第33話
ミアは優しく告げた。
「交渉、成立ですわ。手を貸しましょう」
安堵のベナン卿をかき消すように、金切り声が響く。
カインだ。
カインが目を覚ましたのだ。
かろうじてまだ開いている瞼を無理やり開き、手元にあった工具でミアに振りかぶる。
だがもう僕は自由だ。
空気魔法で彼の体を縛り上げた。
微動だにできないカインは、何か喋っているが、口も喉も焼けたようで言葉には聞こえない。
「まずは、心臓ですわ」
さっきのカインのようだ。
にっこりと笑ってカインに告げると、ミアは手を彼の胸に手を当てた。
瞬間、ミアの手に、心臓が乗っている。
ぽっかりと空いた赤い空間から、血液が溢れ出す。
カインは自分の心臓が見えるのか、「ああああ」と鳴いた。
だが心臓は動き続けている。
カインから離れているのにだ。
カインの呼吸が早くなると同時に、心臓の鼓動も早まっていく。
一方、キャトルはミアの行動開始と同じころ、サナの体に切り込みをいれていた。
キャトルの指先はかなり細く、繊細な作業ができるようだ。
キャトルは一発で場所を見極め、胸部を縦に切り込みをいれて、サナの心臓をていねいに摘出しだす。
だが、すでに死んだ体なのもあってか、腐ったガスの臭いがする。
最初に消えた右腕の鮮度も、そろそろ怪しいころだ。
サナの胸部の黒い穴に、ミアは真っ赤な鮮血で染まったカインの心臓をぽとりと落とした。
キャトルが指先で丁寧に縫いつけていく。
見える心臓はまだ動いたまま、カインの呼吸も止まっていない。
金魚のように口をパクパクと動かし、じっと僕を見る。
カインは苦しいとも、痛いとも叫べないのだろう。
ぼとぼとと涙を落としながら、僕を見ている。
でも、僕の心はブレない。
ブレてくれない。
そういう訓練をしてきたからだと思いたい。
「アキム様、その人は壁に置いておいてくださいまし」
「いいけど、カインはどうなります?」
「サマーとしてこの体が生き続ける限り、彼の方は死ねないですわね。それだけですわ」
カインの爛れた口が大きく開いた。
叫びたいのだ。
だが、その心からの願いは叶わない。
僕はミアに言われた通り、壁際にカインを置いた。
ちょうどよく天井から下がっていた手枷と足枷をつけつけておく。
パカパカと口が開くたびに、血が撒き散らされる。
胸からもたらたらと血が流れるが、それでも死ねない理屈は考えないでおく。
「アキム様、できまして? こちらへ来てくださる?」
ミアの声に振り返ろうとするが、カインの目が縋ってくる。
消えた眉毛が、顔の皺を描き、いかないでくれと泣いている。
僕はそれに笑顔を返した。
ゆっくりとミアの元へ、踵を返す。
「これでよし、ですわ」
ミアはサナの傷口を確認し、満足そうに微笑んで、キャトルの頭を撫でている。
ベナン卿はあまりの手際に驚いているのか、あんぐりと口を開けたままだ。
「ベナン卿、サマーの目はございまして?」
ベナン卿はわたわたと動き出した。
彼女が寝ている台の頭の部分のつまみを回す。
暗証番号が必要な金庫のようだ。
「……ここに入っている」
彼は大事に恐る恐る木箱を取り出し、表面の埃を吹き払った。
その木箱は手のひらより大きいぐらいのもので、綺麗な木目と細工が施されている。
箱の側面には、ひまわりの花畑が彫刻で描かれている。
ベナン卿はその彫刻を指でなぞり、その内の一つを指で押した。
そこに小さな凹みができる。
彼は小指の指輪を外すと、その凹みへ差し込んだ。
台座が鍵になっていたようだ。
そのままリングをつまみのようにぐるりと回す。
かちりと鍵が外れ、蓋はゆっくりと持ち上がる。
美しい淡い緑の布が敷き詰められた箱の中に、小瓶が二つ。
