風のビッグは何の注文だ?
「今はカエルとバナナが戦っています」
昆布は、霧の向こうを双眼鏡で確認しながら言った。
「こちらの事は考えてません」
魔王が横目で巨大カエルを見る。
「確かに」
カエルは、
「ピョン!」
とジャンプしている。
その先にはバナナモンスター。
「こっちに来るな!」
「食われてたまるか!」
バナナモンスターは霧の中を飛び回り、白い粉を撒いている。
カエルはそれを追いかけて、
「ピョン!」
「ドォォン!」
と跳ねる。
着地したところで、
「ズルッ!」
「ドン!」
カエル自身も少し滑った。
魔王は言った。
「カエルも滑ってるな」
昆布が頷く。
「はい」
「敵も滑るんだ」
「湿地帯ですから」
昆布は少し考えた。
「このまま、あの三匹を戦わせておけば……」
「おけば?」
「私達は素通り出来るかもしれません」
魔王が思い出した。
「この前の素通り作戦だな」
「そうです」
魔王軍の全員が頷いた。
便意だけが杖を握っている。
昆布が便意を見る。
「便意さん」
「はい」
「ウォーターはやめてください」
「……」
便意は少しだけ悲しそうな顔をした。
「分かりました」
「水が出ると、さらに滑りますから」
「はい」
便意は杖を下ろした。
「今日は我慢します」
「ありがとうございます」
そして魔王軍と国王護衛隊は、ゆっくりと進み始めた。
「ズルッ」
「おっと」
「ズズズ……」
「ゆっくりです」
足元は白い粉と泥でヌルヌル。
誰も普通には歩けない。
みんな馬車や誰かを掴みながら歩く。
全員が慎重に進む。
横では、
「ピョン!」
「ドォォン!」
カエルが跳ねる。
「ズルッ!」
滑る。
そのまま、
「ドン!」
着地。
バナナモンスターが叫ぶ。
「白い粉だ!」
パラパラパラ……。
また白い粉が落ちる。
「うわ……」
魔王が足元を見る。
「さらに滑るぞ」
五利武が言った。
「確かに」
しかし五利武も、
「ズルッ」
「……」
無言で二メートルほど横に移動した。
「五利武さん、今、歩きました?」
魔王が聞く。
「歩いてはいません」
「じゃあ?」
「ムーンウォークです」
「それは歩いてないね」
昆布が周囲を確認する。
「大丈夫です。このまま進みましょう」
魔王軍は、滑りながらも少しずつ前へ進んだ。
そして――。
「……見えました」
昆布が言った。
「何が?」
「湿地帯の出口です」
「本当か!」
魔王が喜ぶ。
「はい」
その先には、緩やかな下り坂が続いていた。
昆布が言った。
「戦わずにここまで来られました」
魔王が振り返る。
霧の向こうでは、まだ、
「ピョン!」
「ドォォン!」
「白い粉だ!」
「こっち来るな!」
と戦っている。
魔王が言った。
「すごいな」
母さんが笑う。
「仲良く喧嘩してるみたいね」
「仲良くはないと思うよ」
昆布が前を見る。
「後は坂を下るだけです」
「よし」
全員が頷いた。
「では、ゆっくり下りましょう」
最初に父さんが進む。
「ズル……」
一歩。
「ズル……」
二歩。
「……」
父さんは慎重だった。
「大丈夫そうだ」
父さんが言った。
ところが。
「……ん?」
父さんの不思議なスーツが、
ムクッ。
と膨らんだ。
「……」
魔王が見る。
「父さん?」
「どうした?」
「スーツ……」
「うん」
父さんが自分の体を見る。
「急にスーツが膨らんだぞ」
ジャケットが、
ふわっ。
と膨らんでいる。
袖も少し膨らむ。
ズボンまで、
ふわっ。
「何これ?」
父さんが首をかしげた。
ネクタイが喋った。
「本日の業務:坂道を安全に下る」
「いや、今までそんな機能なかっただろ」
父さんが言った。
その瞬間――。
「ズルッ!」
「うわっ!」
父さんの足が滑った。
「父さん!」
魔王が叫ぶ。
しかし父さんは止まらない。
「ズズズズズ――!」
坂を滑り始めた。
「おい!」
父さんが叫ぶ。
「止まらん!」
その後ろにいた魔王も、
「ズルッ!」
「うわ!」
滑った。
「魔王様!」
昆布も、
「ズルッ!」
「うわっ!」
滑った。
五利武。
「ズルッ!」
「おっと!」
便意。
「ズルッ!」
「わあああ!」
鍋。
「ズルッ!」
「またか!」
母さん。
「ズルッ!」
「きゃあ!」
ゴプリン。
「ズルッ!」
「……プリン!」
全員が一斉に滑り始めた。
しかも――
下り坂。
「止まらない!」
魔王が叫ぶ。
「どんどん速くなってます!」
昆布が叫ぶ。
「下り坂まで白い粉でヌルヌルになってます!」
昆布は転んだまま、
「ズズズズズズ――!」
と滑りながら喋っている。
「昆布さん、何でそんな冷静なの?」
魔王も、
「ズズズズズ――!」
と滑る。
「分析しながら滑っています!」
「分析しなくていいから止まって!」
父さんが先頭で叫ぶ。
「俺が先に行く!」
「父さん!」
「大丈夫だ!」
父さんのスーツがさらに膨らむ。
ボンッ!
