第2話 姉の代わりに
「もちろん、構いません」
私が答えると、姉は目を瞬いた。
「……本当に?」
「はい。お姉さまのお役に立てるなら、嬉しいです」
姉のためなら、お見合いの席に座るくらい何でもない。
それに、姉が裕福な方と結婚できる可能性を潰したくなかった。今回の縁談を断れば、困るのは姉なのだから。
「そう。なら、明日の朝までに覚えておいてちょうだい」
姉は卓上の封書を開き、書かれていた内容を読み上げた。
「相手の名前はエドワード・ハートリー。王都のハートリー商会で会計係をしているそうよ。年齢は二十四歳。父親は商会の役員、母親はすでに亡くなっている。家は裕福ではないけれど、生活には困っていない……ですって」
「しっかりした方なのですね」
「平凡な方ね」
姉は興味なさそうに言った。
「爵位もない。大きな商会を継ぐ予定もない。財産も、せいぜい人並み。そんな相手と結婚して、何が変わるというの?」
「でも、優しい方かもしれません」
「優しさで暖炉は買えないわ」
姉は封書を畳んだ。
「見合いでは、相手に余計な期待を持たせないこと。貧しい暮らしでも満足できるなどと言わないこと。私が料理や家事を得意だと思われるのも困るわ」
「お姉さまは、料理も家事もお上手ではありませんか」
「それは、あなたがやっているでしょう」
姉は真顔で答えた。
思わず笑ってしまう。
姉は料理をしない。掃除もしない。針仕事も、糸が指に刺さるから嫌だと言って途中で私に渡してしまう。
けれど、姉には姉にしかできないことがある。
人前で堂々としていること。
相手が何を求めているのか、すぐに見抜くこと。
貧しい私たちが、どうすれば少しでも軽く見られないかを知っていること。
私はそういう姉を、いつもすごいと思っていた。
「では、私もお姉さまのように振る舞います」
「無理よ」
「即答ですか?」
「あなたは笑いすぎるもの。私なら、そんなに簡単には笑わないわ」
「では、笑わないようにします」
私は口元をきゅっと結んだ。
姉はしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……やっぱり無理に真似しなくていいわ」
「でも、お姉さまの代わりをするのですから」
「あなたはあなたのままでいればいいのよ。余計なことを言わず、相手の話を聞いて、適当なところで帰ってくればいいわ」
その言い方は、まるで幼い子どもに言い聞かせているようだった。
私は少しだけ寂しくなった。
けれど、姉に頼られているのだと思えば、胸の奥が温かくなる。
翌朝、姉は私の髪を結ってくれた。
普段なら、櫛を渡されるだけで終わる。姉が私の髪に触れるのは、母が亡くなって以来、初めてのことだった。
「動かないで。左右がずれるでしょう」
「はい」
姉の指が、私の髪をすくう。
鏡の中で、姉の顔がすぐ後ろにあった。
同じ金色の髪でも、姉のものは光を弾くように華やかで、私の髪は蜂蜜を薄めたように淡い。
「このドレス、よく似合っているわ」
姉がぽつりと言った。
「本当ですか?」
「ええ。……少し癪だけれど」
「癪?」
「私が着たときより、あなたの方が似合っているもの」
姉はすぐに視線を逸らした。
私は嬉しくなって、鏡越しに笑った。
「ありがとうございます。お姉さまが選んでくださったドレスだからです」
「選んでいないわ。捨てるつもりだっただけよ」
「それでも、私にくださったのはお姉さまです」
姉は何も答えなかった。
代わりに、耳元へ小さな銀の耳飾りをつけてくれた。
「これは?」
「私が使わないものよ」
「ありがとうございます!」
「だから、いちいち喜ばなくていいと言っているでしょう」
けれど姉の指は、耳飾りの留め具を何度も確認していた。
王都の中央にある茶館は、私たちの屋敷とは別の世界だった。
磨かれた窓。白い石造りの壁。入口に飾られた季節の花。
扉の前で、私は何度もドレスの裾を確かめた。
私はセシリアではない。
姉の代わりに来ただけの、マリエル・ヴァレンティアだ。
私は深く息を吸い、個室の扉を開けた。
窓際の席に、一人の男性が立ち上がった。
焦げ茶色の髪。落ち着いた茶色の瞳。仕立てのよい服ではあるけれど、華美ではない。
聞いていた通り、どこにでもいそうな、平凡な男性だった。
彼は私を見ると、丁寧に頭を下げた。
「お待ちしておりました、セシリア様」
私は慌てて首を振った。
「申し訳ありません。セシリアは来ません」
男性の表情から、わずかに笑みが消えた。
「……そうですか」
「私は妹のマリエルです。姉の代わりに参りました」
しばらく、沈黙が落ちた。
当然だと思う。
私が逆の立場なら、怒って帰ってしまうかもしれない。
けれど男性は、椅子を引いた。
「どうぞ、お掛けください」
「ですが……」
「せっかく来てくださったのですから。少しお話をしてからでも、帰るのは遅くないでしょう」
彼は向かいの席を示した。
「姉は、今回の縁談をお受けするつもりはないそうです」
「そうですか」
「姉は、もっと裕福な方との結婚を望んでいます」
「正直に話してくださるのですね」
「嘘をつく理由がありませんから」
男性は、少しだけ目を細めた。
「それでは、あなたから見て、お姉さんはどのような方ですか?」
私は迷わず答えた。
「とても美しい方です。それに、強くて、賢くて……私にいつも素敵なものをくださいます」
男性は、真剣な顔で私の話を聞いていた。
姉の代わりに断られるだけのはずだった。
けれど、私はまだ知らなかった。
私が語るたびに、エドワードの中で姉が、実際よりもずっと優しく素晴らしい女性になっていくことを。




