魔王、引退する
それから数年。
俺は。
勝ち続けた。
しかも。
ほとんど。
ボディーブローだけで。
「バンッ!」
相手が下がる。
「バンッ!」
相手が苦しそうにガードを固める。
「バンッ!」
そして。
相手のコーナーから。
タオル。
「……」
俺は。
もう慣れてしまった。
「またタオルか」
トレーナーが頭を抱える。
「お前、本当に顔を殴らないな」
「はい」
「徹底してるな」
「顔は怖いので」
「世界チャンピオンが言う台詞じゃない」
しかし。
結果だけを見ると。
俺は。
無敗に近い成績を積み上げていた。
そして。
ついに。
世界タイトルマッチ。
俺は。
世界チャンピオンになった。
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世界チャンピオン・魔王
ベルトを腰に巻く。
観客が叫ぶ。
「魔王!」
「魔王!」
「世界チャンピオン!」
俺は。
リングの中央で。
ベルトを見つめた。
「……」
高校を卒業して。
アルバイトをしながら。
ボクシングを始め。
健太と一緒にジムへ通い。
健太は途中で引退した。
俺は。
一人になって。
それでも。
練習を続けた。
そして。
世界チャンピオン。
「……」
感慨深かった。
俺は。
拳を握った。
「……やった」
トレーナーが肩を叩く。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
俺は笑った。
しかし。
心の中には。
ずっと。
一つの疑問があった。
――俺は。
――本当に。
――この仕事が好きなのか?
答えは。
意外と簡単だった。
「……」
好きではない。
正確に言えば。
強くなることは好きだった。
練習も嫌いではない。
勝つのも嬉しい。
でも。
人を殴ることだけは。
どうしても好きになれなかった。
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引退
世界チャンピオンになった数日後。
俺は。
記者会見を開いた。
記者が並ぶ。
カメラが並ぶ。
フラッシュが光る。
「魔王選手!」
「今後の防衛戦について!」
「次の対戦相手は?」
俺はマイクを持った。
そして。
言った。
「……引退します」
会場。
「…………」
一瞬。
静まり返った。
記者が固まる。
「……え?」
「引退?」
「世界チャンピオンなのに?」
俺は頷いた。
「はい」
「理由は?」
俺は正直に答えた。
「人を殴るのが、自分には向いていないと思ったからです」
記者たちは。
さらに固まった。
「……」
「世界チャンピオンが?」
「人を殴るのが苦手?」
「はい」
「……」
翌日の新聞。
一面。
『世界王者・魔王、衝撃の引退』
その横。
小さな見出し。
『理由は「人を殴るのが向いていない」』
俺は新聞を見て。
「……」
「もっと他に書き方なかったのかな」
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そしてCM出演
引退した俺に。
今度は。
テレビCMの依頼が来た。
「保湿乳液です」
「……俺が?」
「はい」
「なぜ?」
担当者は。
笑顔で答えた。
「魔王さんの鍛え上げられた身体に、保湿乳液を塗るんです」
「……」
俺は。
自分の腕を見る。
確かに。
ボクシングを続けてきた身体。
筋肉はついている。
腹筋も割れている。
腕も太い。
胸板もある。
人に見せられないほどではない。
むしろ。
かなり鍛えている。
しかし。
「恥ずかしいです」
「そこをお願いします」
「何を?」
「恥ずかしそうにしている魔王さんがいいんです」
「……」
そして。
商品名を聞いた。
「商品名は?」
担当者が。
胸を張る。
「『うるツヤ魔王のボディー』です」
「……」
俺は。
長い沈黙の後。
「誰が考えたんですか?」
「商品開発部です」
「怒ってません?」
「大好評でした」
「……」
こうして。
俺はCMに出演した。
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撮影
撮影当日。
スタッフ。
「では、上半身裸で」
「はい……」
俺は。
少し恥ずかしそうに。
上着を脱ぐ。
スタッフが。
「おお……」
「……」
俺は。
さらに恥ずかしくなる。
「そんなに見ないでください」
カメラマンが言う。
「いや、これはいい!」
「何がですか?」
「筋肉が!」
「普通に鍛えてただけです」
「世界チャンピオンですからね!」
そして。
乳液を塗る。
「もっとツヤを出してください」
「……」
俺の上半身。
テカテカ。
「魔王さん、笑顔お願いします!」
「……」
俺は。
引きつった笑顔。
「もっと自然に!」
「これが限界です!」
そして。
CMが完成した。
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街中が魔王だらけ
数週間後。
俺は。
街を歩いていた。
すると。
駅の広告。
「……」
俺がいる。
しかも。
上半身。
テカテカ。
巨大広告。
『うるツヤ魔王のボディー』
「…………」
俺は。
固まった。
隣を歩いていたサラリーマンが。
「おお、魔王だ」
「……」
女子高生。
「あ、魔王じゃん!」
「……」
子供。
「ママー! あの人、魔王!」
「本物?」
「違う!」
俺は。
慌てて帽子を深くかぶった。
さらに。
メガネ。
「これで大丈夫だ」
歩く。
しかし。
交差点。
