試合開始
王都勇者募集試験。
体育館のように広い試験会場には、勇者を目指す者たちが大勢集まっていた。
その中央には、試合場。
そして、その周囲には壁際に立たされた勇者候補たち。
試験官が手元の名簿を確認した。
「それでは、第一試合――」
会場が静かになる。
「魔王 対 冷寒!」
「おお……!」
ざわざわ。
魔王軍の視線が一斉に魔王へ向いた。
「いきなり魔王様です」
「俺か……」
魔王は少し驚いた。
「冷寒、前へ出てきてください!」
会場の奥から、
ドスン。
ガシャン。
ドスン。
ガシャン。
重い足音が響いてきた。
魔王軍が一斉にそちらを見る。
「……何でしょう?」
鍋が目を細めた。
さらに、
ドスン。
ガシャン。
ドスン。
ガシャン。
巨大な男が歩いてくる。
身長は魔王よりかなり高い。
肩幅も広い。
そして何より――
全身を分厚い鎧で固めている。
その上から毛皮のコート。
さらに兜。
そして兜の上にはフード。
完全防寒仕様だった。
それなのに。
「寒い……」
男は震えていた。
「寒い……寒い……」
ドスン。
ガシャン。
魔王軍は固まった。
魔王が小声で言った。
「……あの人、何枚着てるんだ?」
父さんが答えた。
「見たところ、かなり着ているな」
母さんが首を傾げる。
「毛皮まで着てるのに寒いの?」
「そこが不思議ですね」
昆布が観察する。
「鎧、毛皮、兜、フード。防寒性能だけならかなり高そうです」
便意が言った。
「でも寒いって言ってますね」
ゴプリンも見つめている。
「……寒い」
「ゴプリンさんまで?」
「……寒そう」
「いや、ゴプリンさんはプリン冷やしましょう」
鍋が訂正した。
ゴプリンは少し考えた。
「……プリン」
「そこは分かってるんですね」
そんな会話をしている間にも、冷寒は試合場へ近づいてくる。
ドスン。
ガシャン。
ドスン。
ガシャン。
そして魔王の前に立った。
大きい。
魔王は見上げた。
「……本当に大きいな」
冷寒はブルブル震えながら言った。
「寒い……寒い……」
魔王は自分の服装を見た。
こちらは――
作業着。
しかも、いたるところに、
『安全第一』
と書いてある。
胸にも安全第一。
背中にも安全第一。
腕にも安全第一。
魔王は苦笑した。
「俺は安全第一なんだけどな……」
昆布が言った。
「非常に魔王様らしい装備ですね」
「魔王なのに作業着だからな」
父さんが言った。
「でも、安全第一は大事だぞ」
「父さんに言われると説得力があるな」
父さんは頷いた。
「メンタルガードだからな」
母さんが微笑んだ。
「パパは何でも安全第一ね」
「母さん、それ俺もだよ」
魔王が言った。
その時。
試験官が二人の間に立った。
「両者、良いですか?」
魔王と冷寒が頷く。
「クリーンファイト!」
二人とももう一度頷いた。
試験官が手を上げる。
「それでは――」
会場が静かになる。
「試合開始!」
魔王はすぐには動かなかった。
拳を構えたまま、冷寒を観察する。
「……鎧もコートも分厚い」
魔王は小さく呟いた。
「攻撃が通じるのか?」
冷寒も構えた。
ブルブルブルブル。
震えている。
「寒い……寒い……」
そして少しずつ近づいてくる。
ドスン。
ガシャン。
ドスン。
ガシャン。
魔王は距離を測った。
まだ少し遠い。
しかし――
冷寒の体が突然沈んだ。
「ん?」
冷寒が少し屈む。
そして――
ドンッ!
巨大な体が飛んだ。
「えっ!?」
魔王の目が見開かれる。
冷寒が空中から拳を振り下ろす。
「ドスン!」
魔王は反射的に後ろへステップした。
ところが。
「うわっ!」
魔王の体が――
想像以上に後ろへ飛んだ。
シュバッ!
「ええっ!?」
さらに、
シュバァァァッ!
魔王はかなりの距離を一気に移動した。
本人も驚いている。
「なんだこれ!」
そしてそのまま壁際へ。
「危ない!」
魔王は空中で体勢を整えた。
「うわっ、ぶつかる!」
壁際にいた勇者候補たちが慌てて避ける。
「来るぞ!」
「避けろ!」
「魔王が飛んできた!」
魔王はギリギリで着地した。
ドンッ!
