便通大魔王
総合格闘技の初戦に勝利した。
しかも。
ボディーブローで。
俺は。
総合格闘技の世界でも。
少しだけ有名になってしまった。
……いや。
「少しだけ」ではなかった。
もともと俺は。
ボクシングの世界チャンピオンだった。
その後。
突然引退。
そして。
総合格闘技へ参戦。
初戦で勝利。
しかも。
決着が。
ボディーブロー。
テレビでは。
連日。
俺の試合映像が流れた。
『元ボクシング世界王者・魔王選手!』
『総合格闘技初戦を勝利!』
『決め手は驚異のボディーブロー!』
俺は。
テレビを見ながら。
「……」
頭を抱えた。
「なんでこんなことになったんだ」
母さんが。
横から言った。
「有名になってよかったじゃない」
「よくないよ」
「テレビに出てるじゃない」
「出たくて出てるわけじゃないよ」
父さんが新聞を読む。
「お前、また強くなったんだな」
「うん」
「じゃあ、もっと頑張れ」
「……」
俺は。
両親を見る。
「普通の生活に戻りたいんだけど」
父さん。
「無理だろ」
母さん。
「無理ね」
「なんで二人とも即答なんだよ!」
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外出時の三点セット
有名人になった俺には。
外出する時の必需品ができた。
帽子。
メガネ。
マスク。
俺は鏡を見る。
「……」
帽子。
よし。
メガネ。
よし。
マスク。
よし。
「これなら絶対にバレない」
玄関を出る。
五分後。
コンビニ。
店員が。
「……魔王さんですよね?」
「違います」
「いや」
「違います」
「声が」
「声なんて誰でも似ます」
「身長も同じくらいですけど」
「日本には高身長の人がいっぱいいます」
「世界チャンピオンの魔王さんと同じ筋肉してますけど」
「……」
俺は。
無言で商品を持ってレジへ。
店員が。
「サインお願いします」
「……」
「握手も」
「……」
「写真も」
「……」
俺は。
マスクの中で。
小さく呟いた。
「変装の意味ないじゃん」
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キックボクシングジム
そんな俺が。
新しく通い始めた場所。
キックボクシングジム。
扉を開ける。
「こんにちは」
トレーナーが振り返った。
「……」
「……」
二人とも。
固まった。
トレーナーが。
「……魔王さん?」
「はい」
「え?」
「はい」
「本物?」
「本物です」
トレーナーは。
俺を上から下まで見る。
「ボクシングの世界チャンピオンの?」
「はい」
「総合格闘技にも出た?」
「はい」
「……」
トレーナーは。
少し間を置いて。
「何しに来たんですか?」
俺は。
普通に答えた。
「キックボクシングをやりに」
「……」
トレーナーが。
頭を抱えた。
「本当に?」
「本当です」
「これからキックボクシングですか?」
「はい」
トレーナーは。
笑いながら言った。
「キックボクシングでも、ボディーブローできますからね」
俺は。
首を横に振った。
「いや」
「はい」
「ボディーブローより」
俺は。
少し嬉しそうに言った。
「ローキックが好きになったんです」
「……」
トレーナーが。
瞬きをする。
「ローキックが好きで?」
「はい」
「キックボクシングを?」
「はい」
「……」
トレーナーは。
腕を組んだ。
「珍しいですね」
「そうですか?」
「普通は」
トレーナーは説明した。
「キックボクシングを始めたい人は」
「はい」
「パンチもキックも覚えたい、とか」
「はい」
「格闘技が好きだから、とか」
「はい」
「強くなりたいとかです」
「うん」
「ローキックが好きだから始めます、という人は」
「……」
「初めてです」
俺は。
少し誇らしげに。
「じゃあ、俺が第一号ですね」
「そうですね」
トレーナーは笑った。
「でも」
「はい」
「ローキックだけじゃありません」
「……」
「全体的にトレーニングしていきましょう」
「分かりました」
俺は。
気合を入れた。
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魔王、キックボクシングを始める
まず。
構え。
パンチ。
俺は。
余裕だった。
「シュッ!」
「シュッ!」
「……」
トレーナーが。
「やっぱりパンチは凄いですね」
「ありがとうございます」
次。
ミドルキック。
「バン!」
「いいですね」
次。
ハイキック。
「……」
足が上がる。
「おお!」
トレーナーが驚く。
「かなり柔らかくなってますね」
「毎日やってますから」
そして。
ローキック。
「バンッ!」
サンドバッグが揺れる。
俺は。
ニヤッとした。
「……」
トレーナーが言う。
「好きですね」
「はい」
「ローキック」
「はい」
「本当に好きですね」
「はい」
俺は。
もう一度。
「バンッ!」
サンドバッグが揺れる。
「最高です」
「何がですか?」
「この感触です」
トレーナーは。
笑った。
「世界チャンピオンがローキックで喜んでる……」
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そして、CM
ある日。
練習を終えて帰宅すると。
母さんが言った。
「また仕事の電話よ」
「何の?」
「CM」
「……」
俺は。
嫌な予感がした。
「何のCM?」
「乳酸菌飲料」
「……」
「お腹に良い飲み物だって」
俺は。
少し安心した。
「それなら普通じゃん」
母さんが。
紙を渡してくる。
「商品名は?」
俺は。
紙を見る。
そして。
固まった。
商品名。
『便通大魔王』
