日本人視点からのオタク文化論 日本文化のRPG親和性論
今日も今日とて駄文書き。日々面白いことや楽しいことを求めています。
今や世界に広がる日本のヲタク文化ですが、この発展には日本特有の宗教や思想、歴史、言語、倫理観が大きく関わっております。この度はそういった視点から ヲタク文化 を考えてみました。出来る限り硬くない内容にしたいと思っておりますデス。
よろしければごゆるりと。
本編は tarutaruさん本日のオススメ なろう版 です。よろしければ覗きに来てください。
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はいどうも~。
ファミコンのRPGのラスボス動画を見つつ懐かしさに浸る今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
日本にRPGが入ってきてから40余年。ドラゴンクエストが発売されたのが1986年ですからそこから数えても40年弱。RPGが日本に馴染み、その世界観やシステムは最早日本のオタク文化と切っても切り離せないモノになっています。
未だに日本のラノベやゲームの舞台が中世西洋風なのも全て輸入されたRPGの影響から日本のファンタジーは始まっているからなのは言うまでもありません。しかし日本においてなぜここまでRPG発祥のファンタジーが浸透したかをラスボスと言う観点から考えてみたいと思います。
初期のRPGのラスボスは大体悪魔だったり悪の魔法使いだったりでした。要は強大な力を持つものの、上回る力を持てば倒せる敵ですね。しかし時代を重ね新たな作品を制作する毎に前作より更に強い敵が必要になってきます。
悪魔よりも強い魔王。そして登場したのが魔神なる存在です。そもそも西洋圏は一神教の為、悪魔や魔王は存在したとしても悪魔の神なる存在はあり得ません。
一神教においての神は唯一且つ至高の存在な訳ですから神とはただ一つの存在しか表さないので全く理解できない考え方でしょう。悪魔の存在は対立するものであって、並び立つ程の存在ではないのですから。
また、殆どの多神教においても主要な神がそれぞれの役割も含めてはっきり決まっています。その為悪魔が調伏され神の一柱に加わっても主神を超えるような事も無ければ身の回りの現象が神として新たに加わるなんてこともありえません。
しかしこれまで何回も書きましたが、日本の宗教観は本当に独特です。自然や動物だけでは無く、時を経た人工物にさえ魂が宿るという考えが根付いています。八百万の神ってヤツですね。
これは日本において未知な物や理解不能な現象、単に異質な存在に対して力の上下関係無く全てが等しく神と呼ばれることからそうなっています。という事は日本において神と言う存在のハードルは恐ろしく低いことになります。
こうやって考えると日本で言う神と他の文化での神とは明らかに指す存在が違います。まぁ、GODを日本語に翻訳すると神が該当したのでしょうが、GODと神が全く同じものを指している訳では無いということですね。
それはともかく、日本の定義する神と言う存在であるならば魔神も悪神も当たり前に存在することになります。そしてそれらはあくまで八百万に存在する神の一つでしかありません。要するに絶対の強者では無いという事です。
その為、どんな神でも等しく倒せる存在に成り下がります。それが例え唯一神であろうが創造伸であろうがです。強大な力を持ちつつもどうにかすれば倒せる相手、それが日本における神の定義だと思います。
どこまでもエスカレートしても尚ラスボスが倒せる敵であることが前提の世界。それはとてもゲーム的であり、日本のファンタジー的と言えるでしょう。
そのせいか、日本のRPGやファンタジーの小説において唯一神や創造伸がラスボスであり、それらに敵対する事になる主人公はいくらでも目にすることが出来ます。こうやって考えるとRPGの世界観というモノは非常に日本の宗教観と相性が良かったのだと思います。
日本のファンタジー観が出来始めて早40年程。このままいくと古典芸能になっていくかもしれないですね。皆さんも今夢中になっているファンタジー小説が教科書に載る未来を想像してみてはいかがでしょうか。
余談なんですが、武士とは本来神を殺す存在でもあるようです。ってぇ事は我々日本人は神殺しの血を引く民族ってことなのぉ⁉
書いてて厨二病が急性憎悪した為、治療に行ってきます。それはともかくそろそろ過去のオタク文化論的なお話を再編していこうかしらねぇ。
今回はこの辺で。でわでわ~。
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