交渉成立
「問題はね」
和音が声をひそめて言う。
放課後、打ち合わせとしてふたりは教室に残った。他のクラスメイトは帰ったはずだ。
詩はキョロキョロと周りを見渡し、誰もいないことを確かめてから和音の悩みに耳をそばだてた。
「体育の時間をどうするかなんだよね。大きめのブレーカーとシャカパンで体のラインを隠すとして、あとは着替えとか」
今年から共学になったばかりなので、まだ男子専用の更衣室はない。男子は教室で着替えなければならないのだ。
「今はブラは着けてんの?」
「まさか。あれは私服か女子制服のときだけだよ。この制服でそんなとこ見られたら、マジで変態扱いされちゃうよ。今はもう胸がこれ以上大きくならないことを祈るしかないね」
和音が胸に手を当てた。
「じゃあさ、とりあえずブレーカーの下に着る体操着を、家から制服の下に着てくるしかないんじゃない?」
そんなことをヒソヒソとふたりで話しているとき、突然教室の扉がガラリと開き、クラスの女子がドヤドヤと三人入ってきて、ふたりを取り囲むように周りの椅子や机に腰掛けた。
「な、なに? 詩織ちゃんたち、帰ったんじゃ……」
そう言う詩に、山内詩織がグッと顔を近づけた。
「この間も思ったけど、あれからずっと気になってたんだよね」
「な、何が……」
「前も言ったけどさ、いつもあんまりしゃべらない上杉くんが、放課後に詩ちゃんとだけは、すごくしゃべってるよね?」
「そんなことは、ないよ。……ないよね?」
詩が和音に振り向くと、和音が困ったように小さくうなづいた。
「だめだめ。もうごまかされないわよ。さっきから三人でずっと見てたんだから。さあ、白状しよっか」
うわ、困った。しゃべってるとこ、バッチリ見られてたんだ。まさか音ちゃんの秘密を知られた!
詩が言い淀んでると、詩織が詩と和音の正面から座り直した。
「で、本当はふたり、付き合ってるの?」
へ?
「詩ちゃん、お母さまから、大学出るまで彼氏作っちゃいけないって言われてるんでしょ? でも、みんな言わないけど、もうクラスではバレバレよ?」
あー、そっちか。
「そ、そうなの?」
他の子も頷いてる。
「こそこそメモなんか交換してたら、気づかない方がおかしいよ。それにしても」
詩織が和音をチラッと見る。
「詩ちゃんって、幼馴染の同級生だっていう、あの背の高い男の子と付き合ってるって思ってたのに」
「背の高い?」
「バスケの、ほら」
ああ、さんちゃんのことか。
「全然違う。あれは本当に幼馴染。私は上杉く……」
そこまで喋りかけて、あっと口をつぐんだ。
「ふふっ、落ちたね」
詩織がにこりと笑った。
「大丈夫よ、誰にも言わないから」
でも知ってる。詩織はけっこう口が軽い。やばいなあ。
よく考えてみれば、私と音ちゃんの関係って、なんなんだろう。
一度だけ、本当に一度だけキスはした。私の大事なファーストキスの相手は、音ちゃん——和音くん。そこに後悔はない。
でも、そういえばあれから、ふたりの間に何か進展があったかというと……特にないんだよね。
そんなことを思っていると、
「でさ、詩ちゃん。お願いがあるんだけど」
詩織が囁くように言った。
「なに?」
「付き合ってないんならさあ……紹介してくんないかな、あの背の高いバスケの彼。まあ、まだ彼女いない人ならだけど」
なんだ、詩織の目的はそれかあ。つまり、私と音ちゃんが付き合ってるなら、チャーンス!というわけね。
ん? そっか。これは使えるね。
「彼ね、今度の学園祭に来るよ。上杉くんの親友だし」
「マジ? 上杉くん、その彼って彼女いんの?」
和音が顔を横に振る。
「じゃあ、紹介してくんない? お願い!」
和音がチラリと詩を見た。
「まかせといて」
詩はすぐにそう返した。
「で、希空と愛華は? ふたりはいいの? 同じバスケ部、紹介できると思うよ」
詩織と一緒に来たふたりにも声をかけると、パァッと顔が赤らんだ。
「そのかわり、交換条件ね」
「なに?」と詩織。
「愛華ちゃんさ、私と席を替わってもらえない?」
相良愛華は、和音の隣の席だ。
「おお、ラブラブぅ」
三人がはやしたてる。
「そうじゃなくって、上杉くんは声が小さいからさ」
必死に弁解するけど、まあ、当たってなくもない、かな。
「いいって、いいって。席は替わってあげるから、そのかわり絶対紹介してよ」
「それとさあ」
こっちが本命。
「まだ何かあんの?」
「学園祭で、彼がメイド服に着替えるときに、見張り頼むわ。恥ずかしがり屋なの」
「彼だってえ。ヒューヒュー」
もうこのぐらいの冷やかし、平気よ!
「じゃあ、交渉成立。お願いね」
賑やかな女子たちに囲まれて、和音が居場所なく小さくなっていたが、三人が去ってやっと静かになった。
「ごめんね、勝手に話を進めちゃって」
「ううん、大丈夫だよ。石上くんも彼女欲しいって言ってたからね」
「でも、なごみちゃんの唇、まだ忘れてなかったらどうしよう」
思い出したのか、和音が真っ赤になった。
「冗談よ、じょーだん」
和音の肩をポンと叩いて言うと、
「ボクも忘れられないんだけど……」
「ええ! さんちゃんを?」
「違うよ。詩ちゃんの……唇」
もう、いきなりバカ!
夕日で秋色に染まる教室で、私はもう一度、音ちゃんとキスをした。




