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第3話 「値段」

これは、力を持たない男の話です。

魔法が使えるわけでも、剣が強いわけでも、

貴族の血を引くわけでもない。

ただ——口を開くと、相手が気づかないうちに

不利な方向へ誘われていく。

そういう男が、全てを奪われるところから始まります。

怒鳴らない。

泣かない。

ただ、静かに、相手が自滅する場所へ誘う。

魔法なし・武力なし・策略だけの成り上がりです。

よろしければ、お付き合いください。

 知識には値段がある。

 ただし、売り方を間違えると、ただの話になる。

 レシルが十二年で学んだことの中で、これは最も基本的なことだった。


 朝、市場に出た。

 目当ては商人ではない。

 商人の周りにいる人間だ。

 帳簿をつける書記。

 荷を運ぶ雑用係。

 値段交渉に付き添う使用人。

 そういう人間は、主人の商売を全部見ている。

 だが、誰も話を聞きに来ない。

 聞きに来るのはいつも、主人の方だけだからだ。

 レシルは書記を探した。


 いた。

 中堅の織物商、カヴ商会の書記だ。

 三十代、小太り、帳面を脇に抱えている。

 主人より五歩後ろを歩く癖がある。

 目線は常に足元——自分の存在を消そうとしている人間の目だ。

 レシルはその男の、三歩前に回り込んだ。

「少しよろしいですか」

 書記が顔を上げた。

 警戒の色があった。

「カヴ商会さんが先週断った南港の綿取引、まだ動いていないはずです」

 書記の目が変わった。

「あの取引、断った理由は輸送コストですよね。ただ、今週中なら迂回路が使えます。コストが三割下がる」

「……なぜあなたがそれを」

「元ヴェルナの副頭です。輸送業者とのつき合いは長い」


 書記は五分、黙って考えた。

 レシルは待った。

 焦らせない。

 決断は相手にさせる。

 こちらが押した瞬間に、値段が下がる。

「主人に話を通す必要があります」

「もちろんです。ただ、迂回路の情報は今日中に別の方にも話す予定があります」

 嘘だった。

 だが、使える嘘だ。

「……いくらですか」

 レシルは金額を言った。

 銅貨十五枚。

 食費にして二週間分。

 書記は少し眉を上げた。

 高いとは思っていない。

 安すぎると思っている顔だ。

 ——この情報の本当の値段を、この男は知っている。

「わかりました」


 銅貨十五枚を手に、レシルは市場を出た。

 次はドルグのところへ行く日だ。

 対価の約束がある。

 金ではなく、情報で払う約束。

 ドルグが「一番知りたいこと」——それをこの三日で探っていた。

 答えはわかっていた。

 西区の薬草問屋と、港の荷改め役人の間で、何かが動いている。

 ドルグはそれを掴みかけて、最後の一手が足りない。

 レシルには、その一手がわかった。

 ヴェルナ商会時代、荷改めの役人とは何度も交渉している。

 あの男が動くとき、必ず使う中間業者がいる。

 名前を出せば、ドルグは残りを繋げられる。


 路地の入口に、小石はなかった。

 レシルはそのまま中に入った。

 ドルグは今日も木箱の上にいた。

 果実ではなく、茶を飲んでいた。

「来たか」

「約束通り」

 レシルは名前を一つ言った。

 中間業者の名前。

 ドルグは茶を一口飲んだ。

 それだけだった。

 だが、目が変わった。

 パズルの最後の一片が、音もなく嵌まった人間の目だ。

「……正確だな」

「交渉の場で三度、同席したことがあります」

「グロウの動きだが」

 ドルグが茶碗を置いた。

「今週、奴は孤児院に視察に行く。毎月の定例だ。だが今月は違う人間を連れていく」

「誰ですか」

「第三商会の渉外担当。名前はセリム」


 レシルは路地を出てから、立ち止まった。

 第三商会。

 グロウとは表向き、競合関係にある。

 それが今月から、動きが変わった。

 孤児院の視察に渉外担当を連れていく——それは商談ではない。

 顔合わせだ。

 誰かに、誰かを紹介している。

 ——グロウは今、新しい傘を探している。

 あるいは、新しい道具を。

 どちらにしても、何かが動き始めている。


 宿に戻って、レシルは壁に向かった。

 紙はない。

 だから頭の中に書いた。

 わかっていること。

 わかっていないこと。

 動ける場所と、まだ動けない場所。

 線が、少しずつ繋がり始めていた。

 まだ絵にはならない。

 だが——輪郭が見えてきた。


 翌朝、ドルグから小石が届いた。

 今度は裏に、一文字だけ書いてあった。

 ——「急」

読んでいただき、ありがとうございます。

主人公のレシルは感情を表に出しません。

怒りも、悲しみも、全部内側に押し込めて、

燃料にして動きます。

書いていて一番気をつけているのは、

「説明しないこと」です。

賢いキャラクターを「賢い」と書くのではなく、

その行動と判断で見せたい。

次の話では、また少しだけ、

レシルの景色が変わります。

続きを読んでいただけたら嬉しいです。

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