ムササビ父さん
殴打は、白い粉でヌルヌルになった下り坂を、仰向けのまま滑っていた。
その手には、便意の魔法によって巨大な風が渦巻き始めた魔法のバット。
殴打は岩を見つめた。
「……スイングしてみる」
魔王は滑りながら叫んだ。
「殴打さん! 何でもいいから、あの岩を何とかしてください!」
「分かりました!」
殴打は寝転がったまま、両手でバットを握った。
そして――
「えいっ!」
ブンッ!!
バットを大きく振った。
その瞬間。
ゴォォォォォォォォォォォォ!!
岩の前で、巨大な突風が発生した。
「おおっ!」
魔王軍全員が驚いた。
しかし。
岩は――
動かなかった。
「……」
昆布が冷静に岩を見る。
「岩は動いてませんね」
「そうだね!」
魔王が叫ぶ。
「というか、僕たちが岩に向かってる!」
ズズズズズズズズ!!
白い粉で滑る坂。
止まらない。
魔王。
父さん。
母さん。
便意。
昆布。
鍋。
五利武。
ゴプリン。
そして国王を乗せた馬車。
全員が岩に向かって滑っていく。
「まずい!」
「岩が近い!」
「もう目の前ですよ!」
「プリン……」
ゴプリンまで滑っていた。
しかしゴプリンは自分の頭を両手で押さえている。
「……プリン、大事」
「そこは絶対守るんだね!」
魔王がツッコんだ。
その時だった。
ゴォォォォォォォォォ!!
先ほど殴打が作り出した巨大な突風が、突然、渦を巻き始めた。
「え?」
昆布が空を見上げる。
「風が……」
ゴォォォォォォ!!
風がさらに強くなる。
「竜巻になっています!」
「ええええええ!?」
次の瞬間。
全員の体が――
フワッ。
浮いた。
「え?」
魔王の足が地面から離れた。
「ちょっと待って」
さらに上昇。
「えええええええええ!?」
魔王軍全員が空へ飛んでいった。
「うわあああああ!」
「飛んでる!」
「止まれません!」
「私、空を飛ぶ魔法なんて使ってませんよ!」
便意まで叫んでいる。
ゴプリンも飛んでいる。
「……プリン……飛ぶ」
「プリンも飛ぶんだ!」
そして――
馬車まで。
国王を乗せた馬車が、地面からふわりと浮き上がった。
「おおおおおお!」
国王が馬車の窓から外を見る。
「これは……」
兵士も空を見上げる。
「王様!」
「分かっている!」
馬車も魔王軍も、巨大な竜巻によって空高く巻き上げられていく。
そして風は――
王都の方向へ向かっていた。
昆布は周囲を確認した。
王都の城壁が、遠くに小さく見えている。
「皆さん!」
昆布が叫んだ。
「岩は回避しました!」
「それは良かった!」
魔王が答える。
「私達は王都の方向に飛んでいます!」
「それも良かった!」
魔王は空中で一回転した。
「……で!」
魔王が昆布を見る。
「どうやって着地するの?」
「……」
昆布は黙った。
風に髪をなびかせながら、真顔で答える。
「分かりません」
「軍師ぃぃぃぃ!」
魔王の叫び声が空に響いた。
母さんも空中で手足をばたつかせる。
「昆布さん、なんとかならないの?」
「今、考えています」
「何か方法は?」
「落下速度、風向き、王都までの距離、着地地点……」
昆布は冷静に分析する。
そして――
「……分かりません」
「二回言った!」
魔王がツッコんだ。
「昆布さんでも分からないことあるんですね!」
鍋も叫ぶ。
「ありますよ!」
昆布が即答した。
五利武は空中でゴルフクラブを握っている。
「堀の水ポチャは嫌ですね」
「ゴルフじゃないですよ!」
魔王が叫ぶ。
ゴプリンは自分のプリンカップを押さえている。
「……落ちない」
「ゴプリンは落ちないようにプリンだけ守ってる!」
そんな中。
昆布が便意を見る。
「便意さん」
「はい?」
「何か魔法ありますか?」
便意は考えた。
「ウォーターか、ファイアーか……」
一同が期待する。
便意は続けた。
「竜巻」
昆布は即答した。
「着地には使えませんね」
「ですよね」
「そもそも今、竜巻で飛んでますから!」
魔王が叫ぶ。
「竜巻を追加したら、もっと飛ぶんじゃないですか!?」
「そうですね」
便意は納得した。
「じゃあ、やめます」
「判断が早い!」
その時だった。
父さんが空中で突然叫んだ。
「ん?」
父さんの着ている不思議なスーツが――
ギュッ。
縮んだ。
「うわっ!」
父さんの体にピッタリと張り付く。
「父さん、どうしたの!?」
魔王が見る。
黒いスーツが、まるで全身タイツのようになっていた。
父さんは自分の腕を見る。
「スーツが縮んだぞ」
メンタルアタックネクタイが答える。
「仕事の効率化だ」
「スーツが仕事の効率化するな」
父さんがツッコむ。
すると。
腕の部分が――
バッ!
