「三日後には、娘を手放す」
星と翼の紋章を掲げた馬車が、
満天の星空の下を、ガラガラと音を立て走っていた。
中にいたのは、
隣り合わせで座る、オーレリアン公爵夫妻。
泣き疲れて眠っているミレアは、
ルシアの腕に抱かれていた。
腕の中の我が子を眺めていたルシアは、
ぼんやりとした表情で口を開いた。
「この子。
ノエリアがいなくて、泣くかしら」
アルヴァンが息を飲む。
「あんなに、酷いことをされていたのに……
必死におかあしゃま、おかあしゃまって……っ」
眠るミレアの頬に、
ぽたりと涙が落ちた。
アルヴァンは、
ルシアとミレアを包むように、そっと抱き寄せる。
「自分を責めないでくれ。
神を守護する家系に生まれておきながら、娘を呪いから救うことすらできなかった……全て、私の責任だ」
アルヴァンは声を震わせ、固く奥歯を噛み締めた。
「違う、あなたのせいじゃないわ!
この三年間、ともに頑張ってきたじゃない」
興奮したルシアは、声を張り上げる。
すると、腕の中のミレアが身体をよじった。
「……う、ん」
そこで我に返るルシア。
ミレアは呻き声を漏らしたが、
すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
夫婦はお互いの顔を見合わせ、
ほっと胸を撫で下ろす。
「どうして、
こんなことになったんでしょうね」
ルシアの言葉に、
アルヴァンは答えられなかった。
なぜ自分ではなく、
娘が苦しまなければならないのか。
三年前──
オーレリアン公爵家に、
一人の赤ん坊が誕生した。
元気な産声を上げる赤ん坊──ミレア。
その声を聞いたアルヴァンと、
長男のエルディオは歓喜に満ち溢れた。
「アルヴァン、抱いてあげて」
ルシアの声は疲れ切っていたが、
顔には笑みが浮かんでいた。
アルヴァンは頷き、
真っ白なおくるみに包まれた娘を、
産婆の手から、自分の腕の中へと抱き上げる。
ふにゃりと柔らかい身体。
腕から伝わる赤ん坊の体温に、自然と涙を滲ませていた。
「あぅぅ……」
ぐずった声を出し、
手足をばたつかせるミレア。
「おーよしよし。パパでちゅよー」
アルヴァンはデレデレの顔で、
娘をあやしていると、おくるみから右手が飛び出した。
「元気でちゅねー……!」
巻き直そうと右手を掴み、
アルヴァンの顔は凍りついた。
ミレアの手の甲に、
大きな痣ができていた。
はっきりと浮かんでいる"それ"は、
オーレリアン公爵家の家紋である、翼が星を抱く紋章。
「……まさか、聖女の印?」
世界に危機が訪れた時、
紋章を刻まれた者は聖女として人々を導く──。
幼い頃から聞かされてきた伝説が、
今になってアルヴァンの頭の中でこだました。
「娘を聖女にしてたまるか。
この子は、幸せになるために生まれてきたんだ」
アルヴァンの目には、
強い怒りと、父親としての覚悟が宿っていた。
夫婦は痣を隠し、
ミレアを普通の女の子として育てることにした。
母乳を飲み、お昼寝をして、
夜には家族で食卓を囲む。
そんな穏やかな日々は、
ある日、突然終わりを告げた。
ある日、ミレアが体調を崩した。
医者は風邪だと言ったのに、症状は悪化する一方。
何故か体調に比例して、
手の甲の紋章も薄くなっていた。
食事もとれず、
目を開けることすらなくなったミレア。
夫婦は方々に手を尽くしても、状況は良くならなかった。
そして──
「お父さま!」
エルディオが緊張した声で、ミレアを抱いて走ってきた。
「どうしたんだ!」
アルヴァンが駆け寄ると、
ミレアの口の周りには吐血したような血の跡。
慌てて医者を呼んだが、
伝えられたのは死亡宣告だった。
「ああっ……ミレア、ミレア!」
ミレアを強く抱き締め、泣きすがるルシア。
アルヴァンは、
二人から目を背け、拳を握り締めた。
……神を欺いたからこうなったのか?
赤子の手から、
紋章が綺麗になくなっていた。
憔悴した夫妻は、
ある晩目を覚ますと、周囲が真っ白な霧に覆われていた。
何が起きたか分からず、
アルヴァンが辺りを見回す。
その隣では、
ルシアも不安げに立ち尽くしていた。
「アルヴァン!
ねぇ、ここはどこなの?」
アルヴァンが困惑していると、
霧の中から、鈴のような凛とした声が響いた。
『神を守護せし者よ。運命に抗いましたね』
姿は見えない。
けれど直感的に何かを感じ、夫婦ともに膝をつく。
「神よ、どうかお願いします。
罰なら私が受けます。
だから、娘を返してください!」
ルシアは縋るような叫びを上げ、
額を地面につけて土下座した。
そんな姿に、
アルヴァンは一瞬だけ面を食らうが、
すぐに声の方向へと向き直る。
「赤子には母親が必要です。
ですからどうか、私の命を!」
妻と同じく、
額をつけて土下座をする。
『……これは、神罰ではない』
予想外の言葉に、
夫妻は顔を上げる。
『注がれた愛が、命を蝕む毒に変わる。
人間が聖女にかけた呪い』
アルヴァンは耳を疑った。
娘は呪われていた?
しかも、愛情が毒に変わるってことは──
家族で過ごした日々が、
走馬灯のように駆け巡った。
『助かる方法は一つ』
生気をなくしていた夫婦の目に、光が宿る。
『呪いを枯らすには本来五歳を迎えるまで、
オーレリアン家の愛も庇護も届かぬ場所で、生かさねばならない』
『だが、お前たちにも呪いを分ければ、
三歳までに縮められる』
『その間は、
お前たちも娘の悪夢をともに見ることになる』
『それでも望むか』
夫妻の意思は決まっていた。
「「お願いします……」」
二人は、
姿の見えない神に、頭を下げる。
『三歳を迎えた時に、呪いは枯れる。
だが、種のような核は残る』
『核を取り除くには、
聖女自身の心が成長せねばならない』
『それまでは、
血縁であることを知られるな。
さもなくば、呪いが復活する』
音色のような声で、
淡々と告げられる現実。
夫妻は、
胸の奥から込み上げる思いを、
ぐっと飲み下すしかできなかった。
『そしてルシア。
今日から三日以内に、お前の妹に聖女を預けなさい』
「えっ」
想像していなかった人物。
理由を聞こうとした瞬間、
ルシアの意識は、現実に戻った。
「おぎゃあ!おぎゃあ!」
聞き覚えのある泣き声。
下を向くと、腕の中にいたミレアが元気に泣いていた。
アルヴァンも駆け寄り、ルシアごと抱きしめる。
「あぁ、神さま!」
夫妻は娘の生還に、涙して喜んだ。
だが、三日後には。
この腕から、娘を手放さなければならない。




