空耳、強化を忘れる
キックボクシングを始めてから。
俺の生活は。
ほとんど変わらなかった。
朝。
走る。
昼。
バイト。
夕方。
ジム。
夜。
トレーニング。
そして。
帰宅。
食事。
風呂。
寝る。
これの繰り返し。
でも。
一つだけ。
確実に変わったことがある。
俺は。
キックが好きになっていた。
特に。
ローキック。
「バンッ!」
「バンッ!」
「バンッ!」
サンドバッグが揺れる。
「……」
俺は。
その揺れを見ながら。
満足そうに頷いた。
「いいな」
トレーナーが笑う。
「本当にローキック好きですね」
「はい」
「最初は蹴るのも弱かったのに」
「毎日やってますから」
「かなり上達しましたよ」
「ありがとうございます」
俺は。
さらに蹴る。
「バンッ!」
サンドバッグが大きく揺れる。
しかし。
俺は知らなかった。
俺の足には。
まだ。
俺自身も知らない力が。
眠っていることを。
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ある日の夜
その日も。
練習を終えた俺は。
家に帰った。
風呂に入り。
食事をして。
ベッドへ。
「……」
疲れた。
俺は。
天井を見る。
今日も。
よく練習した。
パンチ。
キック。
ロー。
ミドル。
ハイ。
全部やった。
そして。
眠ろうとした。
しかし。
なぜか。
眠れない。
「……」
俺は。
寝返りを打つ。
「……」
また。
寝返り。
そして。
ふと。
あることに気づいた。
「……」
「空耳さん」
――何だ?
即答だった。
「うわっ!」
俺は。
布団の中で飛び起きた。
「いたのかよ!」
――いるぞ。
「急に返事するなよ」
――呼んだのはお前だ。
「まあ、それはそうだけど」
俺は。
少し考える。
そして。
ずっと疑問だったことを。
口にした。
「なあ」
――何だ。
「俺のパンチ」
――うむ。
「強くしてくれたよね?」
――そうだ。
「キックは?」
――……。
「……」
――……。
「……」
俺は。
目を細めた。
「キックは強くしてくれないの?」
――……。
「空耳さん?」
――……。
「聞こえてる?」
――……。
俺は。
さらに続けた。
「結局」
「俺、一番強いのはボディーブローなんだけど」
その瞬間。
空耳。
――あっ!
「……」
俺は。
無言になった。
「……」
そして。
ゆっくり言った。
「忘れてたでしょ」
――いや!
「忘れてたよね?」
――違う!
「じゃあ何?」
――お前が気づくのを待っていた。
「……」
俺は。
天井を見た。
「忘れてたんだな」
――待っていたんだ!
「忘れてたんだな」
――違う!
「絶対忘れてた」
――…………。
「ほら、沈黙した」
――……。
「図星じゃん」
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空耳の言い訳
空耳は。
少し間を置いて。
――いいか、魔王。
「うん」
――私は。
「うん」
――お前が自分から気づくことを大切にしている。
「……」
――自分で気づくこと。
「はい」
――それが成長につながる。
「なるほど」
――だから。
「だから?」
――黙っていた。
俺は。
考えた。
「……」
「つまり」
――何だ。
「忘れてたんだよね?」
――違う!
「じゃあ」
俺は。
質問した。
「最初からキックを強くする予定だった?」
――もちろん。
「いつ?」
――今だ。
「……」
俺は。
笑った。
「今思い出したんでしょ」
――…………。
「やっぱり」
---
どれくらい強くする?
空耳が。
咳払いをする。
――まあいい。
「よくないと思うけど」
――お前は。
「はい」
――どれくらい強くなりたい?
俺は。
少し考えた。
パンチ。
すでに。
かなり強い。
だから。
顔には。
できるだけ当てたくない。
ボディーブローも。
十分すぎるほど強い。
そして。
今度は。
キック。
俺は。
しばらく考えた。
「……」
どれくらい?
