魔法のバットとしゃべるネクタイ
「次の試合――」
勇者募集試験の会場。
第一試合を終えたばかりの魔王軍は、壁際に並んで次の対戦を待っていた。
試験官が名簿を見る。
「殴打選手と対戦するのは――」
殴打が一歩前へ出た。
「はい」
「魔球選手!」
「……魔球?」
魔王が首を傾げた。
「魔球って名前なのか?」
昆布が名簿を覗き込む。
「確かに『魔球』と書いてありますね」
五利武が言った。
「野球関係者でしょうか?」
殴打は魔法のバットを握り直した。
「私の出番ですね」
勇気が応援する。
「殴打さん、頑張ってください!」
殴打は頷いた。
「ありがとうございます」
試験官が声を張る。
「両者、前へ!」
殴打が試合場へ向かう。
その姿は――
完全に野球選手だった。
野球のユニフォーム。
野球用のヘルメット。
そして手には――
魔法のバット。
魔王は壁際から見ていた。
「……完全に野球選手だな」
すると反対側から、一人の男が歩いてきた。
野球帽。
グローブ。
そして――
ボール。
魔王はさらに目を丸くした。
「……あっちも野球だ」
魔球は試合場に入ると、ボールを軽く握った。
そして殴打を見る。
殴打も魔球を見る。
二人の間に妙な空気が流れる。
試験官が二人の中央へ入った。
「お互い武器を持っていますので――」
少し間を置いて、
「クリーンファイトでお願いします」
殴打と魔球が頷いた。
「はい」
「……」
そして二人は、それぞれの位置まで離れていく。
殴打がバットを構える。
魔球がボールを握る。
魔王は思わず言った。
「これ、ただの野球じゃん」
魔王軍全員が二人を見る。
昆布が言った。
「確かに……」
父さんも頷いた。
「どう見ても野球だな」
母さんが言う。
「でもキャッチャーはいないわよ」
鍋も辺りを見る。
「確かに、キャッチャーがいませんね」
ゴプリンも周囲を見る。
「……いない」
便意が言った。
「キャッチャーなしの野球……」
五利武が首を傾げる。
「そもそも、ここは勇者試験ですよね?」
魔王が頷く。
「そうなんだよ」
その時だった。
父さんの首元から――
「ピッチャービビってる!」
魔王軍が一斉に振り返った。
「……え?」
もう一度。
「ヘイヘイヘイ!」
父さんの赤いネクタイが、明らかに喋った。
魔王が目を見開く。
「ネクタイがしゃべった!」
父さん自身も驚いた。
「おい、お前喋るのか?」
ネクタイが答える。
「ずっとピッチャービビってる!」
「いや、誰に話しかけてるんだ?」
ネクタイは魔球を指すように、先端を少し揺らした。
「ピッチャービビってる!」
「……」
魔王軍が固まる。
昆布が冷静に分析する。
「これが……メンタルアタックネクタイ」
勇気が目を輝かせる。
「すごいです!」
母さんが笑う。
「パパ、良かったわね」
父さんがネクタイを見る。
「お前、攻撃できるんだな」
ネクタイ。
「ヘイヘイヘイ!」
魔王が苦笑する。
「父さん、とうとうネクタイに応援されるようになったな」
五利武が言った。
「しかも結構うるさいですね」
「ピッチャービビってる!」
鍋が言う。
「確かに精神的な攻撃ですね」
昆布が頷いた。
「これは相手の集中力を削るタイプの攻撃かもしれません」
便意が感心する。
「メンタルアタック……」
殴打も少し驚いた様子で父さんを見る。
「父さん、そのネクタイすごいですね」
父さんが胸を張る。
「だろ?」
ネクタイ。
「ピッチャービビってる!」
「……そこは俺じゃなくて魔球選手に言ってるんだな」
魔王が笑った。
試験官が少し困った顔をした。
「……えー」
そして魔球を見る。
魔球は――
前かがみになっていた。
さらに、
首を横に振っている。
「……」
魔王軍がざわつく。
「嫌がってる?」
「精神攻撃が効いてるんでしょうか?」
昆布が言った。
「可能性はあります」
ネクタイ。
「ずっとピッチャービビってる!」
魔球はさらに首を振る。
「いや、もう十分効いてるよ!」
魔王が突っ込んだ。
試験官が咳払いする。
「では、試合を始めます!」
勇気が両手を握った。
「殴打さん!」
殴打が振り返る。
「はい!」
勇気は大声で叫ぶ。
「打てー!」
殴打が頷く。
「はい!」
魔王が驚いた。
「打つのか?」
「え?」
「『勝て』じゃないのか?」
昆布が言った。
「相手が魔球ですから、打つという表現が合っていますね」
「いや、勇者試験なんだけど……」
殴打はバットを構えた。
魔球も構える。
完全に野球だった。
そして――
魔球が投球フォームに入った。
「来るぞ!」
殴打が構える。
第一球。
シュッ!
