湿地帯のヌルヌル地獄
霧の立ち込める湿地帯。
魔王軍と国王一行は、慎重に街道を進んでいた。
足元は泥。
前方は霧。
そして遠くでは、
「ドォォォン……!」
巨大な地響き。
さらに、
「ドォォォン!」
もう一度。
魔王は目を細めた。
「やっぱり、何かがジャンプしてるな」
昆布も双眼鏡を構えた。
「慎重に進みましょう。先ほどから見えている巨体を確認します」
魔王軍と国王一行は、ゆっくりと前進した。
霧の向こう。
巨大な影が、
ぴょん。
と跳ねた。
着地。
「ドォォォン!」
泥が跳ねる。
そしてまた、
ぴょん。
「ドォォォン!」
魔王が言った。
「……やっぱりカエルモンスターだな」
昆布が双眼鏡を覗く。
「確認しました。巨大なカエルモンスターです」
鍋が言った。
「前に会ったやつだな」
父さんも頷く。
「そうだな」
すると、魔王が首をかしげた。
「でも、何であんなにジャンプしてるんだ?」
「確かに」
昆布が双眼鏡を動かす。
「以前は、ずっと寝ていましたからね」
「ゴーゴーって寝てたよね」
魔王が言った。
「そうですね」
昆布が頷く。
「今回は寝ていません」
五利武が遠くを見る。
「ということは……」
「ということは?」
「食事の時間でしょうか」
「カエルだから?」
「はい」
「何で俺たち、カエルの食事時間まで気にしてるんだろう」
魔王が苦笑した。
そのときだった。
カエルモンスターが、
ぴょん!
と大きく跳ねた。
「ドォォォォン!」
今までよりも高い。
魔王が驚く。
「高っ!」
巨大な体が霧の上まで跳ね上がる。
そして、そのさらに上。
何かが飛んでいた。
「……ん?」
魔王が空を見る。
霧の向こうに、小さな影。
一つ。
二つ。
昆布が双眼鏡を上に向ける。
「……二匹います」
五利武も見上げた。
「小さいモンスターですね」
父さんも見上げる。
「飛んでるな」
母さんが言った。
「鳥かしら?」
鍋が首を横に振る。
「鳥にしては黄色いですね」
便意も目を凝らす。
「黄色……?」
魔王が突然、嫌な顔をした。
「……まさか」
昆布が双眼鏡を覗き込む。
「……」
沈黙。
「……」
さらに沈黙。
そして、
「魔王様」
「うん」
「バナナモンスターかもしれません」
「やっぱりか!」
魔王軍全員が空を見上げた。
霧の向こう。
黄色い何かが二つ飛んでいる。
そして聞き覚えのある声がした。
「俺が次の魔王になる!」
「いや、次の魔王は俺だ!」
魔王が頭を抱えた。
「またそれ言ってる!」
五利武は空を見ながら言った。
「バナナの落下点はここだったか」
「落下点って言い方やめて!」
魔王がツッコむ。
「まるでバナナがボールみたいじゃないか」
五利武は真顔だった。
「前回も飛んでいきましたから」
「まあ……そうだけど」
そのとき。
巨大カエルが再び跳ねた。
「ぴょん!」
「ドォォォォン!」
カエルの巨大な口が開く。
「ベロォォォッ!」
舌が伸びた。
空へ。
一直線に。
「うわっ!」
魔王が叫ぶ。
舌は霧を突き抜け、空飛ぶバナナモンスターへ向かっていく。
バナナモンスターが慌てる。
「うわっ! また来た!」
「しつこいな、あのカエル!」
昆布が状況を分析する。
「なるほど……」
双眼鏡を覗きながら言った。
「カエルモンスターがバナナモンスターを攻撃しています」
魔王が言う。
「食べようとしてるのかな?」
昆布は少し考えた。
「可能性は高いです」
「バナナだから?」
「カエルからすると、空を飛んでいる食べ物に見えるのかもしれません」
鍋が言った。
「俺だったら食べる前に皮をむくけどな」
「鍋さん、そこなの?」
魔王がツッコんだ。
空では大変なことになっていた。
バナナモンスターが必死に逃げる。
「右だ!」
「いや左!」
「どっちだよ!」
「知らん!」
そこへ、
カエルの舌が、
ビュンッ!