強すぎると。
危険だ。
弱すぎると。
試合で勝てない。
俺は。
正直に答えた。
「たぶん」
――うん。
「みんな」
――うん。
「俺がすごく強いと思ってるから」
――そうだな。
「世界チャンピオンだったし」
――うむ。
「総合格闘技でも勝ったし」
――うむ。
「キックボクシングも始めた」
――うむ。
俺は。
少し間を置いた。
「だから」
「期待には応えたい」
空耳が。
珍しく。
静かになった。
――……。
「どうした?」
――魔王。
「うん」
――みんなの期待に応えたいとは。
「はい」
――良い心がけだ。
「ありがとう」
――なら。
「うん」
――勝てるくらいに。
「……」
――キックも強くしてやろう。
「本当に?」
――ああ。
俺は。
少し嬉しくなった。
「ありがとう」
――ただし。
「?」
――お前が扱える範囲で強くする。
「それ大事だな」
――無闇に破壊する力にはしない。
「よかった」
――試合で勝つための力だ。
「うん」
――お前のローキック。
「はい」
――さらに強くなる。
俺は。
思わず。
拳を握った。
「……」
「楽しみだな」
---
そして翌朝
翌朝。
俺は。
いつものように。
ジムへ向かった。
帽子。
メガネ。
マスク。
完全装備。
しかし。
俺は。
いつもと違った。
「……」
なんとなく。
足が軽い。
「気のせいかな」
ジム到着。
着替える。
ウォームアップ。
そして。
サンドバッグ。
トレーナーが言う。
「今日はローキックからやりますか?」
「はい」
俺は。
構える。
「……」
そして。
蹴る。
「バンッ!」
サンドバッグが。
大きく揺れた。
「……」
トレーナー。
「……」
俺。
「……」
トレーナーが。
ゆっくり言う。
「今の」
「はい」
「ちょっと強くなってません?」
「……」
俺は。
もう一度。
「バンッ!」
サンドバッグが。
さらに揺れる。
トレーナー。
「……」
「魔王さん」
「はい」
「昨日より」
「はい」
「明らかに強いです」
俺は。
少し驚いた。
「本当に?」
「はい」
「どれくらい?」
トレーナーは。
サンドバッグを見る。
「普通の人なら」
「はい」
「かなり痛いと思います」
俺は。
少し安心した。
「じゃあ」
「はい」
「まだ人間が耐えられる範囲ですね」
トレーナー。
「……たぶん」
「たぶん?」
「世界チャンピオンの『普通』は信用できないので」
「……」
---
ローキック祭り
その日。
俺は。
ローキックを。
何度も蹴った。
「バン!」
「バン!」
「バン!」
「バン!」
サンドバッグが。
揺れる。
トレーナーが。
「魔王さん!」
「はい!」
「ちょっと休みましょう!」
「まだいけます!」
「サンドバッグがかわいそうです!」
「サンドバッグは喋らないですよ」
「そういう問題じゃない!」
俺は。
笑った。
そして。
また。
「バンッ!」
サンドバッグが。
大きく揺れる。
「……」
俺は。
足を見る。
「……」
本当に。
強くなった。
俺は。
嬉しかった。
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しかし問題が一つ
トレーナーが。
腕を組む。
「魔王さん」
「はい」
「ローキックは素晴らしいです」
「ありがとうございます」
「でも」
「はい」
「他のキックも使いましょう」
「……」
俺は。
黙った。
「ミドル」
「……」
「ハイ」
「……」
「前蹴り」
「……」
俺は。
小さく言った。
「ローが好きなので」
「知ってます」
「ローが一番安全です」
「何に対して?」
「相手の顔を蹴らなくていい」
「……」
「お腹も蹴らなくていい」
「……」
「だからロー」
トレーナーは。
深いため息をついた。
「世界チャンピオンなのに」
「はい」
「考え方が優しすぎます」
「ありがとうございます」
「褒めてないです」
「……」
---
夜
その夜。
俺は。
ベッドに入った。
「空耳さん」
――何だ?
「キック」
――どうだった?
「強くなってた」
――そうだろう。
「ありがとう」
――うむ。
「でも」
――何だ。
「ローキック以外も強くなったの?」
――もちろん。
「本当に?」
――当然だ。
俺は。
少し笑った。
「じゃあ」
「明日試してみる」
――そうしろ。
「でも」
――何だ?
「ハイキックで人を倒すのは怖いな」
――……。
「やっぱりローかな」
――……。
「空耳さん?」
――お前。
「はい」
――本当にローが好きだな。
「うん」
俺は。
笑った。
「だって」
「一番、魔王らしくないから」
――……。
「魔王なのに優しいって」
――……。
「なんか面白いだろ?」
空耳は。
しばらく黙っていた。
そして。
小さく。
――まあ。
「うん」
――お前らしい。
「……」
俺は。
少しだけ嬉しくなった。
「じゃあ」
「明日も練習する」
――ああ。
「もっと強くなるよ」
――それでいい。
俺は。
目を閉じた。
こうして。
俺のキックは。
新たな力を手に入れた。
ボクシングのパンチ。
総合格闘技の経験。
そして。
強化されたキック。
俺は。
少しずつ。
強くなっていった。
ただし。
一つだけ。
変わらないものがあった。
俺は。
どれだけ強くなっても。
相手の顔を見ると。
「……」
やっぱり。
蹴れない。
そして。
腹を見ると。
「……」
やっぱり。
遠慮する。
結局。
俺の一番のお気に入りは。
今日も。
ローキックだった。