ボールが飛んできた。
「!」
しかし――
そのボールは、ただの直球ではなかった。
右へ。
左へ。
上へ。
下へ。
ものすごく大きくブレながら飛んでくる。
「何だあれ!」
魔王が叫ぶ。
昆布が目を細める。
「軌道が読めません!」
殴打も必死にボールを見る。
「……!」
バットを振ろうとした。
ところが。
ボールが突然――
グイッ!
方向を変えた。
「えっ!?」
殴打の顔へ。
「危ない!」
殴打は咄嗟に倒れ込んだ。
ドサッ!
ボールが顔のすぐ横を通過する。
シュン!
壁に当たる――と思った瞬間。
ボールがクルッと方向を変えた。
そして、
シュッ!
魔球のところへ戻っていった。
魔球は普通にキャッチした。
パシッ。
会場が静まり返る。
魔王が言った。
「……ボール、自分で帰ったぞ」
五利武が頷く。
「かなり便利ですね」
昆布が分析する。
「投げた後も自由に軌道を変えられるようです」
便意が言った。
「でも、今の顔への軌道は危ないですね」
母さんも心配そうに言う。
「殴打さん、大丈夫?」
殴打は起き上がる。
「大丈夫です」
しかし、その顔には少し怒りが見えた。
「……」
魔球は再び構える。
殴打も構える。
魔王軍が一斉に言った。
「結局、野球の構えだな」
ネクタイ。
「ピッチャービビってる!」
魔球。
「……」
魔王が言う。
「ネクタイの方がビビらせてる気がする」
試験官が叫ぶ。
「第二球!」
魔球が構え直す。
殴打もバットを握り直す。
魔球はゆっくりと振りかぶる。
「……」
そして――
投げた。
シュッ!
今度のボールは、真っ直ぐだった。
「来た!」
殴打が大きく踏み込む。
「打つ!」
ブンッ!
魔法のバットが大きく振られる。
ところが。
ボールが突然――
ストン!
落ちた。
「えっ!?」
殴打のバットが空を切る。
ブンッ!
「空振り!」
しかし――
魔法のバットのスイングによって、とんでもない風が発生した。
ゴォォォォッ!
「うわっ!」
会場の人々が一斉に身をかがめる。
壁際の勇者候補たちが、
「うわああ!」
「風が!」
「強い!」
と騒ぎ出す。
魔球も、
「!」
風に吹き飛ばされそうになった。
壁際の選手たちも腕で顔を覆う。
「すごい風だ!」
魔王は目を細める。
「バットを振っただけで風が出たぞ!」
昆布が分析する。
「これが魔法のバットの能力ですね」
殴打自身も驚いている。
「……風?」
しかし――
その時。
カラン。
地面に落ちたボールが転がった。
そして――
ピタッ。
止まる。
魔王が言った。
「ボールが止まった」
次の瞬間。
ボールが、
シュッ!
殴打へ向かって飛んできた。
「また!」
殴打が倒れる。
ドサッ!
ボールが頭上を通り過ぎる。
そして――
シュッ!
また魔球のところへ戻る。
魔球がキャッチ。
パシッ。
殴打はゆっくり立ち上がった。
「……」
魔王が心配そうに見る。
「殴打さん?」
殴打は黙っている。
そして――
バットを見た。
バットから、
ボッ。
小さな炎が出た。
「……え?」
魔王が目を丸くする。
炎はどんどん大きくなっていく。
ボオッ!
「ええっ!?」
殴打のバットが炎に包まれた。
観客がざわめく。
「炎だ!」
「魔法のバット!」
「火属性なのか!?」
昆布の表情が変わる。
「まずいです」
魔王も気づいた。
「殴打さん!」
殴打が魔球を見る。
そして走り出した。
「殴打さん!?」
殴打が炎のバットを握って、魔球へ向かっていく。
「待ってください!」
魔球も驚いている。
「!」
試験官が慌てて走る。
「殴打選手、ストップ!」
魔王軍も一斉に試合場へ飛び込む。
「殴打さん!」
「止まって!」
「危ない!」
父さんも走る。
「落ち着け!」
ネクタイ。
「ピッチャービビってる!」
「今は黙ってくれ!」
父さんが叫んだ。
魔王が殴打の前に回り込む。
「殴打さん!」
殴打が叫ぶ。
「二回も顔を狙われました!」
「分かる!」
「怒りますよ!」
「それも分かる!」
殴打のバットの炎がさらに大きくなる。
ボオオオッ!