巨大看板。
俺。
テカテカ。
「……」
俺は。
顔を下げた。
「何で俺、街中で自分を見るんだよ……」
コンビニに入る。
雑誌売り場。
俺。
「…………」
俺は。
雑誌を裏返した。
「見るな……」
店員が。
「魔王さんですよね?」
「違います」
「いや、どう見ても」
「人違いです」
「でも顔が……」
「似てるだけです」
「筋肉も?」
「……」
「テカテカ具合も?」
「……」
俺は。
何も言わず。
店を出た。
---
俺は普通に暮らしたかった
世界チャンピオン。
CM出演。
テレビ。
雑誌。
街中の広告。
俺は。
有名になってしまった。
でも。
本当は。
静かに暮らしたかった。
「……」
家のベッド。
俺は寝転がる。
「もうボクシングは引退した」
「これからどうしよう」
アルバイトをする必要も。
以前ほどない。
生活には余裕がある。
でも。
何か仕事をしたい。
「……」
そのとき。
スマホが鳴った。
知らない番号。
出る。
『魔王選手でしょうか?』
「はい」
『総合格闘技に出ませんか?』
「……」
俺は。
即答した。
「嫌です」
『まだ条件を――』
「嫌です」
『ファイトマネーは――』
「嫌です」
『かなりの額ですが』
「……」
俺は。
黙った。
「……いくらですか?」
電話の向こうから。
金額を聞く。
「…………」
俺は。
目を見開いた。
「……」
「それはちょっと」
『ぜひ』
「考えます」
電話を切った。
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ベッドの上の魔王
夜。
俺は。
ベッドに寝転がっていた。
「……」
天井を見る。
総合格闘技。
ボクシングとは違う。
蹴り。
組み技。
寝技。
関節技。
いろいろある。
「……」
俺は呟いた。
「人を殴るの好きじゃないし」
「断ろうかな」
――断ってはダメだ!
「うわっ!」
俺は飛び起きた。
「またか!」
――魔王!
「何だよ!」
――断るな!
「なんで?」
――誰のおかげで生活が楽になったと思っているんだ!
「……」
俺は。
しばらく考えた。
「……」
「お前」
――何だ。
「昭和のお父さんかよ」
――何?
「『誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!』って」
――違う!
「そっくりじゃん」
――私はお前を支えてきた!
「まあ……」
俺は。
少し考えた。
「あなたのおかげです」
――……。
「ありがとう」
――うむ。
「でも」
――何だ。
「やっぱり総合格闘技は嫌だよ」
――なぜだ。
「人を殴るのが嫌」
――……。
「それに」
俺は。
ベッドに寝直した。
「サラリーマンでもやるよ」
謎の声が。
しばらく沈黙した。
そして。
――何の仕事がやりたいんだ?
「うーん」
俺は考えた。
「力はあるし」
――うん。
「引っ越し業者とか」
――…………。
「どうした?」
――魔王が引っ越しするな!
「?」
――ラストダンジョンにいろ!
「何で?」
――魔王がどこにいるか分からなかったら、勇者がクリアできないだろ!
「いや」
俺は。
冷静に説明する。
「俺が引っ越しするわけじゃないし」
――え?
「引っ越しを手伝うだけだよ」
――…………。
「荷物運ぶだけ」
――……。
「結構向いてると思うけど」
――魔王がタンスを運ぶな!
「何でだよ!」
――世界観が崩れる!
「世界観って何だよ!」
――魔王は!
「はい」
――魔王らしく!
「うん」
――強大な力を持ち!
「うん」
――恐れられ!
「うん」
――世界の頂点に立つ存在で!
「うん」
――ラストダンジョンの最深部で勇者を待つんだ!
俺は。
ベッドに寝転がったまま。
「……」
「暑そうだな」
――そこじゃない!
---
総合格闘技へ
謎の声は。
一切引かなかった。
――総合格闘技に出ろ。
「嫌だ」
――さらに名を上げるんだ。
「有名になりたくない」
――魔王は有名じゃなければならない。
「何で?」
――世界観が崩れる。
「またそれか」
――試合に出ないなら。
「うん」
――財産没収。
「……」
俺は。
ゆっくり起き上がった。
「勝手に財産没収とかできんの?」
――できる。
「本当に?」
――魔王だからな。
「権限強すぎない?」
――どうする。
「……」
俺は。
ため息をついた。
「分かったよ」
――おお。
「出るよ」
――それでいい。
「でも」
――何だ。
「総合格闘技って」
「どうやればいいの?」
――……。
「おい?」
返事がない。
「……」
「謎の声?」
沈黙。
「おーい」
返事なし。
「総合格闘技の説明は?」
……。
俺は。
天井を見上げた。
「また急に居なくなるし」
俺は。
深いため息をついた。
そして。
スマホを手に取った。
検索欄に入力する。
『総合格闘技 初心者 何から始める』
検索結果を見る。
「……」
「寝技?」
「タックル?」
「キック?」
「関節技?」
俺は。
青ざめた。
「……」
「俺、ボクシングしかやってないんだけど」
その瞬間。
スマホに。
新しいメッセージが届いた。
『総合格闘技への参戦、正式決定。』
「…………」
俺は。
しばらく画面を見つめた。
そして。
小さく呟いた。
「……世界チャンピオンになったのに」
「何でまた新人に戻ってるんだよ」
その夜。
世界チャンピオン・魔王は。
人生で初めて。
「タックル」という言葉を真剣に検索した。
そして。
彼の新しい戦いが。
始まろうとしていた。