と通過する。
「危なっ!」
バナナモンスターが間一髪で避けた。
カエルは着地。
「ドォォォォン!」
また泥が大量に跳ねる。
魔王軍にも、
「ベチャッ!」
「うわっ!」
泥が飛んできた。
父さんの不思議なスーツにも泥がつく。
「……」
父さんがスーツを見る。
ネクタイが喋った。
「身だしなみに注意しろ」
「今それ言う?」
父さんが泥を払う。
「まあ、仕事だからな」
「何の仕事だよ」
魔王がツッコむ。
そのとき。
空から声がした。
「じゃあ、これでもくらえ!」
魔王の表情が変わった。
「……」
昆布も固まった。
「……」
五利武も固まる。
「……」
鍋が言う。
「嫌な予感がするな」
母さんも頷いた。
「するわね」
バナナモンスターが叫んだ。
「白い粉攻撃!」
「来た!」
魔王軍が一斉に叫んだ。
「またか!」
バナナモンスターの周囲から、
ふわっ。
ふわっ。
白い粉が落ちてくる。
霧の中に白い粉が混ざる。
地面へ。
木々へ。
街道へ。
そして泥の上へ。
「……」
昆布が双眼鏡を下ろした。
「最悪の組み合わせです」
魔王が聞く。
「泥と白い粉?」
「はい」
「どうなる?」
昆布が地面を見る。
白い粉が泥と混ざり始める。
ぬちゃ。
ぬちゃぬちゃ。
そして、
ツルッ。
魔王が一歩下がった。
「……」
もう一歩。
「……」
さらに一歩。
ズルッ。
「うわっ!」
魔王が転びそうになる。
五利武が反射的に手を伸ばす。
「魔王様!」
しかし五利武自身も、
ズルッ。
「うわっ!」
二人ともバランスを崩す。
父さんが支えようとする。
「俺に任せろ!」
父さんが一歩踏み出す。
ズルッ。
「おっと!」
父さんも滑った。
ネクタイが叫ぶ。
「父さんスベってる! ヘイヘイヘイ!」
「今、俺たちがビビってるんだよ!」
魔王が叫ぶ。
昆布は慎重に片足を出した。
ズルッ。
「……」
もう片足。
ズルッ。
「……」
昆布が真顔になった。
「これは……」
魔王が聞く。
「どう?」
「非常にまずいです」
「やっぱり?」
「はい」
昆布が地面を見つめる。
「前回のヌルヌル地獄より悪い可能性があります」
「何で?」
「今回は湿地帯です」
「……あ」
魔王が気づく。
元々、地面が泥だ。
そこへバナナの白い粉。
つまり、
泥+白い粉。
魔王は震えた。
「……ヌルヌル地獄、第二弾?」
昆布が静かに頷いた。
「おそらく」
「タイトル付けなくていいから!」
その瞬間。
ゴプリンが一歩進んだ。
「……」
ズルッ。
ゴプリンの体が傾く。
「……プリン」
魔王が叫ぶ。
「ゴプリン!」
ゴプリンは両手を広げた。
鋼鉄のプリンカップが、
キラッ。
「……プリン、大事」
そして、ゆっくりと足を踏ん張る。
ズルズルズル……。
それでも倒れない。
「すごい!」
魔王が感心する。
しかしゴプリンの足元が、
ズルッ!
