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MIXミックス〜詩と音の物語  作者: 西川笑里
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銀座の牛丼

 東急東横線の中目黒で降りて、同じホームの日比谷線に乗り換える。こっちの方が座れるからね、と詩が言う。

「銀座のどこに行くって言ったっけ」

「ああ、松野屋よ」

「えー、お昼はさっきベーグル食べたじゃん。銀座まで行って牛丼食べるの?」

 まあ、松野屋の牛丼も嫌いじゃないけどさ。入るかな?

 詩がポカンと口を開けて見ていたが、

「そうそう、あそこの牛丼、めっちゃ美味しいから」

 そう言って、なぜかケラケラ笑っていた。


 電車がホームに入る。銀座には滅多に来ないので、慣れた詩と手をつないだまま、彼女に合わせて歩くしかない。

 A12出口の手前まで来たそのとき、センサーが反応してガラスの扉が左右に滑り出した。

「さあ、着いたわよ。銀座の牛丼屋へようこそ」

 自動ドアの向こうから、冷房の効いた清潔な空気と、デパ地下特有の高級な甘い香りが、和音の頬を撫でるように流れ出してきた。

 松野屋銀座。着いたのは、和音でも聞いたことがある銀座の老舗高級デパートだった。


 エスカレーターを六階で降りると、そこには『Le Ciel』と書かれた繊細な金文字のプレートが、柔らかなスポットライトに照らされていた。

 静まり返ったフロアには、高級な石鹸のような甘い香りが広がっている。

「これは西園寺さま、いらっしゃいませ」

 降り口近くにいた店員さんが素早くふたりのそばに立った。

「ごきげんよう。佐藤さん、いらっしゃる?」

 そういえば、うちの学校の女子同士の挨拶って、ごきげんようってみんな言うな。詩もそうなんだ。

「はい、お待ちくださいませ」

 店員さんが満面の笑顔を浮かべて店の奥に入って行った。

「詩ちゃん、ここは何するとこ? さっきのは店員さん?」

「何って、ランジェリーショップ。ル・シエルっていうの」

「えー! ここがショップ? デパートに、こんな場所があることも知らなかった」

「まあ、うちはドレスとかに合わせる下着とかは、ずっとここにお願いしてるのよ」

 動悸がして、心臓が止まりそう。

 そこへ、

「西園寺さま」

 と声がかかった。優しい、落ち着いた女性の声。

「あ、佐藤さん。ごきげんよう。きょうは特別なお願いをしたくて指名させていただきました。お願いできますか」

「もちろんですとも。なんなりと」

 また静かな落ち着いた声がした。


 別室に案内されると、「ちょっと待ってて」と和音はソファーに座らされ、詩と佐藤さんが少し離れたところでカタログを見ながら話していた。


「本日担当いたします佐藤です。詩さまから少しご相談をうかがっています。どうぞこちらへ」

 しばらくすると、佐藤さんだけが近くに来た。詩に振り向くと、いってらっしゃいというように手を振っている。


 カーテンに囲まれた場所へ案内されて、丸い椅子に座ると、佐藤さんが首にかけたメジャーを手に取った。

「採寸をいたしますので、肩だけお洋服を落とさせてもらいますね」

 佐藤さんはそう言うと、ワンピースの後ろのファスナーを手慣れた様子で下ろした。

 今着けているブラはサイズが合っていないため、ホックを外した状態で、メジャーが手早く胸元を回っていく。

 胸元を見られていると思うだけで、和音はもう恥ずかしさで顔を上げられなくなっていた。


 採寸が終わると、それからいくつか試着をしていく。

「脇のあたりを少しこちらへ寄せますね。そうすると、ずいぶん着け心地が変わりますから」

 はい、とだけ返事をする。自分では何もできなくて、ほとんどマネキン状態だった。


 今買ったばかりの商品が入った、ル・シエルのロゴの入った手提袋を手に、ふたりは横浜に向かう。袋には違うデザインのものが2着入っている。もちろん、詩からのプレゼント。

 いろんなことに圧倒された和音は、実はまだ頭がボーッとしていた。

 ほんの半年前までは、自分があんなショップに行くなど想像もしたこともなかった。詩と出会ってから、いろんなことが変わっていた。


 詩とはマンションの前まで一緒に帰った。別れ際、

「じゃあ、また明日。……学校で」

と、詩がじっと和音を見つめながら言った。

 そっか。僕は今日、学校を休んだんだった。一日中詩に連れまわされているうち、朝までの行き場のない滅入った気持ちを、いつのまにか忘れてしまっていたことを思い出した。

 僕はどれだけ君に励まされてるんだろう。

「うん、また明日。学校で」

 そう返事をすると、詩はうれしそうに「じゃあね」と手を振って背中を向けたのだった。


 一階のエレベーター前でスマホが震えた。母からだった。

「和音、どこにいるの」

「どこって、今一階だよ。今から上がるとこ」

 フウという息が漏れる音がした。

「もう。トークぐらいたまには見なさいよ」

 母はそう言って電話を切った。

 スマホを開くと、母からのトークが何件か入っている。「ご飯食べた?」とか他愛もないが、休んだ僕を心配したんだね。


「お母さん」

 応接のテーブルに手提袋を置いて、母を呼んだ。

「ボクね、無理はしないことにしたよ」

「うん」

「ボクの体が今はそうなっていくのなら、それに合わせるのが自然なのかなって思ってさ。もし、いつかまた変わってきたら、そのときに考えるから。今はそれでいい?」

「もちろんよ。お母さんもお父さんも、和音が進む道を応援するから」

 微笑む母に、紙袋から今日買ったものを取り出して見せた。

「ちゃんと測ってもらったんだ」

「あら、可愛い。……このお店って、まさかあの有名な銀座の? い、いくらしたの?」

 母が財布を取り出そうとするのを止める。

「大丈夫だよ。プレゼントだから」

 母は少しホッとしたように、ブラをしげしげと手に取って見ていた。

 値段は知ってるけど言わないよ、お母さん。聞いたら心臓が止まるかもね。

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