会場が静かになる。
魔王は自分の膝を見る。
「……なんだ、俺のステップの速さとジャンプ力」
そして膝に付けた新装備を触った。
「これが……膝サポーターの力か?」
会場がざわめく。
「すごい!」
「冷寒の巨体のジャンプ攻撃もすごい!」
「でも魔王のステップも速いぞ!」
「今の距離、普通じゃないだろ!」
勇気が両手を握って叫んだ。
「魔王様!」
魔王が振り向く。
「はい!」
「良いですよ!」
「え?」
「すごいステップです!」
「……!」
魔王の胸に、少し力が湧いた。
「そうか……」
魔王は小さく笑った。
「俺のステップ、速くなってるんだ」
昆布が冷静に分析する。
「膝サポーターの効果と思われます」
殴打が言った。
「魔王様、これは使えますね」
五利武も頷く。
「ローキックの威力も上がってるかもしれませんね」
魔王は少し考えた。
「でも、相手はあの鎧だぞ」
全員が冷寒を見る。
冷寒は――
ブルブルブルブル。
「寒い……」
魔王は思った。
「この人、寒さのことしか言わないな……」
その時。
試験官が声を張った。
「両者、中央へ!」
魔王は中央へ戻る。
冷寒も戻る。
ドスン。
ガシャン。
ドスン。
ガシャン。
二人は再び向かい合った。
魔王は拳を構える。
冷寒も拳を構える。
すると冷寒が言った。
「……少し暖まってきた」
魔王が目を丸くした。
「暖まってきた?」
冷寒は頷く。
「さっきより……少し暖かい」
昆布が聞いた。
「試合をして体温が上がったのでしょうか」
父さんが言った。
「それなら良かったな」
魔王が言う。
「試合の目的が違う気がするけどな」
冷寒が前傾姿勢になる。
「では……」
魔王が身構える。
冷寒の足が動いた。
タッ。
タッ。
タッ。
「速い!」
今度はステップが違った。
巨大な体からは想像できないほど素早い。
冷寒が一気に間合いを詰める。
「寒い!」
「そこはまだ寒いのか!」
冷寒の拳が飛んできた。
シュッ!
魔王は上体を揺らす。
右。
左。
さらに横へ。
タッ!
魔王の足が素早く動く。
「速い!」
観客から声が上がる。
魔王はボクシングの動きを思い出していた。
上半身を左右に揺らす。
相手の拳の軌道をずらす。
横へステップ。
そして――
冷寒の拳が、
シュッ!
魔王の頬をかすめた。
「……!」
魔王は一瞬だけ目を細めた。
「速いな」
冷寒の体格から想像していた以上に速い。
魔王は反撃ではなく、まず牽制を選んだ。
「それっ!」
ジャブ。
シュッ!
拳が冷寒の顔へ伸びる。
しかし――
カンッ!
甲高い音が響いた。
「……兜か」
魔王のジャブが兜に当たった。
冷寒はほとんど動かない。
「硬い……」
魔王は拳を戻す。
冷寒が顔を少し傾けた。
「……暖まってきた」
「いや、そこはもういいだろ!」
会場から笑いが起こる。
しかし次の瞬間。
冷寒が前へ出た。
ドンッ!
魔王の表情が変わる。
「来る!」
冷寒が一気に距離を詰める。
ドスン!
ガシャン!
ドスン!
ガシャン!
魔王は後ろへ下がる。
しかし――
「速い!」
自分の足が勝手に加速していく。
タッ!
タッ!
タッ!
魔王は横へ移動した。
冷寒の拳が空を切る。
「すごい!」
勇気が叫ぶ。
「魔王様、そのままです!」
魔王は少し嬉しくなった。
「ありがとう、勇気!」
しかし、その直後。
冷寒が方向を変えた。
「え?」
巨体なのに、切り返しが速い。
「うわっ!」
魔王はまた横へステップ。
冷寒の拳が肩の横を通り過ぎる。
ブンッ!
魔王は一瞬だけ考えた。
「この人、重そうなのに速いな……」
冷寒がまた拳を構える。
「寒い……」
魔王は構え直す。
「俺もそろそろ攻撃しないと、ずっと避けてるだけになりそうだな」
昆布が壁際から叫ぶ。
「魔王様! 無理に打ち合わなくていいです!」
魔王が聞く。
「じゃあどうする?」
昆布は冷静に答えた。
「まずは相手の動きを見てください!」
「了解!」
魔王は再び構える。
冷寒が踏み込む。
「来た!」
魔王は上体を揺らす。
右へ。
左へ。
さらに一歩。
冷寒の拳が通り過ぎる。
そして魔王は一瞬だけ冷寒の横へ回った。
「ここだ!」
魔王はローキックの姿勢を取る。
しかし、そこで止まった。
「……待て」
魔王は冷寒の脚を見る。
分厚い鎧。
さらに毛皮。
「……これ、蹴って大丈夫なのか?」
昆布も考える。
「確かに、あれだけ防具がありますからね」
五利武が言った。
「でも魔王様のローキックなら――」
殴打が続ける。
「膝サポーターもあります」
魔王は自分の膝を見る。
「……そうだった」
新しい装備。
魔じいちゃんの膝サポーター。
その効果はまだ完全には分からない。
魔王は少しだけ笑った。
「でも――」
冷寒が振り向く。
「寒い……」
魔王は構え直す。
「まずは安全第一だ」
作業着の背中に、
安全第一
の文字が大きく輝いていた。
観客の一人が言った。
「勇者試験なのに、あの人だけ工事現場みたいだな」
別の人が答える。
「でも動きはすごいぞ」
試験官も二人を見ながら頷いていた。
「なるほど……」
魔王と冷寒。
まだ決着はついていない。
むしろ――
試合は、ここからだった。
冷寒が拳を握る。
魔王も拳を構える。
二人の間に、再び緊張が走った。
そして冷寒が――
一歩踏み込んだ。
「寒い!」
「だから、それ言いながら攻撃するのか!」
魔王は横へステップした。
しかし――
その瞬間。
魔王の膝サポーターが、
ほんの少しだけ光った。
「……え?」
魔王が振り返る。
冷寒の拳が迫る。
「次は、もっと速い!」
魔王の目が見開かれた。
そして――
試験会場に、二人の足音が響き渡った。
タッ!
ドスン!
タッ!
ガシャン!
次の瞬間、何が起こるのか――。




