瞬間移動の杖の正体
便意は、両足を氷に固定されたまま、必死に杖を握っていた。
目の前には、白い装束をまとった魔導師。
見るからに強そうな老人だ。
そして便意の足元には、魔導師の魔法によって作られた分厚い氷。
「どうしよう……」
便意は氷を見つめた。
「このままじゃ何もできない」
壁際から魔王軍も見守っている。
魔王が言った。
「便意さん、頑張って!」
勇気も、
「大丈夫です!」
と声をかける。
便意は二人の声を聞きながら考えた。
「……そうだ」
何かに気づいたように顔を上げた。
「足元の氷を炎で溶かせばいい」
魔王が頷く。
「それなら動けるね」
便意は自信を取り戻した。
「何回もやってみるしかない」
そして杖を足元へ向ける。
「ファイアー!」
……。
何も起きない。
「……」
便意はもう一度。
「ファイアー!」
……。
何も起きない。
「ファイアー!」
……。
何も起きない。
便意の額に汗が浮かぶ。
「ファイアー!」
……。
無反応。
魔王が小声で言う。
「出ないね」
昆布が頷く。
「まだ火の魔法は使えないようですね」
便意は諦めない。
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
何度も何度も繰り返す。
しかし――。
炎は出ない。
便意は足元の氷を見つめた。
「……」
ガン!
杖で氷を叩く。
「硬い……」
もう一度。
ガン!
「全然割れない」
魔王が叫ぶ。
「無理に叩くと杖が壊れるよ!」
便意。
「じゃあ魔法しかない!」
「でも出てないよ!」
「そうなんです!」
便意は必死だった。
「とにかくこれを溶かさないと、何のアピールも出来ない!」
そして再び叫ぶ。
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
「ファイアー!」
会場中に響き渡る。
しかし炎は出ない。
魔導師は黙って便意を見ていた。
「……」
便意は必死に杖を握っている。
「どうして出ないんだ……」
そして、最後の手段を試す。
「瞬間移動!」
コツン。
何も起きない。
「……」
もう一度。
「瞬間移動!」
コツン。
何も起きない。
便意はとうとう肩を落とした。
「……もうだめか」
その瞬間だった。
「熱い!」
魔導師が突然叫んだ。
「え?」
便意が顔を上げる。
魔導師が自分の髪を触る。
「熱い!」
白い髪の先から煙が出ている。
「熱い、熱い、熱い!」
魔導師が慌てる。
そして――。
「アイス!」
自分の杖を振る。
ところが。
ボォォォッ!
今度は杖の先から、ものすごい炎が噴き出した。
「ええっ!?」
魔王軍が一斉に驚く。
「炎が出た!」
「魔導師さんの杖から!」
「なんで!?」
魔導師の髪が燃えている。
白いヒゲにも火がついている。
「熱い! 熱い!」
魔導師が杖を振り回す。
しかし、振り回すほど炎が広がる。
「アイス!」
ボォォォッ!
「違う!」
「アイス!」
ボォォォッ!
「なぜ火が出るんじゃ!」
魔王が呆然とする。
「どうなっているんだ?」
便意も同じ顔をしている。
「どうなっているんだ?」
昆布が魔導師の杖を見る。
「……便意さん」
「はい?」
「先ほどからファイアーと言っていましたよね」
「はい」
「そして、今、魔導師さんの杖から炎が出ています」
便意が自分の杖を見る。
「……」
そして魔導師を見る。
「……」
もう一度、自分の杖を見る。
「……まさか」
便意は足元へ杖を向けた。
「ファイアー!」
ボォッ!
魔導師の杖から炎が噴き出した。
「熱い!」
魔導師が飛び上がる。
「ええっ!?」
便意が驚く。
「出た!」
魔王が叫ぶ。
「便意さん、今の出たよ!」
「僕の杖からじゃないですよ!」
魔王。
「そこが問題なんだよ!」
便意はもう一度。
「ファイアー!」
ボォッ!
魔導師の杖から炎。
「熱い!」
魔導師が慌てて杖を振る。
「何なんじゃこれは!」
便意は混乱していた。
「僕も分かりません!」
魔導師が必死に杖を振る。
「アイス!」
しかし。
ボォォォッ!
また炎。
「なぜじゃ!」
「僕に聞かれても!」
魔王軍も大混乱だった。
母さんが言った。
「便意の杖って、瞬間移動の杖じゃなかった?」
魔王。
「うん」
昆布。
「そのはずです」
父さん。
「でも、今は炎が瞬間移動しているな」
全員が黙った。
魔王が父さんを見る。
「……なるほど」
昆布も頷いた。
「つまり」
便意の杖は――。
魔法そのものを瞬間移動させている。
しかも。
便意本人の手元ではなく――。
相手が持っている杖へ。
便意が試す。
「ファイアー!」
ボォォォッ!
