が叫んだ。
事務所の待合スペースには、勇者候補者がずらりと並んでいた。
「魔王さん!」
「はい!」
「勇者になりたいです!」
「はい!」
「魔王を倒したいです!」
「はい!」
「フライパン持ってきました!」
「はい!」
「しゃもじもあります!」
「もういい!」
魔王は頭を抱えた。
「俺は勇者を育ててない!」
候補者全員が首を傾げる。
「え?」
「育ててないんですか?」
「じゃあ誰が?」
「……」
全員が魔王を見る。
「俺を見るな!」
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勝手に始まる勇者研修
ところが。
候補者たちは帰らなかった。
「魔王さん」
「何?」
「せっかくなので、一つだけ教えてください」
「何を?」
「魔王を倒す方法です」
「知らん」
「魔王なのに?」
「俺は人間だ!」
「でも魔王さんですよね?」
「それは名前だ!」
「じゃあ、魔王の弱点は?」
「優しさ……」
魔王が思わず答えてしまった。
「なるほど!」
候補者たちが一斉にメモを取った。
「魔王は優しい!」
「魔王はボディーを狙う!」
「違う!」
「ローキックにも注意!」
「誰がそんな攻略本作れと言った!」
勇気がホワイトボードに書き始める。
――魔王攻略法。
一、ボディーに注意。
二、ローキックに注意。
三、フライパンを持つ。
四、高速土下座。
五、魔王を怒らせない。
魔王はホワイトボードを見た。
「最後だけ正しいな」
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魔王、ついに講師になる
結局、その日の夕方。
候補者たちは魔王を囲んでいた。
「先生!」
「誰が先生だ」
「魔王先生!」
「もっと嫌だ!」
「魔王先生、勇者の心得を!」
「だから俺は勇者を育ててない!」
「お願いします!」
「……」
魔王はため息をついた。
「分かったよ」
「おお!」
「一つだけ言っておく」
候補者たちは静かになった。
魔王は真剣な顔で言った。
「勇者っていうのはな――」
「はい!」
「まず、知らない家に勝手に入らない」
「……」
「宅配業者を装わない」
「……」
「魔王の家にいきなり来ない」
「……」
「そして――」
魔王はフライパンを指差した。
「それを武器だと思い込まない」
「ええっ!?」
候補者たちが一斉に驚いた。
「じゃあ、何のためのフライパンなんですか!?」
「料理だよ!」
「料理!?」
「普通そうだろ!」
勇気が手を挙げた。
「でもRPGでは?」
魔王は固まった。
「……」
そうだった。
魔王自身も、いまだにRPGを完全には理解していない。
「……ロールパン」
「はい!」
「レベルアップして」
「はい!」
「最後は――」
魔王はフライパンを見る。
「……フライパン」
「やっぱり!」
候補者たちが歓声を上げた。
「フライパン勇者だ!」
「伝説だ!」
「魔王先生すごい!」
「違う!」
魔王の叫び声が事務所中に響いた。
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その夜。
魔王はベッドに寝転んだ。
「空耳さん……」
『何だ?』
「大変なことになった」
『どうした?』
「勇者候補者が増えすぎた」
『そうか』
「俺、便利屋なんだけど」
『知っている』
「何とかしてくれ」
『無理だ』
「即答かよ」
『むしろ、お前が育てるのだ』
「なんでだよ!」
『魔王が勇者を育てる』
「矛盾してるだろ!」
『面白いではないか』
「俺は面白くない!」
空耳は楽しそうに笑った。
『ハッハッハ!』
「笑うな!」
『では、明日から本格的に勇者研修を始めるぞ』
「始めるな!」
『第一課題は――』
「何だよ?」
『フライパンを正しく使うこと』
「料理教室じゃねえか!」
空耳の声が消えた。
「……」
魔王は天井を見つめた。
「また急に消えた……」
翌朝。
事務所の前には――
さらに二十人の勇者候補者が並んでいた。
その先頭には、巨大な看板。
そこには大きく、
『魔王公認・フライパン勇者養成所』
と書かれていた。
「……」
魔王は看板を見た。
そして勇気を見た。
「勇気」
「はい」
「これ、誰が作った?」
「僕じゃありません」
「じゃあ誰が?」
二人が候補者たちを見る。
一人の少年が手を挙げた。
「僕です!」
「なんで作った?」
「魔王さんが先生だからです!」
「先生じゃない!」
魔王のツッコミが響く。
しかし――
その日から。
魔王の便利屋事務所は、少しずつ姿を変えていった。
依頼を受ける便利屋。
勇者候補が集まる養成所。
フライパンを研究する謎の施設。
そして、その中心にいるのは――
「俺、ただ静かに便利屋やりたいだけなんだけど……」
世界チャンピオンにまでなった元格闘家。
そして、自分を魔王だと思っている男。
――魔王だった。
しかも本人だけが、
「俺は勇者を育ててなんかいない」
と最後まで否定していた。
だが世間では、すでに決まっていた。
彼こそが――
「フライパン勇者を育てる魔王」
なのだと。