「でも!」
魔王が言う。
「ここは勇者試験だ!」
殴打が止まる。
「……」
魔王が指を差す。
「そのバットで振り回したら、周りのみんなまで燃えてしまう!」
殴打が周囲を見る。
壁際には大勢の勇者候補。
試験官もいる。
魔王軍もいる。
そして――
鍋はヘル鍋。
母さんは子供用巨人のしゃもじ。
昆布は光る靴。
父さんは喋るネクタイ。
便意は瞬間移動の杖。
ゴプリンは鋼鉄のプリンカップ。
全員が殴打を止めようとしている。
殴打の表情が少しずつ落ち着いていく。
「……そうですね」
その時。
便意がバットを見る。
「……炎」
「え?」
便意は自分の杖を見た。
そして、
「アイス……」
魔王が振り返る。
「便意さん?」
便意は杖をバットへ向けた。
「アイス、ビッグで」
ドンッ!
巨大なバニラアイスが出現した。
「またそれか!」
魔王が叫ぶ。
巨大なアイスが炎のバットに、
ベチャッ!
と張り付いた。
ジュウウウウウ……
炎が消えていく。
「おお!」
ボウッ。
ジュウウ。
そして――
完全に消えた。
「……」
殴打がバットを見る。
普通の魔法のバットに戻っていた。
便意が胸を張る。
「消えました」
魔王が言った。
「アイスが消火器みたいになってるな……」
昆布が頷く。
「結果的には非常に有効でした」
試験官は深呼吸した。
そして二人を見る。
「……」
殴打も魔球も黙っている。
試験官が手を上げた。
「試合終了!」
会場に声が響いた。
「両者、下がってください!」
殴打はゆっくりバットを下ろした。
「はい」
魔球も頷いた。
「……」
二人はそれぞれの場所へ戻っていく。
魔王軍も壁際へ戻った。
昆布が殴打に近づく。
「殴打さん」
「はい」
「二回も顔面を狙われたら、怒りますよね」
殴打は頷く。
「はい」
昆布は続けた。
「あのまま炎のバットを振ったら――」
会場を見渡す。
「みんな燃えてしまいます」
殴打は周囲を見る。
「……」
そして、自分のユニフォームを見る。
「……そうか」
少し考えてから――
「あっ」
魔王が聞く。
「どうした?」
殴打が言った。
「野球じゃなかった」
魔王が即答する。
「今さら!?」
魔王軍が笑い出す。
五利武が言った。
「でも、最初から勇者試験でしたよ」
殴打が頷く。
「そうでした」
父さんが言う。
「ピッチャーとバッターだったから、完全に野球に見えたな」
ネクタイ。
「ピッチャービビってる!」
魔王が振り返る。
「まだ言ってる!」
ネクタイ。
「ずっとピッチャービビってる!」
魔球は遠くで、
「……」
まだ少し前かがみになっていた。
魔王は魔球を見る。
「でも、あのボール……すごかったな」
昆布も頷く。
「投げた後に自動で戻ってくる。そして大きく軌道を変える」
殴打が魔法のバットを見る。
「こちらも……炎と風ですか」
魔王が言った。
「魔法のバットって、かなり危険だな」
殴打が申し訳なさそうにする。
「すみません」
魔王は笑った。
「でも、最後に止まれたから大丈夫」
勇気が殴打の肩を叩く。
「殴打さん、良かったですよ!」
「勇気さん……」
「ちゃんと力を見せられました!」
殴打が頷く。
「ありがとうございます」
母さんも微笑む。
「でも、次からは顔を狙われても怒りすぎちゃ駄目よ」
「はい」
父さんが言う。
「怒りを抑えるのも大事だ」
殴打が頷く。
「分かりました」
ネクタイ。
「ピッチャービビってる!」
父さんがネクタイを見る。
「お前は怒りを抑える必要ないのか?」
ネクタイ。
「ヘイヘイヘイ!」
魔王が吹き出した。
「父さん、それ、もう普通のネクタイに戻れないんじゃないか?」
昆布が試験会場を見渡した。
「しかし――」
魔王軍が静かになる。
昆布は真剣な表情だった。
「今回の試合でも、試験官がかなり記録しています」
壁際を見る。
何人もの審判がメモを取っていた。
一人は殴打のバットを見ている。
一人は魔球のボールを見ている。
そして別の審判は――
魔王を見ていた。
魔王は気づく。
「……俺?」
昆布が頷く。
「第一試合の魔王様も含めて、我々全員の戦い方をかなり細かく見ているようです」
五利武が言った。
「勇者試験ですからね」
鍋がヘル鍋を触る。
「この試験、思っていたより本格的ですね」
便意も瞬間移動の杖を見た。
「次は誰でしょう」
ゴプリンが呟く。
「……誰?」
魔王軍全員が試験官を見る。
主審が名簿を持って中央へ歩いていく。
そして――
「それでは、次の試合を発表します!」
会場が静かになる。
魔王軍も耳を澄ます。
「次の対戦は――」
誰もが緊張する。
魔王は自分の仲間を見る。
冷寒との試合。
魔球との試合。
次はいったい誰が戦うのか。
そして――
どんな変な勇者候補が出てくるのか。
主審が名簿をめくった。
「次は――」
その名前を聞いた瞬間。
魔王軍の何人かの表情が変わった。
「……え?」