魔導師の杖から炎。
「熱い!」
便意。
「……」
魔王。
「……」
昆布。
「……」
便意が恐る恐る言った。
「僕、火の魔法を使ったんですけど……」
魔導師が髪を押さえながら叫ぶ。
「それが、なぜ儂の杖から出るんじゃ!」
便意。
「分かりません」
「分からんのか!」
「はい!」
魔導師は少し考えた。
そして便意の杖を見る。
「その杖は何だ?」
便意が答える。
「瞬間移動の杖です」
魔導師は目を細めた。
「瞬間移動……」
便意。
「はい」
魔導師。
「なるほど……」
杖を見つめる。
「自分の魔法を――」
便意を見る。
「儂の杖に瞬間移動させて使う杖か」
便意。
「……え?」
魔導師は感心したように頷いた。
「面白い」
そして、自分の燃えている髪を触る。
「いや、面白くない!」
便意。
「すみません!」
魔導師。
「しかし……」
老人の目が輝いた。
「使いこなせば、強い杖になりそうじゃの」
便意が驚く。
「強い?」
「うむ」
魔導師は説明する。
「自分が直接魔法を撃つ必要がない」
「はい」
「相手の杖を利用できる」
「はい」
「相手がどんな杖を持っているかによって、さらに戦い方も変わる」
便意は自分の杖を見る。
「……」
魔王が言った。
「便意さん、すごい杖だったんだね」
便意。
「買ったときは、何も起きませんでしたけど……」
昆布が答える。
「能力が強すぎて、使い方を知らないと普通の杖に見えるタイプだったのでしょう」
便意。
「じゃあ、さっき何回やっても瞬間移動できなかったのは?」
昆布。
「便意さん自身が移動する杖ではなかったからでしょう」
便意。
「……」
魔王。
「説明書が欲しいね」
便意。
「本当にそう思います」
魔導師が大きく息を吐いた。
そして自分の杖を見る。
「この杖に火が移されたということは……」
便意を見る。
「他の魔法も移せるのか?」
便意。
「たぶん……」
魔導師。
「では、もう一度試してみるか?」
便意。
「え?」
魔導師。
「いや」
自分の髪を触る。
「やめておこう」
便意。
「ですよね」
魔導師は笑った。
「これ以上髪を燃やされたら、儂の髪がなくなってしまう」
魔王が言った。
「それは困りますね」
父さん。
「髪は大事だ」
ゴプリン。
「……大事」
母さんも頷いた。
「髪が燃えたら治療するわ」
魔導師。
「それはありがたい」
便意は魔導師の髪やヒゲの火を見て、慌てて杖をしまった。
「そうだ!」
便意は手を前に出した。
「ウォーター!」
チョロチョロ……。
小さな水が出た。
魔導師の髪にかかった。
「……」
もう一度。
「ウォーター!」
チョロチョロ……。
魔導師のヒゲにかかった。
「……」
便意。
「すみません。まだこれくらいしか出なくて」
魔導師。
「いや、十分じゃ」
チョロチョロ。
「……」
チョロチョロ。
魔導師。
「冷たいのう」
便意。
「火傷を冷やします」
魔導師は少し笑った。
「お主……」
便意を見る。
「変わった魔法使いじゃな」
便意は照れながら答えた。
「ありがとうございました」
魔導師は頷いた。
「こちらこそ」
そして、自分の杖を見ながら呟いた。
「魔法使いの世界も、まだまだ発展しそうだな」
その言葉に、便意は深く頭を下げた。
試合場では、主審が結果を確認していた。
そして――。
「便意選手、勝利!」
会場から拍手が起こる。
魔王軍も拍手する。
「おめでとう!」
「便意さん、すごい!」
勇気も笑顔で拍手している。
便意はまだ、自分が勝ったという実感がない。
「……勝ったんですか?」
魔王が頷いた。
「うん」
「僕、何もしてない気がします」
昆布が言った。
「かなり重要なことをしています」
「何を?」
「自分の魔法を、相手の杖から出しました」
便意。
「……」
魔王。
「それ、かなり怖い能力だよ」
便意。
「そうなんですか?」
魔王。
「うん」
便意は自分の杖を見る。
「じゃあ……」
少しだけ嬉しそうに笑った。
「買ってよかった」
その後ろで、魔導師はまだ少し焦げた髪を触っていた。
「……この杖、研究したいのう」
便意。
「すみません」
魔導師。
「いや、謝ることではない」
そして笑った。
「魔法の世界は、まだまだ面白くなりそうじゃ」
勇者募集試験の会場では、次の試合の準備が始まろうとしていた。
魔王軍は壁際へ戻る。
ここまでで、魔王、殴打、母さん、父さん、勇気、便意が試合を終えた。
残るメンバーは――。
昆布。
鍋。
ゴプリン。
三人だった。
魔王が三人を見る。
「さて……」
ゴプリンが鋼鉄のプリンカップを押さえる。
鍋がヘル鍋を直す。
昆布が光る靴を見る。
そして魔王は思った。
「次は誰が戦うんだろう?」
会場の主審が、再び対戦表を手に取った。
次に呼ばれる名前は――。