「…………」
俺は。
もう一度見る。
「……」
「便通」
「……」
「大魔王」
俺は。
顔を上げた。
「母さん」
「何?」
「これ」
「うん」
「売れるの?」
母さんは。
笑った。
「さあ?」
「だよね!」
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商品開発部の自信
翌日。
俺は。
CM担当者と会った。
「魔王さん!」
「はい」
「今回の商品は自信作です!」
「……」
俺は。
商品名を見つめる。
「便通大魔王……」
担当者。
「はい!」
「どうしてこの名前に?」
「魔王さんにぴったりだからです!」
「どこが?」
「大魔王ですから!」
「そこしか合ってないですよね?」
担当者は。
笑顔。
「インパクトがあります!」
「ありすぎません?」
「一度聞いたら忘れません!」
「それはそうですけど……」
担当者は。
さらに。
「CMでは魔王さんが商品を持って」
「はい」
「爽やかに笑って」
「はい」
「こう言っていただきます」
担当者が。
台本を見る。
「『便通大魔王で、毎日スッキリ!』」
俺。
「……」
担当者。
「どうですか?」
「……」
俺は。
真剣に考えた。
「俺」
「はい」
「世界チャンピオンですよね?」
「はい」
「総合格闘技にも出てますよね?」
「はい」
「その俺が」
「はい」
「便通について笑顔で宣伝するんですか?」
「はい!」
「……」
俺は。
天井を見る。
「人生って分からないな」
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撮影当日
撮影スタジオ。
俺は。
白いシャツを着て。
爽やかな笑顔。
手には。
乳酸菌飲料。
カメラが回る。
監督。
「では魔王さん!」
「はい」
「商品を見てください」
俺は。
商品を見る。
便通大魔王
「……」
笑えない。
「笑顔お願いします!」
「……」
ニコッ。
「もっと!」
ニコニコ。
「もっと爽やかに!」
ニコニコニコ。
監督。
「最高です!」
俺。
「……」
心の中。
――何をしてるんだ、俺。
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問題の台詞
監督。
「では最後の台詞!」
俺は。
構える。
カメラ。
スタート。
「便通大魔王で――」
俺は。
一瞬。
言葉に詰まった。
「……」
監督。
「?」
俺は。
腹を決めた。
「毎日スッキリ!」
「カット!」
スタッフ。
「いい!」
拍手。
俺。
「……」
これで。
本当に放送される。
「……」
俺は。
深いため息をついた。
---
街中に新しい魔王
数週間後。
CM放送開始。
テレビ。
『便通大魔王!』
「……」
俺は。
テレビを消した。
翌日。
駅。
巨大広告。
『便通大魔王』
そこに。
俺の顔。
「…………」
俺は。
帽子。
メガネ。
マスク。
さらに。
顔を伏せた。
通り過ぎる人。
「便通大魔王だ!」
「え?」
「あの便通大魔王の人!」
「……」
俺は。
歩く速度を上げた。
「……」
女子高生。
「あっ!」
「何?」
「あの人!」
「誰?」
「便通大魔王!」
「本当に?」
「たぶん!」
俺は。
さらに速度を上げた。
「……」
「もう」
俺は。
小さく呟いた。
「外に出られないじゃん」
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毎日のトレーニング
しかし。
仕事が増えても。
知名度が上がっても。
俺は。
練習を休まなかった。
朝。
ランニング。
昼。
仕事。
夜。
キックボクシング。
パンチ。
キック。
ミドル。
ハイ。
そして。
ロー。
「バン!」
「バン!」
「バン!」
トレーナーが言う。
「もう少しコンビネーションを!」
「はい!」
「パンチからロー!」
「はい!」
「ローからパンチ!」
「はい!」
「ミドルも!」
「はい!」
「ハイも!」
「はい!」
俺は。
真剣に練習した。
「……」
強くなりたい。
その気持ちは。
まだ消えていなかった。
ただ。
俺には。
一つだけ。
譲れないものがある。
「……」
顔を殴りたくない。
腹も。
できれば。
強く蹴りたくない。
でも。
ローキックなら。
迷いがない。
「バンッ!」
サンドバッグが。
大きく揺れる。
俺は。
その揺れを見ながら。
少し笑った。
「……」
「ローキック」
「やっぱり好きだな」
その夜。
ベッドに入る。
俺は。
天井を見ながら。
呟いた。
「俺」
「この先」
「どうなるんだろうな」
すると。
いつもの声。
――どうなると思う?
「……」
俺は。
目を閉じた。
「またお前か」
――そうだ。
「俺、普通に暮らしたいんだけど」
――まだ早い。
「またそれ?」
――お前はまだ強くなる。
「……」
――そして。
「何?」
――やがて。
「うん」
――本当の意味で。
「……」
――魔王になる。
俺は。
ため息をついた。
「だから」
「俺はもう魔王なんだって」
――名前の話ではない。
「……」
――いつか分かる。
「その台詞」
俺は。
布団をかぶった。
「もう何回聞いたと思ってるんだよ」
――まあいい。
「何が?」
――明日も練習だ。
「……」
俺は。
小さく笑った。
「分かってるよ」
そして。
目を閉じた。
明日も。
ローキックを蹴る。
パンチも。
キックも。
もっと強くする。
世界チャンピオンだった俺は。
今度は。
キックボクシングの世界へ。
少しずつ。
足を踏み入れていく。
しかし。
世間の人々が。
俺を見て最初に思い出す名前は。
なぜか。
「便通大魔王」
だった。