「うわっ!」
膨らんだスーツが空気を受ける。
父さんの体が少し浮いた。
「何だこれ!」
ネクタイが叫ぶ。
「業務効率化!」
「何の効率だ!」
父さんは滑りながら、さらに加速した。
「うおおおお!」
「父さん!」
その後ろから魔王軍も続く。
ズズズズズズズ――!
そして――。
馬車だけは、なぜか立ったままだった。
国王が馬車の中から外を見る。
「……」
兵士も馬車の横を走ろうとするが、
「ズルッ!」
転ぶ。
馬車だけが、
スーーーッ。
と坂を下っていく。
国王が窓から顔を出す。
「魔王軍!」
「はい!」
魔王が転びながら答える。
「大丈夫か!」
「大丈夫じゃないです!」
魔王は滑りながら叫んだ。
「馬車だけ普通に進んでます!」
「そうだな」
国王は冷静だった。
「私も不思議に思っている」
昆布が叫ぶ。
「馬車は車輪があるので!」
「なるほど!」
魔王が叫ぶ。
「いや、今はその説明いらない!」
その先。
霧の切れ間から、
巨大な岩が見えた。
「……」
魔王が固まる。
「……岩?」
昆布が見る。
「岩です」
「どんどん近づいてるよね?」
「はい」
「まずい」
魔王の顔が引きつる。
「またこのまま岩に激突するかもしれない!」
全員が岩を見る。
「うわああああ!」
「止まれえええ!」
「止まらない!」
「ズルズルズルズル!」
昆布が叫ぶ。
「便意さん!」
「はい!」
「何でもいいから魔法!」
「分かりました!」
便意が杖を掲げる。
「ウォーター!」
魔法の杖から――
……ではなく。
殴打の魔法のバットから、
「チョロ……」
水が出た。
「……」
昆布が滑りながら言った。
「水以外で!」
「はい!」
便意が焦る。
「えーっと……」
岩が近づく。
どんどん近づく。
「何かないのか!」
魔王が叫ぶ。
「風の魔法!」
便意が叫んだ。
「風!」
すると――
ふわっ。
そよ風が吹いた。
「……」
全員が沈黙。
魔王の髪が、
ふわっ。
と揺れた。
昆布が言った。
「そよ風しか来ません」
「すみません!」
便意が焦る。
「もっと大きく!」
便意は杖を握る。
「ビッグで!」
その瞬間。
殴打が叫んだ。
「風のビッグって何の注文だ?」
「知らないよ!」
魔王がツッコむ。
「アイス屋みたいに言うな!」
すると――。
ゴォォォォォ……!
殴打の魔法のバットの周囲で、風が渦を巻き始めた。
「おお!」
魔王が驚く。
「風が出てきた!」
殴打がバットを見る。
「……なるほど」
風がどんどん強くなる。
「これは……」
殴打がバットを構える。
「スイングしてみる」
魔王が叫ぶ。
「何をするつもり?」
殴打は答えた。
「分かりません!」
「分からないんかい!」
しかし、
ゴォォォォォォォォ!
風はさらに強くなっていく。
殴打がバットを振りかぶる。
「いくぞ!」
全員が固唾をのむ。
巨大な岩は、
もう目の前。
そして殴打が――
「スイング!」
ブンッ!
風をまとった魔法のバットが、大きく振り抜かれた。
その瞬間――
ゴォォォォォォォォォォォォォッ!!
巨大な風の渦が、バットから一気に放たれた。
「うわあああああ!」
魔王軍全員の体が浮き始める。
「俺たちまで飛ぶぞ!」
父さんが叫ぶ。
ネクタイが、
「安全第一!」
と叫ぶ。
「今さら!」
魔王が叫んだ。