ゴプリンが、
「……」
横に一メートル滑った。
「プリン……」
「プリンカップより先に本体が滑った!」
魔王がツッコむ。
鍋はその場にしゃがんだ。
「立ってるより、座った方がいいな」
すると鍋のヘル鍋が、
ズルッ。
「おっと」
「鍋さんまで滑った!」
鍋はそのまま尻もちをついた。
「……」
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
鍋はヘル鍋を押さえた。
「鍋だけは守る」
「そこは守るんだ」
母さんも足元を見る。
「私も動かない方がいいかしら」
魔王が頷く。
「うん。今は動かない方がいい」
母さんはその場で立っている。
しかし、
ズルッ。
「きゃっ」
母さんの体が少し横へ動いた。
「お母さん、動いてる!」
「動いてないわよ」
「地面が動かしてるんだよ!」
昆布が双眼鏡を空へ向けた。
「問題はバナナモンスターが、まだ白い粉を撒いていることです」
魔王が空を見る。
「霧で見えないな……」
「はい」
バナナモンスターは霧の中。
姿がはっきり見えない。
しかし声だけが聞こえてくる。
「どうだ!」
「これで地面はツルツルだ!」
「もう誰も動けないぞ!」
魔王が叫ぶ。
「また同じことしてる!」
昆布が冷静に言った。
「前回の経験があるのでしょう」
「学習してるじゃないか!」
「モンスターも成長していますね」
「そんなところで成長しないでほしい!」
五利武がゴルフクラブを握った。
「昆布さん」
「はい」
「私が飛びます」
「……」
昆布が空を見た。
濃い霧。
白い粉。
視界はほとんどない。
五利武が言う。
「前回なら飛んでいけました」
昆布は首を横に振った。
「今回は難しいです」
「やはり霧ですか」
「はい」
五利武が空を見つめる。
「見えません」
「それに」
昆布が続ける。
「下も見えません」
「……」
「上も見えません」
「……」
「前も見えません」
「……」
魔王が言った。
「じゃあ、どこなら見えるの?」
昆布は答えた。
「ほとんど見えません」
「昆布さんが珍しく弱気だ!」
その瞬間。
「ドォォォォン!」
巨大カエルが再びジャンプした。
霧の向こうから巨大な影が浮かび上がる。
そして、
バナナモンスターの悲鳴。
「うわあああ!」
「またカエルだ!」
巨大な舌が、
ビュンッ!
霧の中を横切る。
「危なっ!」
バナナモンスターが避ける。
しかし、その回避によって白い粉がさらに大量に落ちてくる。
「……」
魔王軍が地面を見る。
白い。
そして、
ぬるぬる。
ズルズル。
魔王が小さく呟いた。
「……これ、どうやって乗り切るんだ?」
昆布は周囲を見渡した。
カエルはバナナを追っている。
バナナは霧の中。
地面は白い。
足元は泥。
国王の馬車も動かせない。
五利武も飛べない。
殴打は魔法のバットを握ったまま、足を滑らせないようにしている。
便意は瞬間移動の杖を持っている。
父さんは不思議なスーツのまま、泥まみれ。
母さんは立ったまま動けない。
鍋は座り込んでヘル鍋を守っている。
ゴプリンは鋼鉄のプリンカップを両手で押さえている。
そして国王は馬車の中。
「……」
昆布が静かに言った。
「全員、動かないでください」
魔王が頷く。
「うん」
「絶対に足を動かさないでください」
「分かった」
「特に魔王様」
「え?」
「魔王様はよく動くので」
「俺だけ?」
「はい」
魔王が地面を見る。
白い粉。
泥。
ぬるぬる。
そして霧。
「……」
そのとき。
便意が何かに気づいた。
「あの……」
全員が便意を見る。
「どうした?」
便意が手に持つ杖を見る。
「この杖……」
魔王が聞く。
「うん」
便意が言った。
「何か、使えるかもしれません」
昆布の目が光った。
「何か思いついたんですか?」
便意は杖を見ながら、
「……たぶん」
と答えた。
魔王が嫌な予感を覚える。
「その『たぶん』、大丈夫?」
便意は答えなかった。
ただ、霧の向こうから再び声が聞こえた。
「俺が次の魔王だ!」
「いや、俺が次の魔王だ!」
その声に重なるように、
「ドォォォォン!」
巨大カエルが跳ねる。
白い粉がさらに降ってくる。
そして魔王軍の足元が、
ズルッ……。
全員が叫んだ。
「うわあああああ!」
湿地帯のヌルヌル地獄は、さらに広がっていく。
果たして魔王軍は、この最悪の状況から脱出できるのか。
そして便意の「たぶん」とは、一体何なのか――。