大きく広がった。
「お?」
左右に布が伸びる。
腕から腰にかけて膜のようにつながっていく。
「これは……」
昆布が目を細める。
「ムササビのような形になっています!」
「ムササビ?」
魔王が父さんを見る。
父さんの姿は、完全に――
ムササビだった。
父さんは手を広げる。
「なるほど」
メンタルアタックネクタイが叫ぶ。
「飛ばすぞ!」
「何を?」
「お前を」
「誰が?」
「俺が」
「ネクタイが?」
「そうだ」
「どうやって!?」
「王都に異動だ!」
「はい!」
その瞬間。
父さんだけ――
ゴォォォォォォ!!
さらに加速した。
「うおおおおおおおおお!」
父さんの体が、一気に前へ飛んでいく。
「速い!」
五利武が驚く。
「ゴルフボールより速い!」
父さんは王都へ向かって一直線。
「うおー!」
風を切る。
「速い!」
さらに加速。
「メンタルガード!」
父さんはなぜか叫んだ。
「いや、それ今必要!?」
魔王が遠くからツッコむ。
メンタルアタックネクタイが叫ぶ。
「また飛ばすぞ!」
「飛ばさなくていい!」
「飛ばすぞ!」
「王都に着いたら止まれないぞ!」
「知らん!」
「だから知らんのかい!」
父さんはどんどん王都へ近づいていく。
王都の城壁が大きく見えてきた。
「父さん!」
魔王が叫ぶ。
「着地できるの!?」
父さんは答える。
「知らん!」
「そこは知ってて!」
王都の前。
地面が近づいてくる。
父さんの顔が少し青くなる。
「これは……」
メンタルアタックネクタイが叫ぶ。
「仕事の締め切りだ!」
「違う!」
「ちゃんと立て!」
「どうすればいい!?」
その瞬間。
父さんのスーツが――
ブワッ!!
巨大に膨らんだ。
まるで巨大な風船のように。
「ええええええ!?」
父さん自身が巨大な黒い風船になった。
「なんだこれ!?」
メンタルアタックネクタイが叫ぶ。
「クッション機能!」
「最初からそれを使え!」
父さんは――
ボヨン!
王都前の地面に落ちた。
跳ねる。
ボヨン!
もう一度跳ねる。
ボヨン!
そして――
ズサササササササササアアアアアア!!
巨大な風船状態のまま、地面を滑っていく。
しかし。
止まった。
「……」
父さんが顔を上げる。
「着地した」
メンタルアタックネクタイが言った。
「業務完了」
「なんの業務だよ」
父さんがツッコむ。
その直後。
空から声が聞こえた。
「父さん!」
魔王だった。
「危ない!」
「え?」
父さんが上を見る。
魔王が落ちてくる。
「うわあああああ!」
ボフッ!
父さんの上に魔王が着地した。
「……」
「……」
父さんが言う。
「魔王」
「はい」
「重い」
「ごめん」
続いて。
母さん。
「パパー!」
ボフッ!
