魔王VS知能犯ミケ
「いました!」
俺が叫んだ。
塀の上に、一匹の三毛猫が座っている。
白、茶、黒。
間違いない。
依頼人の猫、ミケだ。
「ミケ!」
飼い主さんが叫ぶ。
ミケは振り返った。
「ニャー」
そして俺を見る。
「……」
ミケも俺を見る。
「……」
俺もミケを見る。
「……」
先輩が言った。
「魔王さん」
「はい」
「捕まえられそうですか?」
俺は拳を握った。
「任せてください」
先輩が嫌な顔をした。
「その言い方、不安なんですけど」
「大丈夫です」
俺は塀に近づく。
「ミケちゃん」
ミケは動かない。
「怖くないよ」
さらに一歩。
ミケは動かない。
「よし」
俺は手を伸ばす。
その瞬間。
ミケは俺の手を見た。
そして。
スッ……
俺の手が届かないギリギリまで後ろに下がった。
「……」
俺も一歩進む。
ミケも一歩下がる。
俺が一歩。
ミケも一歩。
俺が一歩。
ミケも一歩。
「……」
先輩が笑い始めた。
「何ですか?」
「いや」
「何ですか?」
「ミケ、魔王さんの手が届く距離を正確に分かってますね」
「……」
俺はミケを見た。
「お前……」
ミケ。
「ニャー」
「まさか」
俺はしゃがむ。
ミケもしゃがむ。
俺が立つ。
ミケも立つ。
「……」
俺。
「……」
ミケ。
「完全に俺の動きを読んでるだろ」
ミケ。
「ニャー」
---
第一の罠
俺は作戦を変えた。
「正面から行くから逃げるんだ」
先輩。
「では?」
「後ろから行きます」
俺は塀の反対側へ回る。
「これなら逃げられない」
先輩。
「なるほど」
俺がゆっくり近づく。
ミケは前を見る。
俺は後ろから近づく。
「今だ……」
手を伸ばす。
その瞬間。
ミケが振り返った。
「え?」
ミケは俺の顔を見る。
そして。
魔王の顔に乗ってから、塀から飛び降りた。
「もろにハイキックくらった!」
俺も塀から飛び降りる。
着地。
ミケはすでに十メートル先。
「待て!」
走る。
ミケも走る。
しかし。
ミケは途中で立ち止まった。
「……?」
俺も止まる。
ミケは俺を見る。
そして。
近くにあったベンチの下へ入った。
「そこか!」
俺はベンチを覗く。
いない。
「……?」
先輩が走ってくる。
「どうしました?」
「消えました」
「猫が?」
「はい」
二人で探す。
ベンチの下。
いない。
植木の裏。
いない。
ゴミ箱の横。
いない。
先輩が上を見る。
「……」
「どうしました?」
先輩が指差す。
魔王の背中の上。
ミケが座っていた。
「……」
俺。
「……」
先輩。
「……」
ミケ。
「ニャー」
俺は頭を抱えた。
「先輩が俺の背中に手を置いていると思った」
---
第二の罠
俺は慎重になった。
「いいか、先輩」
「はい」
「こいつは頭がいい」
「そうですね」
「だから、追いかけない」
「なるほど」
「こっちが待つ」
俺たちはベンチに座った。
ミケは少し離れた場所にいる。
俺はスマホを見るふりをする。
先輩も雑誌を見るふり。
ミケを見る。
……来ない。
五分。
十分。
十五分。
「……」
俺は小声で言う。
「まだ来ない」
先輩。
「我慢です」
「分かってます」
さらに五分。
俺は立ち上がった。
「もう少し近づこう」
その瞬間。
ミケが逃げた。
「……」
俺は座り直した。
「……見られてた」
先輩。
「完全に見られてましたね」
---
第三の罠
俺は考えた。
「餌だ」
「餌?」
「猫は餌が好き」
先輩。
「確かに」
俺は猫用のおやつを取り出した。
袋を開ける。
「ほら、ミケ」
ミケが見る。
「……」
ミケが近づいてくる。
「おっ!」
俺は喜んだ。
ミケが近づく。
さらに近づく。
あと二メートル。
一メートル。
五十センチ。
俺は手を伸ばそうとした。
その瞬間。
ミケが止まった。
「……」
俺。
「……」
ミケ。
ミケは餌を見る。
俺を見る。
餌を見る。
俺を見る。
そして。
餌だけ食べた。
「……」
ミケは俺の手の届かないところまで下がった。
「おい!」
先輩が吹き出す。
「ミケ!」
俺は叫んだ。
「お前、餌だけ取るな!」
ミケ。
「ニャー」
「その顔やめろ!」