そこには、一つずつ入れられた目玉が浮かんでいる。
「美しいだろう……」
小麦色の目は輝きはないものの、きっと美しいものをたくさん見てきたと思える穏やかな色だ。
目の玉、だけなのにそう感じられるのは、ベナン卿がこの目を慈しみ、愛しているからだろう。
「アキム様、この方の瞼を開いてくださるかしら。指先に治癒系の魔術展開をしながらで、お願いしますわ」
顔を見るが、すでに目がくり抜かれており、まぶたは落窪んでいる。
治癒を施す魔術式を指先に浮かばせる。
手のひら全体で行うばかりで、指先に展開するなど考えたことがなかった。
「さすがですわ、アキム様。わたくしが言っただけで展開させるなんて」
褒めていただきありがたいが、手を右往左往と揺らしてしまう。
どうにも開くことが難しいのだ。
「僕は細かい作業は苦手なのです。キャトルに任せた方がいいのでは……?」
僕の横で横に長い手を足にしてじっと佇むキャトルを見ると、首は横に振られた。
「彼女は掴んだり、引っ張ったり、細かく切ったり、縫ったりは得意ですの。でも、魔力で肉体を活性化させることはできませんの」
「はぁ……」
思い切ってまぶたを摘む。
もう硬直がはじまっているため、うまく持ち上がらない。
だが、優しくなでていると、少しずつ柔らかくなってくる。
このために治癒魔法が必要なのか。
納得したあたりで、ようやく僕の指でも瞼がつまめた。
「……ミア、今、今です!」
叫ぶように伝えると、彼女は恭しく箱を掲げるベナン卿から小瓶を奪った。
「あぁっ」
情けない声を上げるベナン卿を無視し、ミアは中の水ごと目玉を流す。
ぶるんと跳ねた目玉だが、まるで生きているかのように、つるりと眼窩に入り混む。
もう一つも同じように流し込まれた目玉は、まぶたの裏でぎゅるぎゅると回転している。
「アキム様、だいぶん魔力を使っているところに申し訳ないのですが、その口からつながっている管に、魔力を少しながしてくさる? 合図してからお願いします」
管はトランスと繋がっているが、何をする気なのだろう。
ミアは慣れた手つきでトランスを操作し、魔石の状態を確認したあと、ハンドルを回す。
「アキム様、今です」
両手でつかんだ管を強く握る。
魔力で熱を帯びる手のひらだが、熱が奪われていく。
指先がすっかり凍えたところで、ミアの手が僕に触れる。
「もう、結構ですわ」
小さな冷えた手が僕の手を温めようと擦ってくれる優しさが嬉しい。
僕の手はもう血で汚れているのに、だ。
「見てくださいまし」
ミアがサナ、いや、もうサマーといっていいだろう彼女の頬を撫でた。
血色が戻り始めている。
右腕も赤紫に腫れていたが、だいぶん、色がましになってきた。
「おお……おお!」
ハラハラと涙を落とすベナン卿に、ミアは言う。
「今の時刻は存じませんけど、とにかく、しっかり、トランスから魔力を絶えず供給すれば、目を覚ましますわ」
「次は、」言いながら、まだ気絶したままのディルクを仰向けに直した。
すぐに手枷を掛け、体を固定し直す。
「……確かに、魔力の貯蔵が弱いですわ。それでアキム様の目を」
「そういうことだ。どうにかできるか? どうにかしてくれっ!」
まるで立場が逆転している。
だが、それほどまでにベナン卿は、若返りたいのか?
「ミア、若返るって、どういう方法で?」
「ディルクの生命力をベナン卿に移すのです。ですが、出力するだけの魔力が、ディルクにはないのです」
「じゃあ、ディルクは」
ベナン卿はディルクを見下ろし、言い放つ。
「これは、息子ではない」
「本気ですか?」
そう声をあげたのは、ヘルマンだ。
マシューに抱えられたヘルマンが、脇腹を抱えつつ、ベナン卿に問う。
その目は、憐れんでいる。




