第2話 「路地」
これは、力を持たない男の話です。
魔法が使えるわけでも、剣が強いわけでも、
貴族の血を引くわけでもない。
ただ——口を開くと、相手が気づかないうちに
不利な方向へ誘われていく。
そういう男が、全てを奪われるところから始まります。
怒鳴らない。
泣かない。
ただ、静かに、相手が自滅する場所へ誘う。
魔法なし・武力なし・策略だけの成り上がりです。
よろしければ、お付き合いください。
三泊の間、レシルは何もしなかった。
正確には——何もしていないように見える行動だけをした。
宿の窓は塞がれていた。
だから外には出た。
ただし、目的地を持たずに。
歩いた。
座った。
飯を食った。
それだけだ。
街を歩くとき、レシルには癖がある。
人を見る。
何を売っているか、ではない。
誰と目が合うか、だ。
視線には重さがある。
値踏みの視線、警戒の視線、無関心を装った視線——それぞれ質が違う。
十二年、商会の副頭として交渉をやってきた。
相手の目が何を言っているか、言葉より先に読む習慣が染みついていた。
三日歩いて、レシルはいくつかのことを確認した。
グロウの息がかかった店が、この区画に十二軒ある。
そのうち三軒は、表向きと裏の顔が違う。
そして——情報を売っている老人が、南の市場に一人いる。
老人は露店を出していた。
香辛料と、乾燥した薬草と、正体のわからない粉末。
商売にならない品揃えだった。
レシルは立ち止まらなかった。
通り過ぎながら、銅貨を一枚、台の端に置いた。
老人は顔を上げなかった。
だが、銅貨は消えた。
翌日も同じことをした。
その翌日も。
四日目の朝。
老人の露店に近づいたとき、台の上に小石が一つ置かれていた。
それだけだった。
レシルは小石を手に取り、裏を見た。
何も書いていない。
——来い、という意味だ。
路地の奥の、扉のない入口。
老人は木箱の上に座って、干した果実を食べていた。
レシルが入っても顔を上げなかった。
「ヴェルナの副頭だった男が、なぜ俺のところに来る」
声は低く、乾いていた。
「情報が欲しい」
「金は」
「ない」
老人が初めて顔を上げた。
値踏みするような目だった。
軽蔑でも同情でもない。
ただ、査定している。
「ない人間は来るな」
「三日後には用意する」
「何を売る気だ」
レシルは少し考えた。
嘘をつく意味がない相手だ、と判断した。
「グロウ・ヴェルナの、今週の動きを教えてほしい。対価は——あなたが今一番知りたいことを、私が代わりに調べる」
沈黙があった。
老人が干した果実を一粒、口に放り込んだ。
「調べる手段もないくせに、大きいことを言う」
「手段がないのは今日だけです」
老人が笑った。
声には出なかった。
目の端がわずかに動いただけだ。
「座れ」
レシルは座った。
「名前は」
「レシル」
「知ってる。聞いたのは礼儀だ」
老人は果実の入った袋を膝に置いた。
「俺はドルグ。この街の裏を三十年見てきた。金で動く。筋は曲げない。それだけだ」
レシルは頷いた。
「グロウの動きより先に、一つ教えてやる」
ドルグが指を一本立てた。
「お前を嵌めた書類——あれを作ったのは商会の内部じゃない」
レシルの呼吸が、一瞬止まった。
「外の人間が関わっている。どこの誰かはまだわからん。だがグロウ一人じゃ、あの精度の偽造はできない」
路地を出たとき、空が赤くなっていた。
レシルは歩きながら、情報を整理した。
外部の協力者。
それはつまり——グロウには、弱みを握られている相手がいる、ということだ。
あるいは、対等な利害関係を持つ者が。
どちらにしても、糸が一本増えた。
糸が一本あれば、手繰れる。
手繰れれば、ほどける。
宿に戻って、レシルは天井を見た。
残りの銅貨は一枚。
宿代に六枚使った。
露店の老人に二枚渡した。
残りは一枚だけだ。
明日、何かを売る必要がある。
物ではない。
——知識を、売る。
読んでいただき、ありがとうございます。
主人公のレシルは感情を表に出しません。
怒りも、悲しみも、全部内側に押し込めて、
燃料にして動きます。
書いていて一番気をつけているのは、
「説明しないこと」です。
賢いキャラクターを「賢い」と書くのではなく、
その行動と判断で見せたい。
次の話では、また少しだけ、
レシルの景色が変わります。
続きを読んでいただけたら嬉しいです。