先輩が腹を抱えて笑っている。
「魔王さん!」
「はい!」
「完全に商談失敗してます!」
「猫との商談って何だよ!」
---
ミケの大作戦
その後もミケは逃げ続けた。
俺が右へ行けば左。
左へ行けば右。
近づけば逃げる。
離れれば近づく。
俺が座れば近づく。
俺が立てば離れる。
そして。
俺が「もう諦めよう」と言うと。
ミケが少し近づいてくる。
「……」
俺は気づいた。
「こいつ……」
先輩。
「はい?」
「俺で遊んでる」
ミケ。
「ニャー」
「絶対そうだ!」
ミケは尻尾を振る。
まるで、
「もっとやろうぜ」
と言っているようだった。
---
世界チャンピオンのプライド
俺は立ち上がった。
「ミケ」
ミケがこちらを見る。
「俺は世界チャンピオンだ」
「ニャー」
「世界中の強い選手と戦ってきた」
「ニャー」
「お前一匹に負けるわけにはいかない」
「ニャー」
「……」
ミケは座った。
俺も座る。
「……」
ミケも座る。
「……」
先輩が言った。
「何してるんですか?」
「にらめっこです」
「猫と?」
「はい」
「勝てるんですか?」
「分かりません」
三十秒。
一分。
二分。
ミケがあくびをした。
「……」
俺は負けた気がした。
「くそ……」
---
最後の作戦
俺はようやく理解した。
「追いかけるからダメなんだ」
先輩。
「はい」
「捕まえようとするから逃げる」
「はい」
「だったら」
俺は地面に座った。
「何もしない」
先輩。
「……」
俺は目を閉じる。
「ミケ」
「ニャー」
「もう追わない」
「……」
「好きなだけ遊んでいい」
「……」
「俺はここにいる」
しばらくすると。
小さな足音がした。
トコ。
トコ。
トコ。
俺は目を開けない。
さらに近づく。
トコ。
トコ。
俺の足元。
「……」
ミケが俺の靴を嗅いでいる。
俺は動かない。
ミケが俺の膝に前足を乗せた。
「……」
俺はまだ動かない。
そして。
ミケが膝の上に乗った。
「……」
俺はそっと手を伸ばした。
ミケは逃げない。
「……」
抱き上げる。
「捕まえた」
先輩。
「おお!」
依頼人。
「ミケ!」
ミケ。
「ニャー」
俺はミケを見る。
「……」
ミケも俺を見る。
「お前」
ミケ。
「ニャー」
「最初からこうすればよかったんじゃないか?」
ミケ。
「ニャー」
「……」
先輩が言った。
「魔王さん」
「はい」
「ミケ、たぶん最初から捕まる気だったんじゃないですか?」
「……」
俺はミケを見る。
「まさか」
ミケ。
「ニャー」
「……」
俺は背筋が寒くなった。
「こいつ……」
先輩。
「何ですか?」
「俺を鍛えていたのかもしれない」
先輩。
「何の?」
「忍耐力」
「……」
「世界チャンピオンに必要な」
「便利屋には?」
「……」
「必要ですか?」
「……たぶん」
---
そして夜
その夜。
俺はベッドに入った。
「空耳さん」
――何だ。
「今日、すごい猫に会った」
――ミケか。
「知ってるの?」
――知らん。
「じゃあ何で名前を知ってるんだよ!」
――……。
「今、絶対何か隠しただろ」
――気のせいだ。
「怪しい」
――それより魔王。
「何?」
――猫に負けたな。
「負けてない!」
――三十分以上追いかけ回されていたではないか。
「……」
――世界チャンピオンが。
「うるさい」
――猫に。
「言うな」
――翻弄されていた。
「寝る!」
俺は布団をかぶった。
すると。
――魔王。
「何だよ!」
――明日はもっと強敵だ。
「……何が?」
――便利屋の依頼だ。
「猫より強いの?」
――おそらく。
俺は布団の中で固まった。
「……」
――楽しみだな。
「俺は楽しみじゃない!」
しかし。
翌朝。
事務所に届いた依頼書を見て。
俺はさらに固まることになる。
『依頼内容――屋根裏から聞こえる謎の声を調べてください』
「……」
俺は依頼書を見つめた。
「……」
先輩が言った。
「魔王さん?」
俺はゆっくり顔を上げた。
「先輩」
「はい?」
「俺……」
「はい」
「それ、俺の専門分野かもしれません」
そして。
俺の便利屋生活は。
少しずつ。
普通ではなくなっていった。