「うわっ!」
父さんの上に母さんが着地する。
母さんは父さんの上で弾んだ。
「ボヨン」
「母さんまで!」
「ごめんね、パパ」
「大丈夫だ」
父さんは答えた。
「メンタルガード」
「便利だな、その言葉!」
さらに。
便意。
「うわああああ!」
ボフッ!
「痛くない?」
魔王が聞く。
「大丈夫です!」
便意は父さんの上で跳ねた。
「風船みたいですね」
「俺は風船じゃない」
父さんが言う。
そこへ昆布。
「失礼します!」
ボフッ!
「昆布さんまで!」
昆布は父さんの上に着地すると、すぐに立ち上がった。
「着地成功です」
魔王が言う。
「成功っていうか、父さんのおかげだよ!」
鍋。
「行きます!」
ボフッ!
五利武。
「私も!」
ボフッ!
ゴプリン。
「……プリン」
ボフッ。
最後に――
王都へ飛んできた馬車が。
ゴォォォォォ!!
巨大な風船状態の父さんの上を通過し――
ボフ、ズズズズズズ……
王都前の地面へ、無事に着地した。
国王が馬車から降りる。
「……」
全員を見る。
父さんを見る。
巨大な風船状態の父さんを見る。
そして国王が静かに言った。
「今度はスリルの少ない旅が良いな」
兵士たちも深くうなずいた。
「はい……」
昆布も言った。
「今回の移動は、想定外が多すぎました」
魔王が答える。
「ほとんど全部、想定外だったよ」
便意が手を挙げる。
「私の魔法もですか?」
「特にです」
「そうですか」
便意は少し嬉しそうだった。
殴打は魔法のバットを見た。
「風のビッグ……すごかったですね」
魔王が言う。
「岩は動かなかったけどね」
「でも、飛びました」
昆布がまとめる。
「結果的には、岩を回避して王都まで移動出来ました」
魔王が言う。
「それはそうだけど……」
五利武が父さんを見る。
「父さんのスーツ、すごいですね」
母さんも笑顔で言った。
「パパ、すごいわね」
「そうか?」
父さんは自分を見る。
巨大な風船状態。
「でも、これでは仕事が出来ないな」
メンタルアタックネクタイが言った。
「体型維持も仕事のうちだぞ」
「風船状態で仕事するサラリーマンなんていないだろ」
その瞬間。
スーツが――
シュウウウウウウ……
しぼみ始めた。
巨大だった父さんの体が、元の大きさに戻っていく。
「おお」
シュルシュルシュル。
布が元の形に戻る。
そして。
いつもの黒いスーツ姿になった。
父さんは襟を整えた。
「よし」
メンタルアタックネクタイが言う。
「通常業務に戻ります」
父さんがうなずく。
「そうだな」
魔王が笑う。
「父さん、そのスーツ……本当に何でもありだね」
父さんは少し考えてから答えた。
「俺もよく分からん」
魔王軍全員が沈黙する。
昆布が言った。
「持ち主にも分からない装備……」
便意が言う。
「私の魔法と似ていますね」
「一緒にしないでください」
昆布が即答した。
その時。
王都の城門が開いた。
ギィィィィィ……
兵士がこちらを見ている。
「お帰りなさいませ、国王陛下!」
国王は手を上げた。
「ただいま」
そして魔王軍を見る。
「皆も、ご苦労だった」
魔王は王都を見上げた。
「……ようやく帰ってきた感じがするね」
昆布も王都を見つめる。
「はい」
しかし――
その表情は少しだけ真剣だった。
「ですが、先ほど王都で不穏な動きがあるという報告もありました」
魔王はうなずいた。
「そうだったね」
父さんが言う。
「仕事の話か?」
メンタルアタックネクタイが答える。
「不穏な上司に報告したか?」
「なんか混ざってる」
魔王が笑った。
「ネクタイだけは、完全に仕事モードだね」
父さんは王都の城門を見ながら歩き始める。
「まあ、順調に怒られてますよ」
魔王軍全員が笑った。
だが――
王都の中では。
まだ誰も知らない。
新たな騒動が、すでに始まろうとしていることを。